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No. 264 June 2003

(上)大脳の海馬がシータ波を用いて経験を記憶する神経回路モデル
(上)大脳の海馬がシータ波を用いて経験を記憶する神経回路モデル
「脳はリズムで経験を記憶する」から
(下)アカウミガメ幼弱個体の軟骨(左)と骨組織(右)の染色像
「体の形の進化を解き明かす」から
(下)アカウミガメ幼弱個体の軟骨(左)と骨組織(右)の染色像



研究最前線

脳はリズムで経験を記憶する

脳科学総合研究センター
知能アーキテクチャ研究グループ 
創発知能ダイナミクス研究チーム
チームリーダー 山口陽子

“昨日、この道の途中で友人に会い、その後、交差点を右に曲がったところでケーキを買った”。私たちは自分が経験したこのような1回限りの出来事を、それが起きた順番で覚えることができる。数学の公式や英単語を1回で覚えるのは難しいのに、自分が経験した1回限りの出来事を何年たっても忘れないことがある。脳はどのようなメカニズムで自分が経験した出来事を記憶するのだろうか。「私が注目しているのは、脳のリズムです」と語る山口陽子チームリーダーは、特定の脳波に合わせて神経細胞が協調して働き、経験が記憶されるという理論モデルを、世界に先駆けて提唱した。創発知能ダイナミクス研究チームでは、さらにこの理論モデルを発展させ、脳がリズムによって知能を生み出すメカニズムを解明しようとしている。


脳が作るリズム

山口チームリーダー
「ヒトの脳では100億個以上の神経細胞が結び付いて複雑な回路を作っています。しかし、これらの神経細胞がばらばらに活動していたのでは何の機能も発揮できません。たくさんの神経細胞が協調して、まとまって働くことが大切なのです。では、どうやって100億もの神経細胞がまとまって働くことができるのか? それが脳科学における大きな謎です」と山口チームリーダーは語り始めた。
 音楽のオーケストラで、たくさんの楽器が指揮者の刻むリズムに合わせて演奏されるように、脳でたくさんの神経細胞がまとまって働くにはリズムを作ることが必要だと山口チームリーダーは考えている。脳が作るリズムとして、脳波が知られている。脳波は、ある領域の神経細胞の集団がリズムを作って活動することによって生じる電位の変化である。脳波は周波数によって分類され、それぞれ名前が付けられている。周波数が1秒間に4〜8回はシータ波、10回前後はアルファ波、20回前後はベータ波、40回前後はガンマ波である。
 例えば、ある物体を見るときには、その物体の輪郭をひとまとまりとしてとらえ、背景と区別しなければいけない。物体の輪郭の情報を、どのようにしてひとまとまりとしてまとめるのだろうか。“ある物体の輪郭の線の傾きに反応する個々の神経細胞はリズムに合わせて同時に活動し、背景に反応する神経細胞はばらばらに活動する”。山口チームリーダーらはこのような理論モデルを提案した(図1)。「その後さまざまな実験が行われ、このような知覚認識では、速いリズムの脳波であるガンマ波に合わせて神経細胞が同時に活動することが解明されつつあります」

図1:物体の輪郭(上・中)と背景(下)の区別


シータ波と場所細胞

「さまざまな知覚認知を統合して記憶したり、知能を生み出すには、もっと遅いリズムが重要だと考えられます。最近、ラットの海馬が発するシータ波に注目することで、経験した出来事を記憶する仕組みが分かってきました」
 例えば、ラットが餌を探し回ったりするときに、海馬で1秒間に8回のシータ波が発生する。ところが餌を食べているときなどには、シータ波は発生しない。
 一方、1971年に英国のJ. O'Keefe(オキーフ)らによって、ラットが餌を探し回ったりするときに、ある特定の場所に居るときにだけ活動を繰り返す神経細胞が、海馬で見つかった。海馬は大脳の内側にある、あらゆる知覚情報が集まってくる領域で、知覚情報が統合され、記憶が作られると考えられている。O'Keefeらは、居場所に反応する神経細胞を「場所細胞」と名付け、海馬には場所細胞が集まって作られた“地図”があるという「認知地図仮説」を1978年に提唱した。
 個々の場所細胞とシータ波を発する集団は、別のタイプの神経活動だと考えられている。1993年、O'Keefeらは場所細胞の活動とシータ波に関係性があることを発見した。例えばある場所をラットが通ると、その場所に反応する場所細胞が繰り返し活動する。その活動は、シータ波の周期に対して、次第に速くなる。
 さらに1996年にアリゾナ大学のグループが、複数の場所細胞の活動を同時に計測してシータ波との関係を見いだした。ラットが複数の場所を走り抜けると、それぞれの場所に反応する場所細胞が繰り返し活動する。その活動を調べてみると、シータ波の1周期の中で、走り抜けた時系列の順番で場所細胞が活動しているのだ。しかもその活動は、シータ波の周期ごと、すなわち1秒間に8回繰り返される(図2)。

図2:シータ波と場所細胞の活動
図3:海馬の回路構造と経験の記憶



脳は経験した出来事を
どのようにして記憶するのか?

