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300号特別企画
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特別インタビュー
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研究最前線
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TOPICS
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原酒
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理研における
レーザー研究の歴史と今後の展望
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日本のレーザー研究は理研で始まった
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矢野倉:『理研ニュース』が1968年に創刊されてから、この6月号が通巻300号になります。広報室ではこれを記念して、レーザー研究をテーマに座談会を企画しました。なぜレーザーかというと、過去の『理研ニュース』を調べると、創刊時からレーザー研究に関する記事が大変多いんです。これはレーザーが理研の基幹的な研究技術を担ってきたからだと思います。しかも今後、理研のレーザー研究がさらに発展しようとしています。本日は、その発展を担う“エクストリームフォトニクス研究推進グループ”のリーダーの方々にお集まりいただき、レーザーをキーワードに理研の研究の歴史と展望をお話しいただきたいと思います。緑川先生、まず歴史を振り返っていただきたいのですが、米国でレーザー光が最初に発振されたのが1960年。理研ではいつごろからレーザー研究が始まったのですか。
緑川:同じ1960年に霜田光一先生(1960〜1982年、マイクロ波物理研究室)がレーザーの前身となるメーザーの研究を始めて以来なので、とても長い歴史があります。日本のレーザー研究は、理研から始まったといっていいと思います。1962年には難波 進 先生(1966〜1976年、半導体工学研究室)がレーザーによる微細加工の研究を始めています。そして1970年代の半ばから21年間にわたって、“レーザー科学研究”という大型プロジェクトが行われました。このプロジェクトで、任期制の研究者やポスドクを採用する体制、レーザーや分光、化学、半導体など異分野の人たちが集まって有機的に研究を進める体制が初めてつくられました。田原:私は分子科学研究所(愛知県岡崎市)から、2001年に理研に来ました。ここに来てから、分子科学分野の偉い先生たちには、長倉三郎先生(1962〜1981年、理論有機化学研究室)の研究室など理研出身の方が大変多いことを知り、驚きました。 緑川:茅幸二所長(理研中央研究所)も長倉研究室の出身ですね。私は1983年に理研に入所し、レーザー科学研究グループに入ったのですが、そこにはいろいろな分野の若い研究者がたくさん集まっていました。ここで経験を積んだ人が、その後、大学やほかの研究所に散っていったんです。このプロジェクトは多くの人材を輩出しました。 川瀬:私は理研のレーザー技術を使ってテラヘルツ光の研究を発展させることができましたが、霜田先生から「日本のテラヘルツ光研究の草分けは理研なんです」と教えていただくまで、そのことを知りませんでした。1960年代のサブミリ波レーザーの写真を頂き、大事にとってあります。 余談ですが、私が小学生のころ、父のところに『理研ニュース』が送られてきていました。その表紙に載っていた研究本館の写真を見せられて、「将来、こういうところで研究できる研究者になりなさい」と父に言われたのが、すごく印象に残っています。理研に来て最初に研究本館を見たとき、「ここだ!」と思ってすごく感動したのを覚えています。 河田:私は1990年代に“近接場ナノ光学”という大型プロジェクトを始めましたが、そのとき評価委員をしてくださったのが理研の霜田先生と難波先生なんです。理研の2人の先生の指導のもとで、近接場ナノ光学を立ち上げることができました。矢野倉:理研のレーザー研究の土壌をつくり上げてきたものは、何だったのでしょう。 緑川:私がレーザー科学研究プロジェクトで学んだのは、ユーザーに育てられるということです。私はレーザーを開発する立場ですが、それを利用する異分野の人たちが周りにたくさんいると、研究がすごく発展するんです。 中野:私は生物屋でユーザーの立場ですが、理研に来て驚いたのは、「こういうものが見たい」とどこかで話をすると、「こんな技術があるよ」と気軽に声を掛けてくれることです。そういう環境にいると、既存の装置を使うのでなく、「理研独自の装置をつくって実験できるはずだ」と思い始めます。それが緑川さんたちのレーザーのグループと付き合い始めたきっかけです。 |
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究極の光で生命を見る
