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No. 263 May 2003

ヒト心筋トロポニンの中核部分の結晶構造空間充填モデル
(Ca2+結合型)
トロポニンCを赤、トロポニンIを水色、トロポニンTを黄色で示す。
背景は、トロポニンが筋のアクチンフィラメントに周期的に存在することを最初に示した免疫電子顕微鏡写真(1967年、大槻磐男らによる)。
下は、それに基づき提案されたアクチンフィラメントの分子配置図(1974年、江橋節郎らによる)。
「筋収縮の調節メカニズムに迫る」から
大ヒト心筋トロポニンの中核部分の結晶構造空間充填モデル
(Ca2+結合型)



研究最前線

新しい理研に期待すること

〜独立行政法人化に向けて〜


出席者:
粟屋容子
武蔵野美術大学教授・元理研主任研究員/物理
岩槻邦男
放送大学教授・東京大学名誉教授/生物
佐藤文隆
甲南大学教授・京都大学名誉教授/物理
種市 健
パワードコム取締役会長・元東京電力副社長/工学
丹保憲仁
放送大学長・元北海道大学学長/工学



小林俊一
理化学研究所理事長
谷畑勇夫
理化学研究所理事(司会)



谷畑(司会):理研は、この9月末日で特殊法人の歴史に幕を閉じ、10月から独立行政法人になります。これを機会に、理研は今後こうあってほしいというラジカルなご意見を、理研の相談役を中心に本日ご参集いただいた皆さんに伺いたいと思います。


理研の基本方針としての5原則

小林俊一 理化学研究所理事長
小林:私は5年前に着任したのですが、外からも中からも理研のフィロソフィーとは何だと問われて、5つのスローガンをまとめました。
 1番目は「わが国の中核的総合研究所としての役割を果たす」。フィールドが広いということだけではなく、多元的に基礎から応用へ、いろいろな軸を含めて総合的な研究所でユニークさを保っていきたい。
 2番目は「国内外の最も優秀な研究者を結集し、機動的研究体制をとる」。優秀な研究者を積極的に取り込んでいこうと。
 3番目は「プロジェクト制の重点的研究群と、プロジェクトを生み出す土壌となるインキュベーター(萌芽)的研究群で構成する」。いまは伝統的な主任研究員体制と新しいセンター体制の二本立てで動いています。この2つが共存して動くと面白いことができることが分かってきました。
 4番目は「大学との差異を明確にしつつ、大学、産業界等との相補的協力関係を尊重する」。競争的協力関係を目指そうと。
 5番目は「常に適正規模を意識し、安易な膨張主義を排する」。この5年間で、研究者の数が3倍くらいになりました。適正な規模については常に留意していきたいと思っています。
 国立研究所や国立大学などに比べると、特殊法人から独立行政法人への距離はそれほど大きなものではありません。国が示す中期目標に対してわれわれが中期計画を書いて、それでよろしいとなったら5年間それで走る。中期計画には、できるだけフィロソフィーを盛り込んでいけたらと思っています。
谷畑:いまの話にご質問がありましたら。
岩槻:中期計画の評価は、誰がどのように下すのですか。
小林:国が評価委員会をつくります。大学関係者やジャーナリストなど7人の委員が毎年、中期計画のとおりにやっているかどうかをチェックします。一方で、いままでわれわれがやってきた独自の評価は続けていきたいと思います。
粟屋容子 武蔵野美術大学教授粟屋:センター体制と主任研究員体制の関係は、どんなふうになっているのですか。
小林:主任研究員体制は、伝統的に大河内正敏※1イズムでやっているものです。組織としては、これまで理事長の下に直接約50の研究室がありましたが、昨年、中央研究所という組織にして所長を置くことにしました。形式的には中央研究所が他のセンターと並ぶという形です。
谷畑:理研の外から見て、良いところ、改良すべきところを伺いたいのですが。まずは外から見て理研の良いところ、独立行政法人になっても維持していくべきところをお願いします。
佐藤:物理学者から見ると、あらゆる面で大学にはないような楽園のイメージがある。伝統が美化されて語られたものを含めて財産にすべきです。仁科芳雄※2が広島の原爆調査から帰ってきたとき、歴史的出来事の話が聞けるだろうと緊張していた部下に「あそこ(サイクロトロン)の真空、直ったか」といきなり言ったというカッカしている研究者魂と、いまの世の中、制度の中でどう生きていくか、両方を考えないと。
種市:先の5原則を、ぜひとも生かしていただきたい。ただ本来、独創は悠然たるところから出るのであって、それが許されない環境になりつつあると、強く感じています。1つは競争を善とする風潮ですが、すべてを評価・判定できるかという課題に突き当たります。それから、重要な問題でも先送りすることが、いまの社会のとても大きな欠陥です。ある意味、調和願望のゆがんだ世の中ではないか。そういう中で、ぜひいまの理研の論理を中期計画の思想として、堂々と述べていただきたいと思います。
丹保:“銀座のかなりやる気のある老舗が、一流の百貨店に入ってきた”というのがいまの理研かなと。ステイタスもあるし、それなりのものも持っている。
 評価についていえば、さぼっている人をチェックする機能は必要です。やっている人に対しては、評価はできません。その研究に関しては、それ以上の人はいないわけですから。理研はやる気のある大学の人ともう少し行き来があればと思います。理研は要素的な学問はものすごく強いです。基礎的なものと大規模なものは、理研はやれるかもしれない。しかし、中規模なものが次の課題だと思います。
岩槻邦男 放送大学教授岩槻:理研は“理化学”という言葉にとらわれなくて、生命分野をどんどん取り入れたというのが、外から見るといちばんうらやましいところです。もともと東大物理で始まった大学の自己評価が、数値化された評価だけに、だんだん固まってくる。丹保先生が言われたように、最低限ここまでやらなければという評価はできると思いますが、何がトップかという評価はできない。研究者間で、自分の専門分野だけでなくてもう少し広がった議論ができる雰囲気がつくられると、それが本当の研究者の間の評価になっていくと思います。それができるのが理研などの研究所だと思います。理研の中で、自分たち自身が評価のシステム、研究者の評価はこうあるべきだというシステムをつくっていただきたいですね。
粟屋:私が理研に入った理由は、男性と同じ条件で採りますという答えをもらったのが、入所試験中に理研に戻った科学研究所と、日本原子力研究所だけだったからです。ある範囲の研究をしなさいという制約はあっても、自分のやりたいようにできる自由さを、初めから感じました。この先、古いものが同じ形で生き残るのは難しい面もあるでしょうが、しかし、ある種の自由さ、これは理研にとってとても大事なことだと思います。