図4:引き込みにより時系列の順番が安定化するメカニズム
「海馬は、人間では自分が経験した出来事の記憶、エピソード記憶に関係している領域です。私たちが日々経験する出来事は1回限りのものです。時系列の順番でシータ波の周期ごとに繰り返される場所細胞の活動が、1回限りの経験を記憶として蓄えるのに有効に働くのではないかと考え、アリゾナ大学のグループと共同研究を始めました」と山口チームリーダーは振り返る。
 海馬は、いくつかの領域からなる回路構造を持つ。情報は、内嗅野(EC)から歯状回(DG)に入り、CA3からCA1へと伝わり、再び内嗅野に戻る(図3)。経験の記憶が作られるには、外界の出来事が進行している最中に、時系列の順番を安定に発生する必要がある。他の研究グループのモデルは、記憶がすでに作られた後に記憶回路の助けでシータ波ごとに繰り返される時系列の順番を発生させることはできた。しかし記憶がない段階で、シータ波ごとの時系列の順番が安定に発生し記憶が作られる仕組みが、どうしても解明できなかった。
 山口チームリーダーらはこの謎を解き、海馬による経験の記憶メカニズムの全体像を説明する理論モデルを、1998年に世界に先駆けて発表した。「引き込み」によって時系列が生じることで、記憶回路の助けなしに安定して伝わるのである。
 引き込みとは、複数の振動子が一定の関係を作って安定して振動する現象だ。「例えば両腕を振ろうとすると、普通は同じ方向か、交互にしか振れません。音楽のドラマーなら別ですが、左右をばらばらに振るのはとても難しい。同じ方向や交互といった一定の関係を作った方が安定して腕を振れるのです。2人が並んで歩くと、いつのまにか歩調がそろってくるのも引き込みの例です」と山口チームリーダーは説明する。
 ラットの行動に伴う情報が内嗅野に伝わると、神経細胞が活動を始める。その活動が次第に速くなれば、引き込みによってシータ波と協調して安定したリズムを作り、時系列の順番が崩れないことを山口チームリーダーは理論的に証明した(図4)。
 「次第に活動が速くなる神経細胞が実際の脳にあるかどうか知られていなかったので、なかなかこの理論を受け入れてもらえませんでした。しかし最近、海馬などがある大脳の内側で、そのような神経細胞の活動が見つかり始めています」


時系列の順番を反映した
神経回路が作られる

図5:海馬の理論モデルによるコンピュータ・シミュレーション
海馬の回路には、経験したことの順番がどのように記憶として残されるのだろう。2つの神経細胞がそろって繰り返し活動すると、シナプスの情報伝達効率が長期間高まる「長期増強」という現象が知られている。ただし、まったく同時に活動するのではなく、0.05秒以下の時間差でずれて活動した場合に伝達効率がより高まる。例えば神経細胞1が活動して、少し後に神経細胞2が活動すると、1から2へ情報が伝わりやすくなる。ところが逆に、2から1へは情報が伝わりにくくなる。海馬のCA3には、このような長期増強を起こす神経回路があることが知られている。
 それぞれの場所細胞が活動する時間的なずれは0.01秒ほどである。長期増強が起きる時間差だ。CA3に時系列の順番で情報が伝わると、長期増強が起き、時系列の順番を反映した一方向に情報が流れる神経回路が作られる。逆方向には情報は伝わらなくなるので、出来事を逆の順番で記憶することはない(図3)。
 山口チームリーダーは、この理論モデルに基づくコンピュータ・シミュレーションを実演してくれた。神経細胞の活動を示す光の点滅がリズムを刻みながら回路を回ると、CA3のところに緑色の丸印が次々とできていく(図5)。「この丸印が長期増強を表しています。対角線の左上にだけ長期増強ができているのは、自分より後に活動した細胞とだけ結合して、長期増強を起こしていることを示しています」
 例えばこの理論モデルに基づきシータ波が発生しない場合をシミュレーションすると、時系列の順番が崩れてしまう。記憶ができた後に、例えば神経細胞1を刺激する情報があると、1→2→3と一連の出来事を時系列の順番で思い出す。「複雑だと思われていた神経の多様なダイナミクスも、リズムという基準のもとで理論と実験データとを合わせて整理してみると、驚くほど、きれいな一致が見られます。リズムが脳の仕組みを解く有効な手法を提供するということを、ますます実感しています」


ヒトの知能メカニズムに迫る

図6:ヒトの大脳の内側(大脳辺縁系)
「私たちの理論モデルにより、認知地図の形成メカニズムも解明できるようになりました。そもそも認知地図は、1930年代に米国の心理学者E. Tolman(トルマン)が提唱した概念です」。例えば、動物が餌を探す場合、においがしたというような直接的な刺激によって受動的に行動するだけでなく、さまざまな経験に基づく認知地図をもとに、自分の行く道を主体的に決めて餌を探し回るのだという考えである。
 「英国のO'Keefeらによる認知地図仮説には、実はこのような背景があるのです。生き物の主体性や知能を支える仕組みとして、認知地図は重要な機能を持つと考えられます。しかしこれまでの海馬の研究は、主体性や知能を探る研究として、必ずしも順調に進展してきたわけではありません。私たちの理論モデルは、主体性や知能を神経回路の仕組みから解明していくための重要なステップになります。人間を含めた生き物の知能を神経システムの原理から探る研究は、これからが本番です」
 山口チームリーダーらは、海馬の理論モデルを発展させて、ヒトの知能メカニズムを解明しようとしている。ただし、海馬は大脳の内側に位置するので、ヒトの海馬のシータ波を直接計測することはできない。ヒトの脳波は普通、頭皮の上に電極を付けて測られる。
 ヒトのシータ波の研究では、1970年代に大阪府立大学の石原務博士が、知能テストを行うと前頭葉の中心部に特徴的なシータ波が出るという実験データを発表した。これは「Fm(エフエム)シータ波」と呼ばれている。その後、1980年代後半から、脳波に伴う磁場の変化を、脳を傷つけずに測れるMEG(メグ)(脳磁計測法)などによる実験が行われ始め、研究が進展してきた。2000年には大阪府立大学のグループが、前部帯状回がFmシータ波の発信源の一つだと推定した。前部帯状回も海馬と同じ大脳の内側に位置する領域である(図6)。帯状回は、集中や注意、行動の動機付け(モチベーション)などに関係していると考えられている。例えばたくさんの課題があるとき、今までやっていた課題を違う課題に切り替える際に、前部帯状回が働く様子がサルの実験などで計測されている。
 「知能は、一定のルールを実行することより、むしろルールが分からない状況で、自分にとってふさわしいルールを選んだり、発見したりするときに必要です。つまり、今までやっていた課題を続けることに疑問を持ったり、新たな可能性を模索したりする作業です。こうした観点から、前部帯状回は知能を研究する上で、大変興味深い領域です」
 前部帯状回と海馬はシータ波によって協調して働いているのかもしれないと、山口チームリーダーは考えている。ラットの海馬の実験データを解析したところ、時系列の情報を反映した場所細胞の活動とは別に、CA3から新たに付け加わる活動が見つかった。
 「この活動を“第2の成分”として切り分けて私たちは考えています。この成分は現れるときと現れないときがあります。第2の成分がどのような役割を担っているのかはまだ分かりませんが、モチベーションに関係している可能性が指摘されています」
 何を記憶するか、何を思い出すかを、海馬自身は決められない。状況に応じたモチベーションを海馬に伝えて、記憶させたり、思い出させたりする必要がある。こうしたモチベーションにかかわる前部帯状回と、認識や記憶を担う海馬が、シータ波に合わせて情報をやりとりするときに第2の成分が現れるのではないかと期待して、山口チームリーダーらは研究を進めている。
 「さらに私たちはリズムに注目して人間の脳活動の測定を進めています。理論モデルと、人間を対象とした実験との協力体制が、ますます重要になると考えています」


