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[理研ニュース 2010年3月号]

研究最前線

細胞内情報伝達を1分子イメージングで見る

生体内で生命活動を支える重要な物質、タンパク質。そのタンパク質などの分子1個1個を可視化することができる技術、それが“1分子イメージング”である。生きている細胞内で、タンパク質の数や分布、運動、反応速度、さらには構造の変化まで見ることができる。佐甲(さこう)靖志 主任研究員は、1分子イメージングを駆使して、細胞内情報伝達にかかわるタンパク質を1個1個直接見ることで、複雑な情報伝達の仕組みを解き明かそうとしている。その結果、個々のタンパク質の反応が想像以上に複雑であることが分かってきた。ダイナミックな構造変化や反応記憶によって、情報伝達を制御しているのだ。1分子イメージングによって見えてきた細胞内情報伝達の様子を紹介しよう。

佐甲靖志


1分子イメージングの例

1分子イメージングとの出会い


 「顕微鏡をのぞくと、細胞の中で小さな点がいくつも光っていて、ふらふらと動いていく。その様子はとてもきれいな上に面白く、しばらく見続けていました」。佐甲靖志主任研究員は、生きている細胞で“1分子イメージング”に初めて成功したときの感動を、10年以上たった今でもはっきり覚えているという。
 1分子イメージングとは文字通り、分子1個1個を可視化する技術のことである。まず、調べたいタンパク質などに、遺伝子導入や化学反応を用いて蛍光タンパク質を付ける。その蛍光タンパク質が発する光の点を、蛍光顕微鏡を使って数えたり追跡したりすることで、タンパク質の数や分布、動き、どのタンパク質と結合するのか、さらには反応にかかる時間などを詳しく調べることができる。
 1995年、1分子イメージングは大阪大学など日本の研究グループの手によって誕生した。筋肉を動かすミオシンというモータータンパク質を細胞から取り出し、試験管の水溶液中で1分子の動きを見ることに成功したのである。
 しかし、細胞内で試験管の中と同じことが起きているとは限らない。そこで、生きている細胞の中でタンパク質の振る舞いを見る“細胞内1分子イメージング”の技術開発競争が世界中で始まった。ところが意外にも、佐甲主任研究員はその渦中にはいなかった。「そのころ、私の研究ターゲットは細胞膜タンパク質でした。使っていた標識は数十から数百ナノメートルで、1分子イメージングで使う蛍光タンパク質に比べれば格段に大きいのですが、生きている細胞で標識を付けた細胞膜タンパク質1分子の運動を見る方法をすでに持っていました。だから1分子イメージングの必要性を強く感じてはいなかったのです」
 1997年、佐甲主任研究員は大阪大学へ籍を移した。「前の研究室で最後に取り組んだ2光子励起蛍光顕微鏡を使った研究を進めようと思い、装置を組み立てました。ところが、違う装置をベースにしたためか、いくら調整しても見たいものが見えない。仕方がないので、1分子イメージングでもやってみようかな、そんな軽い気持ちでした」
 佐甲主任研究員が所属したのは、1分子イメージングの生みの親の一人、柳田敏雄教授の研究室だった。「研究室では、細胞内1分子イメージングを目指して新しい装置を開発していた人もいましたが、まだ成功していませんでした。ところが、私が従来の装置をまねしてつくってみたら、生きている細胞で1分子が見えたのです」。思わぬ成功について佐甲主任研究員は、「あり合わせのもので先入観なくやったのがよかったのかもしれません」と、当時を振り返る。それが1998年のことで、2000年に論文が発表された。このときから、佐甲主任研究員と1分子イメージングとの付き合いが始まった。

