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10ペタフロップス・コンピュータへの挑戦
姫野龍太郎 次世代スーパーコンピュータ開発実施本部 開発グループディレクターに聞く |
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目標は世界最速の10ペタフロップス
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――日本が目指す次世代コンピュータとは?
姫野:完成時には世界最高速となる汎用のスーパーコンピュータです。目標性能は10ペタフロップス(1秒間に1京(けい)[1016]回の演算を行う)、完成予定は2012年3月です。 ――2005年11月現在、世界最高速のコンピュータは米国の“ブルージーンL”で、280.6テラフロップス(1テラ=1兆[1012])です。その約50倍に当たる10ペタという目標値は、どこから出たのですか。 姫野:これまでの計算速度の推移からすると、2010年には2〜3ペタフロップスのコンピュータができるでしょう。10ペタであれば、2012年の完成時点で世界最高速になれるだろうというのが一つです。しかし、私たちは一瞬の記録達成が目標ではありません。今までできなかった計算が可能になり、画期的な成果を出すためには、どういうコンピュータをつくるべきか。そういう観点で次世代コンピュータを考えた結果、10ペタになったのです。 ――この時期にスタートする理由は? 姫野:横浜にある(独)海洋研究開発機構の“地球シミュレータ”(35.8テラフロップス)は、稼働してすでに4年がたっています。スーパーコンピュータの開発には、計画から完成まで5年はかかります。前の開発から10年以上空いてしまうと、その間の技術の進歩が大き過ぎて、追いつけなくなってしまいます。もうタイムリミットなのです。 ――どういう経緯で、次世代スーパーコンピュータの開発が決まったのですか。 姫野:2005年の初め、私は理研科学者会議※2で、10ペタフロップス・コンピュータをつくりたいという話をしました。「10ペタができれば生命現象をシミュレーションできるんだ」と熱く語ったのですが、生物学の研究者たちの反応はとても冷ややかでした。実験が中心の彼らにとって、コンピュータ屋の私は異端に見えたのでしょう。 しかし、ここからが理研のすごいところなのですが、みんな科学者としての良識を持っているのです。科学の世界では、多くの人がまだ疑っているときに、ごく少数の人が信念をもって始めたことが、新しい発見につながってきました。だから、理研の研究者たちは、みんなが反対しているからといって「やめろ」とは言わない。議長である茅幸二 和光研究所所長のアドバイスもあり、ワーキンググループをつくって議論することになりました。その結果をもとに科学者会議でも議論を重ね、2005年7月に“ペタフロップス・コンピュータの必要性と研究開発方策について”という提案を理事会に出し、それを受けて、理事会が決定を下したのです。そして2005年10月、次世代スーパーコンピュータの開発を検討していた文部科学省によって、理研が開発主体に選定されました。 ――理研が選定された理由は? 姫野:コンピュータは道具であって、それを使ってどういうサイエンスをやるのかが大事です。理研にはいろいろな分野の研究者が集まっていますから、広い研究分野のニーズがあります。 これまでも、理研は分子や原子間に働く力を計算する分子動力学専用機の開発を継続的に行ってきました。理研ゲノム科学総合研究センターの泰地真弘人(たいじまこと)チームリーダーらが開発中の“MDGRAPE(エムディーグレープ)-3”は間もなく完成し、世界で初めて1ペタフロップスを達成するでしょう。また理研は、スカラー機(逐次処理タイプ)とベクトル機(並列処理タイプ)と専用機を組み合わせた複合コンピュータを世界で初めて開発したという実績もあります。 理研は次世代コンピュータを開発する技術的な能力があり、かつ幅広い分野での利用をサポートできるという点が評価されたのだと思います。SPring-8など、これまでに大型プロジェクトを成功させてきた実績も大きいですね。 |
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10ペタは何を可能にするのか
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――10ペタフロップス・コンピュータが完成したら、何が可能になるのでしょうか。
