[理研ニュース 2011年2月号]
細胞の運命はいかに決まるのか
システムバイオロジーからの挑戦
増殖か、分化か、死か──細胞の運命はいかに決まるのか。生物の基本的な現象でありながら、そのシステムはまだ解明されていない。理研免疫・アレルギー科学総合研究センターの岡田眞里子チームリーダーは、実験と理論を融合させた“システムバイオロジー”によって、細胞の運命決定のシステムを明らかにしようとしている。そして最近、細胞が分化を引き起こす分子ネットワークを明らかにし、細胞にどのような情報が入ってきたときに分化するのか、数理モデルで入力から出力を予測できるようにした。この成果は、コンピュータ上での薬剤候補の探索や効果測定など、さまざまな応用が期待できる。今、注目を集めるシステムバイオロジーの最前線を紹介しよう。
細胞の運命はいかに決まるのか
「細胞はどのように自分の運命を決めているのか──それを知りたいのです」と岡田TL。生物の個体を構成しているすべての細胞はどれも同じ塩基配列のDNA、つまり同じ遺伝子のセットを持っている。しかし、細胞はそれぞれ場所や時期、周囲の環境などによって、分化したり、増殖したり、時には死んだりする。「細胞の運命を決めているのも、基本的には分子同士の好き嫌いです」
細胞の表面を覆う細胞膜には、たくさんの種類の受容体が埋め込まれている。ある受容体に分子Aが結合すると、“分子Aが結合した”という情報が細胞内に伝えられる。すると、細胞内の分子Bが分子Cと反応し、Cが移動して分子Dと反応し……と連鎖的に反応が起きて、情報は核内へ伝えられ、遺伝子が発現する。細胞の運命は、こうして発現する遺伝子の種類と量によって決められる。「これまでに細胞の運命決定までの情報伝達に関わる分子が、たくさん見つかっています。しかし、それらの分子がいつ、どこで、どのように働いているのかは、よく分かっていません。しかも、ほとんど同じ分子が関わっているにもかかわらず、異なる運命へ導かれることもあります。情報伝達に関わる分子がすべて重要な働きをしているのではなく、細胞の運命を決定する主幹となる分子群があるはずです。私は細胞の運命決定のシステムを、すっきり納得できる説明で理解したいのです」

システムバイオロジーとの出会い
2000年に帰国した岡田TLは、理研ゲノム科学総合研究センター(GSC、2008年3月発展的に解散)ゲノム情報科学研究グループ遺伝子ネットワークモデル化研究チームの研究員となった。「周りは情報科学の研究者ばかり。生物の実験をやってきた私がここで何をすべきかと考えていたとき、ボリスの論文を見つけたのです」
ボリスとは、アイルランドのダブリン大学システムズバイオロジーアイルランドの副所長を務めるボリス・コロデンコ博士である。岡田TLが読んだ論文は、コロデンコ博士が1999年に発表した“Quantification of short-term signaling by the epidermal growth factor receptor(上皮成長因子受容体による短期的な情報伝達の定量化)”である。「上皮成長因子が受容体に結合すると、細胞は増殖します。ボリスは、その情報伝達の過程で起きる分子同士の反応を、微分方程式でつないだ数理モデルとして記述していました。受容体へ分子が結合する情報を“入力”とし、遺伝子が発現する“出力”までをシステムとして理解し、入力から出力を予測することを目指したものでした。理論だけでなく実験も取り入れており、当時としてはとても斬新でした」
生命科学の研究では最近、“システムバイオロジー”が注目されている。個々の生命現象をシステムとして捉え、その動作原理を理解しようというものだ。一般的な研究の流れは、次のようになっている(図1)。①ターゲットとする生命現象に関わる複数の遺伝子やタンパク質の相互作用の関係を論文や実験データから抜き出し、分子ネットワークを構築する。②各遺伝子の発現量やタンパク質の濃度・分布などを、実験によって時系列で定量的・網羅的に測定する。③その膨大なデータを数理的に解析し、分子ネットワークを数理モデル化する。④コンピュータによって条件を変えてシミュレーションを行い、実験結果と照らし合わせながら生命現象の動作原理や制御システムを明らかにする。さらには、⑤入力情報と出力の関係を明らかにすることで、入力によって細胞がどのような振る舞いをするかを予測したり、希望する出力になるように入力をデザインしたりして、創薬などに生かしていく。
コロデンコ博士の研究は、システムバイオロジーの先駆けといえる。「ボリスの論文を読み“これだ!”と思い、見よう見まねで始めました。私にもできそうな気がしたのですが、こんなに苦労することになるとは……(笑)」と岡田TL。
細胞分化を引き起こすシステム
具体的には、細胞増殖を促す上皮成長因子と細胞分化を促すヘレギュリンという分子を乳がん細胞に投与し、増殖と分化にかかわるタンパク質の濃度や分布、ほかのタンパク質との結合・乖離(かいり)の速さ、遺伝子の発現などについて、数分から数十分ごとに計測。そのデータを解析して数理モデルをつくり、さまざまな条件でコンピュータシミュレーションを行い、計算結果と実験結果を比較検証した。その結果、乳がん細胞が分化するときにだけ働く分子ネットワークが同定され、その制御システムも明らかになった。