脳はリズムで動くコンピュータ

「これまでの科学は、例えば分子の種類を調べるなど、個々の要素の性質を詳しく調べれば、全体のことが分かるという前提で進んできました。しかし生物が生きていく上では、たくさんの要素が協調して機能を発揮することが大切です。その協調のメカニズムを探るために、私たちはリズムに注目して研究を行ってきたのです」
 たくさんの要素(神経細胞)からなる脳は、物体の輪郭をとらえるなどの知覚認知にはガンマ波などの速いリズムで協調して情報処理を行う。そうして得られたさまざまな知覚情報を統合して、海馬で経験を記憶したり、その経験に基づいて帯状回などで次の行動を選択したりするときには、シータ波などの遅いリズムで協調して情報処理を行う。このようなリズムによる脳の情報処理のメカニズムが、山口チームリーダーらの研究によって明らかになりつつある。
 「“リズム・コンピュータ”として神経細胞がまとまって働き、知能を生み出す脳の設計図を描くことが、私たちのゴールです」と語る山口チームリーダーらの研究は、従来の科学の方法論ではとらえきれない脳のメカニズムを明らかにしようとしている。






監修:脳科学総合研究センター
知能アーキテクチャ研究グループ
創発知能ダイナミクス研究チーム
チームリーダー 山口陽子

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研究最前線

体の形の進化を解き明かす

神戸研究所
発生・再生科学総合研究センター
形態進化研究チーム
チームリーダー 倉谷 滋

ヤツメウナギとカメ。これが、発生・再生科学総合研究センター形態進化研究チームの主な研究対象だ。倉谷滋チームリーダーは、「進化とは、基本的な形態パターンはある程度残した上で、新しい形態パターンを積み重ねていくものです。でも時には、基本的な形態パターンを変えてしまうほど過激な変化が起きることがあります。その代表的な例が、脊椎動物の顎(あご)とカメの甲羅です」と語る。形態進化研究チームでは、脊椎動物の顎とカメの甲羅が生物の歴史の中でどのように形成されたのかを明らかにし、要因となった遺伝子を突き止めようとしている。生物は、いかに体の形を変えて進化してきたのか。比較形態学、進化発生学、分子発生学、実験発生学など多角的なアプローチによって、形態進化の謎に挑む。


カメの甲羅の一部は
肋骨を基盤としてできている

倉谷チームリーダー
「カメの甲羅は、ものすごく変わった構造なんです」と倉谷チームリーダーは言う。「形態学を知れば知るほど、カメという動物が存在することが不思議に思えてきます。しかし、カメは現に存在する。このような奇怪な動物を作ってしまうところが、進化のすごいところですね」。カメの甲羅に、どのような進化の謎が隠されているのだろうか。
 魚の胸びれとヒトの腕は、外形や機能は異なっているが、共通した形態パターンを持つ相同器官である。しかし、ヒトの腕には上腕骨や尺骨、指骨など、魚の胸びれにはない新しい形態パターンもある。「生物は、基本的な形態パターン、つまり相同性は保存しながら、新しい形態パターンを積み重ねて進化してきました。そういう点からすると、カメの甲羅はとんでもない構造です」
 カメの甲羅は、幅が広くなった肋骨(ろっこつ)同士が融合してできた骨の板である。肋骨の表面を角質が覆い、亀甲を作っている。「よく考えてみてください。肋骨は、体の外側にできるものではありませんよね」と倉谷チームリーダーは問い掛ける。確かに私たちの体では、内臓を取り囲むように肋骨があり、その外側に肩甲骨がある。
 「カメにも肩甲骨があります。しかし、カメの肩甲骨は、肋骨の内側にある。脊椎動物の中で、肋骨の内側に肩甲骨があるという形態パターンを持つのは、カメだけです。カメは、進化の過程で基本的な形態パターンを変え、まったく新しい形態パターンを作ってしまったのです」(図1)。

図1:アカウミガメ幼弱個体の軟骨(左)と骨組織(右)の染色像


わずかなゲノムの変化が
過激な変化をもたらす

生物の設計図は、4種類の塩基によってゲノムに記されている。生物進化は、ゲノムの微妙な変化を山のように積み上げた結果である。それには、長い時間を要する。ところが、カメの場合は事情が違うようだ。カメは、2億2000万年前の中生代三畳紀の地層から最古の化石が見つかっているが、その祖先は分かっていない。「カメが出現したときには、すでに完ぺきにカメだったのです。カメへの進化は、非常に短い時間で起きたのではないかと考えています」
 だとすれば、肋骨と肩甲骨の形態パターンを変えてしまうほどの過激な変化が、比較的小規模のゲノムの変化で起きた可能性が出てくる。それに対し、倉谷チームリーダーは、「過激な変化を起こすためのゲノムの変化は、必ずしも過激である必要はない」と指摘する。「ゲノムが5%変わったら形態が5%変わる、とはなりません。形態の過激な変化は、しばしば、ゆらぎともいえるほどの、わずかなゲノムの変化によって起きるのです」
 ゲノムに記された発生プログラムは、すべてが自動的に進行して、必ず決まった形態が出来上がるわけではない。発生が進む中で、適切な位置で細胞と細胞が出会い、適切なタイミングで相互作用が起きることで、細胞が分化し、組織や器官が出来上がる。細胞の分化は位置特異的であり、細胞が胚の中でどこに位置しているのかというパターニングが、非常に重要なのだ。
 ゲノムの変化がわずかでも、細胞と細胞の位置関係や相互作用のタイミングが変われば、分化の仕方は必然的に変わってしまう。その結果、時には過激なほど変化した、新しい形態パターンが出来上がる。