情報伝達タンパク質反応ネットワークを解く

 佐甲主任研究員は2006年、理研基幹研究所佐甲細胞情報研究室を立ち上げた。「細胞の運命がどのように決まるのか。それを知りたいのです」。細胞には、分裂して増えたり、異なる種類の細胞に分化したり、死んだりと、さまざまな運命が待ち受けている。
 「細胞の運命決定は、細胞膜に埋め込まれている受容体に“情報伝達分子”と呼ばれるタンパク質が結合することをきっかけに始まります」と佐甲主任研究員。細胞の運命決定の大まかなプロセスを紹介しよう。まず、情報伝達分子が結合した受容体が活性化され、細胞内に情報が伝えられる。すると、細胞内にあるタンパク質が別のタンパク質と結合・解離・移動を繰り返しながら次々と情報を伝達し、最終的に細胞核の中まで情報を伝える。その結果、特定の遺伝子が発現し、細胞は増殖や増殖抑制、分化、細胞死やがん化など、さまざまな応答をする。
 細胞の運命を決めるきっかけとなる情報伝達分子にはたくさんの種類があり、その中で佐甲主任研究員が注目しているのが、細胞の増殖や運動を引き起こす“上皮成長因子(EGF)”だ。EGFから始まる情報伝達タンパク質反応ネットワークは詳しく研究されていて、そのネットワークにかかわるタンパク質は100種類以上ある。「これまでの研究から、どういう素子があり、どのように配線されているか、だいたいの回路図を書くことができます。しかし、回路図を書いただけでは、反応ネットワークを理解したことにはなりません。反応ネットワークを構成するタンパク質1個1個を生きた細胞の中で直接見て、反応するときの数や濃度、速度など、定量的な情報を得る必要があります。それができるのが、1分子イメージングです」

EGF受容体はダイナミックに構造を変える

EGF受容体の1分子イメージング
 情報伝達分子が結合した受容体は活性化されるはずだが、EGF受容体の場合、EGFが結合しただけでは活性化しない。2個のEGF受容体が結合した状態(2量体)をつくり、その両方にEGFが1個ずつ結合して初めて活性化するのだ。しかし、その詳しい仕組みについてはよく分かっていなかった。そこで、佐甲主任研究員は1分子イメージングによって詳しく調べてみることにした。
 1個の細胞の表面には、約5万個のEGF受容体がある(図1)。まず、何個くらいのEGFがEGF受容体に結合すると細胞応答が起きるかを調べた。「約5万個あるEGF受容体に対して約300個のEGFが結合すると、応答が起きました。どうやって調べたと思いますか? 蛍光の点々を1個1個数えたのです。1分子イメージングは忍耐力がないとできません(笑)」
 5万個のEGF受容体に対してEGFが300個というと、1%以下である。また、EGF受容体5万個のうち1〜2%は2量体を形成していることが分かっているが、そのわずかな2量体にだけEGFが結合する、そんなことが本当に可能なのだろうか。
 「EGF受容体は、それを巧妙な仕組みでやっていたのです。2量体になることでEGF受容体の構造が変化して、単量体より100倍もEGFと結合しやすくなる。また、2量体のうち一方にEGFが結合すると、再び構造変化が起きて、もう一方の受容体への結合しやすさが、さらに10倍高くなる(図2)。2量体となったEGF受容体は、構造を変化させることで効率よくEGFと結合し、情報伝達を始めることが可能になるのです」
 しかし、図2に示したEGF受容体の構造変化の実体は、現時点では推測にすぎない。「本当にこのような構造変化が起きているのかを調べなければなりません。実は、蛍光タンパク質が発する蛍光を詳細に観測すると、構造変化を調べることもできます。今、その研究を進めているところです」

