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新しい動作原理のナノデバイスをつくる


難問「感覚受容体の構造解析」に新戦略で挑む

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新しい動作原理のナノデバイスをつくる


集積回路中のトランジスタなどの素子をどんどん小さくして、より多く集積することで、パソコンや携帯電話の性能は急激に向上している。しかしそれも近い将来、頭打ちになるかもしれない。素子をさらに小さくしていくと、ミクロの世界を支配する量子力学の現象が現れ、素子が従来の動作をしなくなってしまうからだ。石橋極微デバイス工学研究室は、そのような量子力学の現象を逆に利用することに挑戦している。新しい動作原理のナノデバイスをつくり出し、従来のエレクトロニクスの限界を超えていこうとしているのだ。「ナノエレクトロニクス」という新しい研究が、世界中で始まろうとしている。


石橋幸治  ISHIBASHI Koji
コメント01


ミクロの世界で現れる新しい現象
 「何か小さいものをつくって、その物理を探れ」。1980年代半ば、大学院で電子工学を学んでいた石橋幸治主任研究員は、指導教官からこのように研究の方向性を指し示された。「当時は、ナノテクノロジーという言葉もなく、小さいものをつくれば何か新しい現象が見つかるのではないか、そう漠然と言われていただけで、研究も今ほど盛んではありませんでした。しかし私の恩師は、何か起きそうだと直感したのでしょう」
 こうして石橋主任研究員は、ものを小さくしていくことで初めて現れる現象を見つけ出し、その現象を利用した新しい動作原理のナノデバイスをつくる研究に取り組み始めた。


電子を1個ずつ操る単電子トランジスタ
 現在、注目されている新しい動作原理のナノデバイスの一つに、単電子トランジスタがある。現在のトランジスタに流れる電子の数は約10万個。それに対して単電子トランジスタとは、たった1個の電子をコントロールすることで、新しい機能を実現しようというものだ。
 単電子トランジスタでは、ゲートに電圧をかけると、ソースから「量子ドット」へ電子が飛び移ろうとする(図1左)。ただし、量子ドットには電子は1個ずつしか入れない。量子ドットには、1個から複数個の電子が極めて小さな空間に閉じ込められているが、ソースから電子が1個入ってくると量子ドット内の狭い空間に閉じ込められた電子同士のマイナス電荷の反発力(クーロン力)がその分強まり、さらにもう1個の電子が量子ドットに飛び移ってくるのをブロックしてしまうからだ。これを「クーロンブロッケード現象」と呼ぶ。もう1個の電子を量子ドットに入れるには、ゲートにさらに強い電圧をかける必要がある。
 クーロンブロッケード現象を実現させるには、量子ドットを極めて小さくつくらなければならない。しかも量子ドットのクーロン力は大変小さいので、従来の微細加工技術で作製できるサイズのデバイスでは極低温でしかクーロンブロッケード現象が現れない。「私は1990年代半ばから、半導体で単電子トランジスタをつくる研究を始めましたが、クーロンブロッケード現象が現れるのは、1K(約−272℃)以下に冷やしたときだけ。これではデバイスの実用化はできません。現在でも半導体の微細加工で実現できる最小の線幅は、20nm(1nmは10億分の1m)ほど。もっと量子ドットを小さくしないと、室温程度の高い温度でクーロンブロッケード現象が現れないのです」
 1996年、オランダ・デルフト工科大学の研究グループが、直径1nmほどのカーボンナノチューブを量子ドットとして用い、単電子トランジスタをつくることに成功した。「実は当時、私はその研究グループに留学していました。カーボンナノチューブで単電子トランジスタができるとは誰も考えていなかったのですが、研究室の学生がやってみたら、クーロンブロッケード現象を示すきれいなデータが取れたのです。これはいいと思い、私もカーボンナノチューブを使った研究を始めました」
 カーボンナノチューブは、炭素からなる極細のチューブだ。「その直径は約1nmですが、長さは1μm(1000分の1mm)以上あるので、半導体の微細加工技術を使って電極を配線することができます。これまでに私の研究室では、カーボンナノチューブを用いて、20〜30Kでクーロンブロッケード現象を実現することに成功しています(図1右)。室温でも現れるという研究報告もあります」
 2003年、石橋主任研究員たちは、カーボンナノチューブ単電子トランジスタを2個用いて、現在、半導体デバイスの主流となっているCMOS(シーモス)インバーターと同様の機能を持つCMOS型単電子インバーターをつくり、動作させることに世界で初めて成功した(図2)。「この研究は、私たちの予想以上に、世界中から大きな注目を集めました」
 なぜ、大きな注目を集めたのか。一つには、たった2個ではあるが、カーボンナノチューブ単電子トランジスタを初めて集積してデバイスとしたことだ。
 集積回路は、半導体チップの上に、トランジスタなどの素子をどんどん小さく、たくさん集積することで性能を向上させてきた。しかし、そのような微細化による性能向上も限界が近いといわれている。従来の素子をどんどん小さくしていくと、量子力学の効果が大きくなり、今までの動作原理で機能しなくなってしまうからだ。また、集積回路を微細化するほど、単位面積当たりの発熱量が大きくなり、正常に動作しなくなる。これも大問題だ。
 単電子トランジスタは、小さくすればするほど、室温に近い温度で機能する。また、1個の電子を操る単電子トランジスタは究極の省エネ型素子であり、発熱の問題も解決できる。石橋主任研究員たちは、カーボンナノチューブ単電子トランジスタを用いてCMOSインバーターという具体的なデバイスの機能を実現することにより、単電子トランジスタが現在のエレクトロニクスの限界を超えられる可能性を示したのだ。