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矢野倉:エクストリームフォトニクス研究は、何を目指しているのですか。緑川:現在、近赤外線から可視光の波長では、技術が極限にまで達しているといわれています。ところが、その波長を少し外れてテラヘルツ光やX線の波長領域に行くと、途端に光源もないし、計測装置もないという状況です。そういう未踏の領域で究極(エクストリーム)の光をつくり、生物のダイナミクスなどを見ようとしています(図)。 中野:私たちは「生きている細胞の現象を、原子・分子レベルで見たい」とずっと言い続けてきました。生きた細胞の中で遺伝子やタンパク質が働いている様子をリアルタイムで見ることができれば、これまで分からなかった謎が解けてしまうのです。1990年代半ば、GFPという蛍光タンパク質の技術が登場して、生きている細胞の中で特定のタンパク質を光らせて見ることができるようになりました。これは生命科学の革命でした。しかし、高い分解能で現象を見るために、紫外線やX線を使おうとすると、生物が死んでしまったり、光が水に吸収されて何も見えなくなったりします。生きた細胞を見るには今のところ可視光の顕微鏡しかなく、その分解能は可視光の波長の半分、200nmくらいが原理的に限界だといわれていました。原子・分子レベルでは、電子顕微鏡で固定した細胞を見るしか方法がなかったのです。しかし普通の可視光の顕微鏡でも、精度の高い計測をしてデータ処理をすると、最近では80nmくらいの分解能で見ることができるようになりました。想像もつかなかった現象が見え始め、すごく興奮しているところです。さらに河田先生の研究は、もっと高い分解能を達成できることを示しています。 河田:私は可視光を使ってナノの世界を見たり、加工したりすることを目指してきました。私たちは10nmの分解能を達成しましたが、像を得るのに時間がかかるんです。細胞の中の現象はどんどん進んでしまうので、もっと速い現象を見たいと言われ、最近、金属のナノ構造を利用した新しい顕微鏡をつくりました。しかしその顕微鏡では細胞の表面しか見えません。今度は細胞の内部を見たいと言われて、今、その方法を考えているところです。半導体分野などに比べて、バイオの要求は本当に厳しい(笑)。 中野:高い分解能で現象が見えることで、さらに多くの疑問が生まれてくる。生命の謎は本当に際限がないですね。矢野倉:川瀬先生たちのテラヘルツ光の技術は、覚せい剤の摘発など、実用化が期待されていますね。 川瀬:きっかけは、理研の一般公開日に横浜税関の方が遊びに来たことでした。科学警察研究所などと組んで研究を進め、封筒の中の薬物が見えるようになったのが約3年前です。10年後には、街にテラヘルツ光カメラを設置して、ポケットに隠し持った覚せい剤を摘発できるようになるかもしれません。 矢野倉:もともと、そういう応用を目指していたのですか。 川瀬:予想外の展開ですね。私がテラヘルツ光の研究を始めたのは、大学4年生のときです。以来18年間、ずっと追いかけているテーマがあります。細胞膜が1テラヘルツ付近の周波数で共鳴振動して、生体の活性を支えているという“フレーリッヒ仮説”があります。それが本当かどうかを調べたいというモチベーションで、ずっと走ってきたんです。それには、テラヘルツ光の波長を少しずつ変えながら照射して、リアルタイムで細胞の状態を計測して共鳴振動を起こす周波数を見つける必要があります。エクストリームのプロジェクトならば、その実験ができると思います。もしこの仮説を実証したら、間違いなくノーベル賞といわれているんです。本当である可能性が2〜3割だとしても、トライする価値はあると思います。 矢野倉:中野先生は、この仮説をどう思いますか。 中野:うさんくさい、と言ったら川瀬さんがノーベル賞をとったときにまずいかなぁ(笑)。本当だったら面白いですね。確かにテラヘルツ光を使うと、今まで思ってもみなかった現象が見えてくると思います。それは大きな未知の世界です。 ![]() |
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新しい科学は理研文化から生まれる
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河田:うさんくさいといわれるテーマを含めて、今まで誰もできなかったこと、想像もしていなかったことにこだわって研究を続けられるのが、理研の“中央研究所”だと思います。私たちは研究計画を申請するとき、できそうなことだけを書きますが、それよりも研究の過程でまったく新しいことが生まれることを期待しています。その研究で何ができそうか、何に使えそうかを答えている間は、あまり画期的なものではない。本当にすごいことができそうなときには、研究者は黙りますよ(笑)。急に黙って何も言わなくなったとき、新しいものが生まれていると思ってください。矢野倉:田原先生は、エクストリームでどのようなことを目指しているのですか。 田原:研究の目的はとても単純で、今まで見えなかったものを見ることです。