姫野:生命現象そのものをコンピュータでシミュレーションできるなんて言ったら、今は荒唐無稽(こうとうむけい)です。しかし、10ペタフロップス・コンピュータならば、それができるのです。 タンパク質と分子との反応、膜タンパク質が特定の分子だけを選んで細胞内に取り込む動き、DNAの複製やRNAへの転写、傷付いたDNAの修復、そういった生命現象はすべて原子と原子の間に働く力が支配しています。だから1個1個の原子に働く力を計算すると、生命現象そのものをシミュレーションできます。10ペタフロップス・コンピュータは100万個の原子を扱うことができ、1日かければ20ナノ秒間のタンパク質の反応をシミュレーションすることが可能です。1ヶ月で、タンパク質の一つの反応を観察することができるでしょう。 私たちがつくるのは、汎用機です。地球科学、環境、エネルギー、ナノサイエンス、ものづくりなどいろいろな分野でも、大きなジャンプが期待されています(図1)。 ――産業界にも開かれるのでしょうか。 姫野:もちろんです。私は自動車会社で20年近く流体シミュレーションを研究していましたから、シミュレーションがいかに製造原価を下げ、より良い設計に役立っているかを知っています。10ペタフロップス・コンピュータは、産業界にも大きなメリットがあるはずです。 ただし、単なる計算時間の短縮のためには使ってほしくありません。これは科学研究にもいえることですが、このコンピュータでしかできない計算に使ってもらいたいですね。例えば、燃料電池用の画期的な触媒を見つけるために、あらゆる材料について合成の比率を変え、しらみつぶしにテストするといった使い方は面白いでしょう。すでに、産業界からもいろいろな提案をいただいています。 使いこなすためにはノウハウも必要ですから、利用の支援や、技術者の教育も行っていきたいと考えています。日本のスーパーコンピュータの開発は、これで終わりではありません。実は、物質から血流、運動など人体を丸ごとシミュレーションするためには10ペタではとうてい足りません。私たちは100ペタ、さらにはエクサ(100京[1018])と、継続的に開発していかなければならないのです。次々世代のスーパーコンピュータをつくる若い技術者や学生たちの養成も、私たちの重要な任務です。 ――ハードウエアの構成は? 姫野:専用機とベクトル機とスカラー機を組み合わせた複合型を提案しています。幅広い分野をカバーしようとしたら、互いの弱点をカバーできる複合機の方が有利です。 しかし、ハードウエアよりも、何をやるのかというアプリケーションの検討が先です。1月下旬、国内の物理、化学、地震、生物、宇宙、気象などさまざまな研究分野の代表的な研究者に集まっていただき、アプリケーション検討部会を開催しました。今のコンピュータではできないけれども10ペタフロップスであれば可能で、2012年以降に重要なテーマを提案していただきました。それをもとに、ターゲットとするアプリケーションをいくつか決め、それに対して一番性能が発揮できるハードウエアの構成を決定します。 ![]() |
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2012年3月完成
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――完成までのスケジュールを教えてください。姫野:まずアプリケーションの検討を進め、2006年度に概念設計を行います。その後、詳細設計、回路設計などを行い、2010年4月から製造を開始します。夏から組み立てを行い、2011年3月には部分完成し、4月からは一部稼働を始める予定です。並行してシステムの増強を行い、完成は2012年3月。そして2012年4月からフル稼働というスケジュールです。 私たちがやらなければならないのは、完成したコンピュータをきちんと動かして、世界初の画期的な計算結果を半年以内に示すことです。最初は、ナノサイエンスと生命科学の複数のテーマで実証研究をやろうとしています。『Nature』や『Science』の表紙を飾るような新しい結果を出しますよ。 ――建設場所は? 姫野:これから検討します。建設に当たっては、コンピュータを見せる工夫をしたいと思っています。まだイメージの段階ですが、コンピュータ室を球形にすることを考えています(表紙上段、図2)。球形は、各コンピュータを結ぶ配線ケーブルを最短にできる理想の形なのです。そして、外壁はぜひクリアガラスにしたい。計算結果をディスプレイするのもいいですね。研究者だけでなく、大人も子供も集まってくる。そういうセンターをつくりたいのです。科学は、みんなに支えられてこそ存在できるものです。それは肝に銘じていないといけないと思います。 世界のどこからでもネットワークを通じてコンピュータを使えるようになりますが、このセンターを世界中の研究者が集まる拠点にしたいと考えています。良いシミュレーションは、良い実験結果とセットでなければなりません。シミュレーションする人と実験する人、さらには違う分野の研究者とが互いに切磋琢磨(せっさたくま)することで、科学は進歩します。そのためにも、研究者同士が実際に顔を合わせて議論をすることは不可欠です。 |
