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原酒
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ゲノム科学総合研究センターの10年と
生命科学のこれからを語る 和田昭允 初代センター所長×榊 佳之 センター長 |
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生命の“究極のデータ”をすべて取る
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――ゲノム科学総合研究センター(GSC)設立には、どのような背景があったのでしょうか。和田:私は細かく日記を付けているので覚えているのですが、1995年10月、科学技術庁ライフサイエンス課の漆原英二課長(当時)が、今後の生命科学の進め方について意見を聞きに来たのです。そこで、私なりの考えを話しました。 一流国家としての日本は、人類の知の蓄積と発信によって世界に貢献しなければいけない。1990年代に入って生命科学は大きく変わりました。それまでは分類や遺伝が中心でしたが、遺伝情報が書かれているゲノムの塩基配列を読めるようになり、生命を物質として見ることができるようになったのです。ゲノムは、4種類の塩基の配列で書かれています。それは何千年たっても朽ちない生命の“究極のデータ”です。ゲノムの塩基配列に限らず、DNAから遺伝子を読み取ったmRNAや、mRNAの情報からつくられるタンパク質の構造など、究極のデータは全部人類の共有財産として蓄積しておく必要があります。日本が一流国家であると誇りを持っているのであれば、そこはきちんとやるべきです。 そんな話をした1週間後、理研の横山茂之主任研究員から電話がありました。NMR(核磁気共鳴装置)を100台建設して、私たちの体を構成するタンパク質の基本構造を網羅的に解析する「NMRパーク」プロジェクトを立ち上げたいのだが、どう思うかと。ちょうど同じころ、東京大学物理学教室以来の仲間でもある理研の有馬朗人理事長から相談を受けたのです。その相談は、横山さんのタンパク質のプロジェクトと、理研の林 私は、生命の究極のデータであるゲノムを基礎として、cDNAとタンパク質を、情報科学も入れて総合的に研究しようと考えていました。すると、ライフサイエンス課長の藤木完治さん(現 文部科学省大臣官房審議官)が、“個体まで入れましょう”と言ったのです。GSCの研究対象を個体まで広げた功労者は藤木さんです。 そして1998年10月、GSCが設立されました。ゲノムから個体の表現形であるフェノームまでを包括する「オミックスペース」という総合的な視点から生命を解明する、それがGSCの基本戦略です(図1)。基本戦略がきちんとしていることは、とても重要です。基本戦略がきちんとしていれば具体的な戦術を多少間違えても修正できますが、基本戦略が間違っていたら、いくら優れた戦術でも敗れます。 榊:GSC設立の検討が始まった1995年、私は、ゲノム解読が生命科学の最重要課題であると考え、ヒトゲノム配列決定プロジェクトを始めていました。スタートは日本の方が早かったのですが、すぐに米英が力を入れ始めました。外国で解読してくれるのだったら、何も日本がやらなくてもデータをもらえばいいじゃないか、という意見もありました。しかし、これは間違いです。最先端分野では実際にデータを取った人にしか分からないさまざまなノウハウがありますし、研究者も生データを使えてこそ世界の一線にいられるのです。やはり、日本がゲノム解読をしなければいけなかったのです。 とはいえ、30億個の塩基配列を読んでいくのは大変なことです。私もゲノム解析を強力に推し進めることができるセンターが必要だと考え始めていたので、理研にゲノム科学の研究センターができることは大いに賛成でした。ゲノムの次にcDNAやタンパク質の解析が来るのも当然の流れだと思っていました。しかしゲノムの全体を読まないことにはゲノム科学は始まらないというのが、私の強い信念でした。 和田:当時、ゲノムを全部読んでも仕方がない、焦点を絞るべきだという考えの人もいました。一方で、必要なのはゲノムの解読だけで、タンパク質の構造解析は必要ないという人もいました。そういう人たちは、古い生物学にとらわれて、GSCの戦略の重要性に気付いていなかったのです。藤木さんをはじめ科学技術庁の先進的な方々が戦略をきちんと理解してくれたことは、GSCの実現にとって大きな力になりました。 榊さんがとにかくゲノム解読をやりたい、と言うのは当たり前なんです。林 |
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GSC最大の功績は基盤づくりと教育
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――GSCでは、どのような成果が出たのですか。榊:ヒトゲノムの解読では、日本は全体の約6%を担当しました。米英に比べて貢献が少ないという指摘もありますが、染色体の中で2番目に長い21番染色体を日本が主導して解読するなど、大きな貢献をしたと思います。これは、染色体全体の解読としては世界で2番目であり、世界にGSCのプレゼンスを示した点で、GSCの成果としてもとても重要な位置を占めるものです。 和田:日本として最大限の貢献をしたことは明らかです。ところで、ヒトゲノム解読にはセレラ・ジェノミクス社のクレイグ・ベンター社長が殴り込んできましたよね。それについては、どう評価していますか。 榊:1990年代に入って、ゲノムの塩基配列を読む技術と情報科学が急激に発達しました。それを組み合わせれば、日・米・英・仏・独・中国が参加する「国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアム」とは違う方法で情報を読み取ることができるのではないかと、ベンターは考えたのです。