LOGO 理研ニュース
No. 258 December 2002

(上)プルキンエ細胞の長期抑圧メカニズム
(Masao Ito :The Molecular Organization of Cerebellar Long-Term Depression. nature reviews neuroscience, November 2002 Volume 3より)
「小脳から記憶や思考の謎に迫る」から
(下)アブシジン酸の情報伝達変異
「種子の発芽と休眠の制御メカニズムを探る」から
(上)プルキンエ細胞の長期抑圧メカニズム
(下)アブシジン酸の情報伝達変異



研究最前線

小脳から記憶や思考の謎に迫る

脳科学総合研究センター 神経回路メカニズム研究グループ
記憶学習機構研究チーム
チームリーダー 伊藤正男

自転車の乗り方を一度覚えると、意識しなくても乗れるようになり、乗り方は一生忘れないものである。このような“体で覚える”記憶学習は、小脳がつかさどっている。小脳の記憶学習は、神経細胞の情報の受け渡し場所であるシナプスでの伝達効率が長期間抑えられる「長期抑圧(LTD)」により実現する。1980年に世界で初めて小脳の長期抑圧をとらえたのが、伊藤正男脳科学総合研究センター所長である。伊藤所長がチームリーダーを兼務する記憶学習機構研究チームでは、長期抑圧の詳細な分子メカニズムの解明を行っている。最近、小脳は運動だけでなく思考でも大事な役割を担うことが明らかになってきた。伊藤チームリーダーらは、小脳の働きを統一的に説明する理論の構築と実証を目指している。


脳はなぜ記憶学習が
できるのか?

数学の公式など、言葉で説明できる知識を“頭で覚える”記憶は、大脳のシナプスの伝達効率が長期間増強する「長期増強」により実現する。一方、“体で覚える”記憶は、長期増強とは逆に、小脳のシナプスの伝達効率が長期間抑えられる「長期抑圧」が担っている。
 例えば、自転車の練習をしているときの運動指令信号は、大脳から手足の筋肉を動かす神経へ直接伝わると同時に、小脳へも入る。小脳に入った信号は、小脳核にそのまま伝わるルートと、小脳皮質を経由するルートに分かれる。小脳皮質へ伝わった信号は平行線維からプルキンエ細胞へ伝わる(図1・図2)。
 1個のプルキンエ細胞には約17万5000本もの平行線維と、1本の登上線維が接続している。自転車の乗り方を間違えて転んだりすると、間違いを知らせる誤差信号がすぐに登上線維からプルキンエ細胞に伝わる。プルキンエ細胞に、平行線維と登上線維からほぼ同時に情報が伝わると、その平行線維のシナプスに長期抑圧が起きる。
 自転車の練習を重ねるうちに、間違った運動指令を伝える平行線維のシナプスは次々に長期抑圧され、正しい乗り方をしたときの運動指令信号だけが伝わるようになる。すると、自転車の乗り方を覚えたことになると考えられる。
伊藤チームリーダー
図1:小脳のプルキンエ細胞
図2:小脳の神経回路の基本構造モデル



長期抑圧の
分子メカニズムに迫る

平行線維のシナプスに信号が伝わると、グルタミン酸(Glu)が放出される。これをプルキンエ細胞のAMPA受容体が受け取り、信号が伝わる。長期抑圧では、このAMPA受容体の機能が失われる。平行線維と登上線維からほぼ同時に信号が伝わると、なぜその平行線維のシナプスだけに長期抑圧が起きるのだろう。
 プルキンエ細胞の長期抑圧にかかわる分子が30種類以上、明らかになった(図3と表紙)。平行線維に信号が伝わると、グルタミン酸とともに一酸化窒素(NO)が放出される。一方、登上線維に信号が伝わると、グルタミン酸とともにストレスホルモンCRFや、IGF1という分子が放出される。これらの分子が第1メッセンジャーとなる。それぞれの分子は、プルキンエ細胞の受容体で受け取られ、細胞内の第2メッセンジャーに情報が伝わる。そしてリン酸化・脱リン酸化のシステムが動き出す。こうして平行線維シナプスのAMPA受容体(AMPAR)がリン酸化されて細胞骨格から切り離される。さらにAMPA受容体が細胞内に引き込まれることにより、長期抑圧が起きることが解明されてきた。
 「私たちの研究チームは、平行線維からの一酸化窒素放出に始まる経路で働く分子や、登上線維から放出されるストレスホルモンCRFなど、数多くの分子を発見し、その働きを探ってきました。最近では、分子を見つけるという段階から、長期抑圧の分子メカニズムをシステマチックに考える段階になってきました」
 長期抑圧が特定の平行線維のシナプスに起きるには、平行線維と登上線維からの情報が、ほぼ同時に伝えられたことを検出する場所があるはずだ。その“一致検出装置”が、情報伝達経路に4カ所あると伊藤チームリーダーらは考えている。
 「4カ所のどこかで一致すれば長期抑圧が起きる、あるいは、まずある場所で一致して、次の場所へと情報伝達が段階的に進む可能性が考えられます」

図3:プルキンエ細胞の長期抑圧メカニズム



体で覚えたことは
なぜ忘れないのか?

「長期抑圧では、まだ肝心なことが分かっていません。長期抑圧が永続化する仕組みが、大きな謎のままなのです」と伊藤チームリーダーは語る。
 例えば自転車の乗り方や泳ぎ方は、一度覚えれば一生忘れないものである。これは長期抑圧の永続化により、実現していると考えられる。通常の神経細胞では、核を持つ細胞体で遺伝情報に基づいてAMPA受容体が作られ、シナプス膜に運ばれ、数時間でAMPA受容体が新しいものに入れ替わる。長期抑圧でAMPA受容体が細胞内に引き込まれて一度なくなっても、また補充されれば、長期抑圧は永続化しないはずだ。
 「AMPA受容体の補充、あるいは、AMPA受容体の生産が止まる仕組みを、遺伝子との関係を含めて考える必要があります。AMPA受容体は、いろいろなサブユニット(部品)で構成されています。GluR2というサブユニットは小脳の神経細胞に多く見られ、長期抑圧に関係しています。このGluR2が細胞体で作られ、シナプス膜に送り込まれる過程に、いま世界中のグループが注目して、研究競争を繰り広げています」
 永続化メカニズムの解明が難しい理由には、長期抑圧を短時間しか計測できないという技術的な制約が大きい。現在は小脳の切片などに微小電極を当てて計測しているが、神経細胞を長時間維持することができず、せいぜい3時間までしか長期抑圧を追跡できない。
 「現在の脳科学の技術は、脳細胞で起こる短時間の現象は詳細に分析できるようになりましたが、時間的に長い現象を追うことは苦手なのです。長期抑圧の分子メカニズムを詳しく探ることにより、長期抑圧が起きていることを可視化し、長時間計測できる技術を開発することが、私たちの大きな夢なのです。私はすでに名前だけ作って“LTDプローブ”と呼んでいます。LTDプローブができれば、長期抑圧の永続化メカニズムだけでなく、“そもそも小脳は何をやっているのか”を探る強力な手段になります」