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原動力は夢
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――姫野グループディレクターは、流体シミュレーションが専門ですね。
姫野:私が車の周りの空気の流体シミュレーションを始めたのは1985年です。そのころはまだ誰もやっていなかったので、何を計算してもすべて世界初でした。面白かったですよ。もちろん、最初は本当に簡単なことしかできませんでした。それが、今では非常に複雑なことまでできるようになった。それは、そうなることを夢見てやってきたからです。 ――次世代、次々世代のコンピュータの開発に一番必要なものは? 姫野:夢、かもしれませんね。一人で使うのであれば、パソコン1台か、何台かつないだクラスタで十分です。なぜ10ペタフロップス・コンピュータをつくるかというと、新しい方法を生み出し、研究を加速度的に飛躍させ、新しい世界を広げたいという夢があるからです。私には、コンピュータの中で生命の不思議が解明されるところを見たいという夢があります。世界で誰もやっていない初めてのことをする、その気分は最高です。その喜びをぜひ多くの研究者にも味わってもらいたいですね。■ |
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安全な農薬で食糧問題に貢献する
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長年使って安全なものが、安全
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「ミカンから抽出した苦み成分の抗菌効果を調べるために、重曹を混ぜて溶かしました。すると苦み成分の方ではなく、重曹に高い抗菌効果があることが分かりました。これが今の研究につながる最初のきっかけです」。有本研究ユニットリーダーは、約30年前の出来事をこう振り返る。
重曹は、ふくらし粉や胃薬の成分として、長年使われている化合物である。「私たちは、農薬の安全性について考えてきました。農薬の開発では、毒性や環境への影響について大変厳しい検査が行われています。しかし、例えばある種の化合物が“環境ホルモン”(内分泌攪乱(かくらん)物質)として働く可能性が指摘されるなど、予想外の問題点が見つかる場合があります。予想外の悪影響は、長年使用することで初めて明らかになります。安全性の問題で私たちがようやくたどり着いた結論は、“実際に長い間使って安全だったものが、安全だ”というものです。それは、食品や食品添加物として長年使われてきたものです。これらを防除に用いるというコンセプトをSaFE(セーフ)(Safe and Friendly to Environment)と名付け、新しい農薬の開発を始めました」 |
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コーティング剤の発明
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有本研究ユニットリーダーらは重曹を主成分にした薬剤を開発し、1982年に農薬登録の認可を得た。しかし、ここからが苦難の始まりだった。この農薬は、果樹や野菜の主要な病気である、うどんこ病の防除に高い効果を示したが、薬害も発生してしまったのだ。「乾燥した温室で作物に散布すると、水分が蒸発して重曹の結晶ができます。その結晶が夜露(よつゆ)に溶けて大変濃い溶液となり、作物に被害を与えたのです」
その後、重曹(炭酸水素ナトリウム)のナトリウムをカリウムに置き換えた重カリ(炭酸水素カリウム)にも同じ防除効果があることが分かった。重カリも欧米では食品添加物として使われている。日本でも、医薬品や肥料などとして長年使われてきた化合物である。「私は何とか結晶化を抑えて薬害を防ごうと、重曹や重カリに、いろいろな薬品を混ぜる実験を繰り返しました」。有本研究ユニットリーダーらは、およそ500〜600種類の薬品を試したが、どれもうまくいかず、4年の年月が過ぎようとしていた。 「さすがに、もうあきらめようと思っていたときです。重曹を試験管に量り分けると、予定よりも1本多く余ってしまいました。そこで、最後の期待をかけてグリセリン脂肪酸エステルという薬品を混ぜてみたところ、それが大当たりでした」 この混合物を水に溶かすと、直径0.1〜0.03mmほどの液滴ができた。