1月号 No331 January 2009
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野依良治 理事長 × 郷 通子 お茶の水女子大学学長


特別企画
研究最前線

SPOT NEWS

特集
TOPICS
原酒




特別企画/柱

新春特別対談

野依良治 理事長 × 郷 通子 お茶の水女子大学学長






司会:『理研ニュース』の読者の皆さんに、新年にあたって力がわくようなお話をしていただきたいと思います。昨年は国籍は別にしても日本人が4人もノーベル賞を受賞しました。まず、そのご感想をお伺いできますか。

ノーベル賞受賞──基礎研究の大切さと教育
郷 通子 お茶の水女子大学学長郷:日本中がノーベル賞受賞のニュースに沸き立ち、率直にうれしいと思います。特にノーベル賞の選考委員会が、研究の一番源流、基礎科学の分野から受賞者を選んだことが素晴らしいですね。誰よりも先に問題の大きさをとらえ、それに挑み、そして大きなかけをすることが、どんなに価値のあることかをあらためて教えてくれたと思います。
野依:科学に国境はありませんが、手放しでうれしく思います。受賞対象の研究は、いずれも科学の基礎中の基礎で、しかも半世紀近く前、日本がまだ貧しい時代にスタートしたものです。大学はそのような研究ができる環境を、いつの時代も用意していなければいけないですね。今は経済効果、あるいは社会的な価値のある研究に重きが置かれています。それはそれで重要ですが、それを生み出すにも、やはり基礎研究なしでは不可能です。
郷:私は名古屋大学(以下、名大)の大学院に1962年に入り、67年に博士課程を修了しました。昨年、素粒子物理学でノーベル物理学賞を受賞された益川敏英さんと同じ学年でした。同学年のみんなは大変仲が良く、頻繁に集まってはみんなでいつも喧々諤々(けんけんがくがく)の議論。そういう雰囲気にびっくりしたのを覚えています。
野依:私は1968年に天然物有機化学の平田義正先生(1954〜79年 名大教授)に呼んでいただいて、京都大学工学部から名大理学部に着任しました。私も自由闊達(かったつ)な雰囲気に本当に驚かされました。それと多様性ですね。いろいろな分野の方が、いろいろな大学から名大に集まっていたのが印象的でした。
 理研で大変誇らしく思うのは、“日本の現代物理学の父”と呼ばれている仁科芳雄先生の研究室から、湯川秀樹先生(1949年ノーベル物理学賞)、朝永振一郎先生(1964年ノーベル物理学賞)、坂田昌一先生(1942〜70年 名大教授)が出ていることです。益川さんと共同受賞の小林誠さんは共に名大で坂田先生の指導を受けました。坂田先生の教育観が、非常に大きくものをいっていると思います。
 ノーベル化学賞の下村脩(おさむ)さんも、名大で平田先生の生き方そのものを継承されていますね。平田先生の「他人ができることはやらない」「やりだしたら、絶対にあきらめるな」ということを今回、下村さんも言われていました。
郷:当時、名大の物理学教室は組織として新しく、湯川先生がノーベル物理学賞を受賞した後、坂田先生のもとに素粒子論の研究者たちが全国から大勢移ってこられました。それから、大沢文夫先生が生物物理学という新しい分野を切り拓き、30数人の大きなグループをつくっていました。私はその“大沢牧場”で育ちました。柵はあっても放牧で、牧場主の大沢先生は、聞いていようがいまいが、とにかく一人ひとりに語り掛けるのです。そういう環境で、若い人は自由に研究できました。そこでは先生たちがすごく楽しそうに、しかも真剣に研究している。私たちはその姿を見て研究者として育ってきました。そういうものが、私のいるところを含めて今の大学にあるのか……。研究も教育も実は一緒なのです。教育はカリキュラムばかりではないんです。
野依:私は理研に来て、大学は教育が第一義的に大事であることをあらためて認識しました。先生の後ろ姿を見て、学生は育つ。それができているかが問題だと思うのです。最近は先生にも過度の成果主義が当てはめられているためか、学生や大学院生を使って研究業績を挙げるという意識が強過ぎるのではないでしょうか。
郷:先生も毎年成果を報告しなければなりませんし、論文を出さないといけません。しかし、本当は先生方も学生を育てたいと思っているはずです。自分たちの後継者や、いろいろなところで活躍する人を育てるのが教育者の当然の役割ですから。

創造的な研究に必要なもの──既成概念との決別
野依良治 理事長野依:最近、科学論文誌では、『Nature』や『Science』ばかりがもてはやされますが、“小林・益川理論”の論文は湯川先生のつくられた『Progress of Theoretical Physics』に、下村論文の発光タンパク質“イクオリン”精製第一報は『Journal of Cellular and Comparative Physiology』に掲載されました。ノーベル賞受賞の第一報は、見えにくい雑誌に出ていることがよくありますね。
郷:論文の評価をする人たちが、『Nature』『Science』なら安心してしまうことが問題です。誰もやったことがない創造的な研究の論文には、「これは間違っているかもしれない」という批判が必ずあります。そうすると、その論文が掲載されるのは『Nature』『Science』ではありません。
野依:そう思います。科学の研究とは、先人の築いた礎の上に新しい石を一つずつ積み上げていき、より大きな建造物にしていく作業です。そして、日進月歩する。
 その上で、まったく別のところに石を置く。創造とは、現在のパラダイムとか、確立された既成概念からの決別です。これは、言うはやすく、行うのは非常に難しい。なぜなら、私たちは日常、一定の規則、法律、道徳律に従って暮らしています。秩序を求める世の中はそういう価値観で成り立っています。現代の秀才たちは、まさにその価値観の担い手ですから、研究だけは違うといわれても当惑するばかりです。なかなか前衛たり得ないと思います。
郷:世の中でいう変わり者でなければ、前衛とか異端たり得ないですよね。
野依:科学に飛躍的な進歩をもたらした多くの方は、無意識に既成概念と決別していたと思います。若き日の小林さん、益川さん、下村さん、みんなそういう方です。正統派だけでは、新しい飛躍はなかなか生まれません。もう一人のノーベル物理学賞受賞者、南部陽一郎先生は別格です。正統的なことを全部知った上で「とてつもないことを考えたい」と言ってこられた凄(すご)い方です。
郷:確かに飛躍的な進歩をもたらした方々は、おっしゃるようなことを意識せずに研究を進めてこられたと思います。周りにはそれを受け入れる度量の大きさと、ある種の精神的若さが求められていると思います。
野依:昔から昨今の短期的成果主義であったなら、研究者は評価に無頓着(とんちゃく)でいられなくなって、こういう方々も育たなかったと思います。