改善すべきところ

谷畑:逆に、この機会に改善すべきところはいかがですか。
丹保:科学の基礎研究費のかなりの部分が理研に来ているので、大学は指をくわえています。例えばSPring-8ができても、使うための予算が大学には十分にない。
 脳も同じだと思います。理研に集中するのではなくて、もっと広がらなくてはいけない。理研が先頭を切って大きな波を立てたときに、その波の周辺を拾っていくことを基本的な考え方の中に入れていただきたい。
谷畑:大きなシステム・装置をつくったら、どの研究所・どの大学にいようが、それを使えるようにするべきですね。
小林:ただし、いわゆる大学の共同利用研究施設ではない、ということは守っていきたいです。
佐藤文隆 甲南大学教授佐藤:従来の大学共同利用体制とは違った形で大学に開かれたシステムをつくるという意味で、賛成です。
 研究というのは、ある種新しい考えが次々に出てくるものだと思います。それで人間の結び付きなりがまた再編されて、別の結び付きができて変わっていく、というのがいちばん理想の姿。いろいろな大学に、意気に燃えてチャンスがあれば能力を発揮したいと考えている人材がいるかもしれない。そういう人を必ずしも一カ所に集めるという感じではなくて、生かす。それこそ機動性ですね。理研は機動的で、大学に開かれた新たな研究体制を築くことに挑戦してほしいですね。
種市:独法化の中期計画で、外からもっと見えるようにする、これが必要です。理研が大学から見ても、隔絶したピーク(最高峰の研究機関)であるならば、あそこへ行きたいという若い人たち、特に中高生に対して、外から見えるようにアピールできないか。大きなピークがあれば、その裾野としての大学などの体系化も比較的容易にできるのではないか。
 一方では子供の理科離れなどの問題があります。理研の抱負から成果までが外から見えるようになれば、自分も参加したい、挑戦したいという子供がたくさん生まれると思います。特に、それらが関係する身近な先輩や親の背中を通じて見えれば一層、意欲が高まります。
岩槻:理科離れということを考えた場合に、非常に大きな責任は、日本の優れた科学者の側にあるのではないかと思います。評価の高い学術誌に論文を書くことこそが優れた科学者の証であって、自分が学んできたものを一般の人に語るのは非常に見劣りのする仕事であると、どこかで思っている部分があります。
 いままで科学者は、“科学のための科学”で十分だったけれど、これからは“社会のための科学”という視点が必要だということが、日本学術会議の中でも盛んに言われます。社会のための科学というと、すぐに役に立つ科学という発想になってしまう。それも大事ですが、同時に、われわれが持っている科学的な理念をどう一般に伝えていくかも非常に重要なことです。一年のうち何日かは、科学の広報もやっていただきたいと思います。日本人の科学的な認識を高めるということは、日本の社会をつくっていくことに貢献すると思います。
佐藤:私は、昔から一般の人たち向けに本を書いたり、話をしたりしてきましたが、どの研究者も一般の人たちの前で話して面白い話ができるかといったら、できないんですよ。それはなぜかというと、自分自身が理科少年でなくなっているからです。脇見をしていたら論文が書けない。僕はずっと理科少年をしてきたつもりです。理研みたいなコミュニティーで、みずみずしい興味を持ち続けていられたら、研究者同士のもっとハイレベルでの交流も盛んになります。それはすごく大事なことです。
岩槻:能力のある人は立派に一般向けの本を書けるが、それをすべての人ができるわけではありません。理科少年である心を忘れたような、仕事のことしか分からない人が面白いと思ってやっているところから、出てくる成果もあります。面白いと思っていることを非常に不器用に伝えたって、子供には受け止める感性があると思います。そういうことをやることによって、社会のための科学に対して貢献するという道もあると思います。


社会へ向けて 
―開かれた研究所―

谷畑:いま若い人たちに向けて科学の考え方を、という話がありましたが。ほかに理研に望む社会的役割はありますか。
丹保:私も岩槻先生も放送大学というメディアで仕事をしているわけです。理研が脳科学に力を入れているのであれば、放送大学で、素人向けに15回の番組で講義をしていただければすごいなと。持っているデータもオリジナルですし、生の発想がある。それを出し続ければ、日本のベースが上がると思います。
粟屋:私はいま、科学とは離れた分野を目指している学生たちに、物理学などの講義をしています。どのように考え、検証し、結論を導くかといったことを、できるだけ式を使わないで話します。中学生のころにこのような理科の講義を受けていたら、自分の道は変わっていたかもしれない、という学生がいるとうれしくなります。ビデオに納められた実験を見せますが、本当は実際にやれたらいいと思います。数式が苦手でも実験を見ると、例えば電子の存在など納得します。私も若かったらこのような物理の教え方はできなかったでしょう。
佐藤:理研は国立研究所的な枠組みの中で、基礎的なものでも研究成果のピークが出せた、というイメージがあります。
 理研は日本では珍しいほど歴史のある研究所です。いまや忘れられた話も、これからの多様性を考えるときのヒントになるものだと思います。先ほどの仁科芳雄が原爆を見て帰ってきた話も、寺田寅彦※3の話も、すべて理科少年なんだ。非常にみずみずしい興味で動く。いまの時代にそのままでは駄目だが、決して失ってはいけない魂みたいなものを示した読み物をつくってほしい。そのような話を若い人たちが読んで、別な発想をするかもしれない。理研の歴史と伝統は大事なものだと思います。
種市  健 パワードコム取締役会長種市:いろいろなものをつくったり、考えるときに、ベースに国というものがある。国がいま非常に衰退しつつある。いまの風潮の中で、反対なく受け入れられる考え方は、“人類のため”と“自分たちの生活のため”という両極のものです。その間にある“国のため”、“企業のため”、“地域開発のため”と言うと強い抵抗がある。
 理研には生存の条件としての日本の技術を拓いてほしい。外貨をもうけないと食えない国ですから。そこのところを底流に置くべきだと思います。
佐藤:物理学会誌の巻頭言をわざと「日本という問題」というタイトルで出しました。大枚を科学技術につぎ込んでいることの意義は、日本の国民全体がお金を出し合って、生きていく道を探る一助にしたいということだと思うのです。国のことを言えないような雰囲気があるが、だけど言わなければいかん、と最近痛切に感じますね。
丹保:戦前、持っていた資源のほとんどをつぎ込んで海軍をつくり太平洋で25年君臨し、戦後、産業の成長で25年また太平洋に君臨しました。25年しか持たないんですよ。いま、われわれがやっている科学技術振興も、あと15年もしたら息が切れるでしょう。そのときに、基礎研究もしくは基本的な文化というものを、がっちりやった人たちが生き残っているかどうかなんです。それが国というものの根幹だと思います。その後を考えるのは、大学とか理研の責務です。
粟屋:文化という問題はとても大事なことだと思います。物理学ひいては科学が文化であるという考えは、研究に没頭しているときには浮かばなかったのですが、近ごろ、科学を含むいろいろな学問や技術が全部絡み合って文化を創っていく、と考えるようになりました。
丹保憲仁 放送大学長丹保:年をとって私もそう思うようになりました。科学だけが学問ではないんですね。科学でない学問が、古来、学問の中心だった。19世紀くらいから科学が、肩を振って歩くようになったのです。でも科学で解けることなんて、たかが知れていますよ。後はどうやって調和していくか、どうやって良識を持って互いに暮らしていくかという話になると、これは科学では解けません。
岩槻:日本の行政は、環境ホルモンなど生死にかかわるものには、まじめに取り組んでくれます。しかし生物多様性みたいに孫子の代の影響というと、後回しとなってしまいます。本当はいま、手を打っておかないといけない。そういうことを言えるのは、まさに科学です。日本人の科学的思考力を全体としてレベルアップすることは、絶対必要なことです。