小脳を神経回路レベルで探る

シナプスには、相手の神経細胞を興奮させるタイプと、抑制するタイプがある。プルキンエ細胞のシナプスが抑制タイプであることを、伊藤チームリーダーらは1964年に解明した。
 「プルキンエ細胞がブレーキをかけて信号の通り方をうまく調節することで、巧みな運動ができるようになるのです」
 さらに伊藤チームリーダーらは、小脳の片葉と呼ばれる領域のプルキンエ細胞が、「前庭動眼反射」をつかさどる延髄の前庭核に抑制信号を送っていることを1970年に発見した。
 研究チームでは、神経回路レベルで小脳の機能を調べるために、この前庭動眼反射の研究を行ってきた。前庭動眼反射とは、視覚像がぶれないように、頭の動きに対応して眼球が反対方向に動く反射である。内耳にある前庭器官が頭の動きをとらえて前庭核に信号を送り、前庭核が眼球を動かす筋肉に運動指令を送る。例えば、その指令が強すぎると眼球が大きく動きすぎて視覚像がぶれてしまう。そのぶれを網膜がとらえて、誤差信号として登上線維からプルキンエ細胞へ伝える。プルキンエ細胞は前庭核にブレーキをかけて眼球がちょうどよく動くように調節すると考えられる(図4)。
 「ところが米国のグループが前庭動眼反射の別の神経回路モデルを提唱し、私たちと20年来論争をしています。2002年、ATR人間情報通信研究所の川人光男さんのグループが発表した神経回路のコンピュータ・シミュレーションは、私たちのモデルを支持しています。前庭動眼反射は小脳がかかわる最も簡単な回路ですが、まだ議論が続いているのです」

図4:前庭動眼反射の神経回路


大脳の思考モデルを写し取る

図5:小脳がシステムを写し取るメカニズム
「人間の脳には“小脳チップ”が5000枚ほどあります」
 小脳では幅1mm、長さ10mmほどの短冊型の「微小帯域」が、1枚のコンピュータ・チップのような機能単位として働く。1つの微小帯域には約500個のプルキンエ細胞や小脳核が含まれている。運動の練習では、最初は意識しながら手足を動かしているが、やがて意識しなくても巧みな動きができるようになる。これは大脳で意識して行っていた運動モデルを、小脳の微小帯域の回路が“写し取った”と考えることができる。つまり、写すべきシステムと同じ出力になるまで誤差信号によって小脳の微小帯域の回路が書き換えられていく(図5)。微小帯域が運動モデルばかりでなく、言語やイメージなどの思考モデルも写し取るという理論で、伊藤チームリーダーらは、小脳の働きを統一的に説明しようとしている。
 「物事を覚え込んでいくと、やがて、ある考えがすらすらと出てくる。こういった思考における学習も、運動と同じような原理で小脳が行っていると考えられます。例えば米国のM. E. Raichle(ライクル)らの研究では、“リンゴ”と言ったら“食べる”と答えるような、たくさんの名詞を次々と動詞に転換する課題は、練習をすると間違いなしにできるようになります。しかし小脳に異常があると、いくら練習しても間違いがなくならないのです」
 生物進化の過程で、小脳は大脳の発達と並行して大きくなってきた。「サルやヒヒまでは、小脳の機能はすべて運動に関係しています。しかしチンパンジーなどの類人猿、さらに人間になると小脳が外側に大きく広がりました。この領域は高度な情報処理や思考をつかさどる大脳の連合野とつながっています。外科手術でこの領域を取り除いても運動障害が現れないことが臨床的に知られています」
 言語やイメージ、概念などの思考モデルは、大脳の頭頂葉や側頭葉の連合野に蓄えられており、それを前頭葉の連合野が操作することが思考だと考えられる。しかし繰り返し思考を続けていると、頭頂葉や側頭葉の思考モデルを小脳回路が写し取る。すると前頭葉は、小脳が写し取ったモデルを直接操作して思考するようになる(図6)。「特に、とっさに予測したり判断するときには、小脳の思考モデルを使うはずです」
 近年、fMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)など、脳を傷つけることなく、活動を計測する技術が発達してきた。このような技術を使って、思考過程で小脳が活動することが実証され始めている。
 例えば、英国のA. Ploghaus(プログハウス)らによると、赤と青のランプがあったとき、赤いランプがついたときにだけ熱刺激がくる実験を続ける。やがてあるとき、赤いランプをつけておくと、熱刺激を与えないでも小脳は熱刺激がきたときと同じような活動を見せる。「赤いランプを見たときに、“次に熱刺激がくるぞ”と小脳が予測していると考えられます」
 “体を他人に触られるとくすぐったいのはなぜか?”という問題にも小脳が関係しているらしい。自分がくすぐるときには小脳の予測どおりに刺激がくるので平気だが、他人の場合には予測とずれるので、くすぐったい。自ら操作するロボットの手で自分をくすぐるという実験で、操作してからロボットが実際にくすぐるまでの時間的なずれが長いほどくすぐったくなり、小脳が活動するという計測データを英国のS. Blakemore(ブレイクモア)らが発表している。
 精神病における幻聴も、小脳の働きで説明できるという大胆な説もある。例えば何かの判断をするときに、小脳のゆがんだ思考モデルから大脳に戻ってくると、自分の考えだと思えずに、他人が発した声だと認識してしまうのだという。
 「大脳の思考モデルを小脳が写し取ることは分かってきましたが、どのようなプログラムが写し取られるのかは、分かりません。そもそも大脳の神経回路に言語やイメージなどが、どのようにプログラムされているのか、分からないのです。言語野の場所は分かっていますが、そこにどういうメカニズムの回路が存在し、言葉がしゃべれるのかは大きな謎です。それを写し取る小脳に、どのような回路ができるのか、見当もつきません」
 さまざまな機能が解明され始めた小脳のメカニズムを研究していくには、脳活動を神経細胞やシナプスレベルでとらえたり、長期観測を可能にするLTDプローブのような計測手段のブレークスルーが不可欠だと伊藤チームリーダーは指摘する。
 伊藤チームリーダーらが切り拓いてきた小脳の研究は、領域をますます広げ、いまや思考やこころのメカニズムをも解明しようとしている。