日本の科学社会に大切なもの──志と交流
司会:現状では研究の評価制度があり、さらに競争的資金(研究者の提案による研究開発に国から提供される研究費)を獲得しないといけない面もあります。大学と研究所、それぞれの経営者であるお二人に、この環境の中で日本をどのように導いていったらいいか、お考えを伺いたいと思います。
郷:下村さんの研究は地味ですが、米国はその研究の大切さを理解し、サポートしてきた。それに比べて、今の日本の競争的資金は、あまりにも表面的で深みがないと思います。やはり、人が大切。地味だけれどもいい仕事をしている人を、きちんとサポートする。人の意欲は、お金を与えたからといって出てくるわけではありません。
野依:国は制度をつくり、相当額をそこに投入する。そこまでしかできないですね。あと問われるのは、先生たちと学生たちの意欲、志です。地を耕すというか、そういう土壌が国全体に必要だと思います。
郷:おっしゃることに同感です。最近、お茶の水女子大学で、文部科学省の予算を頂いて、“挑戦する若い人”に場所と研究費を与え、自分の好きな研究をしてもらうという若手自立プログラムをつくりました。国際公募で9人選び、うち4人が女性です。すごく意欲のある優秀な人たちばかりで、今後が楽しみです。若い人には、夢を与えることが大切だと思いました。
野依:大学ではぜひ、そういった高い志のある人たちに、個人の発想に基づいた自律的研究をしてもらいたいと思います。一方、個人の発想を重視しながらも、それらをまとめて新しい領域を拓き、大きなプロジェクトを成し遂げていくことも大事ですね。それは理研のような組織力を持つ研究所でないとできないことです。大学と公的な研究機関が協力して、全体として研究を推進していく体制が必要だと思います。
郷:まったく同感です。例えば、先ほどの若い人たちが理研のような素晴らしい研究環境を持つところに採用され、研究を発展させ、再び大学に戻って学生を指導する。そういう循環をつくりたいものです。
野依:交流することによって初めて、広い視野が開けるんですね。大学も理研のような公的研究機関も、もっと交流を盛んにしなければいけないし、教授や研究室主宰者に外国の人を積極的に採用しなければなりません。また、違ったフィールドに入ってみることも大事ですね。そこから多様性が生まれてきます。
郷:私は米国のコーネル大学で化学のポスドクでした。そこのポスドクのほとんどは、以前、化学とは違う分野で研究していたことに驚きました。私も物理から移ったので似たようなものですが。学部と大学院で違う大学に行くのにも驚かされました。私は大学だけでも八つ動きました。それで良かったことは、人との出会いです。必ずしもサイエンスを教えていただいたわけではないのですが、違ったものの考え方とか発想に出会えたことです。
野依:研究者もそうですが、大学あるいは研究所の運営にも同じことがいえますね。私は理研の運営に生き甲斐(がい)を感じています。理研のマネージメントを行う理事にも、研究者出身、理研の事務育ちの人、文部科学省出身の人、産業界から来られた人もいる。違う価値観を束ねて、新機軸を打ち出すことができます。大学では得られなかった新鮮な喜びを感じます。

若手研究者と女性研究者に期待
野依良治 理事長司会:最近の若い研究者は海外に渡って研究をしたがらないという声を耳にします。
郷:その傾向は確かにあります。私が学生のときには、日本にポスドク制度がありませんでした。博士課程を修了した後は、海外で修行して一旗揚げて、場合によってはそこで永住という気構えで私も渡米しました。
野依:最近の若い人たちは、自分の人生のために新しいところに出てチャレンジするのではなく、生活のためにポスドクをやっているように感じることがあります。
 日本のポスドクの枠を海外の人にも開放する。原則はそうなっていますが、日本人が圧倒的多数というのが現状です。郷先生と私は、米国と日本で経済力が10倍くらい違った時代にポスドクとして渡米しました。米国の教授たちは、自国の人を優先せずに、あえて当時、発展途上国の日本の私たちを採用した。これは、大変偉いことです。今でいえば、私たちは志を持った若いアジアの研究者を採用する度量がないといけない。それが20年、30年たったときに、大きく花開くわけです。
司会:郷先生は日本の女性研究者の代表的なお一人です。女性研究者へのメッセージをお聞かせください。
郷:私たちは“第二のマリー・キュリーを目指せ”という文部科学省のプログラムで、大学院生をヨーロッパに派遣し、今は8人くらいいます。お茶の水女子大学の先輩には、フランスで活躍された原子核物理の湯浅年子先生がいます。そういう前例があると、後に続く人がたくさんいるのです。帰国した学生は「世界の同じ年齢の人が何を考えているのか分かった。私も世界を視野に入れて、自分の生き方を考えていきたい」と話していました。私は、若い世代に望みはあると思っています。ただ、それは学生自身がかなり努力をしての話ですが。私たちはそういう人たちの背中をちょっと押す。エンジンがかかれば、後は自分たちでやっていくと思います。
野依:理研にも日本初の女性の理学士、黒田チカ先生がいて、女性科学者を育てる風土があります。現在、2800人くらいの研究者・テクニカルスタッフがいますが、そのうち約800人が女性です。女性の研究室主宰者は29人います。今後、さらに増やしたいと思っています。大事なのは、採用側にちゃんとした目利きが必要だということです。今までの業績で選ぶのではなく、可能性を読まなければいけない。将来、どのくらい伸びるかを時間軸で積分して考えないといけないわけです。私はこれを理研の中で強く主張しています。
郷:それは女性の研究者にとって、最高の励ましになると思います。

科学リテラシー向上のために
郷 通子 お茶の水女子大学学長司会:経済協力開発機構(OECD)の中で、一般の人の科学リテラシー(科学に関する知識や関心)が日本は低いという結果が出ています。国もいろいろな取り組みをしていますが、研究機関の側からすべきことは何でしょうか。
郷:科学リテラシーの中で、お母さんが果たす役割は大変大きいと思います。お茶の水女子大学では、博士課程の半分は社会人です。女性が文化や知識を求める意欲は、すごいものがあるんですね。お母さんたちも同じだと思います。そのお母さんたちに、いかに科学を理解してもらうか、そこに取り組みたいと思っています。今、お母さんたちは、科学というと何か怖いものとか、ネガティブな印象を持っている方が多いので、例えば遺伝子組み換え食品とか、毒物の混入とか食の安全の問題から科学の話をする。あるいは食育を通して、科学に入っていく。食物連鎖、生き物の生態系の話から料理の話まで、料理は生物でも物理でも化学でもあるわけです。今、社会で問題になっていることを上手に取り上げて、科学に関心を持ってもらいたいですね。理研でもそういう取り組みをぜひやっていただけたらと思います。
野依:小さい子は理科が好きですね。みんな虫や動物が好きだし、雲を見たり、星を見たり。子どももお母さんも、だんだんそういうことをしなくなって、いろいろなことがブラックボックス化してしまったんですね。
 理研や大学、産業界は理科の教材をたくさん持っているので、本物を見せることが非常に大事だと思います。本物は、やはり面白いですね。教科書だけでは実感がわきません。理研は毎年、一般公開を行い、昨年は和光研究所だけで9000人以上の方に来ていただきました。たくさんの親御(おやご)さんが子どもを連れてきています。このような取り組みを、産業界も積極的に行ってもらいたいですね。社会総掛かりで理科教育に取り組むことが必要です。
 理研は研究成果を生み出すだけではなく、理科教育、あるいは科学知識の啓発活動も、今後いっそう事業の中に入れていきたいと思っています。
郷:理研の持っている最先端の施設、設備、それから研究者の姿を含めて、最先端の研究現場を子どもたちに、そしてお母さんたちにも、ぜひ見せていただけたらと思います。私たちの生活を支えている科学技術がどのように進められているかを、やはり見ていただきたい。いろいろな意味で、女性が科学技術を知っておくことは大事だと思います。