そのための一番簡単な方法は、今までになかった光を物質に当てることです。現在、私たちはフェムト秒(10−15秒=1000兆分の1秒)という短い時間の光パルスを使って研究しています。 矢野倉:どんな現象が見えてくるのですか。 田原:面白いことが三つあります。一つは光パルスを使うと、短い時間に起きる非常に速い現象を見ることができることです。化学反応するときの分子や原子の変化をリアルタイムで見ることができれば、どのように反応が進んでいるのかを理解することにつながります。 二つ目は、光パルスは時間単位当たりのエネルギーが非常に高いので、それを当てると分子が普通とは違った振る舞いをして、「非線形分光」ができることです。例えば、お茶と油を混ぜると、その中に界面ができて、いろいろな現象が起きます。界面の反応は産業応用でも重要ですが、何が起きているのか見ることができませんでした。しかし非線形分光を使うと、界面の現象だけをとらえることができるんです。いずれはこの方法で、生きた細胞の細胞膜で何が起きているかを見たいと思います。 三つ目は、極限的に短い時間幅の光パルスにはさまざまな色の光が含まれているのですが、アト秒からフェムト秒の単位でタイミングを少しずつずらしながら違う色の光を分子に当てると奇妙な現象が起きるという報告があります。その現象がなぜ起きるのか、本当に分からないのです。 中央研究所の研究室は、誰もやらないことにトライするべきです。人が育つのはそういう研究をしているときだと思います。 河田:このエクストリームのプロジェクトのように、異分野の研究者が必要なときに集まって“バーチャル・ラボ”をつくり、誰もやっていない研究ができる機関は、世界的にもあまりないと思います。 田原さんの話で“非線形”という言葉が出てきましたが、今の科学の大きな課題は、非線形・カオス・複雑系の解明です。非線形は、突然、状況ががらりと変わる現象ですが、私たちは究極の光を使って非線形科学を楽しめるようになった。それがこのエクストリーム研究の大きな特徴かもしれません。 緑川:私は波長が短いレーザーをつくる研究を続けてきましたが、一つのゴールは、短い波長のレーザーで非線形現象を起こすことです。非線形現象を起こすことができれば、その波長のレーザーは一人前。それには強い光にする必要があります。約15年かけて、昨年やっと波長30nmの軟X線レーザーでアト秒(10−18秒=1000兆分の1のさらに1000分の1秒)の光パルスをつくり、非線形現象を起こすことができました。それを分子に当てると、やはり従来とはまったく違う反応が起きます。今までそんな光はなかったので、そこで起きる現象は理論家もまだ研究していません。今後、波長数nmのX線レーザーをつくり、非線形現象を起こすことを目指したいと思います。 中野:数nmのX線には、“水の窓”といって水に吸収されない波長があります。それを使うと原子・分子レベルの分解能で生きた細胞を見ることができると、私たちは大変期待しています。この水の窓は、理研播磨研究所で進めている“X線自由電子レーザー(XFEL)”でも目指していることです。緑川:XFELで、波長数nm以下のX線レーザーが生み出されようとしています。ただし、XFELは非線形現象を起こしたり、アト秒の光パルスをつくることが難しいのです。一種類の装置で、何でもできるわけではありません。例えば天文学には、X線や赤外線の天文衛星、可視光の望遠鏡が必要ですよね。それで宇宙の様子が分かってきます。生命科学も同じです。テラヘルツ光やX線、可視光では、見える現象がまったく違います。それらの情報を統合することで、初めて新しい生命像が見えてくるのです。 矢野倉:新しい科学や技術を生み出すには、どのようなことが重要ですか。 緑川:異分野の、違う技術を持った一流の人と交流する必要があります。幸いにも理研には、周りに異分野のすごい人がたくさんいます。例えばレーザーの実験にはミラーが必要ですが、私の部屋の隣には大森 整(ひとし)さんの大森素形材工学研究室があり、鏡を磨くことでは世界一です。中央研究所では、いろいろな人が積極的に交流しようという雰囲気が昔からあります。 中野:最近では理研も規模が大きくなり、『理研ニュース』を見ても、昔は知っている人ばかりでしたが、今は知っている人を探す方が難しいくらいですね。中央研究所の中だけでなく、理研のほかのキャンパスも含めて交流が広がると、理研全体がもっと理研らしくなると思います。 矢野倉:そのような交流の大きな核になるのが、レーザー研究ですね。 緑川:ものを見ること、計測することが科学の基本です。それには必ず光を使います。新しい科学・技術を生み出すには異分野融合が重要だといわれますが、光あるいはレーザーは、あらゆる分野を横断する基盤技術です。 矢野倉:『理研ニュース』にも、ますますレーザー関連の記事が増えそうですね。本日はどうもありがとうございました。■
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極限状態を科学した研究人生
青柳克信チームリーダーに聞く |
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――半導体工学研究室の副主任研究員時代に、「レーザー単原子層制御結晶成長」で『理研ニュース』1987年の93号に初めて登場しています。