図6:思考過程での小脳の働き






監修:脳科学総合研究センター
神経回路メカニズム研究グループ
記憶学習機構研究チーム
チームリーダー 伊藤正男

[ 目次へ ]


研究最前線

種子の発芽と休眠の制御メカニズムを探る

横浜研究所
植物科学研究センター 生長生理研究グループ

発芽生理機構研究チーム
チームリーダー 神谷勇治

生殖制御研究チーム
チームリーダー 南原英司

種子は、地面に落ちてすぐに発芽するわけではない。一度、自ら生長を止めて、眠りにつくのだ。そして発芽に適した環境になると、目覚めて芽を出す。種子がどのようにして発芽と休眠を制御しているのか、そのメカニズム解明に挑んでいるのが、植物科学研究センター生長生理研究グループである。神谷勇治チームリーダー(同グループ・グループリーダー)率いる発芽生理機構研究チームでは、発芽において重要な働きをしている植物ホルモン、ジベレリンの生合成・情報伝達の研究を進めている。南原英司チームリーダー率いる生殖制御研究チームでは、植物ホルモンのアブシジン酸などに注目し、種子や芽が自ら生長を止めるメカニズムを研究している。遺伝的性質がよく分かっているシロイヌナズナ※1を用いた研究は、種子の発芽や寿命の人為的制御、さらには有用物質を種子に蓄積させたり、乾燥や低温といった環境ストレスに強い高機能種子を作るなど、農業への応用も期待されている。


発芽を促進させるジベレリン

神谷チームリーダー植物は、種子から発芽して生長し、花を咲かせて種子を作る。その種子は、休眠を経て発芽する。これが、植物の生活環である(図1)。
 「種子は、休眠から目覚めるのに都合が良い環境条件を自分で認識して、発芽を制御しています。もし、春に発芽すべき種子が、環境を見誤って日の長さや気温など気候が似ている秋に発芽してしまったら、寒い冬を越えられずに枯れてしまいます。私たちは、種子がどのように環境を認識して発芽を制御しているのか、そのメカニズムを明らかにしようとしています。メカニズム解明の鍵を握っているのが、ジベレリンです」と神谷チームリーダーは語る。
 ジベレリンは、イネがひょろ長く伸びてしまう馬鹿苗病を引き起こす病原菌Gibberella fujikuroiから、1938年に藪田貞次郎(1944〜1953年 理研主任研究員)が結晶化した植物ホルモンである。植物ホルモンとは、生長や器官形成などにおいて重要な働きをする有機化合物で、現在7種類※2が知られている。その中でジベレリンは、茎の伸長促進に重要なホルモンである。ジベレリンの生合成や情報伝達に異常がある突然変異体は、丈が低い矮性(わいせい)になる(図2)。情報伝達とは、植物ホルモンが受容体に結合して、さまざまな反応を引き起こし、最終的に生理的な働きを示すまでの一連の流れだ。
 「ジベレリンには、発芽を促進する働きもあります。ジベレリンが欠損したり、ジベレリンの情報が伝わらない種子は、発芽できません」と神谷チームリーダー。
 発芽率が悪くなった種子を冷蔵庫で冷やすと、発芽しやすくなる。これは昔から知られている方法だが、理由は分かっていなかった。最近、神谷チームリーダーらの研究から、種子を低温の環境に置くとジベレリンが作られることが分かってきた。ジベレリンによって、発芽が促進されていたのだ。

図1:植物の生活環
図2:シロイヌナズナのジベレリン欠損突然変異体の表現型


発芽のアクセルとブレーキ

図3:レタス種子の光発芽
種子の発芽の条件で重要なのは、温度と水分である。シロイヌナズナやレタスなど小さな種子では、さらに光が欠かせない。小さな種子は貯蔵しているエネルギーが少ないため、深い所から地表まで芽を伸ばすことができない。そこで、光をモニターして、地表からの深さを認識しているのだ。
 レタスは、暗黒では発芽せず、光がある場合のみ発芽する(図3)。ところが、ジベレリンを加えると暗黒でも発芽してしまう。また、アブシジン酸を加えると、暗黒でも光があっても発芽しなくなる。アブシジン酸は、米国で大熊和彦らによって1960年代にやっと構造決定された植物ホルモンである。
 植物は、自分にとって都合の良いときには発芽するが、都合の悪いときには発芽を止めなければいけない。車でいえば、アクセルとブレーキの両方が必要になる。ジベレリンがアクセル、アブシジン酸がブレーキだ。この2つの植物ホルモンが発芽を調節しているのである。
 「植物の生長を理解するには、ブレーキであるアブシジン酸とアクセルであるジベレリンが、植物の中でどのように制御されているのかを研究する必要があります」と神谷チームリーダーは指摘する。「今までの植物ホルモン研究は、1つのホルモンだけを扱った1次方程式でした。アブシジン酸とジベレリンという2つの変数を入れた連立方程式を解くことで、種子の発芽と休眠の制御メカニズムに迫ることができるでしょう」