図2が、今回明らかになった乳がん細胞の分化を引き起こす分子ネットワークである。ヘレギュリンが細胞膜の受容体に結合すると、いくつもの分子を介してERK(アーク)という分子へ情報が伝えられる。情報を受け取ったERKは核内へ移動し、RSKを活性化させる。そして、ERKとRSKは転写因子(特定のDNA配列に結合して遺伝子の発現を制御するタンパク質)を活性化させ、これがfosという遺伝子を発現させる。fos遺伝子は、細胞質へ運ばれてFOSタンパク質がつくられる。このFOSタンパク質も転写因子で、活性化されると核内へ移動して、分化を引き起こす遺伝子を発現させる。
分化を引き起こすシステムは、巧妙に制御されていた。fos遺伝子は、転写因子を介して、ERKとRSKの両方から情報が入ってきたときだけ発現する。このように二つの分子から情報の入力があったときだけスイッチがオンになって出力が生じる制御方法は“ANDゲート”と呼ばれる。細胞の中にはさまざまなノイズがあるため、一つの入力でスイッチがオンになってしまう場合、誤作動の可能性がある。二つから入力があって初めてオンになるANDゲートは、ノイズによる誤作動をなくし、確実な出力をすることができる。
「FOSタンパク質の活性化もANDゲートにより制御されています。fos遺伝子と細胞質にあるERKの二つからの入力があったときだけ、FOSタンパク質が活性化するのです。また、細胞質にあるERKからの入力は“フィードフォワード”という制御方法であることが分かりました」(図2)。情報伝達では多くの場合、ある分子からの情報はネットワークの直後に位置する分子にだけ伝えられる。一方、フィードフォワードでは、直後の分子だけでなく、何段階か先の分子にも情報が伝えられる。フィードフォワードは、ANDゲートとともに制御工学で一般的に用いられる理論で、ノイズによる誤作動をなくし、また、常に変化する細胞の環境に対応することができる。
「細胞質から核内へ移動したERKの活性化は数分で終わるのに対し、細胞質のERKの活性化は持続することが以前から知られていましたが、その役割は不明でした。今回、それがフィードフォワードによる制御を担っていることが明らかになりました」
ERKの情報が核内に伝わってからFOSタンパク質がつくられるまでには30分ほどかかる。細胞質のERKの活性化が続いていれば、フィードフォワードとANDゲートの二重の制御によりFOSタンパク質が活性化され、細胞が分化する。しかし、細胞の置かれた状況は30分の間にも刻々と変わる。細胞質のERKの活性化が何かの理由で寸断されれば、フィードフォワードによる情報が来ないため、ANDゲートのスイッチは入らない。その結果、FOSタンパク質は活性化されずに分解され、細胞は分化に進まない。
「細胞分化を引き起こすシステムには、さまざまな制御が何重にも埋め込まれていることが分かりました。それらの厳密な制御により、分子の濃度変化といったアナログの情報を、分化するか、分化しないか、というデジタル情報に変換しているのです。この分子ネットワークモデルを見て、よくできているな、美しい、と感じました」
論文が発表されると、岡田TLのもとには、「とても素晴らしい」という賛辞のメールがたくさん届いた。高い評価を受けたのには、いくつかの理由がある。「今回私たちが明らかにした細胞分化のシステムは、実験に使った乳がん細胞だけでなく、ほかの種類の細胞にも共通する基本的なシステムのようです。つまり、私たちのモデルを使えば、さまざまな細胞の分化をコンピュータ上でシミュレーションすることが可能になるということです。薬の候補となる分子を選んだり、その効果を予測したりすることもできます」と岡田TL。
海外の製薬会社やベンチャー企業からの関心も高い。「ANDゲートの入力の一方をなくすと出力が変わる、つまり細胞は分化せず、増殖するようになる可能性があります。細胞の分化や増殖を制御して、細胞を思い通りの種類に分化させ、さらに増殖させることができれば、再生医療にも貢献できるでしょう」
岡田TLは、論文で発表した分子ネットワークモデルは誰でも自由に使えるように提供している。「ほかの研究者が実際に使って不具合を改良してくれれば、より優れたモデルになります。それが、さらに多くの人に使われ、多くの成果を生む。科学の進展のためにも、知識の共有は大切です」

次のターゲットは免疫
これからやるべきことを尋ねると、「免疫」という答えが返ってきた。「RCAIの谷口克(まさる)センター長から“免疫疾患をシステムバイオロジーで理解できるようにしてほしい”と言われています。それが私たちの長期的な視点に立った目標です。とても難しいことですが、私たちが乳がん細胞で用いたアプローチは免疫細胞にも応用できると考えています。また、システムバイオロジーの実験は培養細胞を使うことが多いため、“培養細胞の実験から生物現象のシステムを語れるのか”という批判が多くあります。ぜひ、個体レベルでの実験データを使って、私たちの理解をより現実に近づけたいですね。まずは5年以内に何か示せればと思っています」
そして、岡田TLは最後にこう語った。「私が細胞の運命決定システムをすっきり理解したいと思っているように、人というのは直感的に理解できるものを信じる傾向があるようです。実験や数理モデルなど、いろいろな方法を用いながらも、結局は“直感”という説明できないものを求めている。それも矛盾に満ちていて、面白いなと思います」■
(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト)
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