理研に期待すること

谷畑:最後に、ベンチャーや独立行政法人の問題、社会への還元で、理研に何か期待するものは……。
種市:理研はもう少し産業からは離れた源流にあるのではと思います。かつて高度成長の中では、企業は仕事に役立つ、もうかる研究開発はいくらでもできた。それが昨今、非常にやりにくくなってきた。そうすると、大学の若手の良い人を使おうという形が、大学の独法化に沿って出てくる。理研は、ベンチャーの元になるような源流に近い研究をしているのではないかと思います。理研が源流だとすれば、理研の傘の下に抱えるような形で、もっと幅広く産業などに波及していくという気がします。昔は産業と研究が近かった。いまはそれぞれの研究は、いきなり産業には結び付きません。
佐藤:昔、高野山とか比叡山とかには、われこそは能力があるとはせ参じた。いま理研は、われこそは科学でトップを走っているというような研究者がぜひ行きたいと思うような、いら立つ言い方をするとエリート集団だという自覚と見せかけ。子供だけでなく、研究者にそう思わすような場所になってほしいですね。
谷畑勇夫 理化学研究所理事谷畑:“理研よ、こうであれ”という言葉をいただければと思うのですが……。
岩槻:独法化で理事長の指導力が強まるわけですよね。評価の高い学術誌へ良い論文をたくさん書ける人は、ある程度どこでも出てくると思います。そうではなくて、本当にこの人の仕事は世界的に見て面白い仕事なんだという論文が書けるような人が、理研からたくさん出てきてほしいです。
種市:理研が独法化で権限を強めることによって、世の中に働きかけるチャンスが増える。今度の独法化こそが、理研がいま出てきたような機能を果たすためのチャンスだと思います。ぜひ、生かしていただきたい。
小林:そう思っています。みんな消極的な見方でばかり議論しています。しかしこんな千載一遇のチャンスはないだろうと。株式会社から特殊法人になってからも40数年たっています。何十年に一回のチャンスなのです。
丹保:私も独法化はチャンスだと思います。最も優れた集団から外へ向かっての発信をぜひ。それによって理科少年が増えるでしょうし、理科嫌い少年・少女・中高年も減るだろうと思います。
小林:子供の理科離れをうんぬんするときに、そのお母さんをどうするかが問題です。
粟屋:必ずしもそうではないと思います。家庭にいる奥さんたちも、化学式など高等学校などで習っているわけですね。話を聞く際に、ある程度の式は説明すれば理解できるのです。科学の分野のこと、例えば高レベル放射性廃棄物の処分などについても、いい加減な表現ではなく、その本質をきちんと話してくれという要求は、このごろ強いのです。
丹保:やはり理研クラスの人たちが、式を必要最小限にして、かみ砕いて話をすれば、中高年は完全に巻き込まれます。
種市:うちの会社でも、いまは男も女もありません。非常に女性の割合が増えています。
粟屋:研究者が自負心をしっかり持ってほしい。理研は、いろいろな場面を、いろいろな自由な発想で切り抜けてきた研究所だと思います。理研が独法化された後で、文部科学省から何か言われたときに、ある意味では跳ね返すくらいの強さを持ってほしいと思います。
谷畑:どうもありがとうございました。理事長、一言ありましたら。
小林:非常にもっともなお話です。ご指摘の中で、外部に対する発信、あるいは理科離れ問題にしても、文部科学省に働きかけて、「理科離れ研究所」を理研にと言ったことがあります。本当にまじめに考えているところがないんですよね。
 本日はありがとうございました。 ■
(この座談会は6月26日に開催されたものです)



※1:大河内正敏
科学者、経営者。東京都生まれ(1878〜1952年)。
(財)理研の第3代所長。1922年(大正11)、それまでの物理部、化学部を廃止し、主任研究員制度(研究室を独立させ、人事、予算、研究課題などを主任研究員の自主制に任せるユニークなシステム)を導入した。
自らの理論を実践し、科学を工業と一体化させた産学複合体である「理研コンツェルン」を完成。
所長として在職した25年の間、日本の多くのジャンルの科学者たちの自由な研究を支えた。



