刊行物

[理研ニュース 2010年11月号]

研究最前線

細胞の顔“糖鎖”を知り、疾患の診断・治療へ

糖鎖とは、糖が鎖状に連なったもので、その多くは細胞膜に埋め込まれたタンパク質や脂質に結合し、細胞の表面からひげのように生えている。糖鎖は、細胞同士や細胞の外から内への情報伝達、免疫やホルモンの働きの調節など、さまざまな機能を持っていることが最近の研究により分かってきた。「私たちは、糖鎖の多様な機能の中でも、特に疾患とのかかわりに注目しています。糖鎖から疾患の発症メカニズムを明らかにし、さらには糖鎖を利用して診断や治療を行う。それが最終目標です」と語る谷口直之グループディレクターは、糖鎖研究の世界的な第一人者だ。糖鎖研究が拓く、新しい疾患の診断・治療の世界を紹介しよう。

谷口直之  疾患糖鎖研究チーム システム糖鎖生物学研究グループ ケミカルバイオロジー研究領域 基幹研究所

糖鎖とは?


 「私たちの体は約60兆個の細胞からできていますが、そのほとんどすべての細胞の表面に、糖鎖がひげのように生えています」と谷口直之グループディレクター(GD)。糖鎖とは、文字通り“糖(単糖)が鎖状に連なったもの”である。
 「以前は、糖鎖の主な機能はエネルギーの貯蔵や生物の構造をつくることだと考えられていました。ところが、糖鎖の多くは細胞膜に埋め込まれたタンパク質や脂質に結合して糖タンパク質や糖脂質として存在すること、タンパク質の約50%に糖鎖が付いていること、そして、糖鎖はとても多様な機能を持っていることが分かってきたのです」(図1
 タンパク質や脂質に結合した糖鎖は、数種類の糖が数個から数十個、時には数万個も、複雑に枝分かれしながら連なっている。細胞の種類によって表面に出ている糖鎖の構造は異なり、しかも、同じ種類の細胞でも状態によってその構造が変わる。
 「糖鎖は“細胞の顔”です」と谷口GD。「私たちは、顔を見て相手を認識し、コミュニケーションをしています。同じように、タンパク質をはじめとするさまざまな生体分子や細胞は、細胞の表面に出ている糖鎖を認識して結合し、お互いにコミュニケーションを図っているのです。ウイルスや細菌、病原体の毒素も、糖鎖を認識して結合し、細胞の中へ侵入します。さらに、細胞ががん化すると、糖鎖はがん細胞に特有な構造に変わる、つまりがん細胞の表情になるのです」
 糖鎖は発生や分化、免疫などあらゆる生命現象にかかわっているが、研究が盛んになったのは、この15年ほどだ。「糖鎖は、DNA、タンパク質に次ぐ“第三の生命鎖”と呼ばれています。しかし、糖鎖の研究は、DNAやタンパク質と比べてとても難しいのです」。DNAは塩基が、タンパク質はアミノ酸が連なったものだ。DNAを構成する塩基は4種類、タンパク質を構成するアミノ酸は20種類である。一方、糖鎖を構成する単糖はヒトでは10種類程度であるが、そのつながり方は複雑で、枝分かれもする。それゆえ、DNAの増幅装置やタンパク質の自動合成装置はあるが、糖鎖を増幅したり合成したりする実用レベルの装置はまだない。
 それでも、糖を1個ずつ付けて糖鎖を伸長させる糖転移酵素遺伝子の発見や、糖鎖の構造を調べる質量分析計などの発達によって、少しずつ糖鎖の理解が進んできた。「糖鎖が生命活動にとって重要であることや、疾患とも深くかかわっていることが分かってきました。私たちは、糖鎖を研究することで疾患の発症メカニズムを理解し、糖鎖を利用した疾患の診断や治療につなげることを目指しています」