図1 単電子トランジスタ

図2 単電子トランジスタを用いたCMOSインバーター

人工原子でテラヘルツ光をとらえる
 原子と量子ドットは、どちらも電子を狭い空間に閉じ込めている。その意味で、量子ドットは人工原子と見なすこともできる。原子は性質が決まっているが、人工原子は性質を自由に変えて、デバイスに利用できる可能性がある。
 光はフォトン(光子)からできている。原子に紫外線やX線などエネルギーの高い光を当てると、光の最小単位であるフォトンのエネルギーを吸収して、電子が飛び出す。一方、カーボンナノチューブ人工原子では、エネルギーの低いテラヘルツ光のフォトンで電子が飛び出すように設計することができる。2006年、石橋主任研究員たちは、カーボンナノチューブ人工原子でテラヘルツ光を検出することに成功した(図3)。
 テラヘルツ光は、可視光と電波の間に位置する、周波数1テラヘルツ(波長0.3mm)前後の光である。適度にものを透過したり、吸収される性質があり、封筒の中に隠された違法薬物を見つけ出したり、がん細胞と正常細胞を見分けるなど、さまざまな検査法・診断法への応用が期待されている。しかしテラヘルツ光は、従来の光の技術でも、電波の技術でもうまく扱えない。特に、感度の高い検出器の開発が遅れている。現在、普及している「ボロメーター」という検出器は、テラヘルツ光がシリコンに当たったときに発生する温度上昇を、電気抵抗の変化として検出するもの。しかし、この原理では感度に限界がある。一方、石橋主任研究員たちのデバイスは将来、1個のフォトンを検出できる、つまり究極の感度を実現できる可能性がある。
 「この研究成果を発表したところ、電波天文学の研究者からも問い合わせがありました」。テラヘルツ光は、天文学でも未開拓の観測領域となっている。現在、テラヘルツ光の一種であるミリ波・サブミリ波を観測する巨大電波望遠鏡ALMA(アルマ)が日米欧の国際協力により南米・チリに建設中で、銀河や惑星系、生命の起源の解明を目指している。将来、カーボンナノチューブ人工原子の検出器で、天文学上の大発見がもたらされるかもしれない。

図3 テラヘルツ光の検出器

量子コンピュータを目指す
 「電子1個を完全にコントロールできれば、量子コンピュータが実現できます」。量子コンピュータは、現在のスーパーコンピュータで何千年もかかってしまう素因数分解などの計算を、わずか数十秒で完了できると期待されている。その基本素子を「量子ビット」という。現在のコンピュータは、1個のビットに“0”あるいは“1”を入力し、それを操作して計算を行う。一方、量子ビットは、1個の量子ビットに、例えば“0”の確率が30%、“1”の確率が70%と入力する。このように“0”と“1”の状態を同時に実現することを、「量子重ね合わせ」という。
 現在、さまざまな材料・アイデアで量子ビットをつくる研究が行われており、石橋主任研究員たちは、カーボンナノチューブ人工原子の電子スピンを利用する研究を進めている。電子スピンとは地球の自転に似た運動量で、右回り(アップ)と左回り(ダウン)の2種類の状態がある。例えばアップを“0”、ダウンを“1”に対応させるのだ。
 石橋主任研究員たちは、カーボンナノチューブ人工原子に磁場をかけて、1個の電子のスピンがアップとダウンになる状態を別々につくり出すことに成功した。「さらに、アップの確率を30%、ダウンの確率を70%と、任意の確率で量子重ね合わせをしなければいけません。それが難しいんです。世界でも、成功している研究グループはごくわずかです」
 その数少ない研究グループの一つが、理研フロンティア研究システム 単量子操作研究グループの巨視的量子コヒーレンス研究チーム(蔡 兆申(ツァイヅァオシュン)チームリーダー)だ。このチームでは、超伝導素子(ジョセフソン素子)を用いて量子ビットを実現し、量子コンピュータの研究で世界のトップを走っている。「量子コンピュータで計算するには、量子ビットを何回も操作する必要があります。しかし量子重ね合わせの状態はそれほど長く続きません。超伝導素子でも、当初、期待されていたほどには持続時間が長くないようです。カーボンナノチューブ人工原子は、量子重ね合わせが長時間持続するのではないかと期待しています」



気分は1948年
 カーボンナノチューブを用いて数々の研究成果を挙げてきた石橋主任研究員だが、「5年後には、カーボンナノチューブに代わる別の材料を使っているかもしれません」と言う。「カーボンナノチューブでデバイスをつくるのは大変なんです。例えば単電子トランジスタを10個つくっても、うまく動くのは1個くらい。まだ偶然にできている段階なんです」
 さらに石橋主任研究員は、「私の気分は1948年です」と続ける。トランジスタが発明された年だ。「トランジスタも当初、真空管の代わりになると期待されましたが、すぐに壊れるので実用化は難しいともいわれました。やがて材料がゲルマニウムからシリコンになり、集積回路が発明されて、現在の性能に発展するまで、60年近くかかっているわけです。カーボンナノチューブ単電子トランジスタは、トランジスタでいえば、まだ1948年の段階。これからは、半導体ナノワイヤなどほかの材料も試してみるつもりです。とにかくいろいろな材料で小さなものをつくり、何が起きるか探っていきたいと思います」


恩師、難波 進
図4 難波進博士(右端) 2007年4月、半導体工学のパイオニア、難波進博士(図4、理研名誉研究員、大阪大学名誉教授)が亡くなった。大学院時代、石橋主任研究員に、「何か小さいものをつくって、その物理を探れ」と研究指針を与えた指導教官、それは難波博士だった。
 「スケールの大きな先生でした。時代の先を読む直感力がすごかったですね。光変調、ルビーレーザーの発振、半導体へのイオン注入、エキシマーレーザーリソグラフィー、放射光リソグラフィー、……。すべて難波先生がいち早く取り組み、切り拓いた分野です。先生は学生に“おれが分かるような研究はするな”と言うんです。“そうしないと研究室で新しいことは生まれない”と。細かいことは言わず、こっちの方向に走ってみろと指し示す。お酒が好きでね。つい最近まで、理研にもよく遊びに来られていたのですが……」
 石橋主任研究員は、パイオニア精神を受け継ぎ、恩師が指し示した方向へ、これからも走り続けていくことだろう。

(取材・執筆:立山 晃)









関連情報






特許第3656152号「量子コンピュータにおける量子ビット素子構造および量子相関ゲート素子構造」






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難問「感覚受容体の構造解析」に
新戦略で挑む


私たちは目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器を使って、どのように外界から情報を受け取っているのか……。分子シグナリング研究チームは、その仕組みを感覚受容体の構造を調べることで明らかにしようとしている。しかし、感覚受容体のように細胞膜に埋まっている膜タンパク質の構造解析は難しいとされている。中でも、真核生物由来の膜タンパク質の構造解析は困難を極め、「構造生物学のチャレンジングなテーマの一つ」といわれている。しかし、分子シグナリング研究チームには確かな勝算がある。その新戦略を山下敦子チームリーダーに聞いた。