※2:仁科芳雄
物理学者。岡山県生まれ(1890〜1951年)。
1928年(昭和3)、クライン・仁科の公式を発表し、新しい物理学の道を拓く。1931年には仁科研究室を主宰し、共同研究による研究者の交流・討論を重視した研究手法を導入した。物理学をはじめ多分野の研究を進め、日本の原子核物理、素粒子、宇宙線の研究など近代物理学の分野を確立した。
1948年には、(株)科学研究所社長に就任し、科研の運営に尽力した。



※3:寺田寅彦
物理学者。高知県生まれ(1878〜1935年)。
(財)理研では、1924年(大正13)から12年間、寺田研究室を主宰し、宇宙物理学から地球物理学まで幅広い研究を進めた。
研究に対する取り組み方は、常に身近な現象から問題を解決する考え方に貫かれていた。研究業績では、X線と結晶構造の関係について、結晶を回転させることにより連続的に観察する手法を開発。
科学随筆などの執筆活動や絵画などにも深い造詣があった。







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研究最前線

小林俊一 理事長 
退任のごあいさつ



5年余の歳月、理化学研究所の理事長を勤め、この9月末をもって退任することになりました。前任者や前々任者の先輩方から「理研はいいところだよ」と聞かされてはいたものの、着任時の事情が極めて唐突であったため、文字通り西も東も分からないまま仕事を始めることになりました。それまで「研究とは何か」というようなことはほとんど意識したことがなかったのですが、この5年間は「理研の研究とは何か」が片時も頭を離れませんでした。
 着任早々から始めて、1年ほどかけて理研のアイデンティティーを議論し、「理研の基本方針」をまとめました(表)。在任中は5項目から成るこの方針を金科玉条として運営に当たってきたつもりです。ただ、5項目の最後にある「理研は常に適正規模を意識し、安易な膨張主義を排する」という一条と、在任中に研究者の数を約3倍にも増やしたという事実との関係については、いささか自信がありません。善しあしの判定は時間が下してくれるのを待つよりないでしょう。
 この2年ほどは、本年10月からの独立行政法人化の準備に忙殺されてきました。これは特殊法人への改組以来の大変化です。いろいろな見方があるでしょうが、理研にとって千載一遇の改革の好機であることに間違いはなく、強引のそしりをも覚悟の上で立案を行ってきました。この一連の改革が大きな実りをもたらすことを心から祈っております。
 今、環境問題と絡んで科学悪者説があり、また一方では科学技術立国とはやす声もあります。その中で理研はどうあるべきでしょうか。「理研は『科学者たちの自由な楽園』だ」という朝永振一郎先生の表現は素晴らしいのですが、「自由」をはき違えることは許されません。「自由な楽園」でありながら、きちんと社会的責任を果たしていくことが、あるべき姿だと思いますし、理研はそれができるところであると信じます。
 大学時代は物理の専門ばかに甘んじていましたが、それではまず理事長は勤まらず、生物、化学、工学、さらには医科学まで耳学問に精を出してきました。この、成果を問われない勉強は実に面白かったです。研究室訪問と銘打って、中央研究所の主任研究員研究室を皮切りにフロンティア研究システム、脳科学総合研究センターと巡り、各支所へ出張した折には、できるだけ研究者との話し合いの場を持ちました。ただ、研究室の改廃や、センター群における新しいチームの誕生に追いつかず、すべての研究室を訪問したと言えないのは少し心残りです。良い思い出といえば、素晴らしい水泳プールを作ってもらったこと、クラシック音楽愛好者たちと出会い、チェロの演奏を行ったこと、研究、事務を問わず素敵な飲み友達が大勢できたことなども記しておきましょう。
 薄氷を踏む思いでここまで来ましたが、退任を目前にして初めて「理研はいいところですよ」と後任者に伝えようという気持ちになってきました。理想的な「科学者たちの自由な楽園」の実現を期待して筆をおくことにします。皆さん、さようなら。

理研の基本方針

理事長室にて(2003年3月)
クリスマスレクチャーで子供たちと実験(2002年12月)








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研究最前線

筋収縮の調節メカニズムに迫る

アクチンフィラメントの立体構造と
動きからのアプローチ

播磨研究所
構造生物化学研究室
主任研究員 前田雄一郎

筋の収縮を調節する「アクチンフィラメント」の研究で大きな進展があった。構造生物化学研究室の前田雄一郎主任研究員らが、トロポニンの立体構造を世界で初めて決定したのである。トロポニンは、アクチンフィラメントを構成するタンパク質の一つで、筋収縮の調節において重要な働きをしている。筋収縮のカルシウムイオン(Ca2+)調節説が提唱され、Ca2+が結合するトロポニンが発見されて以来、40年もの間待ち望まれていた画期的な成果である。「私たちは、アクチンフィラメントの立体構造を明らかにし、それをもとに筋収縮の調節メカニズムを徹底的に解明することを目指しています。トロポニンの立体構造が分かったことで、どのように動き、どのように機能するか、いよいよ核心に迫る研究ができるようになりました」と前田主任研究員は語る。構造生物学は、どのように筋収縮の調節メカニズムを解き明かしていくのか。世界最先端の研究現場を紹介する。


筋肉はなぜ収縮するのか

前田主任研究員
前田主任研究員は「これが、私たちの研究の出発点です」と1枚の図を示した(図1)。筋肉の収縮を担っているアクチンフィラメントの分子配置図である。アクチンフィラメントは、アクチン、トロポニン、トロポミオシンという3種類のタンパク質から成る繊維状の複合体であることが示されている。原図は35年ほど前、東京大学医学部の江橋節郎(えばしせつろう)教授(当時)によって描かれたものだ。
 私たちが、歩いたり、物を持ち上げたりできるのは、筋肉が収縮して力を出すからである。心臓を動かしているのも筋肉だ。筋肉は、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントが滑り合うことで収縮する(図2)。
 「細胞中のカルシウムイオン(Ca2+)濃度が高くなると筋収縮が起きるという“筋のCa2+調節説”を提唱したのが、江橋さんです。Ca2+がトロポニンに結合することも、江橋さんたちによって明らかにされました」。1960年代のことだ。しかし、トロポニンがどのように筋収縮を調節しているのか、機能メカニズムの解明は進まなかった。「それは、トロポニンの立体構造が決定されていなかったためです」と前田主任研究員は解説する。
 筋収縮をはじめ、生体のさまざまな機能を担っているのは、タンパク質が集まってできた装置である。タンパク質は、アミノ酸の鎖が立体的に折り畳まれ、他のタンパク質やCa2+などの分子と特異的に結合することで、さまざまな機能を発揮する。立体構造が違えば、結合する分子も、そして機能も変わってくる。タンパク質の立体構造と機能は、密接に関係しているのだ。
 「日本には、筋のアクチンフィラメントの伝統的な研究基盤があります。私たちは、江橋さんが明らかにした分子配置よりも深いところ、つまり原子レベルで立体構造を決定し、筋収縮の調節メカニズムを徹底的に理解することで、新しい時代を拓こうとしているのです」