EGFとEGF受容体の結合と構造変化

“反応記憶”を持つタンパク質

 情報伝達の続きを見てみよう。細胞膜に埋め込まれているEGF受容体が活性化されると、受容体の細胞内の部分にリン酸が結合する。すると、細胞内にあるリン酸化を認識するタンパク質がそこに集まってくる。そのようなタンパク質は10種類以上あるが、佐甲細胞情報研究室で注目したのは“Grb2”というタンパク質である。
 Grb2は、EGF受容体のリン酸化している部位を認識して細胞膜に集合し、しばらくすると解離する。ここまでは知られていたことだが、1分子イメージングでEGF受容体とGrb2の反応速度を調べてみると、不思議なことが分かった。「普通、結合するタンパク質の濃度が高くなれば、濃度に比例して反応が速くなります。ところがGrb2の場合、濃度を10倍にしても反応速度は3倍にしかならなかったのです」と佐甲主任研究員。「EGF受容体とGrb2の反応には“反応記憶”が働いているのではないかと考えています」
 反応記憶とは何か。Grb2が結合すると、EGF受容体の構造が変化する(図3)。Grb2はしばらくすると解離するが、EGF受容体の構造はすぐには戻らない。「反応を終えたばかりのEGF受容体は、少し前までGrb2が結合していたことを“記憶”しているのです。それを“反応記憶”と呼んでいます。EGF受容体の構造が戻るまで、Grb2は結合しにくくなります」。このように考えれば、Grb2の濃度を10倍にしても反応速度が3倍にしかならなかったという結果を矛盾なく説明できる。
 「反応記憶を利用すると、細胞内のGrb2の濃度が変わっても反応速度が変動しないように制御することが、原理的には可能です。しかし反応記憶は、本当にそのように使われているのでしょうか? 今後、明らかにしていきたい課題です」

EGF受容体の構造変化と反応記憶

タンパク質の反応の複雑さが見えてきた

 情報伝達が行われた結果起きる細胞応答は、とても多様だ。例えば、EGFが受容体に結合しても、必ず細胞増殖が起きるわけではない。時には分化、時には細胞死を起こす。これまで、多様な細胞応答が起きるのは、たくさんのタンパク質がかかわる情報伝達タンパク質反応ネットワークの複雑さが原因であり、1個1個のタンパク質の反応はくっついて離れるというような単純なものである、という考え方が主流だった。
 しかし、佐甲主任研究員らが1分子イメージングによって明らかにした事実により、その考え方に修正が迫られている。「ネットワークは確かに複雑です。しかしそれだけでなく、1個1個のタンパク質の反応も非常に複雑です。タンパク質はダイナミックな構造変化や反応記憶によって情報伝達を制御していることが分かってきました」
 EGFとEGF受容体、そしてGrb2の反応は、情報伝達タンパク質反応ネットワークの最初のごく一部にすぎない。100種類ものタンパク質がかかわっているネットワークすべてを理解することはできるのだろうか。「情報伝達にかかわるすべてのタンパク質を1分子イメージングで観察するのは難しいでしょう。しかし、数理科学の力を借りることで、かなりのところまで分かると思います」と佐甲主任研究員。鍵となる反応を詳細に観察し、その結果をもとに計算機科学でシミュレーションしてモデルを構築することで、ネットワーク全体の理解に近づく。「私たちは、理研内外の数理生物学や計算生物学のグループと共同研究を進めています」

生きている、とは何か


 1分子イメージングの先端を切り拓いてきたのは日本人研究者である。しかし今、研究者数や予算では米国に完全に負けている。「しかし、アイデアや研究の質という点、まだ十分に勝てます」
 佐甲主任研究員が注目しているのは、“ゆらぎ”だ。「日本人が得意なテーマです。欧米はカチッとしたものが好きだから、あまり注目しません」
 細胞は、いつもゆらぎにさらされている。例えば、タンパク質の構造は、熱ゆらぎによってさまざまに変化する。数によるゆらぎもある。「細胞はゆらぎを補正する仕組みも持っていますが、一方で積極的に利用しているようです。ゆらぎが情報伝達や細胞の運命決定に利用されている具体例を、これからいくつか示していきたいと思っています」
 佐甲主任研究員は、自らに問い掛けるように「タンパク質は“生きている”とはいえません。しかし、細胞は“生きている”。生きていないものから、生きているものができる。その境界はどこなのでしょうか」と語った。
 まだその答えは見つかっていない。「タンパク質という階層と、細胞という階層がつながったとき、生きているとは何かが分かるのではないでしょうか」