山下敦子  YAMASHITA Atsuko
コメント02


構造を明らかにして仕組みを知る
 山下敦子チームリーダーが分子シグナリング研究チームを立ち上げたのは2006年4月。研究ターゲットは“感覚受容”と決めた。「感覚受容というと難しく感じられるかもしれませんが、私たちがどのように外界から情報を受け取っているのか、その仕組みを知りたいのです」と山下チームリーダーは語り始めた。「感覚受容は生物の生存にとって不可欠な機能です。どういうタンパク質がかかわっているのか、どういう順番で情報が伝達されていくのかについては、研究が進み、少しずつ明らかになってきています。しかし、外界からの情報をどういう仕組みで受け取っているのかは分からないままです」
 感覚受容の流れを簡単に説明しよう。外界の情報を受け取るのは、目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器だ。感覚器には感覚受容細胞があり、その表面に出ている感覚受容体が化学物質や物理刺激(機械刺激など)を感知する(図1)。すると、受け取った情報が感覚受容細胞の中でリレーされ、あるいは直接、電気信号へ変換される。そして、神経細胞を通じて脳に伝えられ、情報が統合、処理され、私たちは物の色や形、音、におい、味、手触りを認識する。
 「感覚受容は、感覚受容細胞の表面に顔を出している受容体が化学物質や機械刺激などを感知するところから始まります。まずは、感覚受容のスタート地点である感覚受容体がどのようにして情報を受け取っているか、その仕組みを知ることを目指しています。“仕組みを知るには、まず、そのタンパク質の構造を知らなければならない”というのが私たちの考えです」
 生体のさまざまな機能を担っているのはタンパク質である。感覚受容体もタンパク質だ。タンパク質は、ゲノム上にある遺伝子領域の塩基配列の指定に従ってアミノ酸が連なり、立体的に折り畳まれたもの。「タンパク質の形と機能は深くかかわり合っています。形を見れば、化学物質などの分子がどこに結合するのか、なぜ結合できるのか、結合するとどうなるのか、タンパク質が働く仕組みが見えてきます。タンパク質の構造を知る強力な手段の一つが、結晶をつくりX線を当てて構造を見る、X線結晶構造解析です」
 しかし、タンパク質の構造ですべてが分かるわけではない。「構造から仕組みが分かると言いましたが、その多くはあくまでも推定です。推定が正しいかどうか、実験によって確かめる必要があります。例えば、構造上重要だと考えられる個所に人工的に変異を起こし、機能がどう変化するのかを見る。そこまでやって初めて、タンパク質の働く仕組みが分かったといえるでしょう。感覚受容体についても、そこまで明らかにしたいと考えています」

図1 感覚受容の仕組み

難問「感覚受容体の構造解析」に挑む
 分子シグナリング研究チームが第一の課題としている感覚受容体の構造解析について、山下チームリーダー自ら“チャレンジングな研究”と言う。「感覚受容体は、感覚受容細胞の細胞膜に埋もれている膜タンパク質です。膜タンパク質というのは、結晶構造解析が非常に難しいのです」
 膜タンパク質の結晶構造解析には、三つのハードルがある。第一のハードルは、目的のタンパク質をたくさんつくること。膜タンパク質は細胞膜などの生体膜に適切に埋め込まれる必要があり、人為的にたくさんつくらせることが難しい。また、結晶化するにはタンパク質を膜から取り出す必要があるが、膜から取り出してしまうと生理的な構造や機能を失いやすい。第二のハードルは、良質の結晶をつくること(図2)。タンパク質分子が規則正しく配列した大きな結晶ほど、X線結晶構造解析に適している。しかし、特に膜タンパク質は、そのような結晶をつくることが難しく、結晶化条件を見つけるまでに5年、10年かかることもある。第三のハードルは、X線を使ったデータ測定。輝度の高いX線が必要になる。この点では、大型放射光施設SPring-8に隣接し、施設内にビームラインと呼ばれる実験ステーションを擁する理研放射光科学総合研究センター(RSC)は圧倒的に有利だ。
 「膜タンパク質はただでさえ構造解析が難しいのに、私たちが現在取り組んでいるのは味覚受容体や機械刺激受容体で、これらは真核生物にしかないタンパク質です。バクテリア(原核生物)由来のタンパク質と比べて真核生物由来のタンパク質は、人為的にたくさんつくらせることが極めて難しい上、不安定なため結晶化も難しいんです。真核生物由来の膜タンパク質を人為的につくらせた試料で構造解析に初めて成功したのは2005年で、ラットの脳由来の電位依存性カリウムチャネルでした。それ以前から世界中の研究者が取り組んでいますが、まだ数例しか報告されていません。それほど最先端の研究なのです」
 だが、山下チームリーダーには「できる」という確信がある。それは、ある戦略を持っているからだ。