図1:筋細胞におけるアクチンフィラメントの分子配置図
(1974、江橋節郎らによる)
図2:筋肉の模式図




トロポニンの結晶構造を解く

図3:ヒト心筋トロポニンの中核部分の結晶構造リボンモデル(Ca2+結合型)
(武田壮一らによる)
前田主任研究員は、1990年からトロポニンの立体構造の解明に取り組み始めた。当時、トロポニンのDNA塩基配列は完全には分かっておらず、その同定から始めなければならなかった。
 タンパク質の立体構造を知るには、主にX線結晶構造解析※1が使われる。高精度で立体構造を決定するには、均一に大きく成長した、質の良い結晶を作らなければならない。しかし、トロポニンの結晶づくりは困難を極めた。トロポニンは、トロポミオシンやアクチンと結合している。これらのタンパク質と結合している“のりしろ”を切らなければ、のりしろ同士がくっついて結晶にならないのだ。「質の良い結晶を作るためには、できるだけ大きくのりしろを切ってしまいたい。しかし、重要な機能を持つ部分は残さなければならない。ジレンマの連続でした」と前田主任研究員は振り返る。
 そして今年、前田主任研究員らは、トロポニンの中核部分の立体構造を世界で初めて決定した。研究を始めてから13年がたっていた。「最初はライバルがたくさんいましたが、あまりの難しさにあきらめた研究者も多く、最後の5年は私たちの独走になってしまいました」
 トロポニンのX線結晶構造解析は、大型放射光施設SPring-8の理研構造生物学ビームラインを用いて行われた。トロポニンの中核部分は3つのサブユニットから構成されている。機能的には、調節頭部とITアームの2つの部分構造(サブドメイン)に分かれていることも明らかになった(図3)。



トロポニンの動きを知る

図4:Ca2+結合・解離に伴うトロポニンの構造変化と他のタンパク質との相互作用の変化(予測)
トロポニンの立体構造決定は、江橋教授らによるトロポニンの発見以来、40年近く待ち望まれていた成果であり、世界的にも高く評価されている。にもかかわらず、前田主任研究員は「本当の研究は、ここから始まるのです」と強調する。
 タンパク質が機能するときには、他のタンパク質や生体分子と結合したり離れたりする。構造が動いているのだ。しかし、X線結晶構造解析で得られた立体構造は静止状態である。「構造の動きを知らなければ、機能メカニズムは分かりません。立体構造を解いた後の課題は、タンパク質の構造がどのように動き、どのように相互作用しているのかです。それは現代生物学が直面している、まさに最先端の問題です」
 今回、立体構造が決定されたトロポニンはCa2+が結合している結晶で、調節頭部がアクチンやトロポミオシンから離れて持ち上がっている(図4奥)。一方、Ca2+が結合していないトロポニンの調節頭部は、アクチンやトロポミオシンと接していることが、これまでの研究から間接的に分かっていて、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントの滑りを邪魔するブレーキになっているらしい(図4手前)。
 「Ca2+結合の有無によってトロポニンの構造が大きく変化することが分かりました。機能に直結する動きが見えたことは、大きな進歩です」と前田主任研究員は解説する。「しかし、これで満足するわけにはいきません」
 トロポニンはCa2+が結合するタンパク質として非常に重要だが、スイッチの一部にすぎない。前田主任研究員は、トロポニン、アクチン、トロポミオシンの複合体であるアクチンフィラメント全体が筋収縮を調節するスイッチであると考えているのだ。「アクチンやトロポミオシンの立体構造はまだ決定されていません。またスイッチが入るときには、トロポニンからトロポミオシン、そしてアクチンへと何らかの情報が伝わっているはずですが、その実体も分かっていません」


アクチンとトロポミオシンの
立体構造

アクチンフィラメントの骨格を成しているのは、アクチン単量体が数珠つなぎになったアクチン重合体である(図1)。2本の真珠のネックレスをひねったような形をしている。アクチンは、細胞の中に最も大量にあるタンパク質の一つで、細胞骨格や細胞運動、細胞分裂、筋の収縮など広範な役割を担っている。「アクチンの単量体の立体構造は決定されています。しかし、アクチン重合体のような繊維状のタンパク質複合体は結晶を作らないため、X線結晶構造解析ができません」と、前田主任研究員は嘆く。「しかし、アクチン重合体の立体構造を決定しなければ研究は前進しないのです」
 アクチン重合体の立体構造を解析するために、構造生物化学研究室の小田俊郎先任研究員らは独自に「X線繊維回折法」を開発した。アクチン重合体をガラス細管に高濃度に集めることで向きを繊維のように平行にそろえ、ガラス細管にX線を照射して回折強度像を得るという方法である。
 しかし、X線繊維回折法によって得た情報だけでは立体構造が分からないため、クライオ電子顕微鏡※2でアクチン重合体を観察した像とコンピュータで合成する。さらに、アクチン単量体の立体構造を当てはめることで、詳細なアクチン重合体の立体構造モデルを得ることができた(図5、図6)。この立体構造モデルを使えば、簡単に動きをシミュレーションすることもできる。
 「残されたトロポミオシンの立体構造も、私たちが決定しなければならないでしょう」と前田主任研究員は言う。トロポミオシンは、アクチン重合体の溝に沿って棒のように巻き付いているタンパク質である(図1)。同じ構造が繰り返され、表面が滑らかなので、結晶を作ることが難しい。ドイツのマックス・プランク研究所が開発した、抗体を結合させることで表面を複雑化させる方法を導入し、トロポミオシンの結晶化に挑んでいるところだ。