その大きなチャレンジは、高く評価しています。 ゲノム全体をざっと見て、創薬に役立つなど面白そうなところに焦点を当て、いち早く特許に結び付けようというのが、ベンターの戦略です。しかし国際チームは、医学・生物学の基盤データとしてできるだけ正確に解析しなければいけないという基本スタンスを取っていました。それは、1996年のバミューダ会議で、徹底的に議論をして決めたことです。しかし、ヒトゲノムの解析データを人類共通の財産として守るため、国際チームも一時的にドラフト配列解読に切り替えることにしました。そして2000年6月、ヒトゲノムのドラフト配列を発表し、ベンターとの解析競争に決着がついたのです。 学問は積み重ねであり、その土台がいいかげんでは、次の発展はありません。実際、ゲノムの“究極のデータ”が出たことで、薬の副作用の有無や病気のなりやすさを予測できる遺伝子多型の研究や、タンパク質をつくる情報を持たないRNAがたくさん存在するという林 和田:あまり知られていませんが、最近話題になっている京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発でも、林 GSCには六つのグループがあり(図1)、それぞれが大きな成果を挙げています。すべてを紹介することはできませんが、例えば「タンパク3000プロジェクト」は、巨額な予算を使う大型事業に対しての近視的な批判などが国内ではありましたが、国際的にはとても評価されています。 榊:「タンパク3000プロジェクト」の原型は、1995年に横山さんが提案した「NMRパーク」です。タンパク質の基本構造を調べることで、その機能を明らかにしようという発想は、当時、世界で誰も持っていませんでした。世界の考え方を変えたと思いますね。その後、米国が約1万種類の基本構造の解明が必要だと推定し、国際協力で進めることになったのです。当時、ヒトゲノムの解析で日本は後れを取っており、全体の3分の1の貢献を目指さなければ、タンパク質の研究でも決定的な後れを取っていたでしょう。実際に3000種類のタンパク質の構造を決めたことは大きな成果ですし、もう一つ大事なのは、タンパク質の構造解析の技術基盤を日本が確立したことです。 大学の研究者は個々の興味に基づいて研究を進めます。それは素晴らしいことです。しかし、ゲノムや遺伝子、タンパク質などの情報基盤がなければ、研究の次の発展ができないという状況になっています。iPS細胞の開発や、病気の原因遺伝子の発見といった成果は華々しく、社会からも注目されます。しかし、基盤がなければその成果はなかったことを、ぜひ認識していただきたいと思います。最近は、すぐ成果が出そうな研究にばかり予算が付く傾向があります。基盤づくりは地味ですが、その手当てをおろそかにしてしまうと、数年はよくても次の発展はありません。 和田:もう一つ、生命科学の現場を多くの若い研究者に体験させることができた教育効果は大きいと思います。GSCで育った若い研究者が、ほかの研究機関や大学で活躍しています。 |
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GSC終了。しかし基本戦略は変わらない
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――GSCは2008年3月で終了します。今後は?
榊:GSCという組織はなくなりますが、ゲノム科学としては“ゲノムサイエンス・リサーチ・コンプレックス”といったバーチャルな形で、オミックスペースの考え方を受け継いでいきたいと考えています。 和田:基本戦略は変わらずにきちんとしていますから、GSCがなくなっても何も心配していません。“ゲノム科学は終わった”と言う人がいますが、ゲノム科学は終わっていません。だからこそ、コンプレックスといった形でGSCで培った連携を保ち、日本のゲノム科学を世界に発信していかなければならないと思っています。ただし、GSCという名前は世界で認められているので、その名前は残したいですね。 榊:今、ゲノム科学は次のフェーズに向かって大きく発展しつつあります。個々の階層の研究からそれぞれをつなぐシステムとしての学問に移りつつあるのです。まさに、オミックスペースです。GSCの終了後、林 もう一つ大事なのが、情報科学です。各階層から出てくる情報は大量・多様ですから、その中から本当に意味がある情報を整理して取り出す、あるいは関連づけていくためには、情報科学が不可欠なのです。そこで、GSCの豊田哲郎さんを部門長とする「生命情報基盤研究部門」が新たに立ち上がる予定です。 和田:私はGSCの設立当初から情報科学を入れないといけないと、強く主張しました。しかし、情報はデータが出てからでいいだろうということで、情報科学グループの出発が2年遅れたのです。これは致命的でした。出てきたデータを単に解析するのではなく、どういうデータを出すかというところから参画していかないといけないのです。それは、これからも変わりません。 ――生命科学は、どう進んでいくとお考えですか。 和田:私は以前から、“生命科学は精密かつ定量的な科学に変わる”と言ってきました。すでに、そうなっています。もう一つ、“物質科学と生命科学は必ず融合する”とも言ってきました。生命も物質の一部として理解できるようになると、生命を参考にナノ機械をつくったり、ナノ機械を使って生命を観察することもできるようになるでしょう。 榊:生命科学の世界では、解けそうでまだ解けていない問題がたくさんあります。例えば、生命はいろいろな環境のもとで、それを乗り越えて進化してきたという長い歴史があります、和田先生がおっしゃる生命戦略です。断片的には分かってきましたが、全体としてとらえることは、これからの生命科学の大きな課題でしょう。 