糖鎖のさまざまな機能

バイオマーカーは糖鎖を狙え

γ-GTPの糖鎖の変化
 健康診断の血液検査でγ-GTPやPSAといった項目を見たことがあるだろう。γ-GTPは肝機能や肝臓がんの、PSAは前立腺がんのバイオマーカーである。バイオマーカーとは、疾患の発症や進行によって量や種類が変化する、血液や尿などに含まれる生体物質のことで、診断の指標となる。
 「現在使われているバイオマーカーのほとんどは、糖タンパク質や糖脂質です。糖タンパク質のタンパク質部分に特異的に結合する抗体をつくり、タンパク質の量を計測しています。しかし、それでは正確な診断はできません。その理由は、正常な細胞と、がん細胞のつくる糖タンパク質のタンパク質には違いがないからです」と谷口GD。実際に、PSAの値が高くても前立腺がんでない人もいる、逆に前立腺がんを発症していてもPSAが正常値の人もいる。
 谷口GDは、「バイオマーカーには、糖タンパク質のタンパク質ではなく糖鎖を使うべきである」と、20年以上前から世界に先駆けて提唱してきた。「疾患を発症すると、糖鎖の糖が付いたり外れたり、構造が変わったりすることが知られています」
 谷口GDは1983年、正常な細胞のγ-GTPの糖鎖は2本に枝分かれしていること、がん細胞のγ-GTPの糖鎖は枝分かれの根元にN-アセチルグルコサミンという糖が1個結合し、“バイセクト”という構造を取っていることを明らかにした(図2)。後に、その構造をつくる糖転移酵素GnT-IIIの遺伝子も発見している。「糖鎖の構造変化を利用すれば、より早期に、より確実に細胞のがん化を調べることができる可能性があります。肝臓がんのバイオマーカーであるAFPと、膵(すい)臓がんのハプトグロビンは、がんを発症するとフコースという糖が1個ないし数個付きます。フコースが1個付いたAFPを検出する技術はすでに実用化されています。私たちも、さまざまながん細胞について糖鎖の変化を利用したバイオマーカーの開発に取り組んでいます」

COPDの発症メカニズム解明と治療薬開発へ

 慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD(シーオーピーディ))と糖鎖のかかわりを明らかにし、治療薬の開発につなげること、これも疾患糖鎖研究チームの研究テーマの一つだ。COPDとは肺気腫と慢性気管支炎の総称で、日本では治療を受けている人は20万人、潜在患者は530万人といわれている。主な原因は、喫煙や受動喫煙、大気汚染である。COPDの患者数は世界で増加傾向にあり、2020年には死亡原因の4位になるとWHO(世界保健機関)が予測している。
 疾患糖鎖研究チームは初めからCOPDをターゲットにしていたわけではない。きっかけは、谷口GDによる糖転移酵素“Fut(フット) 8”の発見だ。Fut 8は、糖鎖の根元にフコースを付け、“コアフコース”という構造をつくる。谷口GDらはコアフコース構造の機能を調べるため、Fut 8の遺伝子を欠損させたノックアウトマウスをつくった。「Fut 8ノックアウトマウスは、7割が生後3日以内に死んでしまいました。生き残ったマウスは、生後3週間ほどで肺胞が膨らむなどCOPDの症状が現れてきました。また、COPDの患者さんを調べると、重症の患者さんほどFut 8の血中濃度が低いことが分かりました。この結果は、COPDの発症にFut 8がかかわっていることを強く示唆しています。これをきっかけに、COPDの発症と糖鎖の関係を調べるようになったのです」
 肺胞が膨らむのは、タンパク質を壊すマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)という酵素が過剰に活性化され、肺胞壁が破壊されてしまうためである。正常なマウスでは、TGF-βという分子が細胞膜にあるTGF-β受容体に結合し、MMPの発現を抑制する信号を出すことで、肺胞壁の破壊を防いでいる。「TGF-β受容体に付いている糖鎖を調べてみました。すると、正常なマウスではコアフコース構造がありますが、Fut 8ノックアウトマウスではそれがありませんでした(図3)。Fut 8ノックアウトマウスでは、コアフコース構造がないためにTGF-βが受容体に結合できないのです。その結果、MMPを抑制する信号が出ず、活性化したMMPによって肺胞壁が破壊されるというのが、COPDの発症メカニズムだったのです」
 COPDは気管支拡張剤やステロイド剤の投与など対症療法のみで、根本的な治療法はない。COPDの患者さんはウイルスや細菌に感染すると急激に症状が悪化し、死に至ることもある。「COPDの発症に糖鎖がかかわっていることが明らかになったので、糖鎖をターゲットにした新しい治療薬ができないか、研究を進めているところです」。糖鎖をターゲットにした治療薬、というと意外に感じるかもしれない。現在の多くの治療薬のターゲットはタンパク質だが、実はインフルエンザ治療薬のターゲットは糖鎖である。

