要旨
理化学研究所(野依良治理事長)は、大型放射光施設「SPring-8」[1]が発するX線をシリコン結晶上にゲルマニウムを蒸着させた試料に照射したところ、結晶中に生じた「格子ひずみ[2]」によってX線が2方向へ分岐し、横すべりを繰り返しながら伝播する現象を初めて観測しました。この成果は、次世代半導体技術や新しいX線軌道制御方法、新たな光学素子の基盤技術の形成に役立つと期待できます。これは、理研放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)放射光イメージング利用システム開発ユニットの香村芳樹ユニットリーダー、XFEL研究開発部門の澤田桂特別研究員、石川哲也センター長と東京大学大学院総合文化研究科 深津晋教授らの共同研究グループによる成果です。
X線の軌道を制御するには高精度な光学素子が必要で、現状では可視光の軌道制御に比べて困難です。X線の軌道制御に有望な技術として、結晶材料に存在する格子ひずみによってX線の軌道が大きく曲がる「X線の横すべり現象[3]」が2006年に理論予言されました。香村ユニットリーダーらは、2010年にこの現象の実証に成功しています。そこで、共同研究グループは、格子ひずみを通じた精密なX線軌道制御の開発に挑みました。
今回の実験では、シリコン結晶上にゲルマニウムを蒸着させ「ヘテロエピタキシャル結晶[4]」を作製し、その表面に生成された量子ドット[5]に対してX線を照射しました。一定の角度で入射するとX線は横すべり現象を起こすだけでなく、2つに分岐することを見いだしました。分枝した2つのX線はほぼ平行なビームで、その距離は400マイクロメートル(μm)以上であり、多数の量子ドットを波乗りのように飛び移りながら横すべり現象を起こしていることが分かりました。
今回の研究成果は、X線の分岐と波乗りという新しい光学現象を発見しただけでなく、次世代技術の開発にも貢献します。例えば、2つに分岐したビームを再び重ね合わせることで新しい原理に基づいたX線干渉計を作製できます。これにより、次世代半導体でキーテクノロジーとなっているミクロな格子ひずみを高感度に計測することができるようになると、飛躍的な技術の進歩が期待できます。
本研究は、科学研究費補助金 研究基盤(B)「ブラッグ条件反射条件近傍に置いた結晶によるX線波束の異常シフトの観察とX線導波管応用」によるものです。研究成果は、米国の科学雑誌「Physical Review Letters」(2月1日号)に掲載され、同誌のハイライト論文として取り上げられる予定です。
背景
X線は、短波長であるため物質との相互作用が極端に小さく、屈折をほとんど起こしません。また、X線を集光する既存のレンズ製作技術の精度を上げることは難しく、可視光と比べてX線の軌道制御は困難です。しかし、結晶の中では、一定の間隔で周期的に並んでいる原子の周期性がずれて格子ひずみが生じると、それによってX線の軌道が大きく曲がります。この現象は「X線の横すべり現象」と呼ばれ、澤田桂特別研究員ら(当時 東京大学大学院工学系研究科所属)が2006年に発表した論文で理論予言しています(Sawada, et al., PRL, 96, 154802 (2006) )。さらに2010年には香村芳樹ユニットリーダーらがシリコンの凹面をなす結晶面にX線を照射し、X線横すべり現象を実際に観測することに成功しました。これにより、同現象を利用した精度の高いX線導波管(X線を必要なところに導くデバイス)の実現の可能性を証明しました(2010年プレスリリース Y. Kohmura, et al., PRL, 104, 244801 (2010) )。
今回共同研究グループは、より精密な軌道制御を行うには、高精度に格子ひずみを制御しX線の横すべり現象を起こす必要があると考えました。そこで、ヘテロエピタキシャル結晶という2種類の異なる元素の結晶界面を用いて格子ひずみを制御することでX線の軌道を制御しようと挑みました。
研究手法と成果
本研究で用いたヘテロエピタキシャル結晶は、大きさ15×15mmのシリコン結晶上にゲルマニウムを約4原子層の厚さで蒸着して量子ドットを生成させた結晶試料です(図1)。量子ドットは、シリコン結晶に引っ張り応力(外部が引っ張られるときに内部に生じる力)を及ぼして直下の結晶面を凸面形状に変形させ、格子ひずみを生じさせます。原子間力顕微鏡[6]で試料を観察したところ、量子ドットの間隔は1μm以下であることが分かりました。さらにX線が試料を透過しやすくするため、ゲルマニウム蒸着面と反対側の面に余計な力が加わってひずみが起きないように慎重に研磨し、厚さ100μmの結晶試料を作製しました。
実験は、大型放射光施設SPring-8のアンジュレータービームラインBL29XUで、エネルギー15 keVのX線(波長0.08 ナノメートル)を照射し、X線画像検出器で試料透過像を撮影しました(図2)。結晶試料に対するX線の入射角がブラッグ角[7](本実験の場合は17.6度)から大きく外れた角度だと、X線はほとんど直進します。しかし、ブラッグ角よりもわずか1秒角(3600分の1度)ほどずれた低角だと、X線は、2方向に分岐し、入射角度を変化させると2つのビーム間の距離を変えることもできました(図3)。
結晶試料に入射するX線はほぼ平行ですが、量子ドット付近のシリコン結晶面は凸面形状であるため、X線の一部はブラッグ角よりも低角側にずれ、一部は高角側にずれて入射します(図4)。2006年に発表した理論をさらに発展させたところ、2つのX線が分岐して横すべり現象を生じることが理論的に説明できました。さらに、2つに分岐したX線が結晶試料を通過したときの距離を測ると、量子ドットの間隔(1μm以下)をはるかに超えた400μm以上であることが分かりました。この大きな横すべり現象を詳細に調べたところ、ブラッグ角近くに入射されたX線は、結晶試料の界面で繰り返されている凹凸の格子ひずみの影響で、ある量子ドットによる格子ひずみからとなりの量子ドットによる格子ひずみへ飛び移る、波乗りするような動きをして、結果的に400個以上の量子ドットをまたいだ大きな横すべり現象を起こすことを見いだしました(図5)。
今後の期待
ヘテロエピタキシャル結晶の界面付近では、原子位置をずらす、つまり、格子ひずみの制御を行うことができます。今回の研究では、格子ひずみの制御により、結晶から2つの角度発散が非常に小さく、お互いにほぼ平行なビームを取りだすことができました。この現象を利用すると、従来できなかったさまざまな新しい研究が可能になります。例えば、2つに分岐したビームを、再び重ね合わせることで新しい原理に基づいたX線干渉計が作れます。この干渉計では、格子ひずみの大きさをX線の波の位相変化として観測し、極めて高感度に計測できます。この技術は、ヘテロエピタキシャル結晶中の格子ひずみを設計し、より高性能な次世代半導体デバイスを開発するために役立ちます。格子ひずみを制御する技術開発を通じて、この他にも、新しいX線軌道制御方法、新たな光学素子が誕生する可能性が広がります。