肋骨の先端の膨らみ
「甲稜」に注目

「カメの甲羅という過激な変化をもたらしたゲノムの変化も、おそらく、ほんの小さなこと、しかし、発生的パターニングの場面では極めて大きな意味を持った違いだったのでしょう」
 受精卵は卵割を繰り返し、内胚葉、中胚葉、外胚葉が形成される。内胚葉からは呼吸器官や消化器官が、中胚葉からは骨格や筋肉が、外胚葉からは表皮と神経系が発生する。カメの肋骨と肩甲骨も例外ではなく、中胚葉から発生する(図2)。しかしカメの場合は、この段階ですでに、わずかだが、重要な発生プログラムが変わっているのではないか、と倉谷チームリーダーは考えている。「いつ、どこで働いている遺伝子が、カメの甲羅を作り出したのか。要因となった遺伝子を突き止めたいのです」
 カメの肋骨の先端には「甲稜(こうりょう)」と呼ばれる膨らみがある。これに相当する構造はニワトリにもあるが、カメのようには膨らんではいない。「カメの肋骨が、ほかの脊椎動物のように内側に丸くならずに真っすぐ横へ伸びるのは、甲稜が肋骨の伸長に関与しているためではないかと考え、研究を進めています。海外にいるライバルも甲稜に注目しています」
 形態進化研究チームは、甲稜に特異的に発現している遺伝子を4つ発見している。この遺伝子はマウスにもニワトリにもあるが、発現していない。今後、この4つの遺伝子について、詳細に調べていく予定だ。

図2:カメの甲羅の発生


脊椎動物の顎の形成

図3:ヤツメウナギの一種、カワヤツメの幼生
形態進化研究チームのもう1つの研究対象がヤツメウナギである(図3)。
 現在の脊椎動物の多くは顎を持っているが、古生代初期の脊椎動物は顎を持っていなかった。倉谷チームリーダーは、「顎の発生は、脊椎動物の進化において最も劇的な変化です」と語る。研究チームでは、原始的な脊椎動物であり顎を持たない無顎類のヤツメウナギと、顎を持つ顎口類のニワトリの発生プログラムを比較することで、顎が発生し、進化してきたメカニズムを遺伝子レベルで明らかにしようとしている。
 ニワトリでは、Dlx1という遺伝子が上顎と下顎で発現し、顎の構造を決定している。Dlx1は、ヤツメウナギの幼生アンモシーテスでも発現し、口の上唇と下唇の発生をつかさどっている。では、ヤツメウナギの唇とニワトリの顎は、同じ発生プログラムによって形成された相同器官なのだろうか?
 Dlx1が発現する場所を調べてみると、ヤツメウナギとニワトリでは違っていることが分かった(図4)。同じ遺伝子が違う場所で働くことをヘテロトピー(異所性)という。ヘテロトピーによって働きかける細胞が変われば、出来上がる形態パターンも必然的に変わる。ヤツメウナギが持っていた唇を作る発生プログラムがヘテロトピーによって変更された結果、相同器官としてではなく、新しい形態パターンとしての顎が形成されたのだ(図5)。
 Dlx1の発現は、成長因子FGF8によって誘導されている。そこで研究チームは、ニワトリの初期胚においてFGF8の分布をヤツメウナギの場合と同じにする実験を行った。その結果、ニワトリの初期胚におけるDlx1の発現は、ヤツメウナギと同じになった。この実験結果は、FGF8の分布が何らかの理由で変われば、進化の現場でもヘテロトピーによって発生プログラムの変更が起きることを示している。比較形態学的な仮説は過去数多く提出されてきたが、脊椎動物の顎の形成を遺伝子レベルで、しかも実験的に取り組み、実証的レベルで新しい仮説をもたらしたのは、倉谷チームリーダーらが世界で初めてである。
 形態進化研究チームでは今後、なぜFGF8の分布が変わったのかを明らかにしていく予定だ。「これは、単に顎の発生だけにかかわる問題ではありません。口、顔、そして頭はどのようにできたかにも、深くかかわってきます。私たちが目指しているのは、頭部の形態形成の解明なのです」

図4:Dlx1発現の違い
図5:顎の進化発生学的シナリオ


下垂体は鼻孔と密接に関係

頭部の形態形成を解明するためには、下垂体を無視することはできない、と倉谷チームリーダーは言う。下垂体は、鼻孔のすぐ上にあり、間脳の視床下部からぶら下がっている内分泌器官である。脳からの指令を受け、ホルモンを分泌する。
 下垂体と、鼻孔の内側にあってにおい分子を感知する嗅上皮は、外胚葉のほぼ同じ部分から発生する。ヒトをはじめ多くの脊椎動物では、鼻孔が2つになる過程で、嗅上皮から下垂体が切り離される。ところが、鼻孔が1つしかないヤツメウナギでは、下垂体が切り離されるのは、鼻孔が形成された後だ。「下垂体が切り離されるタイミングが違うのですから、ヒトとヤツメウナギの鼻孔の形態が違って当然です。顎の形成にも大きな影響を与えていることでしょう」
 研究チームでは、ナメクジウオを用いて研究を進めている。ナメクジウオは、脊椎の代わりに脊索を持ち、脊椎動物の祖先に最も近いといわれている原索動物である。頭部に口しかなく、目も鼻孔もないナメクジウオでは、下垂体と相同な器官があるが、嗅上皮と切り離されていない。つまり、におい分子の情報を嗅上皮が受け取り、神経系を介さずにそのまま内分泌器官に伝え、ホルモンが分泌される。ナメクジウオとヤツメウナギの発生プログラムの比較によって、いつ、どのようにして下垂体が発生し、脳からの指令を受けてホルモンを分泌する器官になったのかを明らかにすることを目指している。その結果は、脊椎動物と原索動物を合わせた、脊索動物の共通祖先に迫る大きな手がかりにもなるだろう。