バクテリア由来の生合成経路

動物では、脳下垂体や副腎皮質などホルモンを産生する組織がホルモンごとにはっきりと決まっていて、血液やリンパ液などによって体中に運ばれていく。一方、植物ホルモンは特定の組織ではなく、ほとんどすべての組織で作られている。
 ジベレリンの生合成には7〜8段階あり、それぞれ異なる酵素が触媒として働いている。全ジベレリン生合成酵素の遺伝子クローニングに大きく貢献したのが、神谷チームリーダーである。理研国際フロンティア研究プログラム(1991〜1999年)のホルモン機能研究室チームリーダーとして、国際研究協力のイニシアチブをとって解析を進めた。
 ジベレリン生合成酵素の遺伝子や、ジベレリンによって誘導される遺伝子の発現を調べることで、ジベレリンがいつ、どこで作られ、どのように働くかという、生合成・情報伝達の流れを追うことができる。「発芽種子では、ジベレリンがどのように動いているか、一連の流れが分かってきました」と神谷チームリーダー。ジベレリンは、中間体が維管束から皮層に移動して活性化され、最終的には表皮で発芽の引き金を引いていたのである(図4)。
図4:発芽種子のジベレリン応答遺伝子の発現部位
 植物ホルモンはテルペン化合物※3である。かつて、テルペン化合物はすべて酢酸からメバロン酸を経て生成されると考えられていた。ところが1990年代初め、ある種のバクテリアはメバロン酸経路以外でテルペン化合物を作ることが発見された。
 「その発見に、私はとても興味を持ちました。ジベレリンとアブシジン酸の前駆体は、細胞内小器官である葉緑体で生合成されるからです」と神谷チームリーダーは語る。「葉緑体は、光合成を行うバクテリアが植物に共生したものだと考えられています。つまり、植物ホルモンの生合成には、もともと細胞が持っていた細胞質のメバロン酸経路(MVA経路)と、バクテリアに由来する葉緑体の非メバロン酸経路(MEP経路)という2つの経路があるのではないかと考えたのです」
図5:植物のテルペン化合物の生合成 神谷チームリーダーが研究を進めてみると、予想通り、テルペン化合物はメバロン酸経路と非メバロン酸経路の2つの経路で生合成されていたのである(図5)。しかも2つの経路は、完全に独立しているのではなく、互いにやり取りがあるらしいことも分かってきた。発芽生理機構研究チームでは、メバロン酸経路と非メバロン酸経路が、生長や環境によってどのように切り替えられるのか、両者のやり取りを明らかにしていく予定だ。
 「将来的には、人間にとって有用なテルペン化合物を種子に蓄積させたいと考えています。そのための基礎研究を始めました」と神谷チームリーダーは語る。
 植物は2万5000種類ものテルペン化合物を作っている。医薬や食品に役立つ有用物質も多い。神谷チームリーダーが注目しているのが、ステビアという植物が作り出すステビオシドだ。砂糖の100倍も甘く、天然甘味料として清涼飲料や菓子にも使われている。テルペン化合物の生合成メカニズムの解明が進めば、有用物質を生合成する非メバロン経路だけを動かし、他方を動かなくすることも可能だろう。例えば、ステビオシドを種子に蓄積させた、甘いエンドウやダイズなどができるかもしれない。しかし、種子に余計なものが蓄積されると、発芽できなくなる可能性もある。同時に発芽を人為的に制御する技術を確立することも必要である。


休眠を促進するアブシジン酸

南原チームリーダー
「種子は眠ることで、環境に対する適応能力が強まります。種子の休眠は、過酷な環境に耐えるため、積極的に自己の生長を止める営みなのです」と語るのは、南原チームリーダーである。種子の休眠にかかわっているのが、植物ホルモンのアブシジン酸だ。
 アブシジン酸を生合成できない突然変異株や、アブシジン酸の量や情報伝達に異常があって感受性が低下している突然変異株は、休眠が浅く、まだ眠っていなければいけないときに発芽してしまう。例えば、種子がさやで発芽してしまう「穂発芽」を引き起こす(図6)。
 生殖制御研究チームでは、アブシジン酸を生合成できない変異株や、感受性が低下している変異株を50系統発見している。すでに、アブシジン酸の生合成や情報伝達にかかわる遺伝子が複数同定されている。そのうちのいくつかは、転写調節因子である。転写調節因子とは、遺伝子の発現を促進させたり抑制したりするものだ。アブシジン酸によって、さまざまな遺伝子の発現が誘導され、それが別の遺伝子のスイッチをオン・オフすることで種子を眠らせているという、休眠のメカニズムの一端が明らかにされつつある。
 生長を止めた種子は、いろいろな栄養素を蓄積し、耐乾燥性や耐凍性など防御のシステムを準備して眠りに入る。例えば、シロイヌナズナでは、正常に休眠している種子には油が蓄積されている。しかし、眠りの浅い突然変異株の中には油をためられないものや逆にデンプンをためるものが見られる。「自ら生長を止めて休眠している種子は何をしているのか、1つ1つ明らかにしていきたい」と南原チームリーダーは語る。研究から得られた情報は、耐乾燥性や耐凍性を獲得した高機能種子の開発にもつながっていく。

図6:アブシジン酸の情報伝達変異


芽の休眠と種子の休眠

図7:伸長している側芽の茎における
レポーター遺伝子の発現
生殖制御研究チームでは、芽の休眠のメカニズム解明にも取り組んでいる。植物では頂芽優勢といって、茎の先端にある芽(頂芽)はよく伸びるが、茎と葉の間から出る芽(側芽)はそれほど伸びない。頂芽を切ると、側芽が生長するようになる。これは、頂芽で作られた植物ホルモンのオーキシンが下りてきて、側芽の生長を抑制するからと考えられている。アブシジン酸も重要な働きをしていることが分かってきた。側芽は、まさに休眠しているのだ。
 生殖制御研究チームでは、休眠に連動して発現する遺伝子を網羅的に探している(図7)。見つかってきた遺伝子のセットのうちいくつかは、種子の休眠にも連動して発現していることが分かっている。「種子の休眠と芽の休眠には、生長を止める共通のメカニズムがあるのかもしれないと考えています。休眠機構の遺伝的解析を進めていきます」と南原チームリーダーは語る。
 種子は、普通長い時間がたつと発芽しなくなってしまう。いわば、種子の寿命だ。しかし、生きている種子も死んだ種子も見た目には同じで、動物の生死のようには簡単に判断できない。しかも、種子の寿命は長短いろいろだ。ヤナギのように数日しかないものから、大賀ハスのように2000年もの眠りの後に目覚めることもある。
 「種子が死んでいるのか眠っているだけなのかは、これまで発芽させてみないと分かりませんでした」と南原チームリーダーは語る。しかし、2000年にシロイヌナズナの全ゲノムが解析され、さらに休眠の制御メカニズムが遺伝子レベルで明らかになってきたことで、状況は大きく変わった。「今は、シロイヌナズナの全遺伝子2万6000個について発現状態を簡単にモニターできます。この遺伝子とこの遺伝子が働いていないから生きているとはいえない、というように種子の生死を遺伝子マーカーによって判定することが可能なレベルにまできています」。遺伝子マーカーを付けた種子を紫外線ランプの下に置くと死んでいる種子は緑に光る、といったことが近い将来実用化されるだろう。まく前に種子の生死を選別できれば、収穫量の増大にもつながる。
 「食糧生産を担う農業は、とても重要です。私たちは将来に向けて、農業に役立つ有益な情報や技術を準備していかなければなりません」と神谷チームリーダーは語る。生長生理研究グループの成果は、植物の生活環の理解に貢献するだけでなく、農業の発展に貢献する技術開発にも大きな波及効果をもたらしていく。