この液滴は、重曹が濃度の高いままグリセリン脂肪酸エステルの膜に閉じ込められたもので、重カリでも同じ現象が起きた(表紙下段の背景画像)。「従来は水で200倍に薄めた濃度でカビの防除効果が出たものが、1000倍に薄めた濃度でも効くようになりました。溶液全体としては濃度がとても低くなったので、植物は重カリを解毒できるようになり、薬害が大幅に軽減されました。ただし、部分的に存在している液滴の中の重カリの濃度は大変高いため、カビには十分な防除効果を発揮するのだと考えられます。食品や食品添加物は、そのままでは防除効果が弱いので、このコーティング技術のような製剤技術が重要なポイントになります」 有本研究ユニットリーダーらは、重カリを有効成分とする薬剤を開発。1993年に農薬登録の認可を得て、「カリグリーン」(東亞合成株式会社)という製品名で発売された。この農薬は、肥料としても働き、植物の耐病性を高め、治療効果もある。 現在、カリグリーンは米国カリフォルニア州の“オーガニックワイン”用ブドウ栽培の9割以上に使われている。「カリフォルニア州は自動車の排気ガス規制など厳しい環境基準で有名なところです。カリグリーンはその高い安全性により、カリフォルニア州の有機栽培の厳しい基準に合格したのです」。日本では主にイチゴやキュウリの防除に用いられるなど、世界各国でカリグリーンが使われている。カリグリーンは、食品や食品添加物を防除に用いるというSaFEのコンセプトを世界に示す実例となった。 |
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農薬の耐性問題を克服
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「実際に製品化されたカリグリーンを手にしたときの感激は格別でした。しかし、すぐにある疑問が生まれてきました。カリグリーンでは防除できない病害虫がたくさんあるので、従来の農薬も併用されます。するとSaFEというコンセプトで開発した私たちの農薬は何の役に立つのだろう、という疑問です。あらゆる病害虫を安全な農薬で防除できなければ意味がないのです。私たちは、ほかの主要な病害虫を防除するための研究を進めました」うどんこ病を引き起こすカビは、その“本体”が植物の外側にあり、“根”を植物の中に突っ込んで養分を吸って生育する。植物の外側にあるカビの本体にカリグリーンが作用することで、防除効果を発揮するのだ。しかし、作物に被害をもたらすカビのほとんどは植物の内部に入り込んで生育するので、カリグリーンは効かない。「では、病害虫で本体が植物の外側に出ているものはほかにないかと考え、多くの作物に被害をもたらす主要害虫であるダニをターゲットにすることにしました。ダニは植物の外側から“口”を突っ込んで、植物の養分を吸います。うどんこ病を引き起こすカビと“存在の仕方”が同じだと考えたのです。みんなに笑われましたが、私は病理学者でも動物学者でもないので、かえって大胆な発想ができたのが良かったのだと思います」 有本研究ユニットリーダーらは、約1000種類に及ぶ食品や食品添加物、その仲間の化合物をダニにかけて効果を調べ、ケーキの気泡保持剤として使われるプロピレングリコール脂肪酸エステルに効果があることを見いだした。そしてこの化合物を有効成分とする薬剤を開発。2001年に農薬登録の認可を得て、「アカリタッチ」(東亞合成株式会社)という製品名で発売された。 この農薬は、プロピレングリコール脂肪酸エステルそのものが、濃度の高いまま、直径0.05〜0.03mmほどの液滴となって水の中に分散している。この液滴が、ダニの呼吸する穴(気門)をふさぎ、窒息死させると考えられている(図1)。「従来の化学農薬は、代謝系のある経路をピンポイントでブロックするので、迂回(うかい)路を持った害虫がすぐに出現します。殺ダニ剤は3〜5年で耐性ダニが現れて効かなくなってしまいます。現在、市販されているどの農薬をまいても防除できないダニがいるのですが、唯一、ダニを窒息死させるアカリタッチだけは効果があります」 カリグリーンにも耐性の問題は発生していない。「カリグリーンの発売後、素晴らしい効果を持つ2種類の化学農薬が発売されましたが、どちらも数年で耐性菌が出現して効かなくなりました。1993年にカリグリーンが発売されてから約13年になりますが、耐性問題は報告されていません」。カリグリーンは、カビの代謝系をピンポイントで抑えるのではなく、高い濃度の重カリの液滴が、カビの体内のイオンバランスを崩し、代謝系全体に影響を与えるため、耐性が出ないのだと推測されている。
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植物はなぜ病気になるのか?