進化と医療の共通点

倉谷チームリーダーは最近、歯にも興味を持っている。「進化と医療は、実は非常に近い関係にあります。例えば歯の生え替わりの問題が、良い例です」
 爬虫類の歯は無くなれば何度も生え替わるが、ヒトの歯は一生で1回しか生え替わらない。寿命が延びた結果、どうしても老年期には多くの歯が抜けてしまう。「歯触りという言葉があるように、歯はとても敏感な感覚器です。入れ歯ではおいしくないというのは、もっともです。そこで、より良く生きるためにも2回目の生え替わりを起こすことはできないか、という発想がいずれ出てくるかもしれません」
 ヒトの歯の生え替わりは、なぜ1回に決まったのか。進化的な変化の経緯が遺伝子レベルで分かれば、歯の生え替わりのより深い理解につながるはずだ、と倉谷チームリーダーは考えている。
 「生物が淘汰を通してより良く適応していくのが進化です。一方、薬や手術などのオペレーションによって、より良く適応させようというのが医療です。両者には“適応のためのシステム構築”という共通の観点があります」
 発生・再生科学総合研究センターは、基礎研究だけでなく、その成果を医療へ応用することも目指している。形態進化研究チームの成果は、形態形成システムの理解の別方向の研究として、医療へとつながっていく可能性も秘めているようだ。
 「ほんとうは、哺乳類よりも昆虫の方が好きなんです。数年後には昆虫を研究対象にしているかもしれません」と、倉谷チームリーダーは今後の研究展開を語る。昆虫には、周囲の環境や化学物質に応じて、一生のうちで形態を変えるものがいる。「1つのゲノムが複数の形態パターンを作り出すメカニズムを解明するには、昆虫をやるしかありません。昆虫で明らかになったことは、あらゆる生物に当てはまるでしょう」。そして倉谷チームリーダーは、最終目標をこう語った。「生物の進化の過程で、形態がどのように変化してきたのか、形態と発生システムの移行を記述し尽くしたいですね」




※:ヤツメウナギ
学名はPetromyzontiformes。無顎類に属し、現存する脊椎動物で最も原始的な種。北半球の温帯から寒帯域の大部分と南半球の温帯の一部に生息。体長10〜60cm。1対の目の後ろに7対のえら孔が並び、「8つの目」に見えることからこの名前がある。研究チームでは、日本に生息するカワヤツメ(Lampetra japonica)を用いて研究している。






監修:神戸研究所
発生・再生科学総合研究センター
形態進化研究チーム
チームリーダー 倉谷 滋

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SPOT NEWS

固体素子を用いて
2ビットの量子絡み合いを初めて実現

量子コンピュータの実現に向けて大きく前進

(2003年2月20日、文部科学省においてプレスリリース)

当研究所とNECは、固体素子で構成される量子コンピュータの基本素子2個を結合した実験で“量子絡み合い”状態を世界で初めて実現し、量子コンピュータの実現に向け大きく前進した。蔡 兆申(ツァイ ヅァオシェン)NEC基礎研究所主席研究員/理研フロンティア研究システムチームリーダー(巨視的量子コヒーレンス研究チーム)らの研究グループによる成果。量子コンピュータの実現には、量子重ね合わせ状態と並んで、“量子絡み合い”状態と呼ばれる複雑な量子状態の生成が不可欠であり、2量子ビットを用いた量子絡み合い状態は、これまで固体素子では実現されていなかった。研究グループでは、量子ビット2個を微小なコンデンサーでつないだ固体素子回路を作り、量子絡み合いを出現させる方法を考案。量子ビット間の量子絡み合い状態の生成に初めて成功した。量子重ね合わせと、量子絡み合いの両方の状態が固体素子で実現できたことにより、今後は、これらの量子ビットを集積した論理演算回路の開発に取り組み、量子コンピュータの実現を目指していく。


現在のコンピュータをはるかに超えた情報処理能力を持つと期待される量子コンピュータは、「量子ビット」と呼ばれる「0」と「1」を重ね合わせた物理状態(量子重ね合わせ状態)を演算単位として使う。NECでは1999年、超伝導体を電極とする微小ジョセフソン接合を用いて量子の重ね合わせ状態を実現することで、固体電子素子による量子ビット1個の動作に世界で初めて成功した。量子コンピュータ実現の鍵となるもう1つのポイントは、“量子の絡み合い”と呼ばれる量子力学特有の現象である。量子絡み合いとは、複数の量子ビット間の量子状態が、量子力学特有の法則に従って、空間的には互いに離れていても、あたかも1つの物体であるかのように関係し合うことで生まれる状態のことである。このことによって、扱える情報量が飛躍的に増す


研究グループは、1量子ビットでの制御技術をベースに、2つの量子ビットから成る新しい回路を作製。電圧により2つの量子ビットを同時に量子振動させて量子ビット間の共振状態を起こし、量子絡み合い状態を実現した。具体的には、図に示したような2つの量子ビットを微小なコンデンサーにより結合した素子を作り、量子絡み合いを出現させる操作法を考案した。新しく開発した素子は、パルス電圧ゲートと、2つの直流ゲートに加える電圧で、それぞれの量子ビットを独立に量子振動させることができる。さらにゲートのバイアス条件の調整により、2つの量子ビットを同時に振動させることができる。


新しく考案した回路の量子ビットを同時振動させると、2つの量子振動が共振(ビート)を起こし、より複雑な振動パターンが観測された。これはちょうど、2つの振り子を緩くつないだ理科の実験で、両方を静止させた後に片方を揺らすと、この振動が2つの振り子の間を往復する「うなり」と呼ばれる現象とよく似ている。2ビットの場合は、1ビットと違い、振動スペクトルのピークが2つあり、観測された振動の振幅とスペクトルの特性は、理論的予測とほぼ一致した。これは、固体量子ビット2個を用いて量子絡み合い状態が実現できたことを、世界で初めて示したものであり、量子コンピュータ実現へ大きく前進するものである。


