要旨
理化学研究所(野依良治理事長)は、細胞の核と細胞質間でタンパク質などを輸送する新しい運搬体分子「Hikeshi(火消し)」を発見し、細胞が環境ストレス※1を受けると、正常時とは全く異なる輸送システムが働くことを見いだしました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)今本細胞核機能研究室の小瀬真吾専任研究員と今本尚子主任研究員らによる研究成果です。
核-細胞質間輸送※2は、タンパク質やRNAなどの物質を細胞の核と核以外(細胞質)の間で往来させるシステムです。物質は、核膜にある核膜孔複合体※3を通して核と細胞質の間を往来します。イオンや分子量30kDa(キロダルトン)以下の小さな分子は、核膜孔複合体を自由に行き来しますが、それよりも大きな分子は、疎水性の性質を持つ運搬体と結合して運ばれます。正常時の細胞内では、importinβ(インポーチンベータ)ファミリー※4と総称される疎水性の運搬体分子が核-細胞質間輸送の大部分を担うと考えられていますが、ストレス時には効率よく機能しません。一方1980年頃には、Hsp70※5に代表される分子シャペロン※6がストレス時に効率よく核に移入することが知られていましたが、その生理的な役割の詳細は分かっていませんでした。
研究グループは、ヒトの培養細胞で見られるストレス時の核-細胞質間輸送を試験管内で再構築し、Hsp70を核に運ぶ運搬体分子を発見しました。これは、importinβファミリーに属さない、全く新しいタイプの運搬体分子でした。通常、ストレス要因を除くと細胞はストレス状態から速やかに回復します。しかし、この運搬体分子を除去した細胞は、ストレス要因が除かれてもストレス状態から回復しませんでした。このことから、ストレス時に分子シャペロンHsp70が核内で機能することは、細胞をストレス状態から回復させることに重要と分かりました。研究グループは、ストレス状態を火事に見立て、発見した運搬体分子がストレス状態を鎮めることから、この分子を「Hikeshi(火消し)」と名付けました。
Hikeshiの発見により、核-細胞質間輸送と分子シャペロンのシステムが初めて結びつきました。今後、その細胞機能がどのような仕組みで生体の高次機能に影響を及ぼすのかを明らかにしていきます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Cell』(4月27日号)に掲載されます。
背景
酵母やカビなどの細菌やヒトを含む動植物は、真核生物と呼ばれ真核細胞で成り立っています。真核細胞は、転写やDNA複製などの遺伝子機能の場である核と、タンパク質合成の場である細胞質で構成され、これらは2層の脂質膜からなる核膜で隔てられています。核と細胞質の間では分子が絶え間なく往来しており、細胞の生命活動の基礎となっています。この過程が、核膜に存在する核膜孔複合体を介した核-細胞質間輸送です。1995年に最初の核-細胞質間輸送の運搬体分子importinβ(インポーチンベータ)が発見されてから、そのファミリー分子の存在とそれらが担う輸送の仕組みが明らかにされてきました(図1)。現在では、importinβファミリーと総称される運搬体分子群が、正常時の細胞内で発現するタンパク質の核-細胞質間輸送の大部分を担うと考えられ、酵母からヒトまで進化的に保存された因子としても知られています。
一方、細胞が飢餓、酸化、熱などの環境ストレスを受けると、ストレス時特有の反応が作動し、例えば、正常時に働く転写や翻訳は遮断されます。この時の細胞内では、importinβファミリーは効率よく機能しません。また、変性したタンパク質の立体構造形成を助ける分子シャペロンが動員され、細胞をストレスダメージから守るという巧妙な仕組みが働きます。代表的な分子シャペロンの1つHsp70は、熱ストレス時に効率よく核に移入することが知られていましたが、その生理的重要性やその仕組みは分かっていませんでした。
研究手法と成果
研究グループは、ヒトの生きた培養細胞の熱ストレス時に見られる核-細胞質間輸送反応を試験管内で再構築し、分子シャペロンHsp70を細胞質から核に運ぶ活性を調べたところ、新しい運搬体分子を発見しました。この運搬体分子は、酵母からヒトまで進化的に保存されたタンパク質ですが、importinβファミリーに属さない新しい構造を持っていました。研究グループは、この運搬体分子がストレス時に示す細胞機能から、Hikeshi(火消し)と名付けました。
細胞が環境ストレスを受けると、異常タンパク質が生まれます。分子シャペロンHsp70は、この異常になったタンパク質の機能を回復させるために、細胞の中ではATP結合型とADP結合型に変換されます(Hsp70のATPaseサイクル)。Hsp70のATPaseサイクルには、シャペロンを補助するHsp40やHsp110などのコシャペロンの作用が必要です。Hikeshiが働く仕組みを調べるために、輸送を再構築して解析しました。その結果、Hikeshi はHsp110などによりATP型に変換されたHsp70に結合し、細胞質から核にHsp70を運ぶことを突き止めました。一方、Hsp40によりADP型に変換されたHsp70から解離することが判明しました(図2)。これらのことから、分子シャペロンのシステムがHikeshiとHsp70の結合と解離を制御する全く新しい輸送システムモデルを提示しました(図3)。
次に、Hikeshiを除去したヒトの培養細胞を作製し、その影響を調べました。その結果、ストレスを受けた細胞は生存できなくなることが分かりました(図4)。通常、ストレスを受けた細胞はダメージを受けますが、ストレス要因が除かれるとそのダメージが速やかに修復されてストレス状態から回復します。しかし、Hikeshiを除去した細胞では、ストレス要因が除かれてもダメージが修復されず、ストレス状態から回復しませんでした。その原因の1つは、ストレス時に核に輸送されるはずのHsp70の働きが阻害されたためです。Hikeshiという名は、このように細胞のストレス状態を鎮めるために必要でまさに、火事の時の火消しのような働きをすることに由来します。
今後の期待
分子シャペロンの機能は老化や発生、または、がんや神経疾患と密接な関係があります。今回、細胞がストレスダメージを修復してストレス状態から回復するために、分子シャペロンの核内機能が重要であることをHikeshiの発見によって初めて実証することができました。ストレス時に駆動するHikeshi輸送経路の活性化には、分子シャペロンのシステム全体が寄与すると考えられます。これまで、importinβファミリーで担われる輸送のメカニズムの重要な部分は明らかにされていると考えられていましたが、何が要因でその輸送効率が低下するのかは分かっていません。その要因を明らかにすることは、「輸送の制御」という概念に一石を投じることになります。
ストレス時に正常時の輸送がどのように低下し、また、実際にストレス時にHikeshiで担われる輸送がどのように細胞内で分子シャペロンシステムと組み合わせて働くのか、を明らかにすることはこれからの課題です。今後、この細胞機能がどのような仕組みで生体の高次機能に影響を及ぼすのかを明らかにすることを目指します。