慢性閉塞性肺疾患(COPD)の発症メカニズム

フコース除去で抗体医薬の活性が100倍に


 「私たちが発見したFut 8の研究は、抗体医薬の改良にもつながると期待されています」と谷口GD。乳がんの治療薬ハーセプチンをはじめ、がん治療薬の多くは抗体医薬と呼ばれるものだ。がん細胞の表面にある特異的な抗原を認識する抗体をつくり、投与する。その抗体は、がん細胞と結合する一方、ナチュラルキラー(NK)細胞やマクロファージなどの免疫細胞とも結合する。そして、抗体によって活性化された免疫細胞ががん細胞を攻撃し、死滅させる、という仕組みだ(図4上)。「通常の抗体医薬には、Fut 8によりつくられるコアフコース構造を持つ糖鎖が付いています。そこからフコースを除去するだけで、がん細胞を攻撃する活性が50〜100倍になることを最近、日米二つの製薬会社が明らかにしました(図4下)。しかも、多様ながんの抗体医薬に応用できるので、大きな期待が集まっています」
 糖鎖は、がんの転移とも深くかかわっている。谷口GDが米国のグループと同時期に発見した糖転移酵素GnT-Vは、糖鎖の端にN-アセチルグルコサミンを付けて分岐をつくる。その構造の糖鎖を持つがん細胞は、転移性が高い。一方、糖転移酵素GnT-IIIがつくるバイセクト構造の糖鎖を持つがん細胞は、転移性がない。「GnT-IIIをがん細胞に導入すると、がんの転移が減少することが確かめられています。がんの治療薬につながると期待し、研究を進めています」

抗体医薬の仕組み


システム糖鎖生物学の時代へ

 糖鎖はあらゆる生命現象や疾患にかかわっていることから、疾患糖鎖研究チームの研究対象も幅広い。ここまでに紹介した以外にも、北爪しのぶ副チームリーダーが中心となってβ-アミロイド前駆体タンパク質に付いている糖鎖を利用したアルツハイマー病の早期診断法の開発や、糖鎖をターゲットにした新しいタイプの血管新生阻害剤の開発など、さまざまな研究が行われている。
 谷口GDが率いるシステム糖鎖生物学研究グループは、疾患糖鎖研究チーム(谷口直之チームリーダー)、糖鎖代謝学研究チーム(鈴木 匡(ただし)チームリーダー)、糖鎖構造生物学研究チーム(山口芳樹チームリーダー)で構成されている。「“システム糖鎖生物学”を名乗っている研究室は、私たちが世界で初めてだと思います」と谷口GD。「これまでは糖タンパク質について研究する場合でも、糖鎖とタンパク質と化合物の専門家がそれぞれ研究を行い、交流することはほとんどありませんでした。しかし、糖タンパク質の機能についてきちんと理解しようとしたら、糖鎖だけでなく、タンパク質も化合物も含めて多角的に見ていかなければなりません。そう考えて、“システム糖鎖生物学”を提唱したのです」
 システム糖鎖生物学研究グループは、理研基幹研究所のケミカルバイオロジー研究領域(長田裕之領域長)に属している。ケミカルバイオロジーとは、化合物を用いて生命現象の仕組みを調べる研究分野だ。理研には、微生物由来の天然化合物を系統的に収集・保存・提供している化合物バンク「NPDepo(エヌピーデポ)」がある。「NPDepoで収集している化合物の中に、糖鎖に作用してアルツハイマー病やCOPDの発症、がん細胞の増殖や転移を抑えるものがないか、探し始めています」
 ケミカルバイオロジー研究領域とドイツのマックス・プランク研究所との共同プロジェクトも、間もなく始まる。「理研のケミカルバイオロジー研究と糖鎖研究のことを知り、“ぜひ一緒に研究をしたい”と声を掛けてくれたのです。日本における糖鎖研究の歴史は古く、糖転移酵素の遺伝子の6割を発見するなど、世界をリードしてきました。世界的に著名な糖鎖研究者もいて化合物バンクも充実しているマックス・プランク研究所と組むことで、より強力にシステム糖鎖生物学をけん引していきたいと思っています」
 最後に糖鎖研究の課題を聞くと、「糖鎖のイメージング」と返ってきた。「どの糖鎖が、生体内のどこに、どれだけあるかを、リアルタイムの動画で見たい。それは、糖鎖研究者の長年の夢でした。糖鎖の機能を理解し、診断や治療につなげるためにも、私たちの手で数年以内に実現させます」。穏やかな語り口でありながら、その瞳には世界の糖鎖研究をリードしてきた強い意志と自信がみなぎっていた。
関連情報