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血管の硬さが分かる血圧計を共同開発



高齢化社会を迎えた日本にとって、加齢に伴う病気の早期発見・予防が大きな社会的課題となっている。
 今年3月、心筋梗塞(しんきんこうそく)などの原因となる動脈硬化を手軽に検査できる電子血圧計「PASESA(パセーサ)」(図1)が、(株)志成データム(斎藤之良 代表取締役)から発売された。そこに用いられている新しい血管指標「AVI」は、同社と理研社会知創成事業 次世代生命体統合シミュレーション研究推進グループ(姫野龍太郎グループディレクター)臓器全身スケール研究開発チーム(高木 周チームリーダー/東京大学教授兼務)との共同で開発された。
 関係者に開発の経緯やシミュレーションの医療への応用の展望を聞いた。

上腕で心臓の周りの動脈硬化を測る

―PASESAの開発の経緯から教えてください。

「PASESA」開発に携わった関係者
「PASESA」開発に携わった関係者
左から、高木 周チームリーダー、泉名英樹 嘱託職員(実用化コーディネーター)、姫野龍太郎グループディレクター、梁 夫友 研究員、斎藤之良 代表取締役。

>図1:電子血圧計「PASESA」
図1 電子血圧計「PASESA」
座った状態で、血圧や脈拍と同時に、上腕動脈の硬さを示す血管指標「API」と中心動脈の硬さを示す新しい血管指標「AVI」を、2分で測定することができる。

斎藤:私たちは1988年の創業時から電子血圧計の開発を続けています。血圧計は、「カフ」と呼ばれるベルトを上腕に巻き、加圧・減圧して血圧を測ります。このとき、カフの圧力変化と心臓の拍動に連動して血管の容積が変化します。それを波形として測定したものを「脈波(みゃくは)」といいます。2004年から、その脈波から上腕動脈の血管の硬さを正確に測る研究を、(独)産業技術総合研究所と共同で始め、上腕動脈の硬さを示す血管指標「API」を確立しました。
 その後、私たちの技術者が、脈波の中に、中心動脈と呼ばれる心臓の周りの太い血管の硬さを示すシグナルが含まれていることに気付きました。中心動脈の硬化は、心筋梗塞などの心疾患の原因となり、医学的に重要です。しかし、私たちだけでは、中心動脈の硬さが、どのようなメカニズムで上腕動脈の脈波中にシグナルとして現れるのかが検証できませんでした。そのような状況だった2007年、企業や大学、研究機関が集まる技術展示会で、理研の実用化コーディネーター、泉名英樹さんにお会いしました。

―理研は、技術展示会に出展する機会は多いのですか。

泉名:私が理研に来た2001年当時は、連携探索の視点からの出展は限られていましたね。私は実用化に結び付きそうな理研の技術を選んで技術展示会などに出展し、実用化のパートナーを探す取り組みを広報室と共に始めました。2007年に技術展示会で斎藤さんのお話を伺ったとき、姫野グループディレクターたちが進めているシミュレーション研究で検証できるだろうと思いました。
姫野:私たちは、1999年から生体のシミュレーションを始めました。2006年からは、理研を中核拠点に大学などの研究者が参加して、今年6月に完成したスーパーコンピュータ「京(けい)」をフル活用して分子から細胞、脳神経系などさまざまなスケールの生体シミュレーションを行い、創薬や医療に貢献するためのプロジェクト「次世代生命体統合シミュレーションソフトウエアの研究開発」を開始しました。そこに高木チームリーダーたちが加わったのです。
高木:私たちは血管網や各種臓器などをコンピュータ上に3次元で再現した全身モデルをつくり、そこに病気の状態を組み込んで診断や治療に役立てるソフトウエアの開発を行っています。開発の過程で、全身の血管網のシミュレーションを行う必要があり、梁夫友(リョウ フユウ)研究員がそのシミュレーションを担当していました。中心動脈の硬さと上腕の脈波との関係を調べるには、まさにその全身血管網シミュレーションが適していたのです。
姫野:2007年に斎藤さんからお話があったとき、理研の研究体制としても、ちょうどよいタイミングだったのです。私たちのプロジェクトの直接の目的は京で動かすソフトウエアの開発ですが、最終的な目的は創薬や医療への貢献です。この共同研究はやるべき価値があると判断して、進めることにしました。

―どのようにして中心動脈の硬さと上腕の脈波との関係を検証したのですか。

梁:まず1年半ほどかけて、上腕にカフ圧をかけたときの脈波を再現できるようにしました。その後、中心動脈の硬さをさまざまに変えて、脈波がどのように変化するのかをシミュレーションしてみたのです。その結果、中心動脈の硬さとカフ圧をかけたときの上腕の脈波には関係性があることが分かりました。

