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理研発の技術で医療革命を起こす



 2011年12月20日、理研ベンチャーの(株)カイオム・バイオサイエンス  が東京証券取引所マザーズ市場に上場し、理研ベンチャー上場第1号となった。
 「理研ベンチャー支援制度」は、理研から生まれた研究成果や技術を社会に普及させることを目指して1996年に設けられた。理研ベンチャーに認定されると、特許権などの実施許諾における優遇、理研との共同研究において必要なスペース・研究設備などの使用、理研の職員として研究に携わりながらベンチャー企業との兼業や出向の許可、などの支援措置を受けることができる。
 (株)カイオム・バイオサイエンスは、理研の元准主任研究員である太田邦史(くにひろ) 東京大学教授たちが、理研で開発した新しい抗体作製法「ADLib(アドリブ) (Autonomously Diversifying Library)システム」を発展させ、製薬企業と抗体医薬品の共同開発を行っている。目指すのは医療革命だ。
 上場までの道のりと今後の展望を、藤原正明社長に聞いた。

後藤俊男 理研社会知創成事業 創薬・医療技術基盤プログラム プログラムディレクター 1947年、茨城県生まれ。農学博士。東京大学農学部卒業。藤沢薬品工業? 研究本部長 執行役員、アステラス製薬? 執行役員などを経て、2010年より現職。

ADLibシステムとの出合い

―まず、ご経歴をお聞かせください。

藤原:1987年、中外製薬(株)に研究者として入社し、バイオ医薬品の開発に携わりました。その後、バイオベンチャーとの共同研究の窓口、研究テーマの立案や技術評価など、研究戦略に関わる仕事をしました。さらに米国の子会社に4年間赴任し、ベンチャー企業などを訪問して面白い技術を発掘しては、日本の研究所に報告していました。帰国後は、技術導入のために知的財産権や契約を扱う仕事にも携わりました。いろいろな経験をさせてもらったのですが、専門性に欠けることが悩みでしたね。
 そこで転職を決意し、医薬系企業を支援するコンサルタントや臨床開発を支援する企業の部門長を経験しました。

―ADLibシステム()との出会いは。


ADLibシステムの原理
① 試験管の中で、ニワトリ由来の培養細胞DT40の遺伝子組換えを活性化し、さまざまな抗体を持つ細胞群をつくる。
② 特定の抗原を付けた磁気ビーズで、その抗原に結合する抗体を持つ細胞だけを取り出す。
③ それを培養して、特定の抗体を持つ細胞を、最短10日間で得ることができる。

藤原:2004年7月、コンサル時代の後輩から投資会社の(株)ファストトラックイニシアティブの芦田耕一さんを紹介され、ある技術の評価を依頼されました。それがADLibシステムでした。

―ADLibシステムの第一印象は。

藤原:“これがほんまやったら、すごい!”と思いました。それほど画期的な技術だったのです。実は、太田邦史先生は、ある企業にADLibシステム実用化の話を持ち掛けたそうです。しかしうまくいかなかったので、大学院時代の級友の芦田さんに相談され、その結果、ベンチャー企業を興すことになりました。そこで、ADLibシステムの実用化を担う社長を探すことになったわけです。その人材要件は、研究開発や海外赴任の経験、知的財産権・契約関連業務や組織運営の知識・経験を持っていることでした。当時、自分では専門性に欠けることが弱点だと思っていたのですが、それらの条件を私が満たしていたそうです。

ビジョンを描く

―起業を決断されたポイントは。

藤原:この ADLibシステムがもし本物であれば、医療革命を起こせるのではないか。それなら、自分の残りの人生を賭てもいい、と思ったのです。
 マウスやラット体内に抗原を注射して抗体をつくらせる従来の方法では、必要な抗体をつくるのに7〜16週間ほどかかりますが、ADLibシステムだと最短10日間でつくれます()。その抗体はニワトリのものですが、最初から完全ヒト抗体をつくり出す技術に変えることができれば、そのまま抗体医薬として用いることができ、医療に大きな変革をもたらすことができます。
 その一つが、新型インフルエンザなどの感染症対策です。新型インフルエンザが大流行した場合、世界で膨大な数の命が奪われる恐れがあります。新しいワクチンをつくるには半年かかるので、それでは流行を食い止められません。ADLibシステムならば、10日ほどで新型インフルエンザの抗体医薬をつくり、多くの人々の命を救うことができるはずです。
 二つ目は、究極のオーダーメイド医療の実現です。現在の医薬はすべての人に効果があるとは限りませんが、すべての患者さんに効果のある医療を提供できると思ったんです。

