要旨
理化学研究所(野依良治理事長)は、ショウジョウバエにおいて体の成長を制御するホルモンの機能を血中で調節する “おとり受容体”を発見し、そのメカニズムを明らかにしました。これは、理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)成長シグナル研究チームの西村隆史チームリーダー、岡本直樹基礎科学特別研究員らの成果です。
生物の体は、それぞれの種によって、体細胞の数や体積を増加させながらほぼ定められた大きさにまで成長し、それ以上大きくならないように制御されています。近年、ショウジョウバエを生物モデルとした遺伝学的解析が進み、どのような遺伝子や細胞間シグナル伝達経路が関与して体の成長が制御されているのかについて精力的に研究が行われています。特にインスリン様ペプチド[1]は、細胞膜上のインスリン様ペプチド受容体[1]を介して体の成長を制御する重要な内分泌ホルモンとして知られており、昆虫を始めとする無脊椎動物だけではなくヒトを含む脊椎動物にも広く存在しています。しかし、血中に分泌されたインスリン様ペプチドの機能を調節するメカニズムに関しては不明な点が多く残されていました。
研究チームは、このメカニズムを解明するため、ショウジョウバエを用いて機能調節に関連する因子を探索しました。その結果、血中のインスリン様ペプチドの機能を調節する新規因子「分泌型おとりインスリン様受容体(SDR;Secreted Decoy of InR)」を発見しました。血中に分泌されたSDRは、“おとり受容体”としてインスリン様ペプチドに直接結合して、細胞膜上の正規のインスリン様ペプチド受容体への結合を阻害し、体の成長を抑制していました。SDRは、栄養状態の変化に対して体全体の成長と栄養貯蔵のバランスを保つのに必要な因子であると考えられます。
脊椎動物を含むさまざまな生物種では、インスリンやインスリン様成長因子(IGF)[2]をはじめとするインスリン様ペプチドの“おとり受容体”の存在は示唆されていましたが、ショウジョウバエを用いて、その機能と重要性を実験で明らかにしたのは初めてです。今後、哺乳類においても同様なおとり受容体に関する知見を得ることができれば、インスリンやIGFが関与する糖尿病や成長疾患、がんなどの治療への応用が期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Genes & Development』(1月1日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(1月9日付け:日本時間1月10日)に掲載されます。
背景
全ての多細胞生物はたった1つの受精卵から発生を経て、それぞれの種によって、体細胞の数や体積を増加させながらほぼ定められた体の大きさにまで成長し、それ以上大きくならないように制御されています。近年、ショウジョウバエを生物モデルとした遺伝学的解析が進み、どのような遺伝子や細胞間シグナル伝達経路が関与して体全体や組織の成長を制御し、体の大きさが決定されるかについての研究が精力的に行われています。
体全体の成長を制御する分泌性因子として最も良く知られているのがインスリン様ペプチドです。これは、昆虫を始めとする無脊椎動物だけでなくヒトを含む脊椎動物にも広く存在している内分泌ホルモンの1つで、成長以外にも代謝や生殖など多岐にわたる生命現象を制御している重要な因子です。ショウジョウバエのインスリン様ペプチドは、脳内の神経内分泌細胞から血中に分泌された後、細胞膜上のインスリン様ペプチド受容体を介して体や組織の成長を制御します。しかし、血中に分泌されたインスリン様ペプチドの機能を調節するメカニズムに関しては不明な点が多く残されていました。
研究手法と成果
研究チームは、特定の遺伝子の機能を低下させるRNAi法[3]を用いて、ショウジョウバエのゲノム中に存在する分泌性因子をコードする遺伝子の機能をそれぞれ低下させ、その表現型を網羅的に観察しました。すると、ある遺伝子Xの機能を低下させると、体のサイズが顕著に大きくなることを発見しました。
遺伝子XのDNA配列を詳しく調べると、インスリン様ペプチドを細胞表面で受け止めるインスリン様ペプチド受容体と構造が非常に良く似ていましたが、細胞膜貫通領域や細胞内領域を持たないタンパク質でした(図1)。組織ごとの遺伝子発現や体液中のタンパク質を調べた結果、遺伝子Xは脳神経系のグリア細胞[4]から血中に分泌される分泌性タンパク質をコードしていました。次に、遺伝子Xを欠損させた変異体を作製し、体重や羽面積を経時的に測定した結果、遺伝子Xの欠損により体の成長速度が顕著に増加し、体が大きくなることが分かりました。逆に、遺伝子Xを過剰発現させた変異体は顕著に体が小さくなりました。これらの結果は、遺伝子Xが体の成長を抑制する因子であることを示します。
遺伝子Xがインスリン様ペプチド受容体に似ていることから、遺伝子Xからタンパク質を合成し、インスリン様ペプチドとの結合を生化学的に解析した結果、両因子は直接的に結合していることが分かりました(図2)。さらに、遺伝子Xを欠損させた変異体と過剰発現させた変異体を用いて、脂肪体[5]などの末梢組織におけるインスリン様ペプチド受容体が引き起こすインスリンシグナル伝達経路[6]の活性を解析した結果、遺伝子Xの欠損により活性化し、過剰発現により活性が低下していることが明らかになりました(図3)。
これらの結果から、遺伝子Xがコードするタンパク質が血中に分泌されると、“おとり”として血中のインスリン様ペプチドに直接結合して、細胞膜上の正規のインスリン様受容体への結合を阻害し、体の成長を抑制していることが分かりました。研究チームは、この新しく発見した遺伝子Xを「分泌型おとりインスリン様受容体(Secreted Decoy of InR :SDR)」と命名しました。
ショウジョウバエの幼虫は、摂食に伴い栄養依存的に急激に成長し、幼虫期に溜め込んだ栄養をさなぎ期に使用して成虫に変態します。SDR欠損変異体の幼虫を通常の餌で飼育した場合、体が大きくなる以外に特に顕著な変化は見られません。しかし、栄養分が極端に少ない培地で飼育すると、体が大きくなるとともに、さなぎ期における致死率が顕著に上昇し、変態が完成した成虫の個体数が低下しました(図4)。これは、SDR遺伝子の欠損により、栄養枯渇状態にも関わらず成長が促進されてしまい、栄養を貯蔵できなかったためだと考えられます。つまり、SDRは、栄養状態の変化に対して成長と栄養貯蔵のバランスを保つために必要な因子であると考えられます。
今後の期待
正規の受容体の機能を抑制する“おとり受容体”の存在は、さまざまなシグナル伝達経路で知られていましたが、インスリン様ペプチドに対する“おとり受容体”の機能と重要性は、本研究において初めて示すことができました。
インスリンやインスリン様成長因子(IGF)などを含む哺乳類のインスリン様ペプチドにも“おとり受容体”が存在する可能性が示唆されています。インスリンの異常は糖尿病を引き起こす主な原因の1つとして知られており、また、IGFの異常は、巨人症や末端肥大症などの成長疾患やさまざまながんを引き起こすことが知られています。今後、哺乳類のインスリン様ペプチドに対する“おとり受容体”に関する研究が進むことによって、将来的に糖尿病や成長疾患、がんなどの治療への手法開発の一助になることが期待できます。