背景
今回の研究では、がん抗原に反応するT細胞からiPS細胞を作製し、そのiPS細胞から元のがん抗原に反応できるT細胞を分化誘導することを目的としました(図1)。
がん患者で何が起こっているかを見て行きましょう。成熟したT細胞の中で、抗原から刺激を受ける前の段階のT細胞をナイーブT細胞と呼びますが、これは、いろいろな抗原に対して応答できる反応性をもった細胞の集団です。その中で、がん細胞に反応できるT細胞は、がん抗原の刺激によって増殖し、働くことができるエフェクターT細胞になります。しかし、がん細胞にはエフェクターT細胞を抑制し、無力化する性質があり、がん細胞に対する免疫反応が起こりにくくなっています(図2)。
現行のがん免疫療法は、がん患者の体内にあるわずかな働けるエフェクターT細胞を患者の体内、あるいは生体外で成熟T細胞を刺激して、さらに働かせようとするものです。ここで問題になるのは、刺激されて活性化されたエフェクターT細胞の寿命が短く、せいぜい1~2週間しか生きないとされている点です(図3)。このため、 がんに対する免疫反応が持続せず、現行の免疫療法の最大の課題となっています。
これを解決するために、研究グループはiPS細胞技術を利用しようと考えました。この戦略を理解するには、T細胞の反応の仕組みを理解する必要があります。
T細胞は、T細胞レセプターを用いて抗原を認識し反応します(図4)。このT細胞レセプターには、いろいろな反応性をもつものがあります。T細胞レセプター遺伝子は断片化した状態でゲノム中に存在しています(図5)。T細胞は胸腺[6]という組織でつくられる過程の中で、いくつかの断片を組み合わせて遺伝子の切り貼りを行い、T細胞ごとに異なるレセプター遺伝子がつくられます。これは、遺伝子再構成[7]と呼ばれる現象です。従って、T細胞は細胞ごとに異なる構造のT細胞レセプターを発現していることになります。
そのようなT細胞のうちの1つからiPS細胞をつくると、再構成された遺伝子の情報が受け継がれます(図6)。そのiPS細胞からT細胞を分化誘導すると、元のT細胞と同じ抗原と反応するT細胞ばかりになります。この原理が実際に働くことは、マウスのNKT細胞[8]からiPS細胞を作製した研究で確認されています(Watarai H et al, J Clin Invest 120:2610, 2010*)。
さて、本研究の戦略を解説します。体細胞から作製したiPS細胞を材料としてT細胞をつくると、多様な遺伝子再構成が起き、さまざまな反応性をもつT細胞群になってしまうため、その中のごく一部のT細胞しかがん細胞を攻撃できません(図7上段)。
しかし、がん細胞を攻撃できるT細胞をあらかじめ取り出しておいて、そのT細胞からiPS細胞を作製し、そのiPS細胞を材料としてT細胞を分化誘導させると、全てのT細胞に元のT細胞と同じ反応性を持たせることが可能です(図7下段)。つまり、生成した全てのT細胞ががん細胞を攻撃できることになります。
こうした戦略により、がん細胞を攻撃できるT細胞を大量につくることができれば、前述のようながんに反応できるT細胞の少なさや寿命の短さという問題を克服できると考えました。
*2010年6月2日プレスリリース参照
研究手法と成果
1)ヒト悪性黒色腫特有の抗原に反応するキラーT細胞からiPS細胞を作製
研究グループが材料として用いた細胞は、ヒト悪性黒色腫というがんに特有のMART-1という抗原に反応できるキラーT細胞です。これは、アメリカ国立衛生研究所(NIH)でヒト悪性黒色腫の患者から分離され、培養されていた細胞で(JKF6細胞、Yang S et al, PLoS One 6, e22560)、T細胞マーカーであるCD3という分子と、キラーT細胞マーカーであるCD8という分子を発現しています。この細胞に、山中因子(Oct3/4、Klf4、Sox2、c-Myc)の遺伝子を導入し、またiPS細胞作製の効率化を図るためにSV40[9]という因子(Park IH, Nature 451:141, 2008)も用いて、iPS細胞を作製しました(図8)。これをMART-1-iPS細胞と名付けます。
MART-1-iPS細胞が十分な機能をもった質のよいiPS細胞であるかどうかは、いろいろな方法で検証しました。例えばコロニーの形状、遺伝子発現のパターン、染色体異常の有無、いろいろな組織への分化能などです。その中で最も重要なポイントである「いろいろな組織への分化能」を調べた結果を示します。MART-1-iPS細胞をヌードマウス[10]の皮下に注入し、4週間後に生成した細胞を組織学的に解析したところ、外胚葉、中胚葉、内胚葉系のいろいろな組織へ分化していることが確かめられました(図9)。すなわち、iPS細胞とみなせる細胞であることが実証されました。
2)MART-1-iPS細胞からの未成熟T細胞の分化誘導