※1:シロイヌナズナ
学名はArabidopsis thaliana L. Heynh。アブラナ科の1年生植物。
2000年12月に全ゲノム塩基配列が決定された。ゲノムサイズは1億2500万DNA塩基対、遺伝子数は約2万6000個。
ゲノムサイズが高等植物で最小、約2カ月で種子を付ける、全長30〜40cmと小さく実験室での栽培が容易などの理由から、モデル植物として遺伝的解析が進んでいる。



※2:7種類
植物ホルモンはジベレリン、アブシジン酸、オーキシン、ブラシノライド、エチレン、サイトカイニン、ジャスモン酸の7種類が知られている。



※3:テルペン化合物
植物、動物、微生物に広く分布する有機化合物。
イソプレンを基本単位として構成され、イソプレノイドとも呼ぶ。イソプレンが2個結合したものがモノテルペン、3個結合したものがセスキテルペン、4個結合したものがジテルペンである。
ジベレリンはジテルペン、アブシジン酸はセスキテルペンの一種。






監修:横浜研究所
植物科学研究センター 生長生理研究グループ
発芽生理機構研究チーム
チームリーダー 神谷勇治
生殖制御研究チーム
チームリーダー 南原英司

[ 目次へ ]


SPOT NEWS

相同DNA組み換えを任意の場所で
活性化させることに成功

生物本来のメカニズムを利用した新しい遺伝子組み換え技術
(2002年10月18日、文部科学省においてプレスリリース)

当研究所は、キュリー研究所(フランス)と共同で、相同DNA組み換えを任意の染色体個所で活性化させることに成功した。理研中央研究所染色体動態制御研究ユニットの太田邦史ユニットリーダー、村上創研修生(埼玉大学大学院)、キュリー研究所のAlain Nicolas(アラン ニコラ)博士らの研究グループによる成果。減数分裂期の相同DNA組み換えは、“組み換えホットスポット”と呼ばれる決まった染色体部位において「Spo11」※1というタンパク質(酵素)が作用し、DNA二本鎖が切断されることによって開始される。研究グループでは、パン酵母のSpo11タンパク質に、DNAの特定の場所に結合するタンパク質を融合させ、パン酵母に導入した。すると、通常ではDNA切断が起きない領域においてDNAの切断が誘導され、最終的にDNAの相同的組み換えが活性化されることが分かった。このSpo11を、任意の配列特異的DNA結合タンパク質に融合させ、減数分裂を行っている細胞内に導入することにより、目的遺伝子に関する形質改良の効率を飛躍的に向上させることができるため、新しい遺伝子組み換え技術として注目されている。


新しい遺伝子組み換え技術 減数分裂は、真核生物が子孫を残すために生殖細胞で行う特殊な細胞分裂である。この分裂が起きる際、両親から受け継いだ染色体(相同染色体)が対合し、同じ染色体部位に位置する遺伝子間でDNAの切断および再結合反応が行われる。生物はこの反応を用いて、両親から受け継いだ遺伝情報を交換し、新しい組み合わせの遺伝子セットを持った子孫を残す。相同的組み換えは、“組み換えホットスポット”と呼ばれる相同DNA組み換えが起きやすい部位での一過的なDNA二本鎖切断によって開始される。この切断は、減数分裂の初期に見られる反応で、「Spo11」というタンパク質によって引き起こされる。Spo11がDNA切断を行う組み換えホットスポットは、ヌクレオソームがなく、裸のDNAが露出した、開いたクロマチン構造※2を取っている。このようなクロマチン構造の変化は、組み換えが見られない領域(コールド領域)では検出されない。


研究グループでは、Spo11タンパク質に配列特異的なDNA結合タンパク質「Gal4」のDNA結合部位を融合させ、これをパン酵母に導入する実験を行った。パン酵母内でGal4タンパク質の配列特異的DNA結合領域を融合させたSpo11を発現させると、これまで組み換えが観察されなかったコールド領域に存在するGAL2遺伝子座の転写制御領域(Gal4結合配列を含む)で、減数分裂時にDNA二本鎖切断が観察された。このDNA切断反応は、ホットスポット特有のクロマチン構造変化を伴う。さらに、GAL2遺伝子座での組み換え頻度を測定すると、1桁ほど組み換え頻度が高くなっていることが明らかになった。すなわち、Spo11に融合したDNA結合タンパク質の認識配列さえあれば、減数分裂期にDNA切断をピンポイントで導入し、相同DNA組み換えを著しく活性化できることが分かった。


今回、組み換えが生じにくいコールド領域に存在する遺伝子座であっても、その領域に存在する配列を認識するDNA結合タンパク質をSpo11に融合させることで、相同DNA組み換えをピンポイントで活性化できる可能性が出てきた(図)。これにより、これまでは交配によってなかなか改良できなかった形質も、迅速かつ効率的に改良することが可能になる。本手法は、生殖細胞に一過的に融合Spo11タンパク質を導入するだけでよく、また生物がもともと持っている遺伝的組み換えのシステムを利用している。今後、本手法とゲノム計画で得られた遺伝子情報を組み合わせることにより、効率的な新しい育種法が開発されるものと期待される。本研究成果の詳細は、米国の科学雑誌『Cell』(10月18日号)に掲載された。