もう一つは、分かってきた生命の仕組みを応用することが重要になってきます。医薬への応用もありますが、脳の仕組みを使ったコンピュータなど、私たちの生活の中のさまざまな技術に生命の仕組みを応用していくことを考えるべきでしょう。 和田:細胞の1個1個にはゲノムがあり、生物が38億年生きてきた生命の戦略書が、その中に全部入っています。それを読み解くことが、生命科学の究極の目標です。 榊:そのためには、生物種を横断的に広く見ることが必要になりますね。配列の解析も早くなりましたが、もっとスピードが要求されます。そして繰り返しになりますが、情報科学をベースに置いた生命科学が重要になってくるでしょう。 和田:理研が整備中の次世代スーパーコンピュータも重要になるでしょう。もう一歩踏み込んで言えば数学。ネットワーク理論やカオス理論まで見据えないと、生命科学の発展はないでしょう。 ![]() |
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若い人は思い切ったチャレンジを
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――若い研究者へのメッセージをお願いします。
榊:今の日本は世界の中で少々意気消沈しているように見えます。日本には長年積み上げてきたとても強靱な基盤があります。だから、科学でもiPS細胞のように突出した研究成果が出てくるのです。一方で、私たちが持っている生命科学の知識は非常に限られたもので、まだ私たちの知らない広大な世界が広がっています。若い人には、何も心配することなく、新しいチャレンジをしていただきたい。国内で小さくなっていないで、世界に飛び出して、国際的な共同研究などを活発に進めてほしいですね。 和田:そう、生命は複雑なんです。若い人には、ぜひ思い切ったことをやっていただきたい。 ――最後に、理研はどうあるべきだとお考えですか。 榊:理研には、国の最先端の技術や科学を開発していくという使命があります。これは今までの実績を見ても、まったく問題ありません。しかし、一方で、日本には大学という巨大な頭脳集団があります。理研は、大学の頭脳集団とリンクし、互いに活性化させながら研究を進めていくことが、これからますます大事になってくるでしょう。 和田:私は三つあります。一つ目は、大学のできないことを大学と共同してやっていただきたい。二つ目は、国家の研究組織として世界にお手本を示していただきたい。三つ目は国家の研究組織として、大学とは一線を画した立派な研究者を育てていただきたい。昔の理研はそうでしたから。 ――ありがとうございました。■ ![]()
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化学反応の本質を見る
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「今の研究に進んだのは、東北大学1年生のときに受けた尼子義人(あまこ よしと)教授の量子化学の講義に触発されたからです」と、鈴木主任研究員は振り返る。量子化学とは、ミクロの世界を説明する量子力学に基づいて分子の構造や化学反応を解明する研究分野だ。「普通、量子化学を学ぶのは3年生くらいからですが、尼子先生は高校を卒業したばかりの私たちに、いきなり量子化学を教えたのです。難解で講義についていくのがとても大変でした。何人の学生が食らい付いてくるか試している感じでしたね。私は下宿に帰ると講義のノートを清書し、そこに自分で調べたことを書き加えていきました。そのようにして一歩ずつ読み解いていったのです。するとそこには、化学は論理的なものだ、ということがはっきりと示されていました」
こうして鈴木主任研究員は、化学反応の仕組みを解明する研究を志した。「尼子先生は1年生の私たちに、“君たちには教科書はない。なぜならば、君たちが教科書をつくる立場の人たちだからだ”と言われました。その言葉がずっと心に残っています」 |
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真空中で分子を衝突させる
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現代の化学でも、化学反応の詳細な仕組みを理解することは容易ではない。「それは、分子の形や化学反応の過程を、直接見ることが難しいからです」と鈴木主任研究員は指摘する。分子の大きさは約1億分の1mと極めて小さく、化学反応は1兆分の1〜1億分の1秒ほどの極めて短時間に起きる現象である。「私たちは、化学反応の過程をできる限り目に見える形にして、その仕組みを理解しようとしています」多くの化学反応は、分子AとBが衝突してCとDができる、というものだ。その全過程を時々刻々と観察できる手法は、いまだに存在しない。そのような観測を行うには、化学反応が起きる時間スケールである1兆分の1秒以上の精度で、AとBを衝突させる必要がある。「しかし、そのような技術は世の中に存在しないのです」 1950年代、化学反応の過程を詳しく調べるために、真空中で二つの分子を衝突させ、生成された分子がどの方向に、どのくらいのスピードで散乱するのかを観測する「交差分子線散乱法」の開発が始まった。そして1969年、当時、米国ハーバード大学の教授だったDudley(ダドリー) R. Herschbach(ハーシュバック)博士と李 遠哲(り えんてつ)博士(理研の国際的な外部評価委員会“アドバイザリー・カウンシル/RAC(ラック)”委員)が、衝突により生成した分子の散乱方向とスピードだけでなく、その質量を測って、どんな分子が生成したかを推測できる装置を完成させ、化学反応を詳しく調べることが可能になり始めた。この業績により、両博士には1986年にノーベル化学賞が贈られた。 