要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、左右の大脳半球間で抑制し合う「半球間抑制」という現象を最新の研究手法を用いて多角的に検証し、その神経回路メカニズムを解明しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)行動神経生理学研究チームの村山正宜チームリーダーとベルン大学生理学部のルーシー パーマー(Lucy Palmer )研究員、マシュー ラーカム(Matthew Larkum)教授らによる研究グループの成果です。
動物の大脳は、左右の大脳半球に分かれており、それらは脳梁と呼ばれる交連繊維の太い束で繋がっています。体性感覚野、視覚野、聴覚野や運動野などの感覚をつかさどる脳領域は、それぞれの大脳半球の対称的な位置に存在し、各感覚野にある神経細胞群は脳梁を通じて連絡し合っています。片方の大脳からもう一方の大脳へ出力される情報は、解剖学的に神経細胞の活動を活性化させる興奮性の情報であることが知られていましたが、なぜか片方の大脳が活性化すると、反対の大脳では、神経細胞の活動が抑制される現象が観察されます。この現象は、「半球間抑制」と呼ばれ、50年前に発見されていました。動物がスムーズに動くことや触覚の情報処理など「普通」に生きるために不可欠な神経活動といわれていますが、その神経回路メカニズムは不明のままでした。
研究グループは、生きたラットの脳を用いて電気生理学的手法や光学測定法を駆使して半球間抑制の神経回路メカニズム解明に取り組みました。まず、片方の大脳新皮質※1が活性化された場合に、興奮性の情報が脳梁を通り反対の大脳新皮質の表層に伝わることを確認しました。そして、その表層に存在する抑制性の神経細胞が活性化され抑制性神経伝達物質であるGABA※2を細胞外に放出し、GABAが大脳新皮質の出力細胞である5層錐体細胞※3の樹状突起※4に作用して神経活動が抑制されることを突き止めました。
左右脳におけるコミュニケーションのメカニズムの解明に道筋をつける本成果は、脳障害による運動・感覚麻痺、言語障害などのリハビリテーション医学分野に基礎的知見を提示できると期待できます。また、今回利用した最新の研究手法は、今まで観察できなかった神経細胞の複雑な活動を詳細に調べることができます。この独自の技術を生かして単一神経細胞レベル、局所回路レベル、ネットワークレベルで神経活動を観察し行動のための神経細胞のコミュニケーション、メカニズムの解明を目指します。本研究成果は米国の科学雑誌『Science』(2月24日付け:日本時間2月25日)に掲載されます。
背景
私たちの体は、手足などの末梢神経と脳神経とが交差していて、主として体の右半身情報は左大脳半球の新皮質に、左半身情報は右大脳半球の新皮質によって知覚されています。このように身体情報の流れが一見複雑なようですが、左右の大脳新皮質は脳梁と呼ばれる交連繊維の太い束で繋がっていて情報のやり取りを行い、混線を防いでいます。体性感覚野、視覚野、聴覚野や運動野などの感覚をつかさどる脳領域は、それぞれの大脳半球の対称的な位置に存在していて、各感覚野にある神経細胞群は脳梁を通じて連絡し合っています。片方の大脳からもう一方の大脳へ出力される情報は、解剖学的に神経細胞の活動を活性化させる興奮性の情報であることが知られていましたが、なぜか片方の大脳が活性化すると、反対の大脳では、神経細胞の活動が抑制される現象が観察されます。この現象は「半球間抑制」と呼ばれ、1962年に日本人生理学者である浅沼廣元米国ロックフェラー大学教授(故人)らが世界に先駆けて発見した神経現象です。(Asanuma & Okuda J Neurophysiol. 1962)これまでの臨床医学やリハビリテーション医学での研究により、半球間抑制は、動物がスムーズに動くことや触覚の情報処理など、「普通に」行動し、考え、生きていくために必要不可欠な神経活動であるといわれています。半球間抑制には、神経活動を抑制する神経細胞が関与していることが示唆されてきましたが、どの抑制性の神経細胞がどの脳領域で活動し、そしてどの興奮性の神経細胞がその抑制を受けるのか、という神経回路レベルでのメカニズムは不明のままでした。