図5:アクチン重合体の構造(小田俊郎らによる)
図6:クライオ電子顕微鏡



高圧NMRで構造の動きを見る

トロポニンの立体構造解析も終わってはいない。決定されたトロポニンの立体構造は、まだ中核部分だけだ。切り取ったのりしろ部分の構造を知るには、トロポニンとトロポミオシンが結合した結晶を解析する必要がある。すでに結晶はできているが、まだ質が悪いため改良しているところである。
 「実は、切り取ったのりしろ以外にも、見えていない部分があるのです。結晶中でも決まった構造をとらないで揺れているのでしょう。私たちは、NMR(核磁気共鳴装置)※3を使って、X線結晶構造解析では見えなかった部分の構造を解析する準備を進めています」
 NMRの場合は、結晶を作る必要がなく、溶液中のタンパク質の構造を解析できる。前田主任研究員が準備を進めているのは、近畿大学生物理工学部の赤坂一之教授が開発した高圧下でタンパク質の構造を解析する高圧NMRである。3000気圧もの高圧下で測定することで、常圧下では測定することのできないタンパク質の立体構造の変化を測定することができる。この装置は世界で、理研播磨研究所にしかない。
 トロポニンの研究は、心疾患の原因解明や治療薬の開発にも結び付くと注目されている。一部の心筋症は、トロポニンの遺伝子の変異が原因であることが分かっている。また、九州大学医学部の大槻磐男(おおつきいわお)教授(当時)らが、トロポニンの遺伝子変異と心筋症の病態を詳しく分類したところ、変異が起きている個所はさまざまだが、生理的・機能的異常はわずか3種類に分類できることが分かった。「遺伝子の変異が起きるとタンパク質の立体構造が変わり、機能も変化します。遺伝子の変異と構造の変化、生理的な異常を詳しく対応づけていくことで、トロポニンの機能メカニズムが解明できるでしょう」と前田主任研究員は期待を寄せる。その成果は、トロポニンに直接働いてCa2+の感受性や筋の張力を調節できる、心筋症の治療薬や予防薬の実現にも大きく貢献する。



ミニ・アクチンフィラメントを作る

図7:ダイナクチン複合体の電子顕微鏡写真単粒子解析
(瀧景子、成田哲博らによる)
アクチンフィラメントを構成する個々のタンパク質の立体構造解析は着々と進んでいる。「しかし、筋収縮の調節メカニズムをすべて明らかにするためには、やはりアクチンフィラメント全体の立体構造を決定する必要があります。ですが、長さがばらばらで繊維状のタンパク質を結晶化することはできません。アクチンフィラメントの結晶を作るには、長さがそろった短いアクチンフィラメントを人工的に作る以外にはないのです」
 前田主任研究員は、自然に学ぼうと考えた。自然界には、長さのそろったミニフィラメントがある。細胞の非対称分裂などにかかわっているダイナクチン複合体だ。研究室では、クライオ電子顕微鏡による単粒子解析法を用いて、ダイナクチン複合体の解析を進めている(図7)。「ダイナクチン複合体は、なぜ長さがそろった短いフィラメントになっているのか、その設計原理を知りたいのです」
 一方で、短いアクチンフィラメントを人工的に作るための“道具”の研究もしている。筋のアクチンフィラメントは、一方の端をトロポモジュリン、もう一方の端をCapZというキャッピングプロテインによってふさがれ、それ以上重合できないようになっている。研究室では、すでにトロポモジュリンとCapZの立体構造を決定し、現在はどのようにアクチンフィラメントと結合しているかを詳しく調べている。長さをそろえるためには、物差しも必要だ。トロポミオシンは、ちょうどアクチン7個分の長さであるため、物差しになるだろう。
 「ダイナクチン複合体からミニフィラメントの設計原理を学び、トロポモジュリン、CapZ、トロポミオシンの3つの道具を使うことで、長さがそろった短いアクチンフィラメントができるのではないかと考えています。アクチンフィラメント全体の立体構造が決定すれば、いよいよ筋収縮の調節メカニズムに迫ることができます」
 「アクチンフィラメントを深く理解しようとすると、あるときはX線結晶構造解析が有効だが、あるときは電子顕微鏡が必要だというように、目的に応じて臨機応変に、最良の方法をとる必要があります。時には、独自の方法を開発しなければならない。それを一つの研究室でやるのはなかなか難しいですね」と前田主任研究員は語る。構造生物化学研究室が所属する播磨研究所には、世界最高輝度を誇るSPring-8を中心に、世界最高性能のクライオ電子顕微鏡や世界で唯一3000気圧での測定が可能なNMRもある。加えて、独自に開発した数々の技術が、アクチンフィラメント、そしてタンパク質の相互作用に関する世界最先端の研究を支えているのである。




※1:X線結晶構造解析
タンパク質の結晶にX線を照射すると、原子の周りにある電子によって散乱され、干渉によって回折像が得られる。
回折強度から電子の分布を逆算することで、タンパク質の立体構造を決定する。



※2:クライオ電子顕微鏡
液体ヘリウムで試料を−269℃(絶対温度4K)に保つことで、電子線によって試料がダメージを受けることなく、高解像度の画像を得ることができる。




※3:NMR(核磁気共鳴装置)
核磁気共鳴は、物質内部の原子核の位置や価電子状態に依存する電磁波を、原子核が吸収・放出する現象である。
放出されたエネルギーを測定することによって、物質の微細な原子・分子構造を決定できる。
結晶化の必要なく、溶液中のタンパク質を測定できる。






監修:播磨研究所
構造生物化学研究室
主任研究員 前田雄一郎

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SPOT NEWS

霊長類ES細胞から
末梢神経系ニューロンへの
分化誘導法を世界に先駆けて開発

末梢神経系の幹細胞治療の可能性への期待

(2003年4月29日、文部科学省および神戸研究所においてプレスリリース)