「化学反応は主に気体や液体の中で起きます。例えば水溶液中では、化学反応する分子のまわりにたくさんの水分子があり、化学反応に大きな影響を与えます。ただし、化学反応を理解する第一歩としては、水分子のような“脇役”を除外して、“主役”の分子だけに注目した方が分かりやすい。そこで、脇役のいない真空中で主役の分子同士を衝突させ、生成された分子が散乱する様子を調べようというのが交差分子線散乱法です。それは、生成された分子が散乱する様子からさかのぼって衝突の瞬間に起きた化学反応を推測する、いわば“化学反応の記憶をたどる”手法です」 ただし、従来の交差分子線散乱法では、生成された分子がどのように振動・回転しながら散乱するのかは観測できなかった。その意味で、反応を解き明かす情報は不十分だった。 1992年、鈴木主任研究員は交差分子線散乱法にレーザー分光法を取り入れることで、分子の振動や回転も観測できる「交差分子線散乱イメージング法」の開発を始めた。「観測データを米国の科学雑誌『Science』に発表できたのは、2001年です。装置の開発に10年近くかかりました(図1)」 活性酸素原子と重水素化メタンの化学反応の観測例を紹介しよう。この化学反応には二つの経路があり得る(図2)。一つは、酸素とメタンが融合したメタノール型中間体がつくられ、そこからメチルラジカルとODラジカルという分子に分かれる経路(挿入型メカニズム)。もう一つは、酸素がメタンから水素を引き抜くことで、メチルラジカルとODラジカルができる経路(引き抜き型メカニズム)だ。観測画像には、その二つの経路の化学反応の様子が反映されている。 「炭素1個に4個の水素が付いたメタンはピラミッド形、水素が1個少ないメチルラジカルは平面形をしています。メタンが活性酸素原子と衝突して水素を1個失うと、ピラミッド形から平面形に急に構造が変化してメチルラジカルが激しく振動するように思えますが、実際はそうなりません。メチルラジカルはほんの少しだけ振動し、大部分のエネルギーはODラジカルの振動のエネルギーとなることが、観測画像から分かりました。このように、レーザーを使って分子の衝突散乱を詳しく観測できるようになって初めて、化学反応が物理学的に解明できるようになったのです」 現在、このような詳細な観測ができるのは、世界でも鈴木化学反応研究室しかない。
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化学反応を引き起こす電子を見る
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鈴木化学反応研究室が進めているもう一つの研究の柱が、化学反応を引き起こす電子の動きをリアルタイムに追跡する「超高速光電子イメージング」による研究だ。「分子を構成するのは電子と原子核ですが、化学反応の主役は電子です。電子の運動の変化が化学反応の本質です」
ただし、前にも述べた通りAとBを衝突させてCとDができる全過程を、時々刻々と観測できる手法は現在のところ存在しない。そこで、AとBが結び付いた状態の分子に、化学反応が起きる時間スケールより短い10兆分の1秒(100フェムト秒)のパルスレーザーを当てて、CとDができる化学反応をスタートさせる。これはAとBが衝突するまでの過程を含まないため、「半衝突」と呼ばれる。この化学反応で重要な役割を果たす、分子の表面にある価電子を、パルスレーザーで分子の外へたたき出してスクリーン上に投影する。投影される電子分布には、化学反応を引き起こす電子の運動の変化が反映されている。 「この新しい実験のアイデアを温めていた1998年春、英国王立化学協会から翌年7月に開かれるファラデー会議に招待されました。事前に論文を提出して、当日に数分間講演した後、質問攻めに遭うという大変な会議です。その会議に面白い研究成果をぜひ持っていきたいと思いました。私は12月に装置を完成させ、研究室にあった分子を片っ端から測定しました。正月休み返上で実験を続け、やっと3月に面白い観測結果が得られたんです。でもその直後、熱が出て倒れてしまいました(笑)」 その面白い観測結果をもたらしたのは、ピラジンという分子だ。電子には地球の自転に似たスピンという運動量があり、上向きと下向きの2種類の状態がある。ピラジンに光を当てると、電子のスピンの向きが上向きから下向きへと反転する。すると、電子の運動エネルギーが下がり、電子の軌道が変化する。その下がった分のエネルギーが分子の振動エネルギーへ換わる。分子が分解するのはそれからずっと後だ。約100億分の1秒(100ピコ秒)以内に起きるこの電子の運動の変化を、鈴木主任研究員は時々刻々と観測することに成功した。このような観測ができるのも、鈴木主任研究員たちだけだ。その時間分解能は100兆分の1秒(10フェムト秒)のレベルに近づいている(図3)。 「大学院生のとき、ノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生の講演を聴きに行ったことがあります。その際に“良い研究をするには?”という質問が出て、福井先生は“分子を選びなさい”と答えられました。“私たちはあらゆる化学反応に共通する普遍的な法則を追求しているのに、分子を選べとは、どういう意味だろう”と、そのときは疑問に思いました。しかし、実際に研究をすると、知りたい情報や思ってもみなかったヒントをはっきりと与えてくれる分子と出合うことがある。その分子が教えてくれることに耳を傾け、徹底的に掘り下げる。そうすることが、実は化学の普遍的な法則を発見する近道なのです。化学は物質の多様性を相手にする学問であるが故に、突破口から深く掘り下げて、多様性の核にある本質に迫らなければならないのです」 現在の超高速光電子イメージング法では、分子の表面にある価電子をたたき出して見ている。「価電子は化学反応で最も重要な働きをしますが、分子の中の特定の原子のまわりの構造情報を得るためには、分子の深部にある原子核の近くの電子を観測することも必要です」 分子の深部にある電子をたたき出すには、波長が短く極めて強力なレーザーが必要だ。今、理研播磨研究所で建設中のXFEL(X線自由電子レーザー)ならば、そのような観測が可能となる。XFELにより、鈴木主任研究員たちは超高速光電子イメージング法をさらに発展させようとしている。