図2 タンパク質の結晶

自然界の多様性を利用する
 山下チームリーダーは、RSC前田構造生物化学研究室(当時)に在籍中の2003年から2005年まで、博士研究員として米国コロンビア大学で過ごした。神経伝達物質の受容体の研究で有名なEric Gouaux(エリック グーオー)教授のもとで、膜タンパク質の構造解析の技法を学ぶためだ。
 山下チームリーダーの研究対象は、脳内でセロトニンをはじめさまざまな神経伝達物質を細胞の外から中へ輸送しているトランスポーター(輸送体)。これらのトランスポーターの機能不全がうつ病などの原因になっていると考えられ、抗うつ剤のターゲットとしても大きな注目を集めている膜タンパク質だ。しかし、山下チームリーダーは、ヒトのセロトニン・トランスポーターの構造解析を行ったわけではない。
  「ヒトのセロトニン・トランスポーターに正面からぶつかっていったのでは、構造解析にはとうていたどり着けません。そこで、ある戦略を取りました。ヒトのセロトニン・トランスポーターにアミノ酸配列が似ているタンパク質をバクテリアのタンパク質の中から見つけ、それを構造解析したのです。遺伝子を見つけるところから始めて、構造解析が終わるまでわずか1年半でした」
 この戦略の優れている点を、山下チームリーダーはこう説明する。「バクテリアにはさまざまな種類があり、ヒトのセロトニン・トランスポーターの類似タンパク質もたくさんあります。このように自然界には多様性がある。私たちは、それを利用しているのです。その中から結晶構造解析に最も適しているものを選び、それに集中して解析すれば、効率良く構造解析にたどり着くことができます」
 では、結晶構造解析に適しているタンパク質を選ぶ指標は? 「結晶ができることが大前提になります。タンパク質を多量につくれるもの、安定なもの、そして“単分散”の状態になるものです。3番目の条件は必須です」
 単分散とは、タンパク質分子が溶液中で、例えば必ず1分子ずつ存在する、あるいは必ず2分子ずつ会合して存在するなど、単一の状態を取ることだ。雑多な数の分子がランダムに凝集しているなど不均一な状態のものは、結晶ができない。しかし、単分散の状態を取るかどうかを調べるには、タンパク質をたくさんつくって精製してから分析しなければならない。「もともと膜タンパク質をたくさんつくるのは難しい。それを一生懸命つくって、ようやく分析にかけたら結晶ができないものだった、ということもよくあるのです。そこで、私はGouaux教授が開発した新しい手法を使ってみることにしました。“結晶化用試料スクリーニング”と呼んでいますが、少量のタンパク質で単分散かどうかを迅速に調べることができる画期的な方法です(図3)」
 遺伝子操作によって、調べたいタンパク質にGFPという蛍光タンパク質を融合させておくことがポイントだ。目的のタンパク質にはすでに蛍光という目印が付いているので、精製せずにいろいろなタンパク質が混ざったまま、そして少量でも、目的のタンパク質だけを識別することができる。これを、分子量の大きさによって分離する“ゲルろ過法”という分析にかける。特定の分子量のところに鋭いピークが出れば、単分散の状態であることを意味しており、結晶ができる確率が高い。
 山下チームリーダーは、この方法で結晶化に適しているタンパク質を選び、それを集中して解析することで、効率よくヒトのセロトニン・トランスポーターの類似タンパク質を構造解析することに成功した(図4)。しかも、解像度は1.65Å(1Åは100億分の1m)と、膜タンパク質としては屈指の精度だ。結晶化に最適のタンパク質を選んだことが効いている。
 アミノ酸配列が似ている類似タンパク質の場合、基本的な構造は同じで、同じ仕組みで働いていると考えられている。類似タンパク質の構造が分かれば、そこからヒトのセロトニン・トランスポーターの構造や機能を予測したり、薬剤を設計したりすることもできる。「この成果は、ヒトのセロトニン・トランスポーターの機能解明を大きく発展させるでしょう。私たちの最終目標は構造を知ることではなく、タンパク質が機能する仕組みを知ることです。そのために、この戦略は非常に有効です」

図3 結晶化用試料スクリーニング
図4 セロトニン・トランスポーターの類似タンパク質の電子密度(左)と結晶構造(右)




美しい“子どもたち”
 「真核生物の膜タンパク質の構造解析はチャレンジングだと言いましたが、セロトニン・トランスポーターで取った戦略と手法を使えば必ずできると考えています」
 現在は、それぞれの感覚受容体で10種類近くのタンパク質を対象に、研究を進めている。今後、それらのタンパク質の中から結晶化に適したものを見つけ出し、構造解析を行う。受容体の構造解析は、世界的に厳しい競争が繰り広げられている。その中で山下チームリーダーは、構造にたどり着くまでの“効率の良さ”で勝負する考えだ。
 構造解析の面白さは?と山下チームリーダーに尋ねると、こんな答えが返ってきた。「出てきた構造がすべて想定通りだったということがないんです。“うわー、そうだったんだ!”という感動的な驚きに必ず出会います。タンパク質は実にうまく設計されています。そういったタンパク質の構造を見ると、人知をはるかに超えた自然の叡知を感じますね」
 これまでに構造を解析したタンパク質の中で一番好きなものを聞いた。「今までに解いた“子どもたち”は、全部かわいくて美しい。それぞれに愛情が深くて、一つになんて決められません」
 「感覚受容体は、外界の情報を受け取る第一走者にすぎない」と山下チームリーダー。「第一走者と第二走者、第二走者と第三走者がどう手をつないで情報をリレーし、情報を電気信号へと変換するのか。その仕組みを知るために、感覚受容にかかわるタンパク質の構造解析を続けていきます」。これからも、山下チームリーダーのかわいい“子どもたち”が増えていくことだろう。

(取材・執筆:鈴木志乃)









関連情報


「X線結晶学は膜タンパク質の構造解明にどのように立ち向かっているか」『生体の科学』 Vol. 56 No.6 2005年12月発行






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「理研BSI―オリンパス連携センター」発足

バイオイメージング技術の開発と普及を目指す



左から、オリンパス鰍フ渡邉裕一グループリーダー、板倉智敏 連携センター長、宮脇敦史 副連携センター長。2007年6月1日、「産業界との連携センター制度」の第1号として「理研BSI―オリンパス連携センター(RIKEN BSI-OLYMPUS Collaboration Center:理研BOCC)」が発足した。理化学研究所の脳科学総合研究センター(BSI)と、日本を代表する光学機器メーカーのオリンパス(株)が対等な立場で連携し、細胞や分子を生きた状態で見るバイオイメージングに関する革新的な技術の開発、さらには研究支援と普及活動を行う。BOCC設立の背景、そして目指すものを、板倉智敏 連携センター長、宮脇敦史 副連携センター長、オリンパス(株)の渡邉裕一グループリーダーに聞いた。


産業界との連携の新しい形
――理研BSI―オリンパス連携センター(BOCC)の目的は?
板倉:BOCCには、3つの柱があります。先端的なバイオイメージング技術を、脳科学総合研究センター(BSI)とオリンパスで連携して開発していくこと。イメージングにかかわる機器と技術をBSIの研究者に提供し、研究の支援を図ること。そして、セミナーやワークショップを通じて、イメージング技術を広く普及させていくことです。
宮脇:バイオイメージングとは、生きた試料を使って生物現象を見る技術です。生物を理解するには、細胞、組織、個体のレベルで時間分解能、空間分解能を上げて、さまざまな現象を追っていかないといけない。ライフサイエンスの中でも、特に脳科学は未開の領域といえます。真理の探究と技術開発とのダイナミックな相互作用が必要なのです。
板倉:BSIには57研究室があり、そのうち7割余りの研究室でバイオイメージングを使っています。特に宮脇副連携センター長は、新しい蛍光タンパク質を次々と開発し、企業との共同研究で機器の開発も行い、着々と大きな成果を挙げています。宮脇副連携センター長の研究をBSI全体として推し進めることができたら、研究者は大きな恩恵を受けるだろう。そう思ったのが、BOCC設立のきっかけです。
――BOCCは「産業界との連携センター制度」に基づいて設立されました。従来の制度との違いは?
板倉:従来の産業界との連携では、課題を絞ったり、製品化といったゴールを定め、比較的短期の研究開発を行ってきました。私たちが目指しているのは、バイオイメージングという広い領域での技術開発です。それには中長期的な視点が必要なのです。
 企業と理研が対等の立場で連携し、技術開発だけでなく、研究支援や普及・教育まで行う。これは、産業界との連携の新しい形です。連携センター名に企業の名前を入れることも、特徴の一つです。
――連携先としてオリンパスを選んだ理由は?
板倉:顕微鏡をはじめ光学機器について100年近い歴史と高い技術を持ち、BSIでもオリンパス製の機器が多く使われています。これまでに宮脇副連携センター長と共同研究を行うなど、数々の実績を挙げていることからも、期待しています。


