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[理研ニュース 2009年8月号]

研究最前線

夢の光源を開発しテラヘルツ波を応用へ

封筒を開封することなく郵便物中の麻薬や覚醒剤を発見する、食品に混入した異物を同定する、農作物の残留農薬を検査する……。このほかにも、さまざまな分野への応用が期待されているのが、電磁波の一種であるテラヘルツ波だ。しかし、テラヘルツ波は発生・検出が難しいことから、ほとんど利用されてこなかった。テラヘルツ波は“未踏の光”とも呼ばれている。テラヘルツ光源研究チームは、光源と検出器を開発し、さらにテラヘルツ波に関するデータベースを整備・公開することで、テラヘルツ波の応用への道を拓いてきている。

南出泰亜

テラヘルツ波とは

 テラヘルツ波は電磁波の一種である。電磁波は周波数によって分類され、周波数の高い方からガンマ線、X線、紫外線、可視光、赤外線、電波と呼ばれる(図1)。テラヘルツ波は周波数が0.1〜100テラヘルツ(THz、テラは1兆=1012)の電磁波をいう。赤外線と電波の間に当たるが、ほかの電磁波と比べてなじみが薄いのではないだろうか。
 「テラヘルツ波は、発生させるのも検出するのも難しいため、あまり使われてきませんでした」と南出泰亜(みなみで ひろあき)副チームリーダー(副TL)。「電磁波は周波数によって性質が違います。X線と可視光では見えるものが違うように、テラヘルツ波を使うと新しい世界が見えてきます。テラヘルツ波は、セキュリティーや農業、医療、食品科学、半導体産業などさまざまな分野での応用が期待されています。私たちは、大きな可能性を秘めながらも手付かずだったテラヘルツ波を開拓し、応用へつなげることを目指しています」
 1990年10月、宮城県仙台市に理研フォトダイナミクス研究センターが設立され、1998年10月から同センターは第2期へと移行した。第2期では“コヒーレントなテラヘルツ波の技術に関する研究”が主題の一つとなり、理研でテラヘルツ波の研究が本格的に始まった。南出副TLは1999年4月から伊藤弘昌TLのもと、研究員としてテラヘルツ波の光源開発に加わった。「目指したのは“夢の光源”です。一つの光源で広い周波数域をカバーすること。その中で周波数を自由に選べること。周波数を瞬時に切り換えられること。この三つの性質を備えた広帯域波長可変の光源こそ、テラヘルツ波の開拓には必要だと考え、光源開発を進めてきました」

電磁波の種類と周波数

将来の応用まで見据える

 まず取り組んだのは、1〜3THzのテラヘルツ波を発生する光源の開発だ。「その周波数の発生が最も難しいといわれていたからです。難しいことに挑戦するのが研究の醍醐味ですから」。もちろん自信はあった。「伊藤TLが東北大学で、“非線形光学結晶”という特殊な結晶を使うと、テラヘルツ波を効率よく出せることを提案していたのです」
 そして研究チームの発足からわずか1年で、1〜3THzのテラヘルツ波の発生に成功。短期間で難関を突破できた理由は何だったのか。南出副TLがまず成功の理由として挙げたのは、非線形光学結晶にニオブ酸リチウムを選んだことだ。光の領域では昔から使われていた結晶だが、当時、波長可変テラヘルツ波の発生源として注目している研究グループはほかになかった。
 非線形光学結晶には、入射してきた励起光をもとに、異なる周波数(波長)の光(波)を発生できるという性質がある。新しく光を発生させる方法にはいくつかあり、1〜3THzの光源で採用したのは“パラメトリック発振”である。励起光を結晶に入射すると二つの光が出る。一つはストーク光、もう一つは励起光とストーク光の差分のエネルギーを持つテラヘルツ波である。結晶内での三つの光の角度を独自の光学的制御によって調整することで、任意の周波数のテラヘルツ波を発生させることができる。
 南出副TLが成功のもう一つの理由として挙げたのが、伊藤TLの存在だ。「伊藤TLは“大学と理研の役割は違う”と考えていました。テラヘルツ光を発生できるかどうかという基礎研究は大学で取り組むべきで、理研では実用化に向けた研究をするべきであると。だからこそ、研究チーム発足直後から光源開発に本格的に着手できたのです」
 南出副TLらが開発した光源から発生するのは、周波数のそろった“単色光”である。当時、ほかの研究グループで開発されていた光源は、広い周波数のテラヘルツ波が混ざった“ブロードバンド光”が主流だった。なぜ単色光なのか? 「レーザーは、生活や産業になくてはならないものになっています。レーザーのような単色光は、指向性や集光性に優れ、輝度も大きいなど独特の性質があります。応用を考えたら、テラヘルツ光も単色光の方が使い勝手がいいはずです。難しいことに挑戦するだけでなく、将来の応用まで見据えることが、私たちのスタンスです。最近では、ほかの研究グループでも単色光に注目しはじめ、光源の開発や高出力化などに取り組むようになりました。しかし、私たちの研究は、先を進んでいると思います」