さらなる発展に向けて
司会:最後に今年の抱負を語っていただけますか。
郷:挑戦する勇気のある若い人たちを励ましていきたいと思います。大学の先生方はそういう若い人たちを激励していく役割もあるということを、大きな声で言っていきたいと思います。
 それから昨年、基礎科学研究にノーベル賞が与えられたということの重みですね。日本は基礎研究を今までよりも、もっと追求していく。そういうところで私たちは理研のような大きな研究機関と協力していきたいと思います。理研との人材交流も、もっと盛んにできたらと思っています。
野依:理研は誇り高く、あるべき姿を目指していきたいと思っています。いかなる世の中になっても、原理原則を発見することにこだわり、科学のフロンティアを開拓し、そして新技術の発明につなげていく。さらに、それを広く社会に還元していきたいと思っております。
 本日は、ありがとうございました。



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研究最前線/柱

植物の生合成をデザインして
有用物質をつくる

村中俊哉
植物科学研究センター 代謝機能研究グループ
多様性代謝研究チーム客員主管研究員



植物は体の中で酵素などを使って
多種多様な物質を合成している。植物界全体では、
実に20万種類もの物質を合成しているといわれている。
「その一部を私たちは食品や薬に利用しています。しかし、
植物の生合成の過程は、これまでブラックボックスでした」。こう語る
村中俊哉 客員主管研究員は、生合成の過程を解明し、その過程を
人工的にデザインすることで、有用物質を高効率で製造することや、
従来にない高い機能を持つ物質を創成することを目指している。



天然甘味成分グリチルリチンの生合成



生合成のブラックボックス
村中俊哉
植物科学研究センター 代謝機能研究グループ
多様性代謝研究チーム客員主管研究員 「このCM、覚えていますか?」と、村中俊哉 客員主管研究員はポスターを指さす。「1984年、歌手の松田聖子さんが起用された“バイオ口紅”の広告です。イメージソング『Rock'n Rouge』も大ヒットしましたよね。実はこの口紅、画期的なものだったのです」
 この口紅の色素には、ムラサキという植物がつくり出した物質、シコニンが使われている。シコニンは化学合成することが難しく、希少植物であるムラサキから抽出するしか方法がなかった。ところが1980年代、三井石油化学工業(株)(現・三井化学(株))がムラサキの細胞を取り出して培養し、シコニンを大量生産することに成功した。「これは植物の培養細胞による物質生産の工業化に、世界で初めて成功した例です。こうしてつくられたシコニンが“バイオ口紅”に使われていたのです」
 1985年、住友化学工業(株)(現・住友化学(株))に入社した村中客員主管研究員は、植物の組織や細胞を培養して、鎮痛薬の成分として使われるスコポラミンという物質の生産に挑戦した。「しかし当時は、欲しい物質が植物の中でどのように合成されているのか、まったく分かっていませんでした。ですから、培養条件をいろいろ変えてみて、たまたまその物質がたくさんできる条件を見つけるしかなかったのです」
 スコポラミン生産の工業化は、生産性の壁に突き当たった。「実験室レベルでは、組織培養によりスコポラミンを世界で最も効率よくつくり出すことに成功しました。しかし工業化のコストを試算すると、それでも生産性が低過ぎたのです」。ほかのさまざまな企業も植物の組織や細胞を培養して有用物質を生産することに取り組んだが、ほとんどが生産性の壁を越えられなかった。「その状況は今でもあまり変わっていません。現在、工業化がうまくいっているのは、朝鮮人参(チョウセンニンジン)の組織培養など数例だけです」


働いている遺伝子を全部読む
 2001年、村中客員主管研究員は理研植物科学研究センターのチームリーダーに就任した。「私は理研で、15年前のリベンジがしたいと思いました」
 村中客員主管研究員が研究テーマに選んだのは、マメ科植物のカンゾウ(甘草)の根や地下茎に含まれるグリチルリチンという天然の甘み成分だ(図1図2)。この物質は砂糖の150〜300倍甘く、低カロリーの天然甘味料として数多くの食品に使われている。また肝機能の補強や抗ウイルス作用が知られており、多くの漢方薬に配合されている生薬(しょうやく)でもある。
 需要の多いカンゾウだが、その供給のほとんどを、中国や中近東などの乾燥地域に自生する野生種に頼っている。しかし乱穫によりカンゾウの野生種は絶滅の危機にある。また、深く根を張るカンゾウを採取する際に周囲の草原を破壊して砂漠化を進めてしまう問題もあり、生産国では輸出規制が始まっている。中国や日本では、実験的に栽培されているが、栽培種ではグリチルリチンの含有量が低いという課題が未解決のままだ。
 「そこで、カンゾウの野生種からグリチルリチンを取り出すのではなく、生合成の仕組みを利用してグリチルリチンを効率的に生産しようと思ったのです。グリチルリチンは、多くの植物がつくり出しているβ-アミリンという物質から生合成されます。しかし、その生合成の過程はまったくのブラックボックス。私たちは2003年からその解明に取り組み始めました。1980年代と現在の大きな違いは、遺伝子の情報、つまり塩基配列を素早く、しかも低コストで読めるようになったことです」。こう語る村中客員主管研究員は、グリチルリチンの生合成にかかわる遺伝子を探すために、15年前には考えられなかった方法を用いた。カンゾウの地下茎の細胞で働いている遺伝子の塩基配列を片っ端から解読していったのだ。
 「実は、私たちとほぼ同時期に、千葉大学や(株)常磐植物化学研究所などで同じ研究テーマの大きなプロジェクトも始まっていました。私たちはそこと連携してオールジャパンの体制で研究に取り組むことにしました」。こうしてカンゾウの地下茎の細胞で働いている約5万6000個の遺伝子を解読した。ただし、この中には重複して読まれている遺伝子がある。それを取り除くと、1万372個になった。