研究者と開発者が相互作用する場
図 インキュベーションシステム ――宮脇副連携センター長は以前から、研究者が1人1台顕微鏡を使えるようになったら研究が変わるとおっしゃっています。現状はどうでしょうか。
宮脇:BSIは、ほかの研究機関や大学と比べて顕微鏡の数が多いといわれます。しかしながら、私はまだ足りないと思っています。しかも、顕微鏡の性能がフルに活用されていません。
渡邉:私たちはさまざまなイメージング機器を多くの研究機関に提供していますが、やはり機器の機能を十分に使っていただけていないと感じていました。機器の仕組みを理解していないと、得られた画像を正しく理解できない可能性もあります。仕組みを理解することで、データの信ぴょう性も上がり、今まで以上の成果を出していただけるのではないでしょうか。
宮脇:そうですね。機器をつくる側にもライフサイエンスを理解していただき、研究者にももっと光学の理解が必要です。それには、双方の相互作用が不可欠です。BOCCがそれを達成する場となれば、技術開発、普及に弾みがつくものと期待されます。
――BOCCの設備や人員は?
板倉:BOCCの設備として、オリンパスから二光子励起の走査型多光子レーザー顕微鏡、共焦点レーザー走査型顕微鏡、ライブセルイメージングシステム、インキュベーションシステム()を提供していただきました。人員は、連携センター長、副連携センター長を含めて5人です。そのうち2人の技術者は、オリンパスから出向していただいています。
宮脇:最も先端的な機器は、二光子励起の走査型多光子レーザー顕微鏡です。脳の中でどういう活動が起きているかをリアルタイムで見る。それが脳科学研究者の夢です。しかし、生体組織は光を散乱させてしまうので、深部を見ることができません。その問題をクリアする技術が、二光子励起です。
渡邉:この装置では、試料の状態によっても異なりますが、深さ1mm近くまで見ることもできます。わずか1mmか、と思われるかもしれませんが、今までの技術と比べるとすごいことなんです。しかもレーザーを2台搭載していますので、一つのレーザーで脳深部を観察しながら、同時に別のレーザーで光による刺激をすることもできます。
宮脇:私たちがこれをうまく使いこなせるかどうかは、オリンパスからBSIへの挑戦状です。同様にインキュベーションシステムも挑戦状ですよね。
渡邉:ステージ上に簡単な培養装置を置いた顕微鏡はありますが、観察できるのはせいぜい数時間から数日。研究者からもっと長時間観察したいという要望が出ていました。そこで、そもそも細胞はどこで培養しているのかと考えたのです。インキュベータですよね。だったら“その中に顕微鏡を入れてしまおう”ということでつくったものです。まだまだ改良すべき点も多いと考えており、研究者の要望を聞きながら改良していきます。
――機器の操作は技術者が行うのでしょうか。
渡邉:操作は研究者に行っていただき、技術者は操作を支援します。研究者自身が、機器と慣れ親しみながら理解を深め、成果を出していくことが重要だと思っています。ぜひBOCCを利用して技術を習得していただきたい。


目指すは革新的な技術開発
――BOCCに何を期待しますか。
宮脇:研究者は顕微鏡に対して要望を持っていても、どうせできないから、と初めからあきらめてしまうことがあります。それはよくない。BOCCが、要望を率直に出せる場になればと思っています。生物学は多様性の学問です。研究者からの要望も多様です。その多様な要求をどう統合して開発・製品化するか、企業側としては難しい課題ですよね。
渡邉:厳しい要求が来るのはありがたいことです。期待していただいているということですから。私たちは、何を要求されているのか正しく理解したいのです。いろいろな要望を蓄積し、次の顕微鏡の性能に反映していく。そのための場としてBOCCに期待しています。
板倉:科学的な発見には、技術と機器が重要です。BSIは今年で10周年を迎えますが、設立当初から技術を重視していました。初代センター長の伊藤正男先生の強い要望もあって先端技術開発グループをつくり、研究の技術支援を行うリサーチリソースセンターも設置しました。そういう流れがあってBOCCが設立されたといってもよいでしょう。世界の先を行く、革新的な技術開発を目指しています。理研の文化で育った人と企業の文化で育った人がBOCCで接点を持つことで、それが可能になると期待しています。
 まずはBSIからスタートしますが、イメージングはライフサイエンスで不可欠な技術です。理研ではレーザー研究も盛んです。連携を進めて、BOCCをBSIだけでなく、理研全体に広げたいと思っています。

(取材・執筆:鈴木志乃)





中長期的な課題を実施する産業界との幅広い連携の場を提供するため、2007年2月に新しく整備された制度。理研の各センター内に企業名を冠した「連携センター」を設置し、先端技術の開発、次世代の研究基盤の創造、研究開発成果の普及活動などを行う。従来の融合的連携研究プログラムは具体的な研究課題での連携であるのに対し、連携センターは領域での連携を行う。







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SPOT NEWS
がん予防成分を野菜につくらせる

健康機能性の高い野菜栽培に新たな道



ブロッコリー、キャベツなどのアブラナ科野菜に含まれるがん予防成分のもと、「グルコシノレート(カラシ油配糖体)」をつくるキー遺伝子を、理研植物科学研究センター、かずさDNA研究所、新エネルギー・産業技術総合開発機構の共同研究グループが発見した。遺伝子の解析が進み実験モデル植物となっているアブラナ科野菜の仲間、シロイヌナズナで明らかになったもの。この遺伝子の発現量を変えることにより、グルコシノレートの生産量を増やすことも可能となり、ブロッコリーなどをがん予防効果の高い野菜に変えたり、植物細胞を培養タンクで育て、グルコシノレートを大量に生産したりできると期待される。この成果について、代謝システム解析ユニットの平井優美(まさみ)ユニットリーダーに聞いた。