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青柳:理研に入った後、DFB(利得結合型分布帰還型)レーザーの研究を始めました。DFBレーザーをつくるには当時の極限加工技術を使った高いピッチの回折格子が必要だったので、まず「エシェレット格子」を自らつくりました。「エシェレット格子」では特許を取得し、理研の特許実施料で歴代7位となっています。その後、半導体レーザーを開発するための結晶成長技術「MOVPE(有機金属気相エピタキシー)法」を改良しました。基板にレーザーを交互に照射し、非常に平坦(へいたん)な結晶成長の極限である単原子層を思い通りに制御しながら成長させるという新手法です。その後、臨床応用に使える小型軟X線レーザー発振装置の開発を目指しました。
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――1993年の146号には、エレクトロニクスデバイスの開発を報告されていますね。
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青柳:そのころ、私は理研国際フロンティア研究システム(1986〜1999年)の量子化素子研究チームのリエゾンマネージャーを務めるとともに、レーザー科学研究グループの分子加工チームを率いて、レーザーの超短パルスを用いた研究をやっていました。その中で超格子という「構造の極限」の物性をターゲットにした研究を開始しました。そして、超格子構造を利用した電子波干渉デバイスと単電子デバイスという、2種類のデバイスを開発しました。
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――1995年の174号では、“原子スケール・サイエンジニアリング研究をめぐって”という主任研究員3人の座談会に登場しています。
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青柳:ナノサイエンスを理研の大きなプロジェクトにしようと、当時の青野正和、川合真紀両主任研究員と一緒にサイエンスとエンジニアリングの概念を融合して、原子1個レベルの物理現象を解明する「原子スケール・サイエンジニアリング」という分野を開拓することにしたのです。私は、サイエンスと工学とを融合してこそ、世の中を大きく変える新しい科学技術の波をつくり得ると考えています。それが理研における工学系研究の使命だと、今も思っています。
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――一番最近の記事が、2000年の229号、“ナノテクノロジーの最先端・量子ドットから量子コンピュータへ”になります。
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青柳:半導体の「発光の極限」に挑んだ報告です。深紫外線という応用範囲の広い、しかし半導体発光素子としては極限的に短い波長の光を効率よく発光させるためには、結晶を量子ドット構造にする必要があります。そこで、ガリウムアルミニウムナイトライドという材料を使って、当時不可能と考えられていた量子ドットを形成する技術を開発しました。量子ドットの研究は、一方では1995年ごろから提唱され始めた量子コンピュータに応用できると考え、当時石橋幸治研究員とともにその研究も開始したのです。これは、現在、石橋極微デバイス工学研究室に引き継がれています。
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――最後に、『理研ニュース』に対して何かコメントをいただけますか。
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青柳:『理研ニュース』は、他の分野の研究が分かりやすく書いてあり、好感を持っています。多忙な研究者が短時間で他の分野の記事を容易に理解できるようなもう一工夫があると、もっといいですね。■
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VCADシステムの新展開
ものつくりから細胞へ
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VCADとは
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「ボリュームCAD(VCAD(ブイキャド))システムとはどういうものかを、なかなか皆さんに理解してもらえなくて……」と牧野内昭武プログラムディレクターは訴える。「確かに簡単には説明できないのですが、VCADは、これからのものつくりだけでなく、医学や生命科学研究を大きく変える可能性を秘めた、とても重要なツールなのです。まずは、VCADシステムを広く一般に認知してもらうことが、私たちの大きな課題ですね」