―現在、遺伝子のタイプなどを調べて、その人に適した薬を選ぶオーダーメイド医療が目指されています。

藤原:現在のオーダーメイド医療を衣服に例えれば、体の寸法を測り、サイズの合う既製服を選ぶようなものです。そうではなく、患者さん個々に最大の治療効果をもたらし副作用のないオーダーメイドの薬をADLibシステムで新たにつくり、治療する、というものです。現在の医薬はすべての人に効果があるとは限らず、最悪の場合は患者さんに副作用だけを与えてしまうケースがあります。例えば私が将来がんにかかった場合、ADLibシステムで私のがん細胞に最も効果のある抗体を10日ほどでつくれば、究極のオーダーメイド医療が実現できると考えています。
 ADLibシステムに出合ったとき、このような医療革命をビジョンとして描くことができました。私も身内ががんを患い、つらい体験をしました。ぜひ医療革命を起こしたいと考え、起業を決意しました。

―2005年1月に理研ベンチャーに認定され、翌月に創業されました。

藤原:私は創業前に理研ベンチャーの認定を受けることにこだわりました。生まれたてのベンチャーにとって、理研のブランド力は魅力です。普通ならば面談してもらえない大手企業や大学の人と交渉しやすくなりました。また、設立当初は、太田先生自身にかなりの時間を割いて関与してもらう必要がありました。理研の研究者が理研ベンチャーとの兼業や出向を許可する制度は必須でした。

―設立当初、どのような事業を行ったのですか。

藤原:資金を早期に獲得するため、主に大学の先生向けに、必要な抗体を提供する受託事業を始めました。しかし、先生からの厳しい条件を満たす抗体が、なかなか作製できないケースもありました。
 抗体の多様性が不十分だったこと、そして必要な抗体を取り出す方法が未熟だったのです。結果として必要な抗体がなかなか取れず、やがて研究員たちがADLibシステムに不安を持つようになりました。その不安が管理部門に飛び火して次々と人が辞め、やがて当時の管理部門の人は誰もいなくなってしまいました。2008年の前半のことです。

自社にしかできない抗体でV字回復、上場を果たす

―その窮地から、どのようにして業績をV字回復させたのですか。

藤原:受託事業の中には、従来の方法でもつくることのできるターゲットがありました。そのような場合は競争になるので、他社との値引きに巻き込まれるケースがありました。これではADLibシステム本来のポテンシャルが棄損されてしまいます。そこで、私たちにしかできない、価値の高い抗体だけをつくることにしたのです。そのために受託事業を凍結して、半年間、技術改良に専念する決断をしました。
 従来法では、マウスなどに抗原を投与して、体内で抗体をつくります。ただし体内には、自分自身の体をつくる生体分子を攻撃する抗体を排除する、免疫寛容という仕組みがあります。
 一方、ADLibシステムは、試験管の中で抗体をつくるので免疫寛容が働かず、動物種間で相同性の高いヒトの生体分子に対する抗体をつくることが可能です。その中で、病気の原因となる生体分子を攻撃する抗体は、抗体医薬の候補物質となるため、価値がとても高いのです。また、生きた細胞を用いて、細胞膜を複数回貫通する膜タンパク質のように複雑な構造をした物質に対しても、抗体を簡便につくれる方法を確立しました。これも、大きな成果でした。
 技術改良などの研究開発を推し進める一方で、その後の事業推進に対応できる組織を再構築するため、ベンチャー企業で社長を務めた経験を持つ清田圭一さんに取締役に就任してもらい、人事制度や組織体制を刷新しました。
 こうして、従来法では作製が難しかったさまざまな抗体をつくることができるようになり、大手製薬企業と抗体医薬の共同研究を行う事業をスタートすることができました。

―今後の展望は。

藤原:上場で得た資金をもとに、ヒト抗体を10日でつくるための「完全ヒトADLibシステム」の構築に力を注ぎ、医療革命を目指します。2014年までには、実用化レベルのシステムを完成させる予定です。2010年代後半には、新型インフルエンザ対策を可能にしたいと思います。

理研にしかできない研究を

―どのような基礎研究がイノベーションにつながるのでしょうか。

藤原:基礎研究の成果が、ビジョンを描けるものかどうかが重要です。ただし、最初から応用を意識し過ぎると独創性に欠け、イノベーションにつながらないと思います。太田先生も、遺伝子組換えの活性化によりさまざまな抗体ができたら面白いという遊び心が、ADLibシステムを開発する出発点だったそうです。理研にはこれからもぜひ、理研にしかできない、とがった研究を進めていただきたいと思います。

(取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト)