刊行物

[理研ニュース 2010年4月号]

研究最前線

生命の根本を担う染色体を解明する

ヒトのすべての遺伝情報(ゲノム)は、全長約1.8mに及ぶDNAに刻み込まれている。細胞が分裂するとき、この長大なDNAは、直径0.1mmにも満たない細胞の中で複製され、二つの娘細胞に1セットずつ正確に分配されなければならない。この至難の業(わざ)を可能にするのが“染色体”だ。複製されたDNAは、ある未知のタンパク質の働きにより、絡まることのないように“凝縮”して染色体をつくり、娘細胞に運ばれると考えられていた。しかし、いったいどのようなタンパク質がどのようにして染色体を凝縮させているのか、その仕組みは長い間大きな謎に包まれていた。1997年、平野達也 主任研究員は染色体を凝縮させるタンパク質複合体“コンデンシン”を発見。この発見がブレークスルーとなり、染色体のかかわる生命現象や疾患の解明が急速に進展している。

平野達也

染色体のブラックボックス

 「私が大学に入学した1980年代の初め、生物学の教科書を開くと、まずDNA二重らせんの分子構造の説明がありました。そして、最近DNAがヒストンというタンパク質に巻き付いてクロマチンという構造をつくっていることが分かった、と書かれていました(図1の①)。一方、染色体はDNAと比べるとはるかに大きな構造体なので、19世紀末に光学顕微鏡で観察されています。クロマチン構造を取ったDNAがさらに“凝縮”して染色体ができるはずですが、凝縮にかかわるタンパク質とその働きは大きなブラックボックスの中にありました。それを解き明かしたいというのが、染色体に興味を持ったきっかけです」
 平野達也 主任研究員は京都大学大学院に進学、柳田充弘 教授の研究室に入り、酵母遺伝学による染色体の研究に携わった。「分裂酵母の突然変異体をたくさんつくって、その中から染色体の形態に異常を示すものを見つけ出し、染色体の形成にかかわる遺伝子を探す研究に取り組みました。しかし研究を進める過程で、こうした遺伝学的手法ではなく、より直接的な生化学的手法を用いて染色体を解析したいと思うようになりました。しかし、細胞からきれいな染色体を取り出すことはとても難しいのです」

染色体を凝縮させる“コンデンシン”を発見!

  1989年、平野主任研究員は米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校にポスドク(博士研究員)として赴任した。そこでは、試験管の中で染色体をつくる実験システムが開発されつつあった。「カエルの卵をつぶして高濃度の抽出液を用意します。そこにDNAを入れると、なんと試験管の中で染色体をつくることができるのです。この染色体は不純物が少ない条件で取り出すことができるので、そこに含まれているタンパク質の解析は格段に容易になります」
 こうして平野主任研究員は、1994年、染色体の凝縮にかかわる二つのタンパク質を発見した。それは現在、SMC2、SMC4と呼ばれている。「ちょうどそのころ、出芽酵母や線虫の研究から、いくつかのSMC関連遺伝子が染色体の働きと関係していることが報告されつつありました。さらに柳田先生から“染色体の形がおかしくなった分裂酵母の突然変異体を解析したところ、2種類の似た遺伝子を発見した”と国際電話をいただきました。それらもSMC関連遺伝子でした。しかも驚いたことに、その突然変異体の一つは、私自身が大学院のときに見つけたものでした」
 平野主任研究員によるカエルの染色体タンパク質の生化学的解析は、酵母や線虫の遺伝学的解析からも支持を得たことにより、SMCタンパク質が染色体で重要な役割を果たしているという統一的な結論に達したのだ。しかし、この研究は、さらに大きな物語の序章にすぎなかった。
 1995年、平野主任研究員は米国コールド・スプリング・ハーバー研究所に移り、そこで自分自身の研究室を立ち上げた。そして1997年、SMC2とSMC4がほかの三つのタンパク質とともに複合体をつくっていること、その複合体が染色体の凝縮(コンデンセーション)において本質的な役割を持つことを発見し、“コンデンシン”と名付けた。「電子顕微鏡で観察すると、コンデンシンは小さなクリップのような形をしていることが分かりました(図1の②)。こんな不思議な形のタンパク質複合体は、それまで誰も見たことがありませんでした。しかしよく考えてみると、これはクロマチンを束ねるためには大変都合の良い形です」