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水の中で機能するタンパク質の働きを理解する
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さらに鈴木主任研究員たちは、直径1万分の1mmという微小な液滴をつくり、その中で化学反応を引き起こしている電子をたたき出して観察することにも挑戦し始めている。
ここまで紹介した研究は、いずれも真空中での化学反応の観測だ。ただし、新しい化学物質をつくり出す研究のほとんどは、溶液中の化学反応を用いて行われている。また、私たちの体を構成しているタンパク質などの生体分子も、水の中でさまざまな化学反応を起こしている。化学反応のメカニズムを探る研究を、新しい化学物質の創造や生命科学の進展に役立てるには、溶液中の化学反応を探ることが必須だ。そして、化学反応の駆動力が電子運動である以上、溶液の中にある分子の電子運動をとらえなければならない。その測定を、微小な液滴を利用して実現するのだ。 鈴木主任研究員たちはその観測法を開発し、理研の物理や生物、コンピュータ・シミュレーションの研究者と連携して、水と生体分子の相互作用を探る研究プロジェクトを立ち上げた。「水の中で生体分子がどのように機能するのか、電子レベルで観測したいと考えています。生体内では、水分子はもはや脇役ではありません。溶媒分子と渾然(こんぜん)一体となったダイナミクスは、すごく難しいのですが挑戦しがいのある研究テーマです。それは生命現象の根幹にかかわることですから」 そして最後に、鈴木主任研究員は次のように夢を語った。「化学は、私たちの物質観や世界観をつくり上げていく大切な学問です。その化学を誰にでも分かるものにしたいのです。私たちの研究を通じて、化学の教科書をさらに魅力的なものに書き換えたいと思います」■ ![]()
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世界一のX線と分光装置で原子の
振動をとらえる |
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長さ10m、5トンの巨大分光装置
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理研播磨研究所にあるSPring-8のビームラインBL35XUの実験ハッチに入ると、長さ10m、重さ5トンの巨大な装置が現れる(図1)。
アルフレッド・バロン准主任研究員は、“X線非弾性散乱スペクトロメーター”と呼ばれるこの巨大な装置を持つビームラインをつくるため、1997年、SPring-8の管理・運営を行っている(財)高輝度光科学研究センターにやって来た。「3年くらいでビームラインを完成させて米国に帰るつもりだったのですが、日本での生活がずいぶん長くなってしまいました」と笑う。ビームラインに初めてX線を通すファーストライトは2001年。バロン准主任研究員はその後、X線非弾性散乱スペクトロメーターを用いた研究を続け、2006年からは理研放射光科学総合研究センターの准主任研究員としてバロン物質ダイナミクス研究室を率いている。 この巨大な装置でどんな研究をしているのだろうか。「私たちは、X線非弾性散乱スペクトロメーターを使って、物質中の原子の振動を見ているのです」とバロン准主任研究員は説明する。 物質にX線を照射すると、原子核のまわりにある電子に当たって散乱される。その散乱光の方向と強さを検出器でとらえることで、原子の位置が分かる。「結晶を解析すれば、原子が規則正しく並んでいる様子が見えてきます。そのような結晶中の原子は動かないと思っている方が多いかもしれません。しかし結晶中でも、原子1個1個はとても複雑に振動しています」とバロン准主任研究員は言う。結晶中の原子の振動は“フォノン(格子振動)”と呼ばれている。 「私たちは散乱光の方向と強さだけでなく、散乱光を分光してエネルギーがどのくらい変化したかを測っています。振動する原子に束縛された電子と入射してきたX線が相互作用して、散乱光の方向とエネルギーが変わります。その変化量から原子の振動の様子を知ることができるのです」 “X線非弾性散乱”とは、X線を入射したとき、物質との相互作用によって入射X線とは異なるエネルギーの散乱X線が出てくることをいう。エネルギーの大きさが変わらない場合を“弾性散乱”と呼ぶ。
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日本唯一、そして世界一のビームライン
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しかし、原子の振動をとらえるのは簡単なことではない。電子との相互作用で散乱光のエネルギーが変わるといっても、ほんのわずかだ。バロン准主任研究員は、「10キロ電子ボルト(keV)のX線を当てて変化するエネルギーの大きさは、その1000万分の1。原子の振動を見ようとしたら、1ミリeVの分解能が求められます」と解説する。「それを実現するために、私たちはさまざまな工夫をしています」