※1:Spo11
トポイソメラーゼという、DNAを解きほぐすタンパク質(酵素)に類似した因子。
この因子は減数分裂期に現れるタンパク質で、酵母からヒトに至るまで保存されている。マウスなどでこの遺伝子を破壊すると減数分裂時の相同DNA組み換えがおかしくなり、精子や卵子が正常に形成されなくなる。
1997年に二重鎖切断にかかわっていることが分かった。



※2:クロマチン構造
真核生物の染色体は、ヒストンや非ヒストンタンパク質がDNAと結合し、階層的で高次な構造を作り上げている。このような構造をクロマチン構造と呼ぶ。




監修:染色体動態制御研究ユニット
ユニットリーダー 太田邦史

[ 目次へ ]


SPOT NEWS

量子コンピュータ実現に向けた
新しい電子集積回路を提唱

(2002年10月23日、文部科学省においてプレスリリース)

当研究所は、量子コンピュータ実現に向けた、新しい電子集積回路を提唱した。理研フロンティア研究システム単量子操作研究グループデジタルマテリアル研究チームのFranco Nori(フランコ ノリ)チームリーダー、同グループ巨視的量子コヒーレンス研究チームの蔡兆申(ツァイ ヅァオシェン)チームリーダーらの研究グループによる成果。量子コンピュータを実現するためには、多くの量子ビット※1を集積し、複数の量子ビット間を選択的につなぎ合わせ、論理回路を構築できなくてはならない。研究グループでは、1ビットレベルで実現しているジョセフソン電荷量子ビットと呼ばれる超伝導固体素子を用いた集積回路で、量子ビットを効率的に集積することが可能な電子回路を提案し、理論的に数百ビットを扱うことが可能であることを世界で初めて示した。今後は、本成果を実証するため実際に電子回路を製作し、今まで実現が難しかった複数ビットの制御を実験的に確かめ、量子コンピュータ実現に向けて取り組んでいく。


これまでのシリコン半導体素子を利用したコンピュータは、集積度の向上が限界に達しつつあり、情報処理能力はほぼ飽和状態にある。これを打ち破る技術として注目されているのが、物質の量子力学的な性質を使った「量子コンピュータ」である。量子コンピュータを開発する鍵は、量子情報処理の基本単位である量子ビットの実現にある。現在、この量子ビットを実現するために原子や分子を利用する「微視的量子ビット」の研究が比較的先行している。しかしながら、これら量子ビットを集積することが難しいため、ビット数の集積化により向いていると考えられる固体素子を用いた「巨視的量子ビット」による量子コンピュータの実現性がより高いと考えられている。超伝導回路により構成されるこれらの量子ビットは、低容量のジョセフソン接合※2が使われ、実験的には数種のジョセフソン量子ビットが1ビットのレベルで実現されている。この提案は「ジョセフソン電荷量子ビット」と呼ばれる研究が最も先行している量子ビットに基づく回路である。


多数の量子ビットで構成される量子コンピュータは、それらのうちの任意の2つの量子ビットを順次に結合させて計算を行う。現在、電荷を利用したジョセフソン電荷ビットを結合する簡単な方法として、容量(コンデンサー)を介し、電荷量子ビット間に働くクーロン相互作用を使うものが提案されている。しかしながらこの回路方式は、システムを拡張することが困難である。また、インダクタンス(L)と量子ビットの容量(C)で形成されるLC回路における共振モードを使って、複数のジョセフソン電荷量子ビットを結合する方法も提案されている。この設計では、量子ビット間の結合を“オン”、“オフ”させることが可能であり、任意の2つの量子ビットを結合することができる。しかし、この回路方式は、量子ビット数が増加すると共振周波数が高くなり、やはりシステムを拡張することが難しい。


研究グループでは、今までの回路方式の問題を克服するため、LC回路を構成しない、共有されるインダクタンスを使うことを提案した(図)。これまでのLC結合型の設計では、交流超伝導電流のみがインダクタンスを流れ、LC共振モードが電荷量子ビットを結合していたが、新しい電子回路では、直流、交流双方の超伝導電流がインダクタンスを通じて流れることができる。任意な量子ビット間の結合を得るために、スイッチの役目を果たす2つの直流超伝導量子干渉器(DC SQUID)でそれぞれの電荷量子ビットと接続している。必ずしも隣り合っていない任意の2つの電荷量子ビットが、インダクターによって効果的にカップリングされるという意味で、複数ビットで量子計算を行え、ビット数の拡張性がある。さらに量子計算の主要なゲート操作である「条件付きゲート」操作を容易に実行することができる。


本研究成果は、固体素子を用いた電子回路について、効率的で回路規模の拡張可能な量子コンピュータを初めて可能にするもの。今後、この回路方式に基づく集積実験を行い、さらには固体素子を用いた量子コンピュータの実現を目指していく。本研究成果の詳細は、米国の学術雑誌『Physical Review Letters』(11月4日号)に掲載された。

新しく提案された電子集積回路




※1:量子ビット
量子情報処理における基本単位。



※2:ジョセフソン接合
2つの超伝導体を弱く結合させた接合。
超伝導体は巨視的量子状態を作るが、ジョセフソン接合では2つの超伝導体の巨視的位相の差が、直接接合を流れる電流値に反映されるという奇妙な特徴を持つ。この発見によりB.D. Josephson(英国)は1973年にノーベル物理学賞を受賞した。





監修:フロンティア研究システム
単量子操作研究グループ
巨視的量子コヒーレンス研究チーム
チームリーダー 蔡 兆申

[ 目次へ ]


SPOT NEWS

装置の小型化・大出力化につながる
新しいレーザー技術

産業分野で有効な1ミクロン発振波長を世界最高レベルで発振
(2002年11月7日、文部科学省においてプレスリリース)