研究手法と成果
研究グループは、より自然な神経活動を記録するためにラットを生きたままの状態でさまざまな研究手法を駆使して観察、実験を行いました。まずホールセル・パッチクランプ法※5を用いて、足刺激に対してラットの脳神経がどのような応答を示すのか調べました。左足の刺激に対して右脳の大脳新皮質の体性感覚野にある5層錐体細胞が活発に活動しましたが、右足の刺激だけでは、ほとんど活動が観察されませんでした。次に、右足⇒左足の順で連続刺激を行うと、左足だけを刺激したときと比べ、神経活動が約25%減少することを見いだしました。つまり、右脳の5層錐体細胞は、右足の刺激によって何らかの抑制作用を受けていることが示唆されました。
次にどこの脳部位がこの神経抑制を引き起こしているのか調べるために左脳の体性感覚野を微小な電極で電気刺激しました。すると過去の研究から報告されている通り興奮性情報が脳梁を介して右脳の大脳新皮質の体性感覚野に伝わることを確かめました。次に、オプトジェネティクス法※6を用いて左脳の体性感覚野に存在する5層錐体細胞だけを局所的に光で活性化させると、右脳の5層錐体細胞の活動が抑制されました。これらの結果から、右脳の神経抑制の原因部分は、左脳の体性感覚野に存在する5層錐体細胞興奮性の神経細胞であることを突き止めました。
興奮性の情報が左脳から右脳へ伝わるのに、なぜ右脳で神経活動が抑制されるのか、その疑問を解決するために、2光子イメージング法※7を用いて右足を刺激したときに右脳内で活性化する神経細胞を単一神経細胞レベルで調べました。すると右脳の体性感覚野の表層にある抑制性の神経細胞が活性化することを見いだしました。つまり、表層にある抑制性の神経細胞が5層錐体細胞の神経活動を制御している可能性を示します。
これを検証するため、独自に開発した光ファイバーイメージング法※8を用いて右脳の体性感覚野にある5層錐体細胞の樹状突起の神経活動を観察しました。その結果、右足⇒左足の順で連続刺激を行うと、左足だけを刺激したときと比べ、樹状突起の神経活動が約30%も抑制されていることを発見しました。
さらに5層錐体細胞の樹状突起がどのようにして抑制を受けるのかについて、脳内に特殊な薬剤を投与することで調べました。抑制性の神経細胞が放出する物質はGABAというアミノ酸で、そのターゲットとなるGABAB受容体は樹状突起に存在しています。この受容体の阻害剤を5層錐体細胞の樹状突起部位に局所注入すると、半球間抑制は観察されませんでした。逆に、GABAB受容体を活性化させる促進剤を脳内に注入すると、半球間抑制が亢進しました。またラットの脳スライスを用いた電気生理学的実験でも同様な結果を確認しました。
以上の実験結果から、右足の刺激によって左脳の5層錐体細胞から右脳へ伝わる興奮性の情報は、右脳の抑制性の神経細胞を活性化させ、抑制性神経伝達物質であるGABAを脳内に放出して、5層錐体細胞の樹状突起のGABAB受容体に作用し神経活動を抑制させるという、一連の流れを明らかにしました。50年間手がつけられなかった現象を最新の技術を駆使して多角的に検証することで、そのメカニズムを神経細胞レベルで解明することができました。(図1)。
今後の期待
左右脳におけるコミュニケーションのメカニズムの解明に道筋をつける本成果は、脳卒中や脳障害による運動・感覚麻痺、言語障害などのリハビリテーション医学分野に基礎的知見を提示できると期待できます。また、今回利用した最新の研究手法は、今まで観察できなかった神経細胞の複雑な活動を詳細に調べることができます。この独自の技術を生かして単一神経細胞レベル、局所回路レベル、ネットワークレベルで神経活動を観察し、行動のための神経細胞のコミュニケーション、メカニズムの解明を目指します。