VCADのCADはComputer Aided Design、つまりコンピュータを使って設計を行うことである。現在のものつくりの現場では、コンピュータは不可欠だ。コンピュータを使った設計、シミュレーション、加工、測定によって、開発期間は短くなり、コストダウンも進んだ。しかし現状には大きな問題がある、と牧野内プログラムディレクターは指摘する。 「別々に開発されたソフトウエアを無理やりつなげているのです。ソフトウエア間のデータに互換性がないため、各段階でデータをつくり直さなければならなかったり、変換したときにデータが欠落してしまうこともあります。その対応に費やされる人手と時間は膨大です。そこで私たちは、“今までとは違う発想で新しいものつくりのシステムをつくってしまえ”と考えたのです」 「今までのCADは、“形ありき”だった」と牧野内プログラムディレクターは言う。現在はソリッドCADが主流だ。3次元の形状を表すことはできるが、実は皮だけで、中身の情報は持っていない。しかし実際には、ものは複雑で、内部には構造があり、場所によって物性も異なる。当然、外形だけでは、ものを正確に表現したことにはならず、設計、測定、シミュレーション、加工がつながらない根本的な原因になっていた。「私たちは、“中身ありき”だと考えたのです。中身の詰まったものとして表現することで、設計から加工までを一つのデータで統一的に動かすことができる。それが、“ボリュームCAD”です(図1)」(『理研ニュース』2005年3月号参照) 理研がVCADシステムの開発に着手したのは、2001年4月。「ものつくり情報技術統合化研究プログラム」(2001〜2005年度)を立ち上げた。 「私たちが目指したのは、技術を根本的に書き換えてしまうような、次世代のものつくりの基盤です。新しいものは、そんなに簡単にできません。それでも、私たちが開発してきたVCADシステムのソフトウエアには、とてもベーシックで画期的な技術が四つほど含まれています。そして、この5年間の成果の上に、今回、ボリュームCADシステム研究プログラムが実施されることになりました」 VCADシステム研究プログラムは、7つのチームから成り、約30名の研究員が所属する(図2)。
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科学と技術をつなげる
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VCADシステム研究プログラムの研究課題は、大きく分けて四つある。VCADシステムの高度化、VCADシステムの普及、医療分野への展開、生物研究への展開だ。
「野依良治理事長が提唱する野依イニシアチブの一つに“世の中の役に立つ理研”があります。直接、世の中の役に立つのは、科学ではなく、やはり技術でしょう。科学は知を生み出し、技術は富を生み出す。科学と技術の間には、ものすごく距離があります」。牧野内グループディレクターは、VCADシステムは科学と技術をつなげることができる道具として重要だと考えている(図3)。 「科学とは知ることです。新しい現象を見つけたら、その本質を理解したくなります。理解したら、それをもとに次に起こる現象の予測をしたいと思う、そして、さらには制御したくなります。それが人の本性、いわば脳が持つ欲望ではないでしょうか。VCADシステムは、その知的な流れをサポートして、科学と技術をつなぐ道具として使えるのです」 VCADシステムの普及に向けて、現在、二つの方法を考えている。一つは、会員制のVCADシステム研究会である。開発したソフトウエアを会員に使ってもらい、その結果をフィードバックしてもらうことで、より高機能で使い勝手の良いものにしていく。現在、33社の企業と大学などの研究者21名が参加している。 もう一つは、もっと多くの人に使ってもらうことを目指した、ソフトウエアの公開である。今年7月、数種類のソフトウエアを公開し、無償でダウンロードできるようにする予定だ。「VCADシステムは、世界のどこにもない技術です。海外からも注目されることでしょう。反応が楽しみです」と、牧野内プログラムディレクターは、期待を膨らませている。 しかし、ソフトウエアの公開だけでは、本当に普及し、実用化されていることにならないと、牧野内プログラムディレクターは考えている。無償のソフトウエアは保証がないため、それを現場で使うことには、多くの企業が躊躇(ちゅうちょ)するだろう。普及には、やはりアフターケアや使い勝手の良いインターフェースを備えた商品化が不可欠だ。 商品化には、各研究チームと普及推進チーム、そして理研ベンチャーなどの企業が綿密な連携を取る必要がある。「今までの理研の考え方や方法とは違うことをしないと、企業とはやっていけないと思います。理研の知的財産戦略センターの活動の一つとして、VCADシステムを技術移転のモデルにしたいですね」
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生きた細胞をコンピュータの中に