当研究所は、マウスおよびサルES細胞を用いて、末梢(まっしょう)神経系ニューロンへの分化誘導法を世界に先駆けて開発した。理研神戸研究所発生・再生科学総合研究センター細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクターらの成果。研究グループでは、以前にPA6という特殊な細胞が産生する因子を用いて、マウスおよびサルES細胞からドーパミン神経などの中枢神経系ニューロンを試験管内で高い効率で分化させる方法(SDIA法)を開発した。今回の研究では、SDIA法と増殖因子などを組み合わせることで、サルなどのES細胞から、脳幹や脊髄(せきずい)の運動ニューロンをはじめ広範囲の中枢神経系細胞が分化誘導されることを明らかにした。さらに、BMP4を作用させることにより、末梢神経系の前駆細胞(神経堤細胞)を分化させることに成功した。こうしてできた神経堤細胞からは知覚ニューロンなどが分化することが示された。これらの研究成果は、ES細胞を用いた神経系の幹細胞治療に関して、従来いわれてきたパーキンソン病※1などの中枢神経系疾患のみならず、ヒルシュスプルング病※2などの末梢神経系疾患にも応用できることを示すもので、再生医学の可能性を大きく広げるものと期待される。


サルES細胞から分化させた知覚ニューロン ヒトを含めた動物の神経系は大きく中枢神経系(脳、脊髄)と末梢神経系(知覚神経、自律神経、腸管神経など)に分類される。ほ乳類においては、どちらの神経系のニューロンも非常に再生能力が低く、いったん障害が起きると自然には回復しにくいことが知られている。そのため障害が起きたニューロンと同じ細胞を移植するため、それらを幹細胞などから作るいわば「神経細胞パーツ」化の技術が近年注目されている。今回の研究では、胎児の中で神経系組織が発生する細胞外環境(増殖因子など)を試験管内で再現することで、ES細胞から非常に幅広い種類の神経系ニューロンの「パーツ」を試験管内で産生できることを証明した。


この研究成果には大きく分けて、学術的に2つの重要な点がある。
1 広範囲な中枢神経系組織に分化する前駆細胞をES細胞から分化させることに成功
2 
末梢神経系の前駆細胞およびニューロンをES細胞から分化させることに成功

1 以前より、ES細胞から分化させた神経前駆細胞は、培養条件によって異なる中枢神経系細胞に分化することは知られていた。今回、研究グループは、短い日数のみPA6細胞と共培養したマウスES細胞が、非常に未分化な中枢神経系前駆細胞の性格を有している事実をもとに、これらの細胞にShhという増殖因子を作用させることで、3割の細胞を底板細胞に分化させることに成功した。さらに、胎児脳発生で背側の中枢神経組織の形成に必要な誘導因子BMP4を低濃度で作用させることで、ES細胞から蓋板などの背側の中枢神経組織を産生することにも成功した。
2 研究グループでは以前に、SDIA法(PA6細胞とES細胞の共培養法)でES細胞が中枢神経系前駆細胞に分化していく途中で、高濃度のBMP4を作用させると皮膚細胞に分化することを報告した。今回、分化開始4日後の細胞に中程度の濃度のBMP4を作用させることで、末梢神経系前駆細胞(神経堤細胞)に分化させることに成功した。さらにBMP4の濃度を微調整することで、末梢神経ニューロンである知覚神経ニューロンと自律神経ニューロン(交感神経など)を分化させることも可能になった。ES細胞からのこれらの末梢神経系ニューロンの選択的な分化誘導は、世界に先駆けて成功したものである。


今後の展望について1は、脳神経系の再生医学の対象を大きく広げることを意味する。例えば、ドーパミン神経細胞や今回サルのES細胞からも分化誘導に成功した運動神経ニューロンなどは、パーキンソン病や運動ニューロン疾患※3の治療の道を拓くものと期待されている。また、2によって末梢神経系疾患にも幹細胞治療の可能性が出てきた。成果の詳細は、米国の科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America: PNAS』のウェブサイト(http://www.pnas.org、4月29日号)で発表された。




※1:パーキンソン病
パーキンソン病は40歳以後、特に50〜60歳代に症状が出始め、典型的な症例では震え、筋強剛、動作緩慢、姿勢反射障害(倒れやすい)などが見られる。



※2:ヒルシュスプルング病
S状結腸、直腸の神経節欠如によって起こる先天性巨大結腸症のこと。約5000人に1人の割合で発症する先天性の病気だといわれている。
女子に比べて男子の発生率は5倍になっている。



※3:運動ニューロン疾患
筋萎縮性側索硬化症(ALS、通称アミトロともいう)をはじめとする運動神経細胞(運動ニューロン)が選択的に、かつ進行性に変性、死滅する原因不明の神経変性疾患。






監修:発生・再生科学総合研究センター
細胞分化・器官発生研究グループ
グループディレクター 笹井芳樹


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TOPICS



新理事に小中元秀氏が就任



7月26日、小中元秀氏が理事に就任しました。役職員として長年にわたり当研究所の発展に尽力してきた宮林正恭理事は、7月25日をもって退任しました。

小中 元秀(こなか もとひで)
小中 元秀(こなか もとひで) 
1948年10月15日、大阪府生まれ。1973年3月、京都大学大学院工学研究科機械工学修士課程修了、同年4月に科学技術庁に入省。原子力局、科学技術振興局等を経て、1999年、研究開発局ライフサイエンス課長。その後、核燃料サイクル開発機構広報部長、科学技術庁長官官房審議官(研究開発局、原子力局担当)等を歴任。2002年より内閣府原子力安全委員会事務局長を務める。55歳。








理研で高校生が体験学習



写真01青少年の科学技術への関心を高めるため、日本科学技術振興財団が主催する「サイエンスキャンプ2003」と、埼玉県が主催する「彩の国サイエンスアドベンチャー」が理研で開催されました。実習後の体験発表会では、参加者から「最先端の研究に触れることができてうれしい」、「教科書では学べないことを体験できた」、「将来進むべき道の参考になった」などの感想が聞かれ、実体験の感動が伝わってきました。
<サイエンスキャンプ2003>
理研など27研究機関が参加し、全国から約300名の高校生が参加する体験学習です。理研では、9名の高校生が7月23日〜25日(2泊3日)の日程で、細胞核機能研究室、磁性研究室、超分子科学研究室に分かれ、研究者の指導のもとで先端の科学技術研究を体験しました。
<彩の国サイエンスアドベンチャー>
写真02 埼玉県下の大学、研究施設などで、県立高校生約100名が参加する体験学習です。理研では、14名の生徒が8月5日〜8月7日の日程で、理研での先端研究についての講義を受けた後、施設を見学。その後、物質基盤研究部の生体分子解析室と電子顕微鏡を用いる体験学習室(広報室)に分かれ、先端の科学技術研究を実習・体験しました。