――「グルコシノレート」とは何ですか。
平井:主にブロッコリー、キャベツ、ダイコン、カラシナなどのアブラナ科の野菜に含まれる成分です。これは、すりおろしたり、かんだりすると、野菜に含まれている分解酵素「ミロシナーゼ」と混じり合い、「イソチオシアネート」という辛み成分に変化し、その一種はがん予防機能を持っています。ところが、この辛み成分をただ単に野菜につくらせても、がん予防機能を持つとは限りません。というのは、グルコシノレートは120種類もあり、もととなる化合物の系統によってまったく効き目が違うことがあるからです。

――効き目はどう違うのですか。
平井:例えば、メチオニンを原料にしたグルコシノレートの一種は「スルフォラファン」という抗がん性分解物を生み出しますが、トリプトファンからできるグルコシノレートの一種は、がんを引き起こす作用を持つ分解産物を生み出すこともあります()。そのため、グルコシノレートの化合物系統までも制御する仕組みを解明しなければ、がん予防機能成分だけを高めた野菜をつくることはできません。

図 グルコシノレートの合成・分解と生理作用の模式図
――制御の仕組みは、どこまで分かっているのですか。
平井:これまで、スルフォラファンのもととなるグルコシノレートの植物細胞内での合成については、ほとんど分かっていませんでした。今回、アブラナ科野菜の仲間で遺伝子の研究が最も進んでいるシロイヌナズナをモデルにして、DNAアレイ技術を使って全遺伝子を解析し、目的の遺伝子を探しました。その結果、シロイヌナズナの約2万7000個の遺伝子の中から、メチオニン系グルコシノレートを合成する酵素をつくる遺伝子と同じ発現パターンを持つPMG1という遺伝子を発見しました。

――PMG1遺伝子の働きについて教えてください。
平井:この遺伝子の働きを抑えたシロイヌナズナでは、グルコシノレート合成酵素遺伝子の働きも抑えられたため、グルコシノレートが400分の1に減少するものもありました。逆に、この遺伝子の働きを過剰にさせると、通常はグルコシノレートを蓄積しないシロイヌナズナの培養細胞が、グルコシノレートを蓄積するようになります。これらの実験結果から、PMG1遺伝子がグルコシノレート合成を制御する遺伝子であると分かりました。

――がん予防効果の高い野菜の開発もできますか。
平井:PMG1遺伝子は、シロイヌナズナを育てるときに栄養分の量を変化させると発現量が変わるということも分かっています。このため、栽培条件を整えるだけでグルコシノレートの生産量をコントロールできます。また、メチオニン系のグルコシノレートの酵素遺伝子を特異的に発現させることができるので、がん予防効果を高めた機能性野菜の開発も可能です。野菜を食べて、がん予防をすることも夢ではなくなりそうです。また、PMG1遺伝子を組み込んだ培養細胞をタンクで大量に培養して、がん予防物質を大量に生産することも可能となるでしょう。今後、私たちの健康維持に貢献することを期待しています。




本成果は、『米国科学アカデミー紀要(PNAS)』(4/10号)に掲載され、毎日新聞(4/10)、日刊工業新聞(4/10)などに取り上げられた。


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SPOT NEWS
細胞内ストレスを利用して
収縮する筋肉をつくる

「善玉」ストレスの効用を実証



筋肉は、筋肉のもとである「筋芽(きんが)細胞」が細胞融合して多核細胞の「筋管(きんかん)」となり、筋管がさらに成熟して収縮機能を持つ「筋繊維細胞」をつくる過程を経て形成される(図1)。哺乳類や鳥類の筋芽細胞株を筋管へと分化させる技術は確立していたが、筋繊維細胞まで育てることは難しく、筋収縮を起こさせることがほとんどできなかった。理研中央研究所“「細胞が作るもの」研究チーム”と“バイオ解析チーム”は、筋芽細胞に小胞体ストレスを与えることで筋繊維細胞にまで育てることに成功し、このストレスの有効性を示した。まだマウスの細胞を使った基礎研究の段階だが、筋肉再生の技術開発にも役立つ結果だ。この成果について、森島信裕 専任研究員、中西慶子 協力研究員に聞いた。
図1 筋芽細胞から筋繊維細胞への分化過程

――筋肉の細胞培養はそんなに難しいのですか。
森島:生体の筋肉組織にわずかに含まれている単核細胞をえり分け、分化を誘導すれば筋繊維形成は可能です。しかし、筋芽細胞株(シャーレの中での培養を可能にした筋芽細胞)を用いた場合は、ほとんど筋管形成の段階で分化が止まってしまいます。培養条件に何か足りないものがあると私たちは考えました。

――新しい培養条件を見つけたいきさつは。
中西:生体内で起こる筋分化の初期にアポトーシス、つまり細胞死が起きていることが、すでに100年以上前に観察されていました(図1)。私たちはアポトーシスの研究を進めていく過程で、このアポトーシスが「小胞体ストレス」によって起こることを2005年に発見しました。そして今回、小胞体ストレスが筋繊維形成を誘導する条件のポイントになることを示したのです。

――小胞体ストレスとは何ですか。
森島:細胞表面の膜タンパク質や細胞の外に分泌されるタンパク質は、前もって細胞内の小胞体でつくられます。しかし、立体構造が正常にならなかったタンパク質は小胞体の中に蓄積され、この正常でないタンパク質が蓄積されている状態を「小胞体ストレス」といいます。これが筋肉組織でどのように生じるのかは謎ですが、小胞体にある酵素の働きを止める薬剤を使うと人為的にストレスを起こすことができます。

――実験方法と結果について教えてください。
中西:生体内での状況をまねて、筋芽細胞の培養液中に小胞体ストレスを発生する薬剤を加えてから分化誘導を行いました。長時間ストレス処理を続けるとすべての細胞がアポトーシスを起こして死んでしまいますが、ストレス処理時間を30分〜数時間程度にし、その後、分化誘導を行うと、1〜2日の間に30〜40%程度の細胞がアポトーシスを起こします。しかし、3日目以降はぴたりとアポトーシスが止まりました。アポトーシスを起こす細胞の数は、ストレスを加えない場合より2〜3倍も多いのですが、アポトーシスが起きる日数の方は短くなっていました。つまり、効率良くアポトーシスを起こすのです。この方法で選別され生き残った細胞は、従来法による筋管に比べて長さも太さも数倍〜数十倍大きい多核細胞になり、シャーレの中で収縮を繰り返す成熟した筋繊維細胞に育ちました(図2)。