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有本研究ユニットリーダーらは、SaFEに基づく新しい農薬の開発を続けるとともに、植物が病気になるメカニズムの解明にも取り組んでいる。「糸状菌と呼ばれるカビは、約6万種類が知られていますが、例えばイネに害を及ぼす菌は約60種類。このうち、大きな被害をもたらし、防除が必要なものは、ほんの数種類にすぎません。なぜ、ある特定の菌だけが、特定の植物だけに侵入して病気を引き起こすのか。それを知りたいのです」
有本研究ユニットリーダーは、カンキツ緑カビ病菌がミカンの細胞に侵入するメカニズムに注目した。この菌はさまざまな植物の死んだ細胞を養分にして生育できるが、生きている植物ではミカンにだけ、しかも皮に傷がなければ発病しない。「この謎をどうすれば解けるのか、四六時中考えていました。しかし解明するための糸口が見つかりません。あるとき、皮から分泌される成分を取り除いてみようと、皮を傷付けた後、すぐに水で洗ってみました。すると発病しなかったのです」 ミカンの皮が障壁となり、菌の侵入を防いでいるわけではなかったのだ。この発見をきっかけに、有本研究ユニットリーダーらは、次のような発症過程を突き止めた。この菌は死んだ細胞でなければ栄養として消化できない。皮が傷付くと皮から油成分が分泌されて、ミカン内部の細胞が死に、菌が栄養として消化できる。「しかし油成分をすぐに洗い流すと、ミカン内部の細胞は生きたままなので、菌は栄養として消化できず発症しないのです」 菌がミカンの細胞を消化して養分にするとき、酸性物質ができて、水素イオン濃度のpH(ペーハー)値が3.5に下がる。すると菌の性質が変わり、周りの生きた細胞の細胞壁に穴を開けて侵入するようになる。このようにしてミカン内部へと菌が侵入し、カンキツ緑カビ病が発病することが分かった。「pHが3.5に下がると菌の性質が突然変わり、生きた細胞を攻撃し侵入し始めるのです。まるで満月を見ると突然変身する“おおかみ男”のようです。ただし、ミカン以外の植物では酸性物質ができないので、pH値が3.5にまで下がりません。だからカンキツ緑カビ病は、生きた植物ではミカン以外には発病しないのです。それでは生きた細胞と死んだ細胞で何が違うのか。それはまだ謎です」 さらに有本研究ユニットリーダーは、根や茎の傷から侵入したトマト萎(い)ちょう病菌が、葉には侵入しない原因を突き止めた。「この菌が“おおかみ男”になる条件は、グルタミン濃度でした。トマトの根や茎はグルタミン濃度がとても高いのですが、葉の部分だけは低いため侵入しないのです(図2)。トマト以外の植物もグルタミン濃度がとても低いので、トマト萎ちょう病は発症しません。グルタミン濃度がある値を超えると、菌の中で何らかの遺伝子にスイッチが入り、侵入を始めるのだと思います」 最後に、有本研究ユニットリーダーは、今後の目標を次のように語った。「植物の発病メカニズムの解明はとても難しく、これまでほとんど成果が得られていない研究テーマです。研究者の純粋な疑問をじっくりと追求できる理研中央研究所だからこそ可能な研究テーマなのだと思います。発症メカニズムが分かれば、やがて、より安全で効果が高い、画期的な防除法を生み出せるはずです。SaFEに基づく安全な農薬をさらに開発するとともに、植物の発病メカニズムを解明するための新しい切り口を見つけ、多くの研究者がこの研究に参加したくなるような新領域を示したいですね」■ ![]() |
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歴史秘話 サイクロトロンと原爆研究(後編)
中根良平 元理研副理事長に聞く |
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入手できなかった設計図
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――矢崎博士たちはサイクロトロンの設計図の青焼きをもらえなかった、ということですか。
中根:そうなんです。当時、ローレンスは原爆開発を検討する“ウラン委員会”の委員で、中心人物でした。ですから、本来、日本には情報は出せないはずなのに、いろいろなところを見学させてくれました。さらにサイクロトロンの設計図の青焼きをつくることを約束し、弟子のD. クックセイに指示したことも事実です。ところが、矢崎先生が帰国する1940年11月になってもクックセイは青焼きをつくってくれません。そこで矢崎先生は、米国に滞在していた高嶺俊夫先生に青焼きを受け取るように頼んで帰国したのです。しかし高嶺先生がクックセイに問い合わせると、「申し訳ないが青焼きはつくれない」という断り状が届きました。その断り状を高嶺先生は仁科先生あてに送りました。それを、駒込にあった昔の理研の、仁科先生の部屋(現在は仁科記念財団)で、私たちは最近発見したのです。 ――なぜ、ローレンスから設計図の青焼きをもらったという話になったのでしょうか。 中根:それは分かりませんが、仁科先生は断り状が届いたことをみんなに言わなかったようです。 矢崎先生たちが米国視察でより参考としたのは、ローレンスのところよりも、仁科先生がドイツ・ハンブルクに留学していたときの共同研究者だったコロンビア大学のI. I. ラビのサイクロトロンでした。ちょうど解体修理中で、内部を詳しく見せてくれたようです。そこで得た知識をもとに、1942年に大サイクロトロンの設計図を独自に描き直したのでしょう(図1)。 ![]() |