生命の根本を担う  染色体を解明する

糊の機能を持つ“コヒーシン”


 1990年代半ばはゲノム研究の黎明(れいめい)期だった。1996年に出芽酵母のゲノムが解読され、SMCには4種類あることが分かった。「残りの2種類、SMC1とSMC3は何をしていると思いますか。私たちは、この二つも別のタンパク質と一緒に大きな複合体をつくること、その複合体は細胞分裂の過程でコンデンシンとは異なる働きをしていることを、カエル卵抽出液を用いた実験で突き止めました」
 1997〜98年、いくつかのグループの研究成果が結び付き、その複合体は2本の姉妹染色分体を結び付ける“糊(のり)”の機能を持つことが明らかになった。この複合体は、現在では“コヒーシン”と呼ばれている(図1の⑤)。「古くからの研究によって、凝縮と糊の働きをそれぞれ担うタンパク質が染色体上にあるはずだ、ということは予想されていました。しかし、両者がともにSMCという類似のタンパク質を含む複合体(コンデンシンとコヒーシン)だったことは、まったく予想外でした」

コンデンシンに見る生命誕生と進化


 「さらに驚くべきことに、進化的に古く、核を持たない原核生物(大腸菌などの細菌類を含む)にも、コンデンシンに似たタンパク質が見つかりました。遺伝情報の複製と分配は、生命の根本です。細胞分裂の仕組みは原核生物と真核生物で異なりますが、遺伝情報の分配を担うタンパク質は共通していたのです」
 生命とは何か。その定義の一つは、自己増殖ができることだと考えられている。「DNAを複製することができる原始的な生命が誕生したとき、複製したDNAをどうやって二つに分配して自己増殖するのか、その仕組みづくりが大きな課題だったはずです。コンデンシンの祖先のタンパク質は、生命誕生のかなり初期に登場して、その課題を解決したのかもしれません」
 一方、コヒーシンに相当するタンパク質は原核生物では見つかっていない。「原核生物ではコンデンシンが凝縮と糊の役割を兼務し、真核生物が誕生する進化の過程でコンデンシンからコヒーシンが分岐して、役割分担するようになったのでしょう」
 さらに高等動植物への進化の過程で、新しい種類のコンデンシンが生まれたことが分かった。「2003年、私たちはヒトの細胞で新しい種類のコンデンシンを発見しました。今では、従来のものをコンデンシンI、新しく見つけたものをコンデンシンIIと呼んでいます。染色体の中でコンデンシンのIとIIは交互に並んでいます(図2)。実験でIやIIを欠損させると、いずれも染色体の形がおかしくなります」
 ゲノムのサイズが比較的小さい酵母などはコンデンシンIしか持たないが、サイズが大きい高等動植物の多くはコンデンシンIとIIを持つ。「コンデンシンIIの方が進化の過程で新しく登場したと考えられます。高等動植物では染色体が長くなったため、コンデンシンIとIIが協調して染色体を凝縮させることが必要になったのでしょう」

ヒト染色体におけるコンデンシン?とコンデンシン?