図1 カンゾウ 図2 カンゾウの根

生合成にかかわる遺伝子を発見!
 「β-アミリンからグリチルリチンがつくられる生合成の予想される経路は、一見複雑ですが、二つの物質の化学構造の違いはわずかです。β-アミリンの2ヶ所が酸化され、1ヶ所に糖が付いたものがグリチルリチンです」
 従って、グリチルリチンの生合成で重要な遺伝子は、酸化酵素と糖転移酵素の遺伝子だ。「塩基配列の特徴から酵素の遺伝子をコンピュータで自動的に探し出すことができます。しかし見逃してしまうことがあるので、塩基配列から予測される機能を、關光(せき ひかる) 客員研究員が1万372個の遺伝子を一つずつ確認しました。これは大変な作業でした。こうして37個の酸化酵素遺伝子と33個の糖転移酵素遺伝子を探し出しました」
 グリチルリチンの生合成では、このうちのどの遺伝子が働いているのか。「植物では、物質がつくられている場所で、合成に必要な遺伝子が働いている場合がほとんどです。グリチルリチンはカンゾウの根や地下茎でつくられて蓄積されますが、地上の茎や葉にはまったく含まれていません。私たちはまず、根や地下茎では働いていて、地上の茎や葉では働いていない酸化酵素の遺伝子を探し出しました」
 こうして37個から5個へ酸化酵素の遺伝子が絞り込まれた。次に、その5個の遺伝子からそれぞれ酸化酵素をつくり、そのうちの一つの酸化酵素とβ-アミリンを混ぜてみると、β-アミリンの特定個所の酸化が進んだ。ついにグリチルリチンの生合成にかかわる酸化酵素遺伝子の一つを発見したのだ(記事冒頭の図)。村中客員主管研究員たちはそれをCYP88D6と名付け、2008年9月に発表した。さらに、もう1ヶ所を酸化する酵素も発見した。
 一方、骨格部に糖を付ける過程は、2段階で進むと考えられている。そのうちの2段階目の反応を進める糖転移酵素もほぼ突き止めた。
 「このような実験を行うには、生合成の過程で生まれる中間体を化学的に合成する必要があります。それには天然物化学の研究者との連携が欠かせません。大山清リサーチアソシエイトが大きな貢献をしました。天然物化学は日本の得意分野ですが、これまで分子生物学と天然物化学の研究者は、別々に研究を進めてきました。私たちのチームでは両者が連携することで、グリチルリチンの生合成にかかわる酵素遺伝子を突き止めることができたのです(図3)。残るは、1段階目の反応を進める糖転移酵素だけです」

図3 カンゾウプロジェクトを担当している多様性代謝研究チームのメンバー

合成生物学を拓く
 生合成にかかわる遺伝子を解明できると、何が可能になるのか。例えば、その遺伝子の働きが強まるような栽培条件を探して、グリチルリチンをたくさんつくり出すカンゾウの栽培種を育成することができるだろう。さらに、別な植物にグリチルリチンをつくらせることも可能になると、村中客員主管研究員は言う。「カンゾウはマメ科の植物です。例えば、同じマメ科のダイズに必要な遺伝子を導入すれば、“甘い大豆”ができるかもしれません。さらに、植物ではなく酵母に遺伝子を導入してグリチルリチンを生産できる可能性もあります」
 生物がもともと持っている生合成の能力を利用し、特定の遺伝子を働かせたり機能を抑えたりすることで、生合成の過程をデザインしようという研究領域を“合成生物学”と呼ぶ。「そのような研究が、生合成にかかわる遺伝子を突き止めることで可能になってきたのです」
 合成生物学の進展により、私たちが利用できる有用物質の種類が格段に増える。「例えば、生合成の過程でできる中間体は微量なため、機能が調べられていないものがほとんどです。中間体をたくさんつくって機能を調べれば、薬の候補になるような物質がきっと見つかるはずです。また生合成の過程をデザインすることで、天然にはない優れた機能を持つ物質も生み出せるでしょう」


マラリア克服へ向けた国際共同研究
 今、日本の科学技術を活用して、環境やエネルギー、感染症などの地球規模の課題について、国際協力で解決を図ろうという取り組みが期待されている。その先駆けともいえる研究を、村中客員主管研究員たちは進めてきた。「2003年に日本と南アフリカで科学技術協定が結ばれたことがきっかけで、2004年に私は初めて南アフリカを訪れ、2006年から国際共同研究プロジェクトを始めました」
 その研究は、エイズ、結核と並ぶ三大感染症の一つであるマラリアの克服を目指すものだ。現在、世界で2億〜3億もの人たちがマラリアに感染しており、特にサハラ砂漠以南のアフリカ大陸に被害が集中している。マラリアにはキニーネという特効薬がある。しかし近年、キニーネに耐性を持つマラリア原虫が現れ、深刻な問題となっている。そこでWHO(世界保健機関)は、アジア原産のアルテミシア・アヌアという植物がつくり出すアルテミシニンを用いた治療を呼び掛けている。
 「南アフリカにはアヌアと同属のアフラという固有植物があり、伝統的な薬用植物として使われています。ただし、アフラはアルテミシニンをつくりません。私たちは、両者で働いている遺伝子の違いを比較する研究を行いました。そしてアフラにはない、ある遺伝子を導入すれば、アルテミシニンが合成される手前の中間体をつくり出せる可能性があることが分かりました。さらに研究を進めれば、アフラでアルテミシニンを合成することや、天然のアルテミシニンよりも有効なマラリア治療薬の開発ができるかもしれません。南アフリカは固有植物の宝庫です。国際連携をぜひ続けていきたいですね」


木原均博士の研究を発展させる
 2007年4月、村中客員主管研究員は横浜市立大学木原生物学研究所の教授に就任した。木原生物学研究所は、コムギの起源の研究やゲノム概念の提唱者として世界的に有名な木原 均博士(1893〜1986年)が設立した研究所だ。
 「ここには、木原先生が残したさまざまなコムギの研究資源が保存されています。その研究資源を最新の手法を使って活用することで、面白い研究ができるはずです。私は今、コムギに有用物質をつくらせるプロジェクトに参加して、理研で私が在籍している多様性代謝研究チームと連携を図りながら研究を始めたところです」
 国内外の研究機関や大学と理研との多様な連携の輪が広がることで、植物科学の新しい世界が拓かれようとしている。

(取材・執筆:立山 晃)






関連情報


特願2007-204769「カンゾウ属植物由来トリテルペン酸化酵素、それをコードする遺伝子及びその利用法」




「植物代謝パスウェイ・メタボロミクス」(『BTJジャーナル』2008年9月号)