―どのような関係性ですか。

図2:AVIの原理
図2 AVIの原理
心臓から送り出された血液は、両足で分岐する。その過程で脈波は反射して、中心動脈を通って上腕へ伝わる(上)。その反射波成分は、年齢が高く中心動脈が硬くなるほど早く到達する(下)。その変化を指標化したものがAVIである。

高木:心臓から送り出された血液は、上腕動脈に直接流れていくルートとは別に、中心動脈を通り下半身へ流れていくルートがあります。このルートは両足で分岐しますが、その途中で脈波の一部が反射し、中心動脈に戻ってから上腕動脈へ伝わります。上腕の脈波の中には、下半身で反射し中心動脈を通ってきたシグナル波形も含まれているのです。これを反射波成分と呼びます。反射波成分は中心動脈を通ってきているので、中心動脈の血管の硬さが反映されています。年齢が高く中心動脈が硬くなるほど、反射波成分の到達が早くなることを、梁研究員はシミュレーションで確かめたのです(図2)。こうして、反射波成分の変化を指標化した血管指標「AVI」を確立することができました。
斎藤:私たちは中心動脈の硬さを示す血管指標「AVI」と上腕動脈の硬さを示す血管指標「API」を、血圧と同時に測ることのできる電子血圧計「PASESA」を、新しい医療機器として国に薬事申請しました。

医療機器実用化の難しさ

―薬事申請はすぐに認可が下りたのですか。

斎藤:AVIとAPIという二つの指標を表示するだけなのですが、結局、認可が下りるのに2年半もかかりました。なぜ認可が下りないのか、どのようなデータを出せば認可されるのか、そこが分からず苦労しました。大手メーカーでは、多数の医療機関に装置を提供して有用性を示すデータを短期間に集めたり、関連分野の権威ある先生に評価してもらうことで、できるだけ早く認可が下りるように活動します。しかし私たち中小メーカーは、そのような活動は難しいのです。

―最終的に認可が下りたポイントは。

斎藤:論文の引用と解釈がポイントになったのですが、正直よく分かりません(笑)。
高木:私はいくつかの工業製品の実用化に関連した研究開発に関わってきました。医療機器は通常の工業製品とは異なり、製品化へ向けて最後に薬事認可のプロセスがあり、そのハードルが高過ぎると思います。また、日米で認可システムが異なり、米国の方が圧倒的に早いことも問題です。

―医療は成長分野としても期待されています。認可の遅れは、実用化の大きな障害ですね。

高木:現在は国も危機感を持ち改善しようとしているようです。

定期検査により最大の予防効果

―PASESAの優れている点はどこですか。

斎藤:動脈硬化の代表的な血管指標はPWV(脈波伝搬速度)です。PWVでは、ベッドに寝た状態で両手両足の4ヶ所にカフを巻いて脈波の伝搬速度を測定します。PWV は約100年前から使われている血管指標ですが、1999年にWHO(世界保健機関)が血圧だけでなく血管の状態も検査する必要があると指摘して以降、PWV検査装置が日本全国で約1万台普及しました。しかし、PWV検査には専門技術が必要で、しかもコストがかかるため、人間ドックのオプションとして、あるいは動脈硬化の疑いが強い人だけに行われているのが現状です。
 一般健診では必ず血圧を測ります。PASESAを使って血圧と同時に血管の硬さも検査すれば、動脈硬化の予防に大きく役立ちます。その手軽さがPASESAの最大の特長です。また、PWVではどこの血管が硬くなっているのかが分かりません。PASESAなら心疾患の要因となる中心動脈の硬さを検査することができます。この点も大きな特長です。
高木:血管の長さや構造は人それぞれなので、AVIの値には個人差が出ます。AVIがこの値以上なら動脈硬化の危険性が高いとは、言い切れません。
 PASESAで定期的に検査して、AVIの値が前回の検査と比較して大きく変化した場合には精密検査を受ける、といった使い方が最も効果的だと思います。
斎藤:私たちはPASESAを、まずは大学病院や開業医に採用してもらい、たくさんの検査データを集めたいと考えています。数万人分の検査データが集まれば、AVIの値がいくつ以上ならば受診すべきだ、といった年齢別の基準を統計的に設定することができます。
泉名:理研の食堂にPASESAを置いたり定期健診にPASESAを導入したりして検査データの収集に協力することを、斎藤さんと相談しています。開発段階だけでなく、商品化された後もできる限りサポートしていきたいと考えています。
斎藤:米国ではドラッグストアで簡易健康診断を行い、必要な情報を病院へ提供する「アッシュビルプロジェクト」を進めています。これにより病気の予防や治療に大きな成果が出ており、医療費の抑制にも成功しています。日本でもそのような取り組みが進んでいくでしょう。私たちはドラッグストアにもPASESAを導入したいと考えています。