図2 収縮タンパク質が細胞内に形成する繊維
――今後の展開は。
森島:筋芽細胞株を使えば、生体を傷付けることなく筋繊維細胞が効率良くつくれます。これは、筋肉をターゲットとした薬品開発に利用できます。例えば、筋肉は食後に糖を活発に取り込むので、糖代謝を変える薬剤や糖尿病の治療薬などの開発に役立ちます。また、健康の増進や筋肉がかかわる病気の治療に貢献する可能性があります。




本成果は日刊工業新聞(4/17)、日経産業新聞(4/17)などに取り上げられ、米国の科学雑誌『The FASEB Journal』(9月号)に掲載予定。


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SPOT NEWS
発生生物学を学び、心を探る研究者

富樫 英(とがし ひでる)

1969年11月27日、山形県生まれ。私立城北学園高校(東京)卒業。1996年、京都大学理学部入学、2006年3月、同大学大学院生命科学研究科博士課程修了。2003年4月〜2005年3月、日本学術振興会 特別研究員。2005年、理化学研究所入所。


富樫 英(とがし ひでる)理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)に少し変わった経歴を持つ研究者がいる。変異マウス開発チームの富樫 英 研究員だ。富樫研究員は高校卒業後、大学へ進学せずに就職。TV局で報道の仕事や高校の警備員などを経験した後、一念発起し、26歳で京都大学理学部に入学。大学4年のときに竹市雅俊CDBセンター長(当時、京大教授)に出会ったのをきっかけに、発生生物学へと足を踏み入れた。そして、2006年7月、大学時代から研究してきた“神経細胞のシナプス形成におけるネクチンの働き”をまとめあげ、この4月からはマウスを使って細胞から個体への“体づくり”の研究を開始。「いろいろな経験をしてきたので、人と違ったものの見方ができるかもしれない。最終的には心の動きを物質的な形で目に見えるようにしたい」と語る富樫研究員、その素顔に迫る。


小学生のころ、「細菌学者のルイ・パスツールなどの伝記で、毎日、顕微鏡を眺める生活を読んで“いいなぁ”と思いましたね」。好きだった科目は、「特に数学、ものを考えるのが好きでした。それに『古事記』などの古文、今でも読みますよ」。高校に進学後、「先生の影響で生物が好きになりました」


しかし…… 大学受験に失敗し、進学を断念。「山形に戻っていたときは、TV局で報道の仕事をしていました。でも、やはり大学へ行こうと決め、高校の警備員をしながら受験勉強をしたんです」。大学進学を決めたきっかけは?「TV局の仕事で、自分の好きなことをしているたくさんの人と出会いました。その活き活きした姿を見て、自分も! と。自分の好きなこと…… それはやはり、ものを考えることだったんです。理研に在籍していた朝永(ともなが)振一郎博士の本を読んで、有名な研究者でも思い悩みながら研究していたと知り、“成功するかどうかは分からないけど、チャレンジしてみよう!”と思ったのも大きかったです。今、理研にいることは不思議な巡り合わせを感じますね」


そして1996年、京都大学に入学。「4年生のとき、興味のあった“人間の心の問題を物質的なもので説明できないか”と考えて、いろいろな先生に相談したんです。その中で竹市雅俊先生は“私は神経が専門ではないけれど、やりたいのであればやってもらってもいいですよ”と、おおらかな態度で受け入れてくださったんです」。そしてシナプス形成の研究を開始。「神経細胞間では軸索と樹状突起の2種類の神経突起が結合し、情報伝達の要、シナプスができます。シナプスは記憶や感情に重要な部分」。細胞同士は、1982年に竹市センター長が発見した細胞接着分子カドヘリンにより、安定的に結合する。2002年、富樫研究員は「軸索と樹状突起が同じカドヘリンで結合するなら、軸索同士、樹状突起同士はなぜ結合しないのか。そこには二つを区別する分子メカニズムがあるはずだと考え、候補分子を探しました」。そこで注目したのが細胞接着分子ネクチン。「神経細胞にはネクチン1(N1)と3(N3)があります。N1は軸索だけに、N3は軸索と樹状突起に分布していて、異種のネクチン同士は強く結合する特徴があります。これにより軸索と樹状突起が選択的に結合する仕組みを説明できるのではないかと考え、いろいろと実験した結果、思った通りでした()。N1とN3が出会った後、カドヘリンによりさらに安定的に結合します」。

図 シナプス形成とネクチンの関係
今年4月からは新しい研究テーマを選択。「細胞は分化した後、決められた場所に移動し、個体をつくっていく。その“体づくり”の仕組みの謎を解きたいんです」。尊敬する科学者は、量子電磁力学の発展に大きく貢献したことで、朝永博士らとともに1965年にノーベル物理学賞を共同受賞したリチャード・ファインマン。「何もなかったところから新しい学問ができてくる話が好きなんです。心の動きは目で見えませんが、最終的にはそれが何らかの形で見えるような仕事をしてみたいですね」。富樫研究員が科学史に残る発見をすることも期待できそうだ。





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TOPICS
新メンバーを加え「相談役会」を開催


新メンバーを加え「相談役会」を開催 理研は今年創立90年を迎え、開かれた研究所を目指し運営に努めています。
 その一環として5月8日、国内の有識者から有益な助言を頂くため、相談役会を開催しました。野依良治理事長から「理研創立百周年に“活動度倍増”を達成する」と題して、理研の使命や昨年開催された国際的な外部評価委員会“理研アドバイザリーカウンシル”の報告、産業界との連携への取り組み、平成20年度から始まる次期中期計画などについて説明を行いました。相談役の方々からは「世界最高峰の研究機関として、100年先をにらんだ先端的かつ壮大なテーマに取り組んでほしい」「研究者が夢を持って研究に取り組むことができる環境を守り続けてほしい」「相談役会の総意として、人件費の問題をはじめ独立行政法人の制度上の問題に風穴をあけたい」などの助言を頂きました。これらの助言を今後の運営に活かし、さらなる発展を目指します。


[相談役]
石田 寛人
金沢学院大学 学長
岩槻 邦男
兵庫県立人と自然の博物館 館長
黒川 清
内閣府特別顧問
小林 俊一
秋田県立大学 学長
佐藤 勝彦
東京大学大学院理学系研究科 教授
佐藤 文隆
甲南大学 教授
武田 國男
武田薬品工業(株) 代表取締役取締役会長
種市 健
東京電力(株) 顧問
遠山 敦子
(財)新国立劇場運営財団 理事長
中西 準子
(独)産業技術総合研究所
化学物質リスク管理研究センター センター長
吉川 弘之
(独)産業技術総合研究所 理事長
米倉 弘昌
住友化学(株) 社長