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知られざる原爆研究の実態
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――中根先生が理研に入ったのはいつですか。
中根:大学卒業が半年早まって、1943年10月に駒込にあった理研に入りました。そしてすぐに軍隊に入り4ヶ月間訓練を受けた後、技術将校として理研に戻り、“ニ号研究”と呼ばれた原爆研究に携わりました。 ――“ニ号研究”の具体的な内容は? 中根:竹内 柾(まさ)先生らによる“熱拡散法”によるウラン濃縮。飯盛里安(いいもりさとやす)先生らによる朝鮮半島や旧満州、日本占領地などでのウラン鉱石の探索。そして大サイクロトロンの建設です。1943年末には、大サイクロトロンが完成しました。1944年3月には理研の49号館に熱拡散塔が完成し、ウラン濃縮実験を開始。また荒川工場で酸化ウランの製造を行いました。そして核分裂の連鎖反応を実証する実験を目指しました。 ――実際に原爆をつくる研究ではなかったのですか。 中根:私たち“ニ号研究”のメンバーは、誰も原爆ができるとは思っていませんでした。仁科先生も私たちも、玉木英彦先生が核分裂の連鎖反応に必要と計算した10%濃度のウラン235、10kgを熱拡散法でつくることは不可能だと分かっていましたから。ですから1938年の核分裂発見から、米国があんなに短時間で原爆を完成させるとは思ってもみませんでした。戦後、「よく原爆研究なんて恐ろしいことをやっていたね」と言われるのですが、当時は核分裂の連鎖反応が本当に起きるのかどうかも分からなかったのですから、今とはまったく感覚が違います。私たちはあくまでも基礎研究のつもりでした。 ――理研や仁科研究室の総力を挙げて“ニ号研究”に取り組んだのではないのですか。 中根:それもまったく違います。仁科研究室でも宇宙線や理論の研究をしていた人たちは、“ニ号研究”にノータッチでした。朝永振一郎先生(1965年、ノーベル物理学賞)が“ニ号研究”への協力を申し出ましたが、仁科先生は必要ないと断ったそうです。“ニ号研究”に携わったのは、木越邦彦さんや私のように大学を出てすぐに採用された8人と、陸軍航空本部から派遣された技術将校が数人。そして玉木英彦先生、竹内柾先生と飯盛研の畑晋(はたすすむ)先生、長島乙吉(おときち)先生です。サイクロトロンのメンバーは大サイクロトロンの建設が“ニ号研究”に組み込まれていることを知らなかったためか、“ニ号研究”とは関係ないと思っていたようです。 やがて1945年になると、空襲によって49号館の熱拡散塔や小サイクロトロン、荒川工場も破壊され、何の成果も挙げられないまま“ニ号研究”は中止となりました。そのころ、こんな話が伝わってきました。神風特攻隊の隊長が「やがて日本ですごい爆弾ができる」と言って若者たちを送り出したというのです。私は申し訳なく、何ともいえない気持ちになりました。仁科先生もずいぶん苦しまれたと思います。 |
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被ばくしたレントゲンフィルム
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――1945年8月6日、米国が広島に原爆を投下し、仁科博士が調査に派遣されましたね。中根:8月7日に開かれた閣議で、「広島に投下したのは原爆だ」と米国が発表した“トルーマン放送”が報告されます。しかし軍部には謀略ではないかという人もいて、仁科先生を広島に派遣して本当に原爆かどうか確認してもらうことになりました。そして仁科先生が原爆に間違いないと判断したことが9日の閣議に報告され、大多数の意見がポツダム宣言を受諾して降伏しようということになったそうです。 広島に行った仁科先生は、爆心地から南へ1.5kmほどの距離にあった赤十字病院に行きました。原爆が爆発すると中性子と同時にガンマ線が発生するので、レントゲンフィルムが感光しているに違いないと考えたのです。ちょうど8月6日の朝に装置にセットしてあったフィルムを現像すると、真っ黒に感光していました。ところが赤十字病院の地下室や爆心地から離れた陸軍病院にあったフィルムは感光していませんでした。そこで仁科先生は原爆に間違いないと判断し、政府に報告したのです。