今回、2つの量子ビットを量子的に結合し、量子絡み合い状態の生成と制御に成功した。量子コンピュータは、1量子ビットの重ね合わせの制御と、2量子ビットの絡み合いを用いた論理演算操作の組み合わせで構成できることが理論的に知られている。しかしながら実用的な量子コンピュータの実現には、これら多数の量子ビットの集積化が必要不可欠である。今後は、これらの成果を基に、固体量子コンピュータの実現を目指していく。本研究成果の詳細は、英国の科学雑誌『nature』(2月20日号)に掲載された。

2量子ビット素子の写真(左)と模式図



※:“量子絡み合い”実現による情報量の増加
量子絡み合いがない場合には、重ね合わせで作られた量子状態は、もつれ合っていないのでN個の独立した量子ビットに“ほどく”ことができる。
しかしこの場合、量子状態はN個の独立した情報量しか取り扱えない。量子絡み合いがある場合には、量子状態は複雑にもつれ合っていて、N個の孤立した量子ビットに分かれることなく、2のN乗個の独立した情報量を同時に扱うことができる。






監修:フロンティア研究システム
巨視的量子コヒーレンス研究チーム
チームリーダー 蔡 兆申

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SPOT NEWS

フォトニック結晶を
立体的に組み上げる技術を確立

光通信の情報処理速度を飛躍的に高める新材料


当研究所は、物質・材料研究機構および横浜国立大学と共同で、次世代光通信技術の材料として欠かせないフォトニック(光)結晶を短時間で立体的に組み上げる手法を確立した。理研中央研究所半導体工学研究室の青木画奈(かんな)基礎科学特別研究員(現・東京大学産学官連携研究員)を中心とした研究グループによる成果。研究グループでは、平面的な部品を作り、それをプラモデルのように立体的に組み上げることによって、光通信の制御部品などに使われるフォトニック結晶の構造を築く方法を考案した。現在、情報は光ファイバーなどで送信されていても、パソコンや携帯電話内で電子に変換されて情報処理されている。今回確立された技術を用いることによって、光のまま情報処理できる素子の製作が可能となり、情報処理能力が100倍近く向上することが期待される。


3次元フォトニック結晶の電子顕微鏡写真光通信の制御部品などに使われるフォトニック結晶は、電子回路でいえば半導体結晶に相当する。半導体結晶は、“伝導帯”、“エネルギーバンドギャップ”、“充満帯”から成り、充満帯の電子は十分なエネルギーを与えられると、伝導帯に飛び移ることができる。一方、電子に与えられたエネルギーが不十分だと、電子はエネルギーバンドギャップを越えられないために、電気は流れない。現在のエレクトロニクスを支える半導体デバイスは、このバンドギャップを巧みに利用して作られている。光も、電子に対する半導体結晶と同じ働きをする材料(光〔フォトン〕+結晶=フォトニック結晶)があれば、光集積回路が実現できると考えられている。しかしながら、これまで実用化に適したフォトニック結晶の作製方法は提案されていなかった。さらに、光集積回路を実現させるには、発光素子や導波路などを高精度に立体構築する技術を確立しなくてはならない。


研究グループでは、フォトニック結晶を作る物質として「リン化インジウム」を選び、一度に複雑な3次元構造を作るのではなく、基本となる簡単な形状の部品から、複雑な構造を組み立てる方法を開発した。実際には、最初に最終目標の3次元構造をいくつかのプレート状部品に分解して設計し、従来の半導体加工技術で一括してウエハー上に作製する。次にプレート状部品を、走査型電子顕微鏡(SEM)の試料室に装着されたマニピュレーターに取り付け、画像を見ながらプローブで部品を1枚1枚ウエハーから切り離し、順次積層することにより3次元構造を構築する。通常のプラモデルは、パーツとパーツが正しく組み合わさるように凹凸が設けられているが、ナノレベルで凹凸を作るのは難しいため、パーツの形状にぴったりと合わさる固定材を組み合わせることによって、高い位置合わせ精度を実現した。


さらに、フォトニック結晶になんらかの機能を持たせるには、人為的にその完全性を乱す以外に、フォトニック結晶とは異なる材料から成る発光体などを導入する必要がある。研究グループでは、このような操作を容易に行う能力があることを証明するため、周期性を人為的に乱した結晶を作製した。完成した変形フォトニック結晶の光学特性は、加えた変化を忠実に反映している。このことは、作製した結晶が大変精度良くできていることを物語っている。


今回の組み立て技術は、人間がひとつひとつ操作しているため、一見、大量生産には向かないように感じられるかもしれない。しかし、今はロボットが高速画像認識で組み立てている電子デバイスも、かつては工場で人間がひとつひとつ部品を組み立てる作業を行っていた。将来、ナノスケールでの画像認識と、そのフィードバックによるマニピュレーションロボットの自動制御技術が確立されれば、自動マニピュレーションによる大量生産も決して非現実的な話ではない。また、今回の技術は、フォトニック結晶のみならず、従来の電子デバイスや機械(マイクロマシン)の微小化にも大きく貢献するものである。本研究成果の詳細は、英国の科学雑誌『nature materials』(2月号)に掲載された。




※:半導体工学研究室
2003年3月末に改廃。






監修:東京大学生産技術研究所
ナノエレクトロニクス連携研究センター
産学官連携研究員 青木画奈

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SPOT NEWS

次世代高性能タイヤ用合成ゴムの
開発に成功

ゴムの構造を自由にデザインできる新触媒

(2003年3月18日、文部科学省においてプレスリリース)

当研究所は、希土類金属の有機金属錯体による新触媒を用いて、タイヤなどのゴム原料となる究極の合成ゴムの開発に成功した。理研中央研究所高分子化学研究室の会田昭二郎協力研究員、および同研究所有機金属化学研究室、有限会社OMケムテックによる成果。研究グループでは、精密な重合挙動の制御が期待される「シングルサイト触媒」※1、特にその特異的な性質により高次元での構造規制が期待される「メタロセン型希土類金属錯体」※2に注目し、錯体化学的アプローチによる新規重合触媒の開発を行った。その結果、ポリブタジエンゴムやポリイソプレンゴムを生成する系において、触媒をデザインすることにより幾何構造を自由にコントロールすることに成功した。特にシス構造の制御率がほぼ100%、かつ分子量を任意に設定できるという理想的な触媒である「ガドリニウムメタロセン触媒」の発見により、これまでにない高度な性質の合成ゴムの実現が期待されている。現在、実用化に向けた研究が理研ベンチャーの一つ、(有)OMケムテックにより進められている。