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アジアとの連携強化、シンガポールの研究機関と合同会議を開催


理研は昨年4月に“理研シンガポール連絡事務所”を、また9月には“理研中国事務所準備室”を設置するなど、アジアとの研究協力関係の強化に重点を置いています。
 理研とシンガポールの研究機関は5月16〜19日に合同で、ライフサイエンスの分野のシンポジウムやワークショップをシンガポール現地で相次いで開催しました。
 まず、5月16・17日には、シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)と合同で、理研免疫・アレルギー科学総合研究センターおよび理研発生・再生科学総合研究センターの研究者を中心としたシンポジウムが開かれ、免疫学と発生生物学の分野で研究発表とディスカッションが行われました。そして5月18・19日には、シンガポールの南洋工科大学と合同で、発生生物学、ゲノミクス、プロテオミクス、イミュノミクス、神経生物学の分野に関するワークショップが開かれました。それらに先立ち、5月14・15日には国内の化学産業関係者が組織する「野依フォーラム」とA*STARとによる合同シンポジウムが開かれ、野依良治理事長は基調講演で、「持続可能な社会の実現のために化学研究がいかに重要か」を強調しました。

南洋工科大学との合同ワークショップ

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仁科加速器研究センター新ユニットリーダーの紹介

新しく就任したユニットリーダーを紹介します。
1. 生年月日 2. 出生地 3. 最終学歴 4. 主な職歴 5. 研究テーマ 6. 信条 7. 趣味

榎本 秀一 (えのもと しゅういち)

メタロミクス研究ユニット
榎本 秀一 (えのもと しゅういち)
1. 1963年10月16日 2. 神奈川県 3. 北海道大学大学院薬学研究科博士後期課程 4. 理研基礎科学特別研究員、先任研究員、副チームリーダー 5. 生体微量元素の科学(メタロミクス)、核医学 6. 寧静致遠(ねいせいちえん) 7. ゴルフ

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原酒
「一家に1枚周期表」とともに理化学研究所へ


玉尾皓平
TAMAO Kohei
フロンティア研究システム システム長


筆者、周期表を前に 理研の行く先々で「一家に1枚周期表」を見かけます。ありがたいことです。と言いますのも、実は、あれは2年前に筆者とともに理研にやってきたものだからです。玉尾は知らなくても「一家に1枚周期表」は知っているという人も少なくないでしょう。それでも、あの周期表の成り立ちなどをご存知の方は決して多くはないはずです。そこで、「一家に1枚周期表」の制作を主導してきた者として、制作コンセプトや理研との不思議な縁などについて紹介したいと思います。

「一家に1枚周期表」の構想を初めて提唱したのは、筆者がまだ京都大学 化学研究所にいた5年前にさかのぼります。2003年1月、東京で開かれた野依良治理事長(当時は名古屋大学 教授)主催の公開シンポジウム「化学:自然と社会へのかかわり」にパネラーとして参加したときのことです。「美しくかつ豊富な情報を含んだ周期表」を“居間に飾り親子で科学の話をする、という状況をつくり出したい”との思いからでした。その後、多くの方々のご支援を得て、文部科学省の科学技術週間関連予算から制作費を捻出(ねんしゅつ)していただけることになり、2005年3月末までに文科省に納入するという半年間の周期表プロジェクトがスタートしたのでした。制作裏話などは『化学』(2005, Vol. 60, No. 12, 28-31)に譲り、早速、理研との関係の話題を二つ。

ちょうどこの計画が具体化し始めた2004年7月、「理研で113番元素合成」とのニュースが飛び込みました。早く国際的に認知されることを願って、「日の丸」とともに載せることにしました。また、85番のアスタチン[At]のイラストには思案の末、加速器のわが国第1号を載せようと考え、理研に写真の掲載許可をお願いしたところ、快く提供いただきました。理研とはこのようなかかわりを持っていましたが、当時は筆者自身が理研にお世話になろうとは思ってもいませんでした。ところが秋も暮れるころ、突然そのようなお話をいただき、2005年1月から研究顧問として、理研和光キャンパスに足を踏み入れることになったのでした。周期表は何とか予定通り3月15日に完成、3月25日文科省でプレス発表。筆者は3月末で京都大学を定年より1年早く辞し、4月1日には現職を拝命し、新しい仕事を始めました。くしくも同じフロアの広報室では、4月下旬の和光研究所一般公開で「一家に1枚周期表」を配布すべく、数千枚購入の準備中でした。こうして、「一家に1枚周期表」とともに筆者も暖かく(?)迎えていただいたという次第です。

制作の基本コンセプトの主なものを挙げておきましょう。(1)美しく正確であること、決して漫画っぽくせず、格調高く、(2)できるだけ身の回りの物質や現象を取り上げる、(3)鉄[26Fe]なら磁気テープと血液、カルシウム[20Ca] なら骨とセメントなどのように、できるだけ両極端の例を挙げる、(4)科学技術の進歩とその恩恵をできるだけわが国の科学技術の強さで表現(チタン[22Ti]の光触媒、ガリウム[31Ga]の青色発光ダイオード、ルテニウム[44Ru]の水素化触媒、テルル[52Te]のDVDディスク、ネオジム[60Nd]の強力磁石、エルビウム[68Er]の光ファイバー、113番元素の発見、など)。

すでに40万枚以上が実費販売されているとのこと。私たち制作者は皆ボランティアです。玉尾がもうけているわけではありませんので、ご心配なく普及にご協力いただければ幸いです。第4版改訂版に向け、ぜひご意見もお寄せください。なお、入手先は科学技術週間(http://stw.mext.go.jp/)または科学技術広報財団 (http://www.pcost.or.jp/)です。さて、これまで以上に親しみを持っていただけたでしょうか?



玉尾皓平システム長は「有機典型元素化合物の高配位能を活用した化学反応性と物性の開拓」の業績により、2007年度の日本学士院賞を受賞されました。
おめでとうございます。



理研ニュース 

7
No.313
July 2007

理研ロゴ
発行日
平成19年7月5日
編集発行
独立行政法人
理化学研究所 広報室
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2番1号
phone: 048-467-4094[ダイヤルイン]
fax: 048-462-4715

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株式会社デザインコンビビア
制作協力
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