横浜市立大学木原生物学研究所植物応用ゲノム科学部門のホームページhttp://pbiotech.sci.yokohama-cu.ac.jp/index.html






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SPOT NEWS/柱

16年間冷凍保存のマウスから
クローン誕生

マンモスなど絶滅種復活に道

2008年11月4日プレスリリース



16年もの長い間、冷凍保存されていたマウスからクローンをつくることに、理研発生・再生科学総合研究センターのゲノム・リプログラミング研究チームが、世界で初めて成功した。生きた細胞しか使えない既存の核移植技術では、死んだ細胞からクローンをつくることは不可能とされていたが、新しい核移植技術を開発し、その問題を克服。今回、その新技術を使って、長期冷凍されていた細胞の核のDNAが健全で、核移植により正常な個体を復活させることが可能であることを示した。また、最も効率よくクローンマウスをつくることができた細胞は脳由来のもので、次は血液由来のものだった。今後、永久凍土から発掘されたマンモスなどの絶滅動物も復元できる可能性がある。新聞紙上をにぎわせたこの成果について、若山照彦チームリーダー、若山清香 研究員に聞いた。

──
クローンについて教えてください。
若山(照):クローンとは、遺伝的に見てまったく同一の個体のことです。1997年に英国で世界初のほ乳類の体細胞クローン、ヒツジの「ドリー」が誕生し、世界的に話題となりました。その後、私たちは1998年にマウスの体細胞クローンを世界で初めてつくりました。皮膚や筋肉などの体細胞からクローンをつくるには、体細胞から核を取り出し、あらかじめ核を取り除いた卵子に移植し、卵子が発生の初期段階である胚(はい)になった段階でメスの卵管に戻します。
──
なぜ凍結した動物からクローンができなかったのですか。
若山(清):既存の核移植技術では、生きた細胞しか扱えなかったのです。もし、核移植が技術的に可能だったとしても、凍結すると細胞に含まれている水が氷の結晶をつくって細胞を破壊し、そのような壊れた細胞の核が正常かどうかも分かりませんでした。しかし、私たちはこれまでに、凍結乾燥によって死んでいるマウスの精子から子どもが生まれることを実証しています。そのため、死んだ細胞の核でも、DNAは正常のまま維持されているかもしれないと考えました。
──
どんな実験を行ったのですか。
若山(照):永久凍土に近いマイナス20℃で、16年間冷凍保存していたマウスの脳や心臓など11種の臓器からクローンをつくる実験をしました。最初の難関は、臓器を酵素で処理して細胞をばらばらにしようとすると核も分解してしまうことでした。そこで私たちは、酵素を使わないで臓器をばらばらにし、核を安全に取り出す新しい手法を開発しました。さらに顕微鏡下で微細な操作ができるマイクロマニピュレーションという手法も改良し、ようやく核移植が可能になりました。次に、どの臓器の細胞が核移植に最も適しているかを調べたところ、意外にもクローンをつくるのが最も難しいと思われていた脳と血液の細胞が一番適していることが分かりました。
──
脳細胞からつくったクローン胚を、代理母マウスの子宮に移植したのですね。
16年間凍結保存されていたマウスの体細胞からつくられたクローンマウス(左)若山(清):はい。しかし、クローンマウスはつくれませんでした。実は16年間冷凍保存されていたマウスは、運悪く生きている個体からもこれまでにクローンができた例のない種類のマウスでした。しかし、クローンがつくれなくても、クローンES細胞をつくることは可能です。またクローンマウスの成功率は、体細胞からよりES細胞からの方が少しだけ高くなります。そこで、脳細胞からクローンES細胞をつくり、そこから核を取り出して核移植した結果、クローンマウスが生まれたのです(写真)。血液細胞を用いた場合でも、クローンマウスは生まれました。
──
マンモスの復活はできますか。
若山(照):マンモスの復活には、異種間核移植、例えばマンモスの近縁であるゾウの卵子へ核を移植する方法など、解決しなければならない技術的課題が数多くあります。それらが解決できれば、復活も夢ではないでしょう。

● 本研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』(11月3日)にオンライン掲載されたほか、朝日新聞・毎日新聞・読売新聞(11月4日)や海外メディアなどに多数取り上げられた。

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SPOT NEWS/柱

鳥が恋歌を歌うとき、脳は幸せを感じる




鳥が恋歌を歌うとき、脳は幸せを感じる  鳥のオスが求愛の歌(恋歌)を歌っているとき、脳内の報酬系神経回路が活性化していることを、理研脳科学総合研究センター発声行動機構研究チームのヘスラー・ニール チームリーダーらが発見した。普通のさえずりではこの活性化は見られない。
 ヒトをはじめ多くの生物の脳には、食物や性行動などの報酬刺激に対し、快感を得る神経回路がある。この回路の活性化は、回路内の腹側被蓋野(ふくそくひがいや)にあるドーパミン作動性神経細胞へのシナプス伝達が増強されるためであることが、麻薬の投与などの実験で分かっている。
 今回、このシナプス伝達の増強は恋歌を歌うといった自然な社会性行動によっても引き起こされることが、キンカチョウ(写真)の実験によって明らかにされた。キンカチョウは、子が親鳥から歌を学び、周囲とコミュニケーションを取るためにさえずるなど、高度な社会性を持つ鳥として知られている。研究チームは、1. オスだけで普通に歌わせる、2. オスにメスを見せて恋歌を歌わせる、3. オスにメスを見せるが、歌おうとしたら邪魔をする、という三つの状況で実験した結果、2. 3. のオスでは、シナプス伝達が増強していることを発見した。つまり、オスは恋歌を歌っているとき、または歌おうとしているとき、快感を得ていることが分かった。
 ヒトと鳥は進化の系統樹の上では離れているが、同等の報酬系神経回路を持ち、同じような状況下で同様な感情を持つと予想される。今回の成果は、ヒトの社会性行動と脳機能の関係を理解する手掛かりとなり得る。また、この報酬系神経回路活性化・不活性化のメカニズムを解明できれば、ゲームなどの習慣性や薬物依存を抑制する方法にもつながると期待される。

● 『PLosONE』(10月1日号)掲載。

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SPOT NEWS/柱

ブラックホールが吸い込む
エネルギーの流れを追う





 理研基幹研究所 牧島宇宙放射線研究室のポシャック・ガンジー国際特別研究員らは、南米チリにあるヨーロッパ南天天文台の超大型望遠鏡(Very Large Telescope:VLT)を用いて、南天にある二つのブラックホールが放つ可視光線の強度変化を0.05秒という非常に短い時間分解能で計測することに成功した。
 ブラックホールが放つ電磁放射線の速い強度変動は、これまで主にX線だけで観測されてきた。可視光線はX線が周囲のガスを照らすことで発生する二次的副産物だと考えられていた。
 ポシャック研究員らは、今回観測に成功した可視光線のデータをNASAの衛星が観測したX線データと比較。その結果、可視光線の強度変化はX線の強度変化よりも速く、可視光線とX線とは連動しつつも、それぞれ異なる特徴的なパターンを示すことを発見した。これにより、ブラックホールのすぐ近くでは、磁場が重要な役割を果たしていて、この強い磁場がブラックホールに吸い込まれる巨大なエネルギーの流れを、一時的に蓄える貯水池となっている可能性が示された。X線と連動した可視光線の変動の発見は、ガスを吸い込むブラックホール中心部での、巨大なエネルギーの流れを理解する上で役立つと注目されている。

