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受精卵が分裂を繰り返し、体がつくられていく発生初期段階の個体を胚という。この胚には、大きく分けて2種類の形の細胞がある。一つは円柱形で細胞同士がシート状に規則正しく並んでいる上皮細胞。もう一つは不規則な形で自由に動き回れる間充織(かんじゅうしき)細胞だ。「胚の発生過程では、同じ細胞が上皮と間充織の間で相互に形を変えます。上皮細胞が間充織細胞へと変化する現象は、特に“上皮-間充織転換(EMT)”と呼ばれています(図1)。私たちはEMTのメカニズムを、ニワトリの胚を使って探っています」と語るのは、理研神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター 初期発生研究チームの仲矢由紀子研究員だ。EMTはがんの転移でも起きるため、この研究はがん治療薬の開発にも役立つと期待されている。


後藤俊男 理研社会知創成事業 創薬・医療技術基盤プログラム プログラムディレクター 1947年、茨城県生まれ。農学博士。東京大学農学部卒業。藤沢薬品工業? 研究本部長 執行役員、アステラス製薬? 執行役員などを経て、2010年より現職。
神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター 初期発生研究チーム

■ EMTのメカニズムに迫る

― EMTの研究はどのように進んできたのですか。

仲矢:EMTは1980年代の中ごろに、ニワトリの初期胚で観察された現象です。その後、EMTががんや線維症と関連することが示唆され、さまざまながん細胞の培養細胞を使った研究が進められてきました。その結果、EMTで働く重要な分子機構が明らかにされています。しかし、実際の体の中でEMTがどのような機構で進むのか、よく分かっていません。そこで、ニワトリ胚を使って研究しています。

― なぜ、ニワトリを使うのですか。


図1 上皮−間充織転換(EMT) 上皮細胞は円柱形で、細胞外の基底膜の上にシート状に並んでいる。間充織細胞は不規則な形で、運動能を持つ。

仲矢:私たちの研究室では、体の基本構造となる三胚葉(外・中・内胚葉)が形成される「原腸陥入(げんちょうかんにゅう)」について研究しています。EMTはこの原腸陥入のときに起きます。マウスなどの哺乳類では、発生が子宮の中で進むので原腸陥入の過程を観察することはとても難しいのですが、ニワトリの場合、発生は卵の中で進むため観察しやすいのです。しかも、ニワトリの卵は安価なので実験にとても便利です。

― 培養細胞を使った研究で、どのようなことが調べられていたのですか。

仲矢:上皮細胞が間充織細胞へ転換するとき、細胞同士の接着が消失して分離する必要があります。これまで、そのメカニズムが詳しく調べられてきました。実は、EMTが起きるにはもう一つ必須なことがあります。上皮細胞は細胞外の基底膜の上にシート状に並んでいます(図1)。その基底膜が分解する必要があるのです。しかし、その現象は培養細胞を使った研究では再現しにくく、研究が進展していませんでした。私はそこに着目しました。

― どのようにアプローチしたのですか。

仲矢:細胞の形は微小管など、細胞骨格と呼ばれる繊維状のタンパク質によって維持されています。培養細胞を使った研究で、Rho(ロー)Aというタンパク質が細胞骨格を介して細胞の形を制御していることが示唆されていました。しかし、実際の体の中でRhoAがどのように機能しているのかは分かっていませんでした。
 そこで、ニワトリの初期胚にRhoAを過剰発現させてみたのです。すると原腸陥入がうまく進みませんでした。原腸陥入では、エピブラストと呼ばれる上皮細胞が、間充織細胞へ転換するEMTを経て胚内部へ潜り込み、中胚葉細胞に分化します(図2)。その後、目的の場所へと移動し、骨格や筋肉、心臓や血管などの細胞に最終分化します。私たちは原腸陥入におけるEMTとRhoAの関係を調べました。