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VCADシステム研究プログラムの研究課題について、牧野内プログラムディレクターはこう語る。「“医療分野への展開”と“生物研究への展開”は、まったく新しい課題です。今まではものつくりでしたが、その技術の上に医学や生物の研究をやっていきます。それも、研究で終わるのではなく、人の役に立つところまで持っていきたい」
VCADシステムは、人工物だけでなく、生体を含めた自然物も扱うことができるのも、大きな特徴の一つだ。「例えば、人工股関節をつくろうとしたとき、患者さんの体をCTの測定データからモデル化し、患者さんに合った人工股関節をその中に設計し、その動きを調べることができたらいいですよね。人工物も自然物も同一データ形式のモデルとして統一的に扱うことができるVCADシステムが、医学の分野で使われる時代がきっと来るでしょう」 さらに、牧野内プログラムディレクターは続ける。「これから面白くなると思っているのが、細胞ですね。“ライブセルモデリング”というテーマで研究を始めます」。これは、先端的な研究や異分野の融合的研究の支援を目的とする理研の戦略的研究展開事業(理事長ファンド)の一つである。理研の6つの研究所・研究センターの研究者が参加している。 「細胞は、核やゴルジ体、小胞体などさまざまな小器官が集まって一つのシステムをつくっています。理研には細胞の研究をしている研究室がたくさんあって、個々の器官や部分に関してはそれぞれが非常に深く研究しています。どれも世界トップの研究ばかりです。でも、細胞全体をシステムとして研究する手段がなく、誰もやっていませんでした」。牧野内プログラムディレクターは、そこに目を付けた。 「VCADシステムを使えば、生きた細胞について、小器官を含んだ3次元構造や小器官の間の物質移動などの生命現象を、丸ごとモデル化することができるようになると考えています。もちろん、山のように課題があります。けれども、理研で次世代のスーパーコンピュータ(10ペタフロップスコンピュータ。『理研ニュース』2006年4月号参照)の開発も始まり、道具もそろってきます。チャレンジするなら今です」 細胞の構造をコンピュータの中に再現することは、大きな目標への最初の一歩だ。「コンピュータの中に生きた細胞のモデルをつくり上げ、それを公開していく。世界中の研究者のための研究基盤ツールとして細胞機能の解明や予測に使われるものにするというのが、次の目標です。そうなれば、機能を制御する、つまり創薬へつなげるという大目標への道筋も見えてくると考えています」 |
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理研のものつくり研究
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牧野内プログラムディレクターが理研に入所したのは1969年。『理研ニュース』が創刊された翌年だ。牧野内プログラムディレクターは、当時をこう振り返る。「そのころは、ものつくりに近い工学系の研究室が6つもあったんです。理研の歴史をひもとくと、工学は重要だった。でも最近は、工学の影が薄いように感じています。もちろん研究にも時代の流れがあります。最近、科学研究にはオリジナルな計測手法や計測装置が重要だという声が理研の研究者の間からも聞かれるので、再び工学の重要性が高まってくるのではないでしょうか」
また、「継続は力だと思うのです」と強調する。「新しいものをつくるためには、一つ一つ積み上げて、時間をかけて熟成させていくことが必要です。5年やったら別のことをやる、それでは、世界最先端の分野を切り拓くのは難しい。もう少し継続性を考えないと、理研、ひいては日本の研究が、短時間で結果の出る課題にどんどん流されていってしまうのではないかと危惧しています」 では、理研のものつくり研究の未来は? 牧野内プログラムディレクターの答えは明確だった。「VCAD研究については、前の5年を土台に新たな5年を始めることができました。7人のチームリーダーのもとに、意欲を持った優秀な研究者が集まっています。数学、幾何学、力学、計測、ソフトウエアシステム、加工、生物科学など実に広い範囲の専門家たちで、3分の2は前からの継続、3分の1はこの4月から新しく参加した人です。継続は力。それに新しい力が加わりました。これからの5年は、大いに成果が出ると確信しています」■
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理研の研究施設を一般公開
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当研究所は、科学技術週間(4月17日〜23日)に合わせて、和光研究所をはじめ各所を一般に公開しました。それぞれの研究所ではさまざまな催しが行われ、理研の研究内容をアピールするとともに、地域との交流を深める絶好の機会となりました。 ![]() |
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●和光研究所