次にMART-1-iPS細胞からT細胞を分化誘導しました。方法は、すでに報告されている手順(Timmermans F et al, 182:6879, 2009)を基に、独自の改変を少し加えました。iPS細胞をあるフィーダー細胞[11](OP9細胞)と共培養した後、培養13日目で別なフィーダー細胞(OP9/DLL1細胞)との共培養に切り替えます(図10)。その後培養を継続すると、培養35日目にはCD8(キラーT細胞マーカー)とCD4というヘルパーT細胞の分化マーカーを共に発現する細胞が出現します。これは、成熟細胞の一歩手前の未成熟なT細胞に該当します。この時点で、未成熟のT細胞が発現しているT細胞レセプターの性質を調べました。T細胞レセプターがMART-1抗原に結合できるかどうかは、MART-1テトラマー[12]という試薬を用いて染色することで調べます。結果は、生成したT細胞の多くがMART-1抗原と結合できるものでした。
3)未成熟T細胞から成熟T細胞への分化誘導
フィーダー細胞との共培養では、未成熟T細胞の段階で分化が停止してしまいます。この段階で、T細胞レセプターはすでに発現していますが、機能的には未成熟なのです。それ以上に分化させる方法は知られていませんでした。そこで、独自に開発した方法で、さらなる分化誘導を試みました。T細胞が発現しているCD3という分子に対する抗体を加えることにより、T細胞レセプターに刺激を与えるという方法です(図11)。この方法を用いた結果、抗体添加の6日後に、元のキラーT細胞と同じCD8を発現する細胞を大量に得ることができました。また、このCD8陽性細胞は、ほぼ全てがMART-1抗原を認識できるタイプ、すなわち元のキラーT細胞と同じ反応性をもつT細胞レセプターを発現していました。
4)MART-1-iPS細胞から作製した成熟T細胞の反応性
このT細胞レセプターがMART-1抗原に結合できることはテトラマー染色で検証できましたが、さらにMART-1抗原で刺激して活性化することができるかどうかをテストしました(図12)。生成したキラーT細胞と標的細胞(EBウイルスでがん化したB細胞)を混ぜただけではT細胞は活性化されないのに、MART-1抗原を添加した時には抗原の刺激を受けてガンマインターフェロン(IFNγ)を産生しました。IFNγはキラーT細胞がよく産生するサイトカインという情報伝達物質の一種で、抗腫瘍活性を持っています。この実験により、MART-1-iPS細胞から分化誘導されたT細胞がMART-1抗原に反応するT細胞であることが確認できました。
今後の期待
1)がん免疫療法の直面していた壁を突き破る可能性がある
がん免疫療法については、現在もいろいろな試みがなされています。そのほとんどはすでに体の中にあるくたびれたエフェクターT細胞を何とか励まそうというものです。得られる細胞数や寿命には限りがありました。今回の研究グループのアプローチは、体外で未成熟なT細胞から新たにエフェクターT細胞をつくろうというものであり、既存の方法と全く異なっています。実際、本研究で生成した成熟細胞は主にエフェクターT細胞にあたると考えられ、すなわち寿命自体は、それほど長くないと思われます。しかし、iPS細胞からの分化誘導を繰り返せば、大量の細胞を継続的に得ることができます。従って、現行の方法が直面している壁の突破口になる可能性があります。
なお、本研究では、試験官内でエフェクターT細胞にまで分化誘導しましたが、こうしたエフェクターT細胞をつくって生体に戻すということを、必ずしも最終的なゴールとしている訳ではありません。理想的なゴールとして想定しているのは、「胸腺で分化を始める直前、すなわち前駆細胞の段階まで生体外で分化誘導して、生体に戻す」ことです。注入された前駆細胞は、患者の胸腺に移住して、T細胞に分化するはずだと考えています。こうすれば、本来の胸腺環境で分化が起こるので、体外で分化誘導した場合と違ってナイーブT細胞が大量に胸腺でつくられるはずです。そこへがん抗原を用いて適切に免疫することで、過去の抗原情報を記憶できるメモリーT細胞を誘導することもでき、持続的な抗腫瘍免疫が期待できると考えています。
2)iPS細胞作製技術の応用範囲を大幅に拡げた
iPS細胞の臨床応用は、薬剤のスクリーニングや毒性試験などの応用も考えられていますが、第一義的には欠損した組織の再生による補完です。しかし、その対象となる疾患は、そう多くはありません。
本研究により、リンパ球の特性を活かしたiPS細胞の応用によって、がんという疾患を対象とする可能性が出てきました。実用化できれば、iPS細胞技術の恩恵を受けることができる患者の数は、一気に数十倍に広がる可能性があります。
3)iPS細胞バンクも利用できる
本研究では、原則として免疫の拒絶反応が起きないように、患者本人すなわち自己のiPS細胞から分化誘導したT細胞を利用することを想定しています。特に、前駆細胞を胸腺に移住させて持続的な抗がん免疫をつくりだすという方式では、自己細胞を使う必要があります。
しかし、生体外で分化誘導したキラーT細胞を繰り返して患者に投与する場合は、T細胞から作製したiPS細胞のバンクを確立して、それらを利用することも可能です。その場合、移植後に拒絶されないようにするためには、あらかじめいろいろな種類のT-iPS細胞を作製しておく必要があります。品質保障という点では、むしろT-iPS細胞バンクを用いる方が、実現性が高いと考えます。