当研究所は、NECトーキン株式会社と共同で、産業分野における非常に重要な1ミクロン(1μm)の発振波長において、世界最高レベルの発振効率(スロープ効率※1:78%)を持ち、レーザー発振装置の小型化および大出力化につながる、新しいタイプの結晶を用いたレーザー技術の開発に成功した。北海道大学工学部の協力のもと、理研中央研究所固体光学デバイス研究ユニットの和田智之ユニットリーダー、小川貴代研究協力員およびNECトーキン(株)による研究グループによって得られた成果。研究グループでは、新しい固体レーザー用結晶であるNd:GdVO4(ネオジウム添加ガドリニウム・バナデイト結晶)を用いるとともに、活性媒質として加えるNd(ネオジウム)濃度を高めた結晶を作製。今まで活用できなかった励起波長(880nm)が活用できるようになったばかりでなく、この結晶を用いてレーザー発振を行ったところ、Nd:GdVO4結晶を用いたレーザーにおける、世界一の発振効率を得ることができた。本技術を用いたレーザー装置は、従来のYAGレーザーに比べ装置のサイズを数分の1にできる。さらに、レーザー媒質に残る熱も少ないため、大出力化および高ビーム品質化が可能となり、ナノレベルでの微細加工を強力に推進するツールとして期待される。なお、本成果を用いたレーザー発振器は、NECトーキン(株)により実用化される予定。


808nmと880nm励起のスキーム/808nmと880nmでのレーザーの発振特性 ナノテクノロジーやバイオテクノロジーの進展により、レーザーを用いたナノレベルの微細加工技術の基盤整備が進んでいる。ナノセンシングを推し進めるには、より高効率で発振し、集光特性や可干渉性(コヒーレンス)に優れたレーザー光源が必要である。近年、半導体レーザー(LD)励起固体レーザーの研究が急速に進展。LD励起固体レーザーは、効率的にレーザー媒質を励起するため、従来のランプ励起と比べて励起光のロスが少なく、媒質内に発生する余分な熱を極力抑え、高効率なレーザー光を得ることができる。そのため、ビーム品質において画期的な改善がなされ、波長変換による高調波を活用することで、ナノ領域の分解能を持つ微細な加工を可能とする高出力紫外光が得られるようになった。しかし、その性能は、原理上の限界付近に達しているのが現状である。


研究グループでは、圧倒的な大出力化、高効率化、高品位ビームの発生、高調波による短波長化を実現するため、固体レーザー用結晶の一つである「Nd:GdVO4」に着目した。Nd:GdVO4は、大きな誘導放出断面積と優れた熱特性を兼ね備えたレーザー結晶である。しかしながら材料の融点が高いため、実用レベルの結晶の育成が困難だった。そこでフローティングゾーン(FZ)法※2をベースにNECトーキン(株)と北海道大学が開発した新しい結晶成長法を用いることにより、活性媒質であるNdをこれまでにない高濃度で加えることに成功し、従来、励起光の吸収効率が悪く活用できなかった880nmでの励起が可能であることを発見した。この結晶を用いてレーザー発振を行ったところ、スロープ効率78%という、Nd:GdVO4結晶を用いたレーザー発振における世界最高記録が達成された。


今回得られた研究成果は、スロープ効率が高く、励起波長が今までの808nmから880nmとなることで、従来のエネルギー変換効率の原理的な限界を10%改善した。そればかりでなく、材料そのものの熱特性も優れており、レーザー発振時に媒質に残る熱量が30%程度改善されるため、この熱によって妨げられていた出力限界のブレークスルーが期待できる。実用的にはレーザー設計の自由度が高くなるため、高品質なビームを提供できるという利点のほか、高効率発振による低コスト化や、装置サイズを従来の数分の1以下に小型化できる画期的なレーザーの実現が可能となり、従来の結晶を用いた製品と比較して40〜50%程度のエネルギー変換効率の向上が図れる。本研究成果は2002年11月、グラスゴー(英国)で開かれたレーザーに関する世界的な国際会議「LEOS2002(主催:LEOS、共催:米国光学会)」で発表された。




※1:スロープ効率
励起光の入力を上げていった場合に、得られるレーザー光の出力がどのくらいの割合で増加していくかを表す。この値が大きいほど小さな入力で高出力なレーザー光を得ることができる(=高効率)。



※2:フローティングゾーン(FZ)法
FZ法は、結晶成長のための“るつぼ”を用いないため、結晶成長時の育成雰囲気(結晶育成を行う炉の中に充てんさせる気体の条件)の制限がない。従来法(回転引き上げ法)でNd:GdVO4結晶を育成する場合は、融点が約1800℃でイリジウム“るつぼ”を使用するため、酸素の割合を数%程度に制御しなければならない。




監修:固体光学デバイス研究ユニット
ユニットリーダー 和田智之

[ 目次へ ]


TOPICS



「AsiaNANO 2002」が開催される



写真1「AsiaNANO 2002-Asian Symposium on Nanotechnology and Nanoscience」(主催:ナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンター、理化学研究所、科学技術振興事業団)が11月27日から3日間、日本科学未来館(東京都江東区)で開催されました。丸山瑛一フロンティア研究システム長の開会宣言、坂田東一文部科学省審議官ならびに毛利衛日本科学未来館館長のあいさつに引き続いて、3日間のシンポジウムが開幕しました。シンポジウムには、中国、韓国、シンガポール、インド、米国など国内外から約200名が参加。当研究所からは、口頭、ポスターを含む十数件の発表があり、河田聡主任研究員(中央研究所ナノフォトニクス研究室)が招待講演者として出席しました。
 本シンポジウムは、理研フロンティア研究システム時空間機能材料研究グループが中心となり運営されました。将来性のある新しいナノマテリアルやナノデバイスの開発に焦点を当て、化学や物理学、生物学、材料科学、高分子化学、半導体技術、フォトニクス、DNA技術、MEMS(マイクロマシン)技術など、さまざまな分野間における学際的な連携の促進を目的としています。さらに、中国科学院のChun-Li Bai副院長を招待講演者として招くなど、環太平洋地域でこれらの分野に携わる研究者が、より効率的に研究を進められるようなネットワーク作りも目指しています。シンポジウムは今後も継続的に開催され、次回のAsiaNANO 2004は北京で開かれます。