■ がん治療薬開発に期待

― どのようなことが分かったのですか。


図2(左) ニワトリ初期胚 原腸陥入の模式図 原腸陥入の際、上皮細胞のエピブラスト(オレンジ)は間充織細胞(緑)へ転換して胚内部へ潜り込み、中胚葉細胞へ分化する。
図3(右) EMT過程の予想図 エピブラストの基底面からRhoAがなくなると同時に、微小管や微小管結合タンパク質、細胞膜貫通タンパク質が消失していくことで基底膜の分解が進み、EMTが起きると予想される。

仲矢:2008年、エピブラスト(上皮細胞)にRhoAを過剰に発現させると、EMTが起こる際に基底膜が分解されなくなることを突き止めました。さらに微小管をばらばらにする薬に胚を浸すと、基底膜が分解されることも分かりました。これらの実験から予測したEMTの過程が図3です。EMTが起こる前、上皮細胞の基底面でRhoAが微小管を安定化させて、基底膜の維持に関わっています。そして間充織細胞へ転換していくとき、RhoAが基底面からなくなっていくとともに微小管も消失し、これによって基底膜の分解が進む、と考えたのです。
 この予測が正しければ、図3のように、細胞内にある微小管と細胞外の基底膜を結び付けるために、微小管結合タンパク質と細胞膜貫通タンパク質があるはずです。今はそれらを探していて、候補となる分子の機能を調べています。

― 今後の展望は。

仲矢:EMTの仕組みが分かれば、発生の過程を理解できるだけでなく、さまざまな病気の治療薬開発にも役立つと思います。いくつかの種類のがんは上皮細胞由来のもので、運動性の高い間充織細胞へ転換してリンパ管や血管に入って移動し転移します。細胞同士の接着が消失してばらばらになることを防ぐ薬を開発すれば、がんの転移を防ぐことができるかもしれません。ただし、EMTは複合的な現象です。実際には基底膜の分解も同時に防がないと、がんの転移を完全に食い止めることができない可能性があります。
 生命科学において、培養細胞で証明できた現象が、体の中では証明できない例がたくさんあります。それは、シャーレ上に比べて体の中はとても複雑だからです。基底膜の分解のようにシャーレ上では再現しにくい現象を、ニワトリの胚を使って解明していきたいと思います。


■ もう一度勉強し、研究者として働きたい

― 民間企業に就職した後に、大学院に入学されたそうですね。

仲矢:大学卒業後、企業で臨床検査技士として染色体の検査を担当しました。その後、大学時代の恩師の研究室で実験補助の仕事をしました。当時は、分子生物学が急進展しているときで、論文を見ても用語がさっぱり分かりません。“もう一度勉強し直したい、学位を取って研究者として働きたい”という想いが募りました。
 そして35歳のとき、実家に近い奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)のバイオサイエンス研究科修士課程に入学しました。そこで出会ったのが、ニワトリの胚を使って発生の研究をしていた高橋淑子(よしこ)先生です。大学のある人から、「修士課程が終わったらどこに就職しますか」と聞かれたことがあります。“その年齢では研究者になるのは無理だよ”という皮肉です。しかし、高橋先生は「仲矢さん、研究者の就職先は日本だけでなく、世界中にあるから」と励ましてくださいました。
 その後、高橋先生は2001年にCDBでパターン形成研究チームを立ち上げ、私もそのチームで研究を行い、学位を取りました。そして高橋先生はNAISTに戻り(2012年4月より京都大学教授)、私は引き続きCDBで研究者として働いています。

― 研究者としての生活はいかがですか。

仲矢:好きなことに出会えて、とても良かったと思っています。私は細胞の形とともに移動にも興味があります。発生の過程では、細胞が目的の場所へと移動していきます。なぜ細胞は目的地を知っているのか、この現象もシャーレ上ではさまざまな研究が進められてきましたが、生きた胚の中での研究は遅れています。私は、生きているニワトリ胚の中で移動する細胞を可視化して、その動きを調べる実験を始めています。高橋先生には「胚の声を聞き、一つ一つの細胞の“気持ち”を考えなさい」と教わりました。それが私の発想の原点です。ニワトリ胚の中で目的地へ移動する細胞の“気持ち”を探っていきたいと思います。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)