● 本研究成果は、理研と英国のシェフィールド大学・ケンブリッジ大学・ワーウィック大学、スペインのカナリア諸島天文台、米国のミシガン大学、ドイツのマックス・プランク天文物理学研究所の7機関からなる国際共同研究チームで行われたものです。

● 『Monthly Notices of the Roy. Astron. Soc. Letters』(11月1日)掲載。

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特集/柱

分子イメージング科学
研究センター発足

創薬・診断治療に革新をもたらす



「Evidence-based Medicine(科学的根拠に基づく医療)」、
この新しい医療を推進するための中核研究拠点として
活動してきた理研分子イメージング研究プログラム(MIRP)は
2008年10月1日、さらなる発展を目指し、
理研分子イメージング科学研究センター
(Center for Molecular Imaging Science:CMIS)として
新たなスタートを切った。分子イメージングは創薬や
診断治療に革新をもたらすと期待され、
世界中で注目されている研究テーマだ。CMISは、
今後どのような戦略で研究を推進していくのか、
渡辺恭良(やすよし) 初代センター長に聞いた。



生きている個体で分子の挙動と機能を観る
WATANABE Yasuyoshi 
渡辺恭良 センター長──分子イメージングとは何ですか。
渡辺:生きている生物を傷付けることなく、疾患に関連している生体分子や薬剤分子の、生体内での挙動と機能を画像化して観る技術です。特定の部位だけではなく、全身を観察できます。最終的には、ヒトに使える技術の開発を目指しています。
──どのように分子の挙動や機能を観るのですか。
渡辺:生体内の特定の分子(ターゲット分子)を観る場合は、そのターゲット分子とだけ結合する分子に標識を付けた「分子プローブ」をつくり、投与します。標識には、昨年、下村脩(おさむ)先生のノーベル化学賞受賞で話題となったGFP(Green Fluorescent Protein)などの蛍光タンパク質や、炭素の放射性同位体11Cなどを使います。分子プローブはターゲット分子に集まるので、その信号をとらえることでターゲット分子の位置や量を知ることができるのです。また、薬の分子に標識を付けて投与すれば、どの臓器に移動し、どの経路で排出されるか、体内での動きを時間変化とともに追うことができます。
 私たちが使っているのは、標識に放射性同位体を用いてPET(Positron Emission Tomography:陽電子放射断層画像法)で測定する方法です。放射性同位体から放出される陽電子が周囲の電子と衝突するときに発生する光(ガンマ線)をとらえます。PETは高感度で高精度なので、投与する分子プローブは超微量で済みます。また、もともと生体にある炭素やフッ素の、寿命が短い放射性同位体を標識に使うので、生体への影響は非常に少ないものです。
──どういう画像が得られるのでしょうか。
渡辺:アルツハイマー病の患者さんの脳をPETでイメージングした画像をお見せしましょう。アルツハイマー病の原因の一つは、βアミロイドというタンパク質が脳に蓄積することだと考えられています。そこで、βアミロイドに結合する分子プローブを投与し、その分布を画像化したものが図1です。赤いほどβアミロイドが多く蓄積しています。「イメージング」という言葉から分布を示しただけの「画像」だと思われがちですが、各部に蓄積しているβアミロイドの量は数値で表すことができ、分子プローブを投与してからの時間的変化も分かります。分子イメージングは、生体内で定量的に分子の挙動と機能を観察できる技術なのです。

図1 PETによるヒトの脳内のβアミロイドのイメージング画像

創薬プロセスに革新をもたらす
図2 分子イメージング科学研究センター組織図──昨年10月1日、分子イメージング研究プログラム(MIRP)は、分子イメージング科学研究センター(CMIS)になりました。
渡辺:MIRPは3チームで構成されていましたが、センター化に伴って3チーム3ユニットにしました(図2)。次の4月には、いくつかのユニットの規模を拡大し、チームにする予定です。
──なぜ今、センター化なのでしょうか。
渡辺:2005年9月にMIRPが発足して以来、(独)放射線医学総合研究所や大学、医薬品企業などとネットワークをつくり、MIRPと放射線医学総合研究所が中核研究拠点となってオールジャパンの体制で分子イメージング研究を進めてきました。しかし、この分野に対する日本全体の研究費は年数十億円程度で、米国の1000億円超と大きな開きがあります。また、外国の大きな医薬品企業は自社でPET施設を持っていますが、日本の医薬品企業ではようやく建設計画が取り上げられだしたところです。日本の分子イメージング研究をさらに広げ、日本の創薬や診断治療に革新をもたらしたいというのが、センター化した一番の理由です。
 また2008年6月、厚生労働省が「マイクロドーズ臨床試験の実施に関するガイダンス」を発表しました。それによって、私たちがずっと考えてきた分子イメージング技術を導入した新しい創薬プロセスが実現できる土壌が整いました。だから、この時期にセンター化したのです。
──現在の創薬プロセスはどうなっているのですか。
渡辺:薬の候補化合物を見つけ、前臨床試験でマウスなどの小動物を対象に薬効と安全性が確認されると、治験に進みます。治験では、ヒトを対象に薬効と安全性を確認します。治験に合格すると新薬として認可され、販売されます。しかし、治験に進んだ候補化合物の約90%が脱落してしまいます。十数年の歳月と数百億円をかけて開発してきたのに、薬になることなく終わってしまうのです。
 前臨床試験で使われるマウスやラットは、化合物の代謝速度がヒトより100〜1000倍も速く、代謝の経路が違うこともあります。だから、小動物では問題がなかったのに、ヒトでは副作用が現れたり、薬効がないことも起きます。ヒトを対象に安全に試験しない限り、この状況は変わりません。そのために私たちが提案してきたのが、分子イメージング技術を導入した新しい創薬プロセスです。
──新しい創薬プロセスの特徴は。
渡辺:分子イメージングを小動物を対象にした前臨床試験の段階から使い、薬物動態と薬効を分子レベルで詳しく調べます。さらにヒトでの治験の前に、代謝経路や速度がヒトに近いサルを使った試験も行い、この段階でも選別します。しかし、サルとヒトは完全に同じではないので、治験の前にヒトで薬物動態などを調べたいと、誰もが思っていました。それを可能にするのが、マイクロドーズ臨床試験です。
──マイクロドーズ臨床試験とは。
渡辺:通常、効果が出る薬剤の量は数ミリグラム以上です。その100分の1以下、あるいは100μg以下の微量の薬剤を投与して、薬物動態を調べることをいいます。マイクロドーズ(Microdose)とは微少な投与量という意味です。投与量が少ないので毒性の心配は少ないですが、微量であるために分子イメージング以外でその動態や機能を調べることは難しいのです。
 マイクロドーズ臨床試験で期待される動態や薬効が確認できないものはそこで落としてしまう。それによって、治験の成功率は50%以上になり、創薬にかかる期間・コストを大幅に削減できます。マイクロドーズ臨床試験は、ヨーロッパでは2003年、米国では2006年にガイドラインが出され、その有用性が示されつつあります。
──疾患の診断や治療に対しては、分子イメージングはどのような貢献が期待できるのでしょうか。
渡辺:アルツハイマー病と診断された患者さんの約2割は、脳にβアミロイドがほとんど蓄積していないことが分かってきました。アルツハイマー病はβアミロイドの蓄積だけが原因ではないのかもしれません。現在、世界で1000人以上の高齢者を対象にβアミロイドの蓄積経過が分子イメージングにより追跡されています。認知症の症状が出ていないときから変化を追うことで、アルツハイマー病の原因に肉薄できると考えています。
 すでにβアミロイドを溶かす効果がある薬がいくつか開発されていますから、早期に診断をして治療を始めることも重要です。分子イメージングは、早期診断だけでなく、治療効果の判定にも貢献します。