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和光研究所は4月22日(土)に施設を一般公開しました。各研究室や研究施設では、体験型の展示やパネルを使い研究内容を紹介しました。講演では、牧島一夫主任研究員(中央研究所 牧島宇宙放射線研究室)が「地上からでは見えない宇宙」、加藤礼三主任研究員(中央研究所 加藤分子物性研究室)が「分子でつくる半導体、金属、超伝導体−新世代電子材料への旅−」と題して最先端の研究を紹介、両講演とも多くの来場者がありました。小・中学生向けイベントも好評で、「アンモナイトのキーホルダーを作ろう!」、「科学戦隊“実験ジャー”」などは多くの家族連れでにぎわっていました。また、最先端の重イオン加速器施設“RIビームファクトリー”の施設公開にも多くの人が集まっていました。約6700名の来場者がありました。 |
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●筑波研究所
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筑波研究所は一般公開を4月19日(水)、特別公開を22日(土)に開催しました。今年は微生物材料開発室の展示も筑波で行うことになり、それに伴って展示スペースを拡大し、全体の展示方法や実演コーナーにも工夫を加えました。「研究を支えるマウスやシロイヌナズナの人類的価値」、「DNAや遺伝子の研究解明の現状」、「再生医療で注目されている幹細胞」、「ヨーグルトなど身の回りの微生物たち」などを説明した各ブースではパネルや実物を前に、来場者は研究者の熱心な説明に耳を傾けていました。また、ペーパークラフトによるDNA工作教室の開催やビデオ「遺伝子の謎を追え!」の上映なども行いました。「マウスの毛色のしくみと遺伝子」のミニ講座、記念写真入りカレンダーの作製なども好評でした。晴天にも恵まれ、昨年より多い約1100名の来場者がありました。 |
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●播磨研究所
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播磨研究所は4月23日(日)に、大型放射光施設SPring-8の施設公開に合わせて一般公開しました。新竹積(しんたけつもる)主任研究員(放射光科学総合研究センター)が「X線自由電子レーザー」について講演し、会場は満席となりました。X線自由電子レーザー試験加速器も初めて一般に公開され、ウイルスが細胞に感染する仕組みを体験する「細胞の世界 〜君もウイルスになって細胞に感染するのだ!〜」や、蓄積リング棟の理研コーナーなど、世界最先端を走る研究者と研究施設に多くの人たちが高い関心を示し、大盛況となりました。当日はあいにくの悪天候でしたが、SPring-8施設全体で昨年を上回る約2900名の来場者がありました。 |
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理研の新しい広報媒体『RIKEN Research』
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当研究所は7月初旬から、主に研究者を対象とした新しいホームページと冊子、『RIKEN Research(リケン リサーチ)』をスタートさせます。『RIKEN Research』では、理研の研究者が公表している数多くの論文の中から記者発表された論文など、選りすぐりの論文について、要約と簡単な解説を英文および和文で作成し、ホームページで公開します。また、その内容の一部を抜粋して毎月、冊子(英文のみ)で発行します。今回の試みは、野依良治理事長が提唱する野依イニシアチブの中の“見える理研”の一環として、理研の研究成果のいっそうの普及と理研の認知度の向上を目的としています。ご期待ください。 |
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放射光科学総合研究センター 新チームリーダー紹介
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RIBF実験棟に美術作品を展示
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当研究所は研究活動の活性化のため、「文化向上」に取り組んでいます。その一環として、東京芸術大学の米林(よねばやし)雄一教授の彫刻「微航音」と櫃田(ひつた)伸也教授の油絵「通り過ぎた風景」を、和光研究所のRIBF実験棟の1階ロビーに展示しました。昨年12月に野依良治理事長出席のもとで行われたお披露目式で、両教授による自作の紹介がありました。「微航音」は空間への広がりを表現した作品、「通り過ぎた風景」は少年時代の記憶に残る交差する道、池などをイメージした作品です。今後、東京芸術大学と協力し、共同研究の実施、セミナーの開催、学生の作品の展示などを計画しています。
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『理研ニュース』300号記念特集号、発刊に際して