研究を社会に役立てるために

―理研の研究を社会にさらに役立てるためには、どのような取り組みが必要だと思いますか。

高木:私は東京大学からこのプロジェクトに参加しました。大学同士だと敷居が高いのですが、公的研究機関である理研は、さまざまな立場の研究者が参加して連携研究を行う場として理想的です。ただし、プロジェクト研究を基本にした研究の進め方には問題点があります。私たちはこのプロジェクトで、たくさんの有用なソフトウエアを開発しました。今年度でプロジェクトが終了しますが、それとともにそれら成果が埋もれてしまう恐れがあります。理研には開発した有用なソフトウエアを社会に役立てる体制をぜひ築いていただきたいと思います。
姫野:それが私の役目です。プロジェクト終了後も、生み出された成果を改良し社会に送り出せるだけの人員を理研内に残しておく必要があります。そこを核にプロジェクトで築いた人のつながりも維持したいと思います。
高木:理研では脳科学や細胞の機能発現など、さまざまな生命科学の基礎研究を進めていますね。その成果を、シミュレーションを介して社会に役立てることも可能なのではないでしょうか。
姫野:その通りです。例えば、理研では細胞に関していろいろな分野からのアプローチを行っています。その成果を細胞シミュレーションに集約することができるでしょう。今回のプロジェクトでは、薬の候補となる物質を探すソフトウエアも開発しました。その候補物質が細胞に作用したとき、どのような反応を示すのか。それを細胞シミュレーションで予測できるようになれば、創薬はさらに進展するでしょう。また、手術計画を立案するためのシミュレーションなど、工学と医療を橋渡しする研究も進めていきたいと考えています。

―実用化コーディネーターの立場から見た問題点はいかがですか。

泉名:装置のようなハードウエアをつくるプロジェクトでも、原型となる装置ができた後、それを実用化につなげる予算が得られず、せっかくの研究成果が埋もれてしまう例が数多くあります。
 また研究者を評価する際、論文だけでなく、実用化への取り組みも評価することが重要ですが、まだ実態はそうなっていないと思います。

生体シミュレーションを定量診断や早期発見・予防に役立てる

―今後、生体シミュレーションは、医療にどのような貢献ができますか。

梁:私は今、心臓の診断にシミュレーションを役立てる研究を臨床医と進めています。治療には的確な診断が欠かせませんが、これまでの医療装置で取ったデータから心臓の状態がどれくらい悪いのか定量的に診断するのは、とても難しいことです。私は数名の患者さんの検査データをコンピュータプログラムに入力して心臓の状態を定量的に評価してみました。その結果は、臨床医が経験から診断した心臓の状態とほぼ一致しました。
 現在、心臓の状態によってどの薬をどれだけ投与するのかは、医師の経験に基づき判断されています。シミュレーションを利用して心臓の状態を定量的に診断できれば、より効果的な投薬を行えるようになるでしょう。
高木:臨床医が、ここに原因があるはずだ、と診断しても確証を持てないケースがあります。臨床医から、血管のこの部分に動脈瘤(りゅう)をつくると血圧などの検査データがどう変化するのかシミュレーションで確かめてほしい、といった依頼が多いですね。
 シミュレーションは病気の早期発見・予防にも役立つはずです。例えば、川崎病という主に乳幼児がかかる病気は、後遺症で心臓に動脈瘤ができる恐れがあります。そのために定期的な検査が必要です。しかし、どのような過程を経て動脈瘤ができるのか分かっていないので、検査データから動脈瘤ができる過程を予測することは困難です。しかし、動脈瘤ができる過程のシミュレーションを通して、検査データがどのように変化するのかが分かれば、早期発見・予防につなげることも可能になります。

―将来は、検査データから患者の心臓の寿命を予測する、といったことも可能になるのでしょうか。

高木:それも目標の一つですが、まだ時間がかかると思います。病状が進行した後よりも、早期発見・予防を行った方が、患者本人にとっても家族にとってもメリットがありますし、さらに社会的負担も軽減します。そこに、生体シミュレーションはいち早く貢献できるでしょう。

―今回のPASESAがその好例となることを期待したいですね。

斎藤:私たちの目標は、家庭用の血圧計でもAVIを調べることができるようにすることです。血管の硬さは食事や運動などの生活習慣で改善します。個人が家庭で定期的にAVIを検査できるようになれば、とても大きな予防効果が期待できます。