CMIS三つの特徴
図3 複数分子同時イメージング画像──分子イメージング研究は世界でも盛んに行われています。その中でCMISの特徴は。
渡辺:三つあります。一つ目は、最先端の化学を使って新しい標識化合物の合成法を研究していることです。通常の化学反応は数時間から数十時間かかるため、半減期(放射性同位体がほかの原子核に崩壊し、元の量の半分に減少するまでの時間)が20分と短い11Cを有機物に付けることができません。理研が開発した高速C‐メチル化反応を使うと、あらゆる有機物に11Cを5分以内で付けることができます。さらに、タンパク質やDNA、RNA、糖鎖など中・高分子化合物に、その働きを変えずに標識できる新しい方法も開発し、多様な生体機能を調べることが可能になりました。
 二つ目は、サルなどの実験動物に麻酔をしないで観察できることです。これは、欧米ではできない日本の特徴です。麻酔をかけてしまうと、自然の状態が観察できません。
 三つ目は、世界で初めて成功した複数分子同時イメージングです(図3)。病気を診断する際、観たい分子は数種類あります。これまでは1回に1種類の分子しか測定できないため、別な日に検査を行うしかありませんでした。体調は日々変わりますから、それでは正しい診断ができません。複数の分子を同時に観ることは、夢の技術でした。今後、新しく開発したガンマ線イメージング装置に改良を加え、実用化に近づけていきます。
──理研には10を超える研究センターなどの組織があります。その中でCMISの特徴は。
渡辺:それぞれの研究センターは、脳科学、免疫・アレルギー科学、発生・再生科学、植物科学というようにライフサイエンスのそれぞれの分野で構成され、いわば「縦糸」でつながっています。CMISは、どの研究センターとも組むことができます。CMISが「横糸」になり、いろいろな研究センターとの連携を進めていきます。
──理研以外との連携はどうですか。
渡辺:CMISは、日本における分子イメージングの拠点でもあります。CMISが入居している神戸の「MI R&D センター」の隣に理研以外の研究機関や医薬品企業などと連携研究ができる建物をつくることを計画しています。
 また、人材育成もCMISの重要な役割です。分子イメージング研究は、化学、生命科学、物理、工学、コンピュータ科学、医学、薬学など多くの研究領域にまたがっており、それらをすべてカバーする系統的な講義体系はありませんでした。そこで、私たちは「PET科学アカデミー」を開講し、医薬品企業などから研究者を受け入れ、講義、実習などを通して人材育成を推進しています。
──CMISが目指すものは何ですか。
渡辺:私たちが目指している方向は二つあります。一つは、今までライフサイエンスによって動物や試験管の中で分かってきたことが、ヒトの体内で本当に起きているのかを確かめること。分子イメージングは生きている個体が対象ですから、私たちは「ライブサイエンス」とも呼んでいます。もう一つは分子イメージングの応用です。創薬や診断・治療への貢献はもちろん、移植した胚性幹細胞(ES細胞)が狙い通りの細胞に分化しているか、導入した遺伝子がきちんと機能しているかを追跡するなど、再生医療への応用も進めていきます。
 CMISはこれからもオールジャパン体制の拠点として分子イメージング研究を牽引し、創薬や診断治療に革命を起こすような研究成果を挙げ、社会に貢献していきたいですね。

(取材・構成:鈴木志乃)


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TOPICS/柱
国際がんゲノムコンソーシアムが、
8種類のがんゲノムプロジェクトを開始

日本から理研ゲノム医科学研究センター、国立がんセンターおよび(独)医薬基盤研究所が参加する、がんのゲノム変異(異常)カタログを作成するための国際共同プロジェクト「国際がんゲノムコンソーシアム(International Cancer Genome Consortium:ICGC)」は、2008年11月18日、肝炎ウイルス関連肝臓がんなど、8種類のがんのゲノム変異について包括的で高精度な解析を開始すると発表しました。これは、ICGCが取り組む最初のプロジェクトで、全参加機関のうち8ヶ国の11機関が参加します。参加8ヶ国が、日本は「肝炎ウイルス関連肝臓がん」、中国は「胃がん」、カナダは「膵臓(すいぞう)がん」など、それぞれ違う種類のがんを担当することになりました。
 がんの患者数は世界中で急増しており、がんの早期発見やがんによる死亡者の減少が人類社会にとって緊急の課題となっています。ICGCは、このような状況の中、2008年4月、臨床的に重要ながんを選定し、それぞれのがんのゲノム変異の全体像を明らかにするため、国際共同プロジェクトとして発足したものです。ICGCの参加機関は、ICGCの定めたデータ収集・解析に関する共通の基準に従って、少なくともがん1種類について約20億円を拠出し、約500の症例をもとにゲノム変異の包括的かつ高精度な解析を行います。
 ICGCによって作成されるがんゲノム変異のカタログは、がんの予防・診断・治療の新規で有効な方法を開発しようとしている世界中の研究者に迅速かつ無償で提供され、極めて貴重な情報となるものと期待されています。



「nano tech 2009」に出展します!