ここで、BL35XUのX線非弾性散乱スペクトロメーターの仕組みを紹介しよう。SPring-8では、1周1.5kmの蓄積リングの中を電子のかたまりがほぼ光速で回転しており、磁石の力で軌道を曲げられるとき、放射光を出す。BL35XUでは、“挿入光源”という磁石がたくさん並んだ装置を使って放射光のうちX線だけを増幅し、ビームラインに導いてくる。それは、世界最高輝度のX線だ。しかし、そのまま試料に当てるわけではない。「入射X線のエネルギーが精度よく絞られていなかったら、散乱によるエネルギーの変化はすぐに埋もれてしまいます」とバロン准主任研究員は言う。そこで、後方散乱分光器を用いて特定のエネルギーのX線だけを精度よく取り出し、アームの回転中心にセットした試料に当てている。 そして、試料から出てきた散乱光を、長さ10mのアームの先に設置されたアナライザー結晶に当てて分光する。「アナライザー結晶は、横に4個、縦に3個、合計12個並んでいます(図1左下)。原子の振動は縦、横、斜めとさまざまですから、縦横に並んだ結晶が威力を発揮するのです」。アナライザー結晶で分光された散乱光は、検出器でとらえられる。 アームが10mと長いのは、試料とアナライザー結晶が離れている方が、分解能が高くなるからだ。さらに、さまざまな角度で散乱してくるX線をとらえ、原子の振動を立体的に調べることができるように、アームの角度を55度まで変えることができる。 X線非弾性散乱スペクトロメーターを有する施設は、世界に3ヶ所ある。SPring-8と米国のAPS(Advanced Photon Source)、そして欧州のESRF(European Synchrotron Radiation Factory)だ。バロン准主任研究員は、「横4個、縦3個のアナライザー結晶を備えているのはSPring-8だけ。私たちのX線非弾性散乱スペクトロメーターは、総合的に見て世界最高性能」と断言する。
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超伝導のメカニズムに迫る
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現代物性物理学が注目する対象の一つが強相関物質である。強相関物質とは、電子間の相互作用が強く、物性に大きな影響を及ぼしている物質だ。「その理解には、フォノンの振る舞いを調べることが必要です」。バロン物質ダイナミクス研究室では、強相関物質である超伝導体をターゲットの一つにしている。超伝導とは、ある温度(超伝導転移温度:Tc)以下で電気抵抗がゼロになる現象をいう。「電子がフォノンと相互作用してフォノンの助けを借りながら動くことで、電気抵抗がゼロになると考えられています」とバロン准主任研究員は解説する。「超伝導体の結晶はとても小さく、そのフォノンのシグナルも非常に弱い。私たちはまず、超伝導を引き起こす電子とフォノンとの相互作用をとらえてみようと考えました」。超伝導体などの新規物質には、大きな結晶をつくることが難しいものもある。X線非弾性散乱スペクトロメーターでは、目に見えないくらい小さい0.1mmほどの結晶でも計測が可能だ。
図2は超伝導体MgB2(二ホウ化マグネシウム)を計測した例である。MgB2は2001年に青山学院大学の秋光純教授らによって発見され、転移温度が39K(−234℃)と、それまで発見されていた金属系の超伝導体の中で最も高いことから注目されている。「右側の小さなピーク(図2矢印)を見てください」とバロン准主任研究員。「普通の電気伝導では、電子はフォノンと関係なく動きます。ところが、いったん電子とフォノンが相互作用すると、フォノンのエネルギーが下がり、ピークの幅が広くなります。私たちはまさに、フォノンと電子との“会話”を聞くことに成功したのです」 それだけでも画期的な成果であるが、研究室の狙いはその先にある。最近では、100K(−173℃)を超えるような高い転移温度を持つセラミック系の超伝導体が次々と発見され、それらは“高温超伝導体”と呼ばれている。高温超伝導体は、電気抵抗による電力ロスがほとんどない送電線などへの応用が期待されている。しかし、「高温超伝導体のメカニズムは、まだ議論されている最中です。電子とフォノンの“会話”によって起きるのか、別のメカニズムなのか、分かっていません。原子の振動を調べることで高温超伝導体のメカニズムに迫ることが、私たちの目標の一つです」 研究室では、HgBa2CuO4+δ、YBa2Cu3O7-δ、 La2-xSrxCuO4などの高温超伝導体についても調べている。「高温超伝導体では、単純な理論では説明できないフォノンの異常がごく普通に観察されます。そのような異常は、もっと微細でより複雑なフォノンの構造を伴っているかもしれませんが、現状の装置で検出するのは難しいでしょう」 ![]() |
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金属から非金属への転移をとらえる
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研究室の二つ目のターゲットが液体だ。「石川大介 協力研究員を中心に、液体金属である水銀を使った研究をしています」とバロン准主任研究員。「液体金属は、電気が通る伝導体です。原子と原子が近くにあって電子の軌道が重なっていると、電子が隣の軌道に移ることができ、電気が流れます。ところが、温度を上げていくと、熱膨張によって原子と原子は離れていく。すると電子の軌道も離れて、電子が隣の軌道に移ることができなくなる。伝導体が絶縁体に変わる“金属―非金属転移”が起きます。そのとき原子の振動がどう変わるのか、それが謎だったのです」