夢の光源・検出器まであと一歩


 光源開発は現在、第2段階に進んでいる。0.1〜100THz、つまりテラヘルツ波の周波数全域をカバーする光源の開発である。ここでもポイントの一つは非線形光学結晶の選択だ。使っているのは“DAST(ダスト)”と呼ばれる有機の非線形光学結晶である。ニオブ酸リチウムなど無機の非線形光学結晶に比べ、有機は入射した光からテラヘルツ波への変換効率が高いという特徴がある。選んだのは伊藤TLだ。「DASTは、東北大学の中西八郎教授が発明した非線形光学材料です。東北大学の教授を兼務する伊藤TLが、“これはテラヘルツで使える”と言ったのです。豊富な経験からくる直感だったのでしょう。ごく小さな結晶だったものを、利用可能な大きさまで成長させる手法も確立しました」
 テラヘルツ波の発生について説明しよう(図2)。「まず緑色レーザーをKTPという非線形光学結晶に入れ、パラメトリック発振によって周波数の異なる二つの近赤外線を発生させます。その二つを励起光として同時にDASTに入れると、その差分のエネルギーを持つテラヘルツ波が発生します。これは“差周波発生”という方法です。緑色レーザーをKTP結晶に入れる角度を変えれば、近赤外線の周波数が変わり、テラヘルツ波の周波数も変わります。緑色レーザーは可視光ですし、近赤外線は光通信帯で使われており、それらを扱う技術は確立されています。私たちは、開発の進んだ光波技術を駆使して光をリレーしていくことで、技術開発の遅れたテラヘルツ波の世界を開拓しているのです」
 現在、1〜40THz中の任意の周波数のテラヘルツ波を発生することができ、しかも1ミリ秒で異なる周波数に切り換え可能である(図3)。「間違いなく世界トップクラスの光源でしょう」と南出副TL。市販されているDASTを入手して追い上げを狙う研究グループに対しても余裕の表情だ。「ここには結晶をつくる専門のスタッフがいて、独自のノウハウで大きなDAST結晶をたくさんつくってくれます。また、結晶の表面を研磨する専門スタッフもいます。80歳を超えている大ベテランで、結晶を持っただけで、そのゆがみが分かります。私たちが世界トップを走っていられるのは、こうして支えてくださる人たちのおかげです」
 今後の課題は、1THz以下と40THz以上のテラヘルツ波も発生できるようにすることだ。しかし、なぜ広帯域にこだわるのだろうか。その理由を南出副TLはこう語る。「テラヘルツ波にはさまざまな分野から大きな期待が寄せられていますが、実際には、どの周波数が何に使えるのか、まだよく分かっていません。限られた周波数しか発生できないと、格好の用途を取りこぼしてしまう可能性があります。今は、すべての周波数をカバーする光源が必要なのです」
 テラヘルツ光が手付かずであったのは、検出が難しいことも一因だ。「夢の光源が実現しても、使い勝手の良い検出器がなければ応用は進みません。そこで、光源開発と並行して広帯域に対応した検出器の開発も行っています」。ほかではやられていない独創的な方法だが、発想は単純だ。光からテラヘルツ波を発生できるのであれば、テラヘルツ波を光に戻すこともできるはず……。光の領域なら、室温で使え、高感度で応答の速い検出器がすでにある。「テラヘルツ波をDASTに入れて発生した光を検出することで、間接的にテラヘルツ波をとらえるシステムを開発中です。夢の光源と検出器のセット、しかもテーブルトップサイズのコンパクトなシステムを、数年で完成させたいと思っています」