新チームリーダー等の紹介



新しく就任したチームリーダー、ユニットリーダーを紹介します。
1. 生年月日  2. 出生地  3. 最終学歴  4. 主な職歴  5. 研究テーマ  6. 信条  7. 趣味


<遺伝子多型研究センター オーダーメイド
 医療開発プロジェクトグループ>
大西 洋三 (おおにし ようぞう)
遺伝子多型解析チーム
大西 洋三 (おおにし ようぞう)
1. 1967年7月28日 2. 大阪府 3. 大阪大学大学院医学系研究科 4. 理研遺伝子多型研究センター心筋梗塞関連遺伝子研究チーム 5. SNPを基盤としたオーダーメイド医療の開発 6. それが人生 7. 家族と公園に行くこと
鎌谷 直之 (かまたに なおゆき)
統計解析研究チーム
鎌谷 直之 (かまたに なおゆき)
1.1948年5月22日 2. 福岡県 3. 東京大学医学部医学科 4. Scripps Clinic and Research Foundation研究員、東京女子医科大学教授、膠原病リウマチ痛風センター所長 5. 遺伝統計学 6. 非決定論的過程への対処法を教える 7. 数学

<独立主幹研究ユニット>
岸 努(きし つとむ)
岸独立主幹研究ユニット
岸 努(きし つとむ
1. 1965年10月30日 2. 群馬県 3. 東京大学大学院工学系研究科 4. 国立遺伝学研究所、「さきがけ研究21」研究者 5. タンパク質分解系による細胞機能制御機構の解明 6. 物事を楽観的に考える 7. ピアノ演奏、観劇(文楽)、テニス

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原酒破滅の淵からの生き残り
〜戦後、理研(財閥)解体の嵐の中で〜


この春、ボーエン・C・ディーズ著『占領軍の科学技術基礎づくり−占領下日本1945〜1952』が出版された。著者は1947年、大学助教授からGHQ経済科学局科学技術課に赴任し、占領終結まで勤務した。その後、アリゾナ大学副学長等を歴任、また日米科学協力委員会の共同議長として活躍した。1983年、著者は30年ぶりに理研を再訪、「戦後、理研解体の嵐の中で仁科芳雄博士(所長)との折衝で頻繁に理研を訪問した。あの廃墟からみごとに復活した姿に感動している」と語った。1991年に著者から「本を執筆中。1章を理研にささげたい」と資料依頼等があり、その後日本語出版の相談を受けた。


占領開始直後、“大量破壊兵器”原爆の開発にかかわったと仁科研究室は厳しい査察を受けた。陸軍からのウランに関する「ニ号研究」が対象だ。仁科が10年間心血を注いで完成した「サイクロトロン」が“原爆製造施設”として破壊され、東京湾に投棄された。ニューヨークタイムズ紙の報道に米国科学界が憤激、原爆開発に従事した科学者たちが“愚かな破壊”とトルーマン大統領に抗議した。この愚を繰り返さぬためにGHQは科学顧問の派遣を要請、ハリー・ケリー博士ら若い科学者(著者を含む)が《科学技術課》に配属された。
 ところで、戦後7年間日本は連合国の占領下に置かれた。残存軍事能力の徹底的破壊、原子力、航空科学の禁止、財閥解体等々。未曽有の混乱と飢餓の中で、かつての帝国は民主化への変革に揺れた。やがて産業の技術革新は飛躍的に進み、その製品は世界を席巻し、日本経済は奇跡の発展を遂げる。その原動力は、紛れもなく戦後日本の“科学技術”の驚異的復興にあった。日本学術会議、科学技術行政協議会(後に科学技術庁)、工業技術庁(院)の創設、品質管理改革等、体制制度の矢継ぎ早の変革。“科学技術創造立国”に至るこの国の“科学技術基礎づくり”は、《GHQ科学技術課》の懸命の奮闘と日本の優れた科学者たちとの連携によって達成された。これが、著者の主張である。


また、著者は特別の感慨をもって『理研物語』を贈る。「戦前、米国には理研(財団法人)に匹敵する研究所はいくつもあったが、理研が獲得した地位を得たものは一つもない」と。“基礎科学に根ざした工業の構築”を理念に、英傑大河内正敏(25年間所長)は60数社の子会社(理研産業団)を生み出した。しかし、「その成功が、皮肉にも理研を“破滅の淵(ふち)”に追いやった」という。理研産業団は財閥とみなされ解体された。さらにGHQは、理研本体も解体すべきだとしたが、新所長仁科とケリーを中心とする《科学技術課》の獅子奮迅(ししふんじん)の努力により、辛くも理研は“破滅の淵”から生き残り、1948年“株式会社科学研究所”(科研)として再出発した。「破壊されるのを防いだ科学技術課の努力がなければ、理研はそのサイクロトロンと同じ運命をたどった」と振り返る。この本は、占領軍原文書をはじめ膨大な未公開史料をもとにした比類ない占領秘話である。半世紀を超えたGHQ中枢からのこの証言は、日本科学技術の戦後史の空白を埋める屈指の史料であろう。


やがて1958年、科研は破たんし、“理化学研究所”(理研)が“特殊法人”として再生した。ニューズウィーク誌が「理研はフェニックス!」と報じた。いまや理研は、国内外に15の研究拠点を置く一大総合科学研究所である。規模において、はるかに“財団理研”を超える。果たして、その“レゾンデートル”において、先人たちが築いた“科学の殿堂”を凌駕(りょうが)できるか? 折しも理研は、今また3度目の組織改編で“独立行政法人”への新たな試練を目前にする。



神戸研究所 プロジェクト管理役/元監事●関 理夫


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理研ニュース

9 No.267:September 2003
発行日
平成15年9月19日
編集発行
理化学研究所 広報室
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2番1号
phone: 048-467-8349[ダイヤルイン]
fax: 048-462-4715
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