水銀の温度と圧力を次第に上げていき、原子の振動を計測した結果が図3aである。「これは、世界で初めて金属―非金属転移に伴う原子のダイナミクスの変化をとらえたものです」 実は、SPring-8のBL35XUは固体の結晶の計測に最適化されており、液体については欧州のESRFでも同等の計測が可能だという。では、なぜSPring-8で世界初の成果が出たのだろうか。「水銀の金属―非金属転移は、液体―気体臨界点に近い高温高圧状態で起きます(図3b)。日本には、高温高圧液体のスペシャリストである京都大学の田村剛三郎先生がいます。彼が開発したガス圧縮式の高圧容器と高温高圧に耐えられるサファイア製の試料容器を使ったことが、成功のポイントです。ESRFには彼のようなスペシャリストがいません」 研究室では、超高圧における物質もターゲットの一つだ。「福井宏之 協力研究員が中心になって、地球内部における物質のダイナミクスを探ります。この研究は始まったばかり。これからが楽しみです」 ![]() |
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新たなビームラインに期待
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SPring-8のBL35XUには、“無類の性能を誇るビームラインを使いたい”と、世界中から研究者が集まってくる。しかし、バロン准主任研究員は現状で満足してはいない。「もっと優れたビームラインをつくりたい」と熱く語る。
「SPring-8はほかの放射光施設にはない可能性を持っています。それは長い挿入光源“長尺アンジュレータ”を使えること。挿入光源を長くするほど明るく強いX線を取り出すことができます。APSとESRFでは5mまでですが、SPring-8ならば30mのものを置くことができます」 長尺アンジュレータの導入とほかの装置の最適化によって、ビームラインの性能は50倍になると予想されている。それにより、現在は1ヶ月かかる計測が1日で可能になるだけでなく、新しい物理を開拓することができるだろうと、バロン准主任研究員は期待している。「例えば、先ほども触れた強相関物質の複雑なフォノンの振る舞い、そして物質の表面での原子の動き。それらは新しいビームラインでなければ見るのは難しいでしょう。それから原子振動ではありませんが、電子励起を高分解能のX線非弾性散乱で測定し、強相関物質の持つ複雑な電子構造を解明すること。これはまだどこでもやられていない実験です。ぜひやってみたいですね」 日本には魅力的な光と装置がある。バロン准主任研究員の日本滞在はまだ続くことだろう。■
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――原発性免疫不全症は、どんな病気ですか。
竹森:免疫機能に関連する遺伝子の変異、欠損を原因として発症する病気です。免疫応答に関係するT細胞やB細胞、食細胞などの減少や機能不全により、免疫力が低下して細菌やウイルスに感染しやすい状態“易感染(いかんせん)性”となり、若くして悪性腫瘍や自己免疫性疾患、アレルギーなどの合併症を引き起こす場合も多く認められます。これまで120以上の原因遺伝子が見つかっていますが、原因不明のケースも多数あります。日本には現在、約1万人の患者さんがいると推定されています。 |
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――治療方法はありますか。
竹森:原因遺伝子が確定している場合、病型に対応した静脈注射用ヒト免疫グロブリン(IVIG)製剤の補充や骨髄移植などにより、予後は改善されます。従って早期診断、早期治療が重要です。原因遺伝子が不明の場合、感染への対症療法が主体となります。これらの対応に厚生労働省が難治性疾患克服のための調査研究班を組織して改善を図っているところです。 |
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――センター開所の経緯を教えてください。
竹森:2006年に RCAIは、厚生労働省の調査研究班である富山大学など全国の13大学、(財)かずさDNA研究所と共同研究契約を結びました。そして2007年、RCAI内に迅速かつ正確な診断のための総合データベースを構築し、またDNA・免疫解析方法の一元化を行い、さらには匿名化された患者さん由来材料の管理システムを確立しました。この研究体制が「ジェフリー・モデル基金(JMF)」から高く評価されたのです。その結果、JMFの支援を受け、わが国初となる「ジェフリー・モデル原発性免疫不全症診断・研究センター」を設立することができました。JMFは理事長のモデル夫妻が、この病気のために15歳で亡くなった息子のジェフリーを悼(いた)み、同じ病気に苦しむ人たちのために1987年に設立した基金です。 |
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――センターの役割について教えてください。
竹森:わが国の免疫研究の拠点となっているRCAIの免疫、遺伝子、血液およびバイオインフォマティクスの基礎研究力と、病気の診断治療を専門とする国内組織の総力とを結集させて、迅速かつ正確な診断、適切な治療法の確立、病態の解明を目的とするための基盤研究を行い、診断と治療のための総合データベースのさらなる充実を研究班と協力して進めます。日本では症例が散在し、臨床情報とDNA解析をはじめとする免疫学的診断解析の結果をリンクさせたデータベースがなかったのです。 また、本センターの活動とリンクして、病態発症と治療効果を予測するデータベースを構築する目的で、この分野で優れた業績を挙げているインドのバイオインフォマティクス研究所のスジャータ・モーハン博士がRCAIに参加し、ユニットリーダーとして共同研究を行っています。さらには、世界各国に展開しているほかのジェフリー・モデル原発性免疫不全症診断・研究センターと協力し、病気の根治治療を目指します。■ |