テラヘルツ波の発生
超広帯域波長可変テラヘルツ波光源


指紋スペクトルのデータベースを公開

 テラヘルツ光源研究チームは、応用に向けた準備も進めている。南出副TLが応用に欠かせないと考えているのは、物質の“指紋スペクトル”だ。テラヘルツ波を物質に照射すると、透過したり、吸収されたりする。どの周波数を吸収するかは物質ごとに決まっているので、物質がどの周波数のテラヘルツ波を吸収したか(吸収スペクトル)を見れば、物質を特定できる。吸収スペクトルは人物を特定できる指紋のようなものであることから、“指紋スペクトル”と呼ばれている。「テラヘルツ波で物質を判別するには、たくさんの物質の指紋スペクトルをあらかじめ調べておく必要があります。各研究機関ではそれぞれの研究対象について指紋スペクトルを調べていますが、そのデータを知っているのは多くの場合、内部の研究者たちだけ。誰でも自由に使える指紋スペクトルのデータベースが必要です」
 そこで研究チームは2007年、研究の過程で得られた実験試薬や生体分子など約200種類の物質の指紋スペクトルをデータベース化して公開した。「『Nature Photonics』(2008年2月号)にデータベース公開についての記事が掲載されると、世界中からとても多くのアクセスがあり、たくさんの反響を頂きました。皆さん、テラヘルツ波のデータベースを待ち望んでいたのです」
 2008年9月には(独)情報通信研究機構(NICT)が持っていた顔料のデータベースと統合して公開した(http://www.thzdb.org/)。「データベースは数だけでなく、種類が豊富であることも重要です。理研のデータは純化学物質であるのに対して、NICTのデータは顔料など絵画材料が中心なので重複が少なく、幅広いデータベースになりました。テラヘルツ波の統合データベースは世界初です」。データベースは誰でも利用可能で、キーワードで検索ができる。当初約500だった登録数は、約2000にまで増えた。研究チームでは、指紋スペクトルを調べる専門スタッフにより登録数の拡大を図っている。また、この統合データベースは新規データの登録が外部からもできるようになっており、世界標準テラヘルツデータベースを目指している。

応用範囲は無限大

 指紋スペクトルを使った物質の判別は、すでに実用化目前である。その一つが、税関での非破壊検査だ。テラヘルツ波は紙を透過するため、開封せずに指紋スペクトルから麻薬や覚醒剤などを発見することができるのだ(図4)。ほかにも、出荷前の作物の残留農薬を調べたり、食品中の混入物を同定することもできる。錠剤の製造過程で、本来必要な場所以外で薬剤が溶け出さないように、表面のコーティングが均一であるか品質チェックをすることも可能だ。
 「特に、半導体基板の品質検査への応用に注目しています」と南出副TL。“グリーンな社会”において、LEDやソーラーパネルなど半導体産業が担う役割は大きい。高性能な次世代半導体デバイスの開発のためには、より高精度に半導体基板の基礎特性を測定する必要がある。「テラヘルツ波を使うと、半導体基板の特性にかかわるキャリア密度と、その面内均一性を簡単に調べることができます。企業と共同研究を進め、実用化を目指しています。この測定では、テラヘルツ波の周波数を高速に切り換える必要がありますが、私たちが開発した広帯域波長可変テラヘルツ波光源ならば可能です」
 南出副TLは、テラヘルツ波の魅力をこう語る。「光と電波の両方の性質を持っているので、応用の範囲は無限大です。テラヘルツ波はまだまだ未知の領域。新しい光で見ると、必ず新しい現象が見えてくる。私たちがつくる夢の光源が発するテラヘルツ波でどんな世界が見えてくるのか、とても楽しみです。特に、水を調べてみたいですね」

指紋スペクトルを用いた郵便物中の薬剤の判別