ブラックボックスの解明に挑む


 そもそも染色体はどのように凝縮されているのだろう。「1997年にコンデンシンを発見し、凝縮にかかわっていることを突き止めましたが、染色体凝縮のメカニズムはどうなっているのか、そこはいまだにブラックボックスです。DNAのループをつなぎ留めたコンデンシンが複数個集まり、さらにそれらが密に並んだ構造が予測されていますが(図1の②〜⑤)、それが正しいのかどうか、まだ分かっていません」
 2006年に帰国した平野主任研究員は、理研基幹研究所平野染色体ダイナミクス研究室を立ち上げた。「研究室には、結晶構造解析、生化学、細胞生物学など、さまざまな分野の専門家が集まっています。あらゆる手法を駆使して、ブラックボックスである染色体凝縮のメカニズムを解き明かしたいと思います。それが私のライフワークです」
 研究室で取り組んでいる多数のアプローチの中で、カエル卵抽出液は現在でも最有力の実験手段の一つとなっている。「このシステムを使うと、染色体が凝縮・分離する過程を非常に精密に解析することができます」
 過去十数年の研究により、コンデンシンとコヒーシンは染色体の凝縮・分離過程で図3のように働くと考えられている。DNAが複製されるとコヒーシンがDNAのペアを接着(①〜②)。次に染色体の中央部分(セントロメア)以外でほとんどのコヒーシンが離れ、コンデンシンが姉妹染色分体を凝縮(③)。最後にコヒーシンがすべて離れ、姉妹染色分体が分離して二つの娘細胞に分配される(④)。
 「カエル卵抽出液からコヒーシンの働きをコントロールする“調節タンパク質”を除去したり、機能が異なる変異型の調節タンパク質を加えることにより、コンデンシンやコヒーシンの働き方を自由自在に改変することができます。こうした実験操作を通して、コンデンシンとコヒーシンが協調して染色体を凝縮・分離するメカニズムの解明を進めています」(図4

ヒトと脊椎動物のゲノムの比較
LRR構造

染色体がかかわる疾患や生命現象が見えてきた


 近年、コンデンシンやコヒーシンと関連する遺伝子疾患が次々と報告され始めた。「小頭症(しょうとうしょう)という脳の前頭葉だけが小さくなる疾患があります。ドイツの研究グループが、その患者の細胞を調べたところ、染色体の凝縮の仕方に顕著な変化があることを発見しました。私たちはこのグループとの共同研究を開始し、この患者の細胞ではコンデンシンIIが異常に活性化されていることを見いだしました」
 脳がつくられるとき、コンデンシンの働き方がおかしくなり染色体の凝縮の仕方に異常が起きる。その結果、脳の形成に重要な遺伝子がうまく働かなくなることで、小頭症が発症する可能性がある。「つまり、コンデンシンは遺伝子発現にも関与しているのかもしれないのです」
 それぞれの細胞で必要なときに必要な遺伝子だけが働くことで、体が正しくつくられ、正常に機能する。DNA自体あるいはDNAが巻き付くヒストンに、メチル基などの化学物質が付くことで遺伝子発現が制御されていることが分かり始め、それらのメカニズムの解明が、生命科学の最もホットな研究テーマの一つとなっている。「メチル基などの化学物質は個々の遺伝子の発現を制御しています。一方、コンデンシンは染色体を凝縮することで、よりグローバルに遺伝子発現を制御している可能性があります」
 またコンデンシンやコヒーシンの研究は、染色体異常を伴う疾患の病因解明にも貢献すると期待されている。通常、同じ種類の染色体(相同染色体)を父方・母方から1本ずつ、計2本受け継ぐ。しかし、ダウン症の患者では、21番染色体を3本受け取ってしまうために、さまざまな疾患が引き起こされる。生殖細胞をつくる減数分裂の際、染色体の分配がうまくいかず、21番染色体を2本持つ卵子ができるからだ。「その原因は分かっていませんが、21番染色体でコヒーシンがうまく働いていないのかもしれません」
 実際、減数分裂に特有なコヒーシンが欠損したマウスを作製すると、母体の加齢に伴い、染色体異常の頻度が上昇することが報告されている。このマウスは、ダウン症のモデルマウスとして、病因解明や治療法の開発に貢献すると期待されている。「私たちのチームでも、マウスを使って卵子が形成されるときの減数分裂の研究を進めています。減数分裂において染色体が正確に分配されない確率は、マウスに比べてヒトの方が1桁高いといわれており、このことが不妊症の一因になっています。その理由は分かっていませんが、コンデンシンやコヒーシンの研究からその謎を解明できるかもしれません」
 平野主任研究員がコンデンシンとコヒーシンを発見したことを契機に、染色体の研究は今、大きな広がりを見せている。「染色体が生命の根本を担っていることを考えると、今まで予想もしていなかった生命現象や疾患と染色体との関連が、次々と見つかる可能性があります」
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