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※本センター設立について、読売新聞・朝日新聞・日経産業新聞・日刊工業新聞(1/16)など多数の新聞に掲載された。
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平成20年度一般公開のお知らせ
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北大電子研と「分子情報生命科学」を推進
〜初の連携研究室型の協力協定〜 |
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理研中央研究所と北海道大学電子科学研究所(北大電子研)は、連携研究室型による「分子情報生命科学」の推進に関する協定を、2007年12月13日に締結しました。両者が持っている先端研究の高いポテンシャルを相互に活用し、共通のテーマである「複合領域ナノサイエンス」研究を展開するとともに、将来にわたり、新しい研究領域・研究分野の開拓やその推進を担う人材の育成を目指します。 今回の連携の特徴は、理研内に大学の研究室「北大電子研連携研究室」を開設するという方式で、理研では初の試みです。この連携研究室は、長田義仁特任顧問がリーダーを務める理研分子情報生命科学特別研究ユニットと協力して、金属のような「ハード&ドライ」な材料ではなく、生物運動のようなしなやかさと生体適合性、自律応答性を持った「ソフト&ウエット」なバイオ運動素子とその材料系を創製し、生体組織代替運動システムにまで応用することを目的とした共同研究を行っています。連携研究室で生まれた研究成果は北大電子研にフィードバックされます。また、この連携により双方の人材交流や研究機器などの共同利用が進み、理研の活動力が増すものと期待されています。 ![]() |
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新准主任研究員紹介
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追悼 宮島龍興先生
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昨年11月29日、第53回仁科記念講演会(仁科加速器研究センター 森田浩介准主任研究員:新元素の探索)が開催された理研鈴木梅太郎ホールを訪れたとき、宮島龍興(たつおき)先生が亡くなられ、ご家族だけの葬儀が今日あった、と告げられた。私はしばし呆然(ぼうぜん)としていたが、思い浮かんでくるのは半年前の伏見康治先生の白寿の会でお目にかかった先生のお元気な姿ばかりで、その知らせを俄(にわ)かには信じられなかった。戦前、宮島先生が理研の仁科研究室で中間子理論の研究をしておられたころ、病床から仁科芳雄先生に報告された手紙が2通、昨春刊行の『仁科芳雄往復書簡集』(みすず書房)に掲載されている。仁科先生の門下生は非常に多いが、その書簡集に手紙が掲載されている方はわずかなので、白寿の会で“病気をされて得しましたね”と言うと、宮島先生はうれしそうに大笑いされた。その笑顔に、もうお目にかかることもないのかと、無常感に浸りながら森田さんの講演を聴いていた。先生は戦後理研を去り、1980年、第5代理事長として理研に戻ってこられたが、理事長として挙げられた業績は先生を「理研 中興の祖」と呼ぶにふさわしいものであった。理研は1917年、ドイツの16に分かれた研究所群からなるカイザー・ヴィルヘルム研究所をお手本として設立された。1921年、理研所長に就任された大河内正敏先生は主任研究員制度を設立され、栄光の理研が誕生した。しかし敗戦後、株式会社科学研究所に替わり、1958年、特殊法人の理研に戻ったが、長い苦難の道が続いた。そして20年余の後、理事長に就任された宮島先生は、まず筑波に遺伝子組換え研究施設(P4施設)を建設し、さらに兵庫県播磨科学公園都市に大型放射光施設SPring-8を建設することを決断して、1917年に掲げられた日本全国に研究所群設立という理想を初めて実現された。 先生が就任されたころの理研は研究室人事が停滞し、労働組合が研究者は皆平等と主張するような、ピョートル・カピッツァの「研究所50年」説を実証しかねない状況にあった。先生は「研究室の自治は守るべきであるが、研究業績は成果も失敗も評価すべきこと、研究業績のない者は主張する権限はないこと」(『理研精神八十八年』)というお考えのもとに、研究室の自己評価システムとしての「研究室レビュー」制度、さらに研究者の任期制研究システムとしての「フロンティア」制度など、日本で初めての革新的な研究制度を創設された。その結果、先生がまかれた種がやがて芽をふき、花を開き、現在の大研究所に発展したのである。 1944年、仁科研究室に入った私はまだ主任研究員として研究室に在籍していたが、請われてお手伝いすることになった。先生は広い知識と深い洞察力を持ち、些事(さじ)はすべて部下に任せて大所だけをつかむという、まさに将の器(うつわ)の方であった。そして、先に述べたように数々の業績を挙げられたが、先生が8年間の理事長時代に遭遇された現実は、組合問題から放射線騒動による2ヶ月間研究停止に至るまで、難しい局面の連続であった。しかし、先生が些(いささ)かも動ぜず、平然として、それらに対処される姿を見て、傍(かたわ)らにいた私はその強靭(きょうじん)な精神力に、ただただ感嘆したことを覚えている。その一面、常に笑みをたたえ、母上が亡くなられたとき涙を流されたような心優しい先生であり、また歌舞伎をこよなく愛し、閑(ひま)を見つけては立ち見席で一幕物を見て、楽しそうに感想をもらされる趣味豊かな先生でもあった。 謹んでご冥福をお祈り致します。 ■ |
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