第10回名古屋市・理化学研究所
ジョイント講演会を開催



写真2バイオ・ミメティックコントロール研究センター(BMC)は2002年11月29日、「第10回名古屋市・理化学研究所ジョイント講演会」を名古屋市工業研究所(名古屋市熱田区)で開催しました。本講演会は、理研と名古屋地域の研究者、産業界との交流と連携の輪を広げ、理研の成果を広く公開することを目的として、毎年、名古屋市と共催しているものです。10回目となる今回は、細江繁幸BMC研究センター長が「バイオ・ミメティックスと制御工学の接点」、伊藤正男脳科学総合研究センター所長が「考える脳の仕組み」と題して講演。“生物”と“人工的”な制御、それぞれについての先端的研究成果を披露しました。本講演会は、BMC研究と脳科学研究とを互いに理解する絶好の機会となり、約90名の来聴者が訪れました。






大野文部科学大臣政務官、
理研和光本所を視察



大野大臣政務官(中央)に説明する緑川主任研究員(右)大野松茂文部科学大臣政務官は12月4日、理研和光本所を視察しました。初めに小林俊一理事長が当研究所の概要を説明。その後、岡本仁チームリーダー(脳科学総合研究センター発生遺伝子制御研究チーム)、緑川克美主任研究員(中央研究所レーザー物理工学研究室)、牧野内昭武プログラムディレクター(ものつくり情報技術統合化研究プログラム)、谷畑勇夫主任研究員(中央研究所RIビーム科学研究室)による各研究の概要説明を受け、各施設を視察しました。






展示会出展のお知らせ



当研究所は研究成果を広く一般の方に知っていただくため、下記の展示会に出展します。皆さまのご来場をお待ちしております。

「nano tech 2003 国際ナノテクノロジー総合展・技術会議」
場所:幕張メッセ国際展示場7・8ホール、国際会議場 海浜幕張駅 徒歩5分 
日時:平成15年2月26日(水)〜28日(金)10:00〜17:30
入場:無料





原酒
研究交流が先か、バドミントンが先か


筆者近影
「ね〜ね〜。この飛行機、なんか後ろ向きに飛んでない?」メンバーの1人がつぶやいた。何を酔っぱらっているのですか、と皆でモニターに目をやると、確かに本来の進行方向とは逆に飛んでいる。とその時、「本機は、燃料計器故障のため、ただ今よりクアラルンプールに戻ります」と機長からのアナウンスが入った。そう、われらがバドミントン部有志10名は、何を狂ったか、ついにマレーシアまでバドミントンの道場破りに行ったのである。


昨年10月24日から3泊5日でわれわれが訪問した先は、東洋の真珠と称されるペナン島にあるマレーシア科学大学(USM)である。USMは、マレーシアを代表する総合科学大学であり、東工大に似た大学である。しかし、大きく違う点が2つある。1つは、学生の半数が女性であること。もう1つは、大学内でお酒を飲むことが禁止されていることである。マレーシアは多民族国家であるが、国教はイスラム教である。従って、公式の場になればなるほどお酒が飲めなくなっていく。飲むことが最大の交流と日ごろから自負してやまないバドミントン部としては、最初からカウンターパンチを食らったようであった。USMと理研は、アジア連携大学院制度を締結しており、毎年1名の学生を理研が受け入れ、実験指導を行っている。マレーシアは、長い間イギリスの統治下にあったため、これまではイギリス、オーストラリアへの留学が主であった。しかし昨今、アジアの先進国から学ぼうという動きが強くなっており、大学を挙げて日本語教育にも大きな力を入れている。今回われわれがUSMを訪問した背景には、現在、生物科学部の講師となっているSudesh氏の存在が大きい。彼は、高分子化学研究室に5年半在籍するとともにバドミントン部にも入部し、その人柄から部員に非常に愛された男である。彼が帰国する際、「ぜひバドミントンの国際交流試合をしましょう」というのがわれわれとの約束であった。


研究者であるわれわれは、どうしても自分の研究を人に話したくて仕方がない変な人種である。ということで、初日にRIKEN-USMミニシンポジウムを開催した。シンポジウムは、USMの紹介に始まり、生分解性プラスチック、窒素固定菌、生体膜移動タンパク、熱帯植物、大型放射光、熱帯魚類、微生物発酵、高分子構造と多岐にわたる研究発表を経て、最後に理研の紹介を行うという9時間に及ぶ盛大な会であった。夜のパーティーでのマレーシア料理のおいしさは格別であり、草の根の小さな研究交流としては最高の一日であった。2日目は、理研から10名とUSMから30名が、バドミントン専用体育館で朝9時から夕方5時まで汗を流した。バドミントンは、ネットを挟み1つの羽根を4人が追う、言葉が通じなくても心の通い合うスポーツである。さすがに、バドミントンが国技の国である。6面のコ−トと観客席のある専用体育館が大学構内にあり、われわれをいたく感動させてくれた。気温35℃近くもあるところにわざわざ出向き、バドミントンをする。何と自虐的な行為と思いながら、それをやっている自分たちに感動を覚えた2日目であった。今回Face to Faceの交流を異国の学生とできたことが最大の収穫であった。異国の多くの学生さんが理研のファンになってくれること。それが理研が世界的な研究所としてさらに大きく飛躍するためにも必要であろう。たとえ酒が飲めなくても、言葉が通じなくても。


さて、酒が飲みたいときに飲めない日々を送ったわれわれは、再出発の時間が早まっているアナウンスにも気が付かずに、クアラルンプール空港での待ち時間に大いに飲んだ。私は生まれて初めて、25分も出発を遅らせる原因となり、着席する前に飛行機が動き出すという経験をした。しかし、ほかの乗客の冷たい視線とは対照的に、われわれは非常に温かい心と身体でマレーシアを後にした。

USM構内のモスク RIKEN-USMミニシンポジウム
RIKEN-USMバドミントン対抗試合の選手たち


中央研究所 高分子化学研究室 副主任研究員●岩田忠久


[ 目次へ ]




理研ニュース

2 No.260:February 2003
発行日
平成15年2月5日
編集発行
理化学研究所 広報室
〒351-0198
埼玉県和光市広沢2番1号
phone: 048-467-8349[ダイヤルイン]
fax: 048-462-4715
Email: koho@postman.riken.go.jp
http://www.riken.go.jp
デザイン
株式会社デザインコンビビア
制作協力
有限会社フォトンクリエイト