要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、人間の脳が1つの事象に対して“注意” ※1を向け集中を高めるとき、意味のある重要な情報だけを選別して感覚野から知覚野へ受け渡す「効率的選択」という脳のメカニズムが主に働いていることを、行動実験中のヒトの脳神経活動測定と理論計算によって明らかにしました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)Gardner研究ユニットのジャステン ガードナー(Justin L. Gardner)ユニットリーダーらによる成果です。
脳