タイヤ素材の主要な部分はゴムから成っており、天然ゴム(ポリイソプレンゴム)と合成ゴムに大別できる。さまざまな合成ゴムが開発されている現在でも、天然ゴムは、その強度の高さから最も重要な素材となっている。ポリマーの異性体構造には、“シス型”、“トランス型”、“ビニル型”という3つの型がある。天然ゴムの特性は、選択的にシス構造(99%以上)になっていることによって実現していると考えられる。現在の合成ゴムのシス型制御率は、98%程度が限界であり、このわずかな差が材料特性を大きく左右している。一方、ポリマー鎖の長さである分子量の分布も均一さが求められる。これがシャープにそろっていると耐摩耗性の強いゴムができる。天然ゴムではこの制御がまったくできていない。


有機金属化学研究室の若槻康雄 前・主任研究員(現・OMケムテック取締役)は、希土類金属のサマリウムをシクロペンタジエン環で挟んだ有機金属錯体に助触媒を組み合わせてブタジエンという分子を反応させると、約99%の高シス選択性とシャープな分子量分布を両立したポリブタジエンという立体構造と分子の長さが非常によくそろった合成ゴムができることを発見した。これは既存技術からの大きなブレークスルーとなったが、この触媒系では、完全にシス構造(高弾性のゴムにつながる)を制御することは不可能であり、天然ゴムの直接の代替品である「合成ポリイソプレン」を作る反応はまったく進行しなかった。


そこで研究グループは、“触媒金属の交換”、“金属と結合し、化学反応をコントロールすることができる配位子という基質の形、大きさなどの構造を新たにデザイン”、“反応にかかわらない不要な部分を除去し、必要な部分だけを安定に取り出す活性種の単離”などの手法を用いて、新たな触媒をデザインした。その結果、ガドリニウム化合物のメタロセン型カチオン錯体(図)を触媒に用いると、シス構造の制御率はほぼ100%に達し、かつ分子量分布が極めて狭いという理想的なポリブタジエンを得ることができた。またこの触媒系では、「合成ポリイソプレン」を作る反応も進行し、そのシス制御率もほぼ100%にまで到達することが確認された。これは「合成ゴム」が「天然ゴム」を超えた初めての例である。


今回紹介した新触媒から得られるポリマーは、幾何構造、分子量、分子量分布などが高次元で精密に制御されていることから、高弾性・高耐摩耗性の点で既存の製品をはるかにしのぐ性能を持っており、低燃費タイヤなどへの展開が期待される。また、天然ゴムには、樹液の中に含まれるタンパク質によるアレルギーを引き起こす可能性が懸念されているが、人体への影響に関しても、このポリマーは有用であると考えられている。本研究は、当研究所で進める「環境分子科学研究プロジェクト」の一環として行われたものであり、3月20日に早稲田大学で開かれた「日本化学会年会」において発表された。

ガドリニウムメタロセン錯体の分子構造



※1:シングルサイト触媒
反応にかかわる部分が単一の性質を持っている触媒。
化学反応が均一になり生成物の分子設計が可能となる。これに対し従来の触媒系を「マルチサイト触媒」という。




※2:メタロセン型希土類金属錯体
金属(メタル)をシクロペンタジエンという環状化合物でサンドイッチにしたような化合物をメタロセンという。金属部分が希土類金属である「メタロセン型希土類金属錯体」は、酸素、水分、熱に対して不安定なことが多く、取り扱いが困難であるため、詳しく検討されることが少なかった。






監修:高分子化学研究室
協力研究員 会田昭二郎

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TOPICS



「世界脳週間2003」、和光本所で
講演会等を開催



写真01理研脳科学総合研究センター(BSI)は、「世界脳週間2003」(3月10日〜16日)への参加事業として3月15日、高校生と教員を対象に脳に関する講演会を和光本所で開催しました。伊藤正男 BSI所長(当時)のあいさつの後、上口裕之上級研究員(現在、神経変性疾患修復機構研究チーム・チームリーダー)が「神経細胞が成長する仕組み」、山川和弘チームリーダー(神経遺伝研究チーム)が「脳の病気の遺伝子を探る―てんかん・ダウン症―」をテーマに講演。当日は約50名が参加しました。
 「世界脳週間」は、脳科学の意義と社会的重要性を啓蒙することを目的として、世界的な規模で行われるキャンペーンです。米国では、1992年から毎年3月に「脳週間(Brain Awareness Week)」を設け、神経科学者が中心となり講演・討論会、病院や研究所の公開、学校訪問などの行事を実施してきました。ヨーロッパにおいても1997年から「脳週間」を実施し、1999年には、この両者が連携して開催しています。さらに2000年からは、国際脳研究機構やユネスコの後援を受け、アジア・南米・アフリカの各国にも呼びかけ「世界脳週間」として世界的な規模に拡大され、現在、52カ国の千数百にも上る機関・団体が一般向けの講演および研究所の公開などを行っています。わが国も2000年より「脳の世紀実行委員会」が主体となり、高校生を主な対象として「21世紀を切り拓く挑戦者(チャレンジャー)たちへ」をテーマに参画しています。







遠山文科大臣 大型放射光施設
SPring-8を視察




写真02
遠山敦子文部科学大臣は4月7日、播磨科学公園都市の大型放射光施設SPring-8を視察しました。当研究所からは、谷畑勇夫播磨研究所長らが同席。高輝度光科学研究センターの吉良 爽副理事長からSPring-8の概要説明を受けた後、蓄積リング棟内のビームラインなどを見学しました。理研ビームライン(BL45XU)では、宮野雅司主任研究員(構造生物物理研究室)から放射光を使ったタンパク質・構造解析の研究成果などの説明を受け、タンパク質の結晶を顕微鏡で観察しました。遠山大臣は「(施設の)大きさや規模だけでなく、成果でも世界一になってほしい」と今後の期待を述べました。