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『理研ニュース』が“300号”を迎える。1968年(昭和43年)に創刊、休刊の一時期もあったが、四半世紀以上も綿々と続いてきた。その間理研は大きく変貌(へんぼう)し、人員も組織も当時とは比較にならないほど大きくなった。そして、広報を取り巻く環境も大きく変化した。2003年(平成15年)に独立行政法人になったこと、またそれと同時に就任した野依良治理事長が「見える理研」を標榜(ひょうぼう)したこと、さらに国も研究所の説明責任や科学への理解増進活動の必要性など広報活動の重要性を説いている。ここまで『理研ニュース』が続いてきたという事実は重要だ。多くの読者に支えられ、また多くの先人の苦労を思う時、“300号”は記念すべき一里塚ではあっても通過点にすぎない。今また、より良い『理研ニュース』のために、気持ちを新たにしたい。 |
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広報室長 矢野倉 実
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『理研ニュース』はこうして始まった
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――『理研ニュース』の創刊号は1968年、特殊法人10周年を記念して発行されています。当時の理研はどんな雰囲気でしたか?宮川:私が理研に入ったのは1959年でした。1958年に株式会社 科学研究所から特殊法人 理化学研究所になり、「昔の理研の栄光を取り返そう」という動きがあって、それに関連した方から「理研で働いてみないか」と勧められ、理研に勤めるようになりました。当時は、戦前に比べると、研究所としてのポテンシャルは総合的には低かったと思うんですよね。特殊法人化するときには、田中角栄氏がいろいろ活動したとか、議員立法で理研法をつくったとかさまざまな逸話があります。そういう状況で特殊法人理研が発足して、一番力が入ったのが、研究所の駒込から和光市への移転でしたね。特に当時の副理事長、坂口謹一郎先生は「いずれ世界の理研になるんだから、そのためには10万坪の土地が必要だ」と言われた。当時、駒込は1万坪あったかないかです。「移転するのに10万坪も必要とは何事か!」と言われたりして(笑)。 ――当時から世界が射程に入っていたんですね。それから10年後、いよいよ『理研ニュース』の誕生となるわけですが。 宮川:今と違って研究所の広報活動に対して理解がなく、反対する人だっていたくらいです。サイエンスは、研究者の自然に対する好奇心が基本で、人に宣伝することじゃないと(笑)。 ――雰囲気が変わったのは、ここ10年くらいでしょうか。 宮川:研究活動そのものが社会と切り離せなくなってきた。税金を使わせてもらっている以上、一般の人々の理解も得なくてはならない。そういう考え方が前面に出てきて、今やそれが常識になっていますね。 ――『理研ニュース』創刊時の制作体制は? 宮川:私一人でやっていたようなものです。誰かいたかなと思い返してみても、いないんですよね。最初の数号は、もっぱらひな型づくりでした。創刊号で“バンデグラフ型加速器”を取り上げて、私たちを含めた「素人のレベルに分かるかな」という思いで書いて、研究者に持っていっては、「これは全然違う」、「ここはこう書いたらどう」とか議論しながら走りだした感じです。 ――最初の10号までは、今の“研究最前線”に相当する記事は無署名になっていますね。 宮川:ひな型として私がまとめていましたから、文責を研究者にはしませんでした。しかし、それを先生方に見せれば「なるほど、こんな程度か」と、書きやすくなるわけです。書いてくれる人がいれば幸いだし、いなければ記事書きする。そのうちに、だんだん種切れになってきて(笑)。 ――最初の約3年間は月刊で出されています。その後、しばらく休刊に。原稿集めのご苦労は? 宮川:いくらでもありますよ。その苦労が嫌になって休刊することになったんでしょう。『理研ニュース』の発行は必須の仕事ではなかったんです。「原稿集まりませんよ」と言えば、「じゃあ仕方ないか」という雰囲気でした。 『理研ニュース』9号(1969年6月号)の“ウラン濃縮に関する研究”は遠心分離法ですが、最初は理研で大山義年先生のグループが実験していました。その後、動燃事業団に技術移転され巨大プロジェクトに成長し、実用化されます。理研の実験はほんの入り口ですから、だんだん実験の規模が大きくなるにつれて理研の“理”の字も出てこない。そこをあえて書いたら、坂口先生がわざわざ手紙をくれて、「研究でも技術でも、非常に原初的な実験や研究で、後に世に広がっていったものが、理研には結構ある。それを世の中に理解してもらうには、自らニュースとして発信することが大切です」と、お褒めの言葉をもらって、あらためて気合が入ったことを覚えていますね。 ■ |
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