nano tech 2009 国際ナノテクノロジー総合展・技術会議 2月18日〜20日に東京ビッグサイトで開催される「nano tech 2009 国際ナノテクノロジー総合展・技術会議」に今年も出展します。理研で進行中の世界最先端のナノサイエンスに関する研究成果等について、ポスター・模型・実物展示を使って、研究者自らが解説します。同時に、ブース内でのプレゼンテーションも予定しております。皆さまのご来場をお待ちしております。

日時:
2月18日(水)〜20日(金)10:00〜17:00
場所:
東京ビッグサイト東3・4・5・6ホール&会議棟東京都江東区有明3-21-1
・ゆりかもめ「国際展示場正門」駅より徒歩約3分
・りんかい線「国際展示場」駅より徒歩約7分
参加費:
3000円 ※Webサイトで事前登録された方は入場無料となります
主催:
nano tech実行委員会
問い合わせ:
nano tech 実行委員会事務局 TEL:03-3219-3567
詳細:



慶應義塾大学と包括的な協力協定を締結
長期的な展望のもと「世界を先導する知性の創造」を推進

野依良治 理事長(左)と安西祐一郎 慶應義塾大学塾長 理研と慶應義塾大学は、「世界を先導する知性の創造」を目指し、長期的な展望のもとに2008年12月10日、連携・協力の推進に関する基本協定を締結しました。
 これまでにも両者は、研究分野、研究課題ごとに共同研究を進め、数多くの優れた実績を挙げてきました。今回、人文・社会系の学部に理工学部、医学部、新設された薬学部を加えた構成の慶應義塾大学と、物理学、化学、そして脳科学、植物科学などライフサイエンス分野を含む基礎研究を進める理研が、これまでの学問領域や体系の枠を超えた共同研究を進めるとともに、それを担う国際的な人材の養成と運営基盤の強化を目指します。
 具体的には、「人間知性の解明研究」など融合的、革新的な共同研究を推進するほか、複数の学部・研究科に連携大学院を設置していきます。また、国際的かつ学際的な人材育成のハブ機能の構築を目指します。さらには、両者の運営基盤の強化のため、教育・研究への資金調達に関する協力を行い、積極的に政府・企業・個人に研究計画をアピールするとともに、知的財産創出・活用に関するノウハウ、国際化に関する実績などを共有して、事務部門の連携も行い、機動性を高め、活性化を図ります。




新研究室主宰者の紹介

新しく就任した研究室主宰者を紹介します。
McHugh, Thomas John

脳科学総合研究センター
神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー
McHugh, Thomas John
(マックヒュー トーマス ジョン)

1
生年月日:1973年1月20日
2
出生地:米国イリノイ州
3
最終学歴:マサチューセッツ工科大学(米国)Ph.D.
4
主な職歴:マサチューセッツ工科大学 ピカワー学習・記憶研究所
5
研究テーマ:神経回路の可塑性や伝達能を制御する遺伝学的手法と行動中動物の生理学的解析法を組み合わせ、陳述記憶・エピソード記憶の符号化、保存および読み出しの神経回路機構を明らかにする。
6
信条:継続は力なり
7
趣味:運動、スポーツ観戦





原酒/柱

ルーツを訪ねて

武田健二 TAKEDA Kenji
理化学研究所 理事


写真1 筆者近影 写真2 武田家が奉じた社
写真3 武田家の墓群
 私は「武田さんは武田信玄と関係あるの?」と聞かれると、冗談っぽく「はい、子孫です」と答えます。というのも、子どものころ、父から武田信玄につながる家系図を見せられていたためです。でも、信じていませんでした。私の祖父は、高知県出身です。父の話によると、祖父は幼少の時に妹が生まれて間もなく両親を失い、15歳で村役場の給仕になって、郵便局(当時の電信局)に任用され、その後、逓信(ていしん)省で転々と登用されながら夜学で勉強し、最後は東京の本省に上ったというのです。私の父は、祖父の苦労を見ながら育ち、祖父の期待に応えるように東京大学法学部を卒業して、郵政省にキャリアとして入省しました。その父が4年前に亡くなり、私は、自分のルーツである高知に一度も行ったことがない上、親せきについての情報もおぼつかないことに、一種の不安感を抱きました。そこで一昨年、自分のルーツを訪ねようと思い立ちました。父の葬儀に送られてきた香典の中に、高知の会ったこともない遠い親せきの名前を確認し、電話番号案内で調べ、電話をしたのです。
 高知空港からレンタカーのカーナビを頼りに高知市の郊外に向かいました。街道に数名が迎えに出てくれていました。どの顔も初対面ながら、DNAの共有を感じさせる何か共通なものが。案内された先には、親類ばかりの数軒の集落があり、小さな社(やしろ)写真2)を奉じ、裏山にはどれも武田何某と彫られた古いお墓の一群がありました。その中に若くして死んだという曽祖父母の墓、そのまた父の墓(写真3)があり、お花が供えてありました。この人は、墓碑にあるように先生と呼ばれ、校長をしていたそうです。親せきから身近な先祖の話を聞き、墓に手を合わせると、自分につながる先祖を感じ、不思議な感情が身体の中に高まってきました。先祖が歩んだ歴史のようなものが自分に受け継がれてきたのだと。そして、自分もその先の歴史をつくっているのだと。
 そこで初めて当地で語り継がれている“土佐の勝頼伝説”を聞きました。武田勝頼は1582年、織田信長との天目山の戦いに敗れ自害したとされていますが、部将が身代わりになり、勝頼自身は土佐まで落ち延びたというのです。板垣退助はその家臣筋、三菱の創業者・岩崎弥太郎は分家筋といわれています。三菱のマークは、武田家の家紋の四つ菱に由来しているとか。この伝説の真偽や、わが家系との関係など怪しげな感じはしますが、きっと何かのかかわりはあったのでしょう。落ち武者の一族かな、と。一気に5世紀にわたる山梨から高知までの歴史物語を自分の背後に感じました。
 人は、単に親からDNAを受け継ぐだけでなく、歴史をも受け継いで、個性を形成し、生きざまを描いて、新たな歴史を重ねるのだと思います。米国では、史上初の黒人大統領が誕生します。バラク・オバマ新大統領は、自伝『マイ・ドリーム』で自分の父の生まれ故郷ケニアへとルーツをたどり、その心の旅で自らを見いだしたといっていますが、これからの難局にどう立ち向かうのでしょうか。私も先祖を意識しつつ、理研の歴史に何か貢献したいと、新年に気持ちを新たにしています。


理研ニュース 

1
No.331
January 2009

理研ロゴ
発行日
平成21年1月6日
編集発行
独立行政法人
理化学研究所 広報室
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2番1号
phone: 048-467-4094[ダイヤルイン]
fax: 048-462-4715

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制作協力
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