実は戦後、そのフィルムは行方不明だったのですが、2004年に私が偶然、仁科先生の部屋で発見しました(図2)。 ――中根先生は終戦のころ、どうしていたのですか。 中根:8月10日に、仁科先生から爆心地で集めた銅線などが理研に送られてきました。西川研の木村一治(もとはる)先生が測定すると放射線が検出されました。やはり、原爆に間違いないと思いましたね。11日の朝、政府がポツダム宣言受諾の交渉をしているという話を、脇村義太郎(よしたろう)先生から聞きました。昼前、警戒警報が鳴り、ラジオが「米機が新型爆弾をまた投下するかもしれないので注意せよ」と警告していました。外へ出て玉木英彦先生と空を見上げていると、先生は「東京にも原爆を落とすかもしれないね」と言いました。「それでは防空壕(ごう)に入っても駄目ですね」と私は答えて、空をずっと眺めていましたが、結局、B29爆撃機は東京に来ませんでした。 私は朝鮮などから送られてきた鉱石サンプルの分析を担当していましたが、それらの資料を全部焼くように飯盛研の西山誠二郎さんに頼み、11日の夜、兵庫へ向かいました。尼崎にあった住友金属の工場で熱拡散塔をつくっていたのです。そこで15日、玉音放送を聞き、熱拡散塔を破壊して工場のわきの運河に沈めました。 ――仁科博士はどのような先生だったのですか。 中根:分からないことは何でも率直に質問され、若い人たちとも対等に議論する。“親方”と呼ばれていましたが、「こうしろ」ではなく「どうして」と本質的な質問をして、私たちを導いてくださる。だから、みんな「仁科先生は何も知らない」などと陰で言いながら、心の底から尊敬して先生についていったのだと思います。■ |
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※最近、仁科芳雄博士と湯川秀樹博士の往復書簡などが多数発見された。それらを収めた『仁科芳雄往復書簡集(仮称)』が、みすず書房から2006年12月6日に刊行される予定。 |
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新主任研究員等の紹介
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若手研究者を対象に「准主任研究員制度」を発足
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小坂文部科学大臣、和光研究所を視察
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小坂憲次 文部科学大臣が2月27日、理研和光研究所を視察しました。小坂大臣は到着後まず、野依良治理事長、大熊健司理事、坂田東一理事らと懇談。理研の概要説明を受けた後、建設中のRIビームファクトリーでは矢野安重プログラムディレクター(重イオン加速器科学研究プログラム[当時])、情報基盤センターでは姫野龍太郎センター長、脳科学総合研究センターでは加藤忠史グループディレクター(老化・精神疾患研究グループ)から説明を受け、三つの研究施設を視察しました。「113番元素発見」など理研の研究成果についても説明を受け、研究者と活発な質疑応答を交わしました。 |
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第19回「独立行政法人理化学研究所と産業界との交流会」が開催される
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「理化学研究所と親しむ会」が主催する「独立行政法人理化学研究所と産業界との交流会」が2月15日、ホテルオークラ東京で開催されました。「理化学研究所と親しむ会」は、理研と産業界の密接な交流を通じて理研の研究成果と産業界のニーズとを結び付けることを目的とし、毎年、講演会や懇親会などを開催しています。19回目の今回は、小口(おぐち)邦彦 理研と親しむ会会長の開会の辞、野依良治理事長のあいさつに続き、武田健二 理事が「産業界との新たな連携について」、新竹 積(しんたけつもる) 主任研究員(放射光科学総合研究センター 新竹電子ビーム光学研究室)が「産業界の技術の粋を結集して〜次世代加速器−X線自由電子レーザー(XFEL)への挑戦」、中村祐輔センター長(遺伝子多型研究センター)が「体質を科学する遺伝子多型研究」と題して、それぞれ講演しました。その後の懇親会では、小坂憲次 文部科学大臣らが出席し、お祝いの言葉が述べられました。懇親会場には理研の最新の研究成果や理研ベンチャーを紹介する44の展示コーナーが設けられ、各コーナーでは熱心な質疑が交わされていました。参加者は約480名。 |
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東京工業大学と連携協力協定に調印