新チームリーダー紹介



新しく就任した、主任研究員、チームリーダーを紹介します。
1. 生年月日  2. 出生地  3. 最終学歴  4. 主な職歴  5. 研究テーマ  6. 信条  7. 趣味


<脳科学総合研究センター 
修復機構研究グループ>
上口 裕之 (かみぐち ひろゆき) 神経変性疾患修復機構
研究チーム

上口 裕之 (かみぐち ひろゆき)
1. 1964年12月29日 2. 埼玉県 3. 慶應義塾大学医学部 4. 慶應義塾大学脳神経外科助手、ケースウェスタンリザーブ大学神経科学部門研究員 5. 神経軸索成長の分子細胞生物学 6. 芸術は長く人生は短し 7. スキー
見学 美根子 (けんがく みねこ)
成人神経再生現象研究チーム
見学 美根子 (けんがく みねこ)
1. 1966年8月28日 2. 神奈川県 3. 東京大学大学院医学系研究科博士課程 4. ハーバード大学医学校遺伝学部門ポスドク研究員、京都大学理学研究科生物物理学教室講師 5. 中枢神経系の細胞構築分化の分子機構 6. 明日死ぬつもりで生き、永遠に生きるつもりで学ぶ 7. 旅行、料理

<発生・再生科学総合研究センター>
斎藤 通紀(さいとう みちのり)
哺乳類生殖細胞研究チーム
斎藤 通紀(さいとう みちのり)
1. 1970年6月2日 2. 兵庫県 3. 京都大学大学院医学研究科博士課程 4. 日本学術振興会特別研究員、ウェルカム財団上級研究員 5. マウス生殖細胞系列成立・修飾・維持の分子機構とその応用 6. 基礎から考える 7. 浜田省吾
上田 泰己(うえだ ひろき)
システムバイオロジー研究チーム
上田 泰己(うえだ ひろき)
1.1975年9月9日 2. 福岡県 3. 東京大学医学部 4. 山之内製薬株式会社 創薬研究本部、分子医学研究所 システムバイオロジーグループリーダー 5. 生命現象をシステムとして理解・制御・再構築する 6. Make everything as simple as possible, but not simpler.(何事もできるだけシンプルに。ただシンプルすぎずに。) 7. サッカー

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原酒“社会”と“科学”とのつながり


筆者近影
記者発表はインタープリターの活躍の場
科学者は、無限の興味と関心のもと、科学を大きく発展させてきた。それは名誉欲ではなく、飽くなき追究欲によるものであろう。しかし科学的事実が正確に伝わらず、国民が不信を抱くことも少なくない。さらに原子爆弾、クローン人間、細菌兵器、これらの報道は、科学に対するネガティブイメージを増幅させている。21世紀の科学は、その内容がより細分化、複雑化し、科学者だけのコミュニティーだけでは、その方向性、重要性を社会に説明するのは難しくなってきた。科学者も社会の一員である以上、社会への説明責任(アカウンタビリティー)が、これまでにも増して重要になってきている。しかし、科学者の言葉で国民に説明しても、きちんと正確に理解されない場合が多い。そこで、社会(国民)と科学(科学者)をつなぐ、科学ジャーナリストや報道官などインタープリター(通訳者)の存在が大きくクローズアップされてくる。


インタープリターの活躍の場の一つに広報活動がある。企業広報とは違い、基礎研究に対する広報活動の主眼は、科学の重要性を説き、いかに国民の生活に福音をもたらすかを伝えることにある。そのことは、ひいては息の長い基礎科学研究、莫大(ばくだい)な予算を必要とするビッグプロジェクト推進に向けた、国民の合意というハードルを低くすることにつながる。中でも研究成果などを報道するプレス発表(記者会見)の役割は大きい。研究者は発表文を作成する際、正確に科学的な事実を伝えようとする。しかし国民の声を代弁する記者は、“この研究が今後何に役立つのか”など社会的なインパクトを要求する。報道官はその間に立ち、発表文を一般の人にも理解しやすいように書き直す。つまりインタープリート(通訳)することが求められる。さらに記者は、プレス発表をもとに論点を整理し、端的な表現を使い記事化していく。


科学と社会の間に立つインタープリターに求められる素養とは何であろうか。一番大事なのは、“不思議”を“不思議”と感じられる感覚、つまり“科学するこころ”ではないか。このことは、もとより研究者を目指すものにも必要な素養であり、実際のところインタープリターと研究者とは表裏一体なのかもしれない。一方、報道すべき事柄を理解した上で、あくまでも客観的に、その価値を判断できる感性も備わっていなくてはならない。米国では科学ジャーナリストを養成するフェローシップ制度もあり、研究者ではなく、インタープリターを目指す科学者も多いという。そして、科学的素養、社会的感覚を併せ持ったインタープリターが科学啓発、政策提言を行うケースも少なくない。また、科学ニュースをアウトプットする媒体(科学雑誌・番組)も多い。残念ながら日本では、優れた科学雑誌が休刊に追い込まれ、科学にふれる機会が減ってしまった。


日本学術会議は2002年11月、日本科学技術ジャーナリスト会議と共催でシンポジウム「科学と社会―いま科学者とジャーナリストが問われている―」を開催した。その中で、“わが国は、欧米諸国に比べ、正確な科学知識の普及が最も遅れている”との指摘があった。さらに、科学と社会とを橋渡しする人材養成の必要性も論じられ、インタープリター活躍への期待も大きい。理研は10月から独立行政法人化される予定である。研究所としてのビジョンを定め、その存在意義(基礎科学の重要性)や科学的成果を社会にきちんと説明できる体制の整備こそが、さらなる飛躍につながるのではないか。


広報室(現・文部科学省 ライフサイエンス課 生命倫理・安全対策室)●嶋田庸嗣


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理研ニュース

6 No.264:June 2003
発行日
平成15年6月5日
編集発行
理化学研究所 広報室
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2番1号
phone: 048-467-8349[ダイヤルイン]
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デザイン
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