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当研究所と国立大学法人東京工業大学は、研究開発能力および人材などを活用し連携・協力することにより相乗効果を高め、わが国の学術および科学技術の振興に資することを目的として、「独立行政法人理化学研究所と国立大学法人東京工業大学との間における連携・協力の推進に関する基本協定」を3月2日に締結しました。この協定の締結を受けて、海外、特に東アジアの大学から博士号取得を目指す才能豊かな学生を留学生として東工大に受け入れ、理研と東工大が共同して研究機会と教育機会を提供し、東工大の学位を授ける「理研・東工大国際スクール(仮称)」を創設します。さらに、理研の研究者が研究と教育において東工大教授などと同等の役割を持つ東工大連携教授となり、自らの講座を主宰する「連携講座」を平成18年度内に創設することを目指します。 |
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画面の向こうは大宇宙
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われわれの研究室は、理研の中で唯一、人工衛星を通して宇宙と直接つながっている場所です。ごう音とともに大空に消えていくロケットの映像は、年に何度も放送されておなじみですが、そこに積まれた荷物、つまり人工衛星が、その後どのような生涯を送るのか、ご存知の方は少ないと思います。そこで、私が5年以上かかわってきた、「HETE(ヘティー)-2(ツー)」という、段ボール箱二つ分ほどの小さな科学衛星についてご紹介します。この衛星は、日本では理研が中心となり、米国のマサチューセッツ工科大学、フランスの宇宙線研究所などとの国際協力で製作されました。2000年10月に打ち上げられ、現在も運用が続いています。科学衛星は、打ち上げから半年ほどのウォーミングアップを経て、観測が開始されます。HETE-2が観測しているのは、何十億光年もかなたの宇宙で起きる、“ガンマ線バースト”という不思議な天体現象です。いつ起きるか分からない現象なので、その発生を知らせる警報は、衛星から地上の受信局を経て、昼夜を問わず携帯電話に送られてきます。そして発生直後から、日米仏の共同研究者がインターネットのチャットルームに集まり、活発な議論が繰り広げられるのです。場所や時間を選ばず衛星に対処しなくてはなりませんから、ネットワークのつながるところならどこでも、衛星に指令が送られるようになっています。自宅や街中のカフェからでも、パソコンを通して衛星と通信ができるのです! バーストのないときは、衛星の健康診断が主な仕事となります。衛星から送られてくる数値とにらめっこしながら、衛星の状態を推測します。最初は理解不能だった数字の並びから、徐々に衛星の動きが分かるようになり、さらには、衛星の目であるX線検出器を通して、宇宙が間近に見えてくるのです。 残念ながら衛星にも寿命があります。HETE-2は地上から600kmのところを飛んでおり、わずかに存在する大気との摩擦で徐々に高度を下げ、2015年ごろに大気圏に突入して消滅します。しかし、一番問題なのはバッテリーです。衛星の電力は太陽電池パネルで賄われていますが、地球の影に入って太陽光が届かないときは、バッテリーが生命線です。何年か前に買った携帯電話やノートパソコンは、いくら充電してもすぐにバッテリー切れになりませんか? 衛星も同じです。管理ソフトウエアを入れ替えて、少しでも寿命を延ばそうと工夫を続けています。一度打ち上がった衛星は、決して修理や部品交換ができませんから、大切に大切に扱い、そして最後まで使い尽くすのです。 このような苦労の末、35年間も科学者を悩ませてきたガンマ線バーストの正体が、HETE-2の活躍により明らかにされたのは大きな喜びです※ 。どこの世界にも、表の華やかさからは決して見えてこない裏の仕事があります。宇宙も例外ではありません。理研の片隅に小さなパソコンがあり、その画面がそのまま大宇宙につながっている。そしてその前で、誰かがいつも宇宙を眺めているのです。 ■ |
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付記:人工衛星を用いた研究は、多くの人々のチームワークで成り立っています。この研究に参加している皆さんに、あらためて感謝致します。HETE-2やガンマ線バーストについては、下記URLを参照ください。 http://cosmic.riken.jp/hete/ |
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※プレスリリース「謎の短時間ガンマ線バーストの起源に迫る」は、下記URLを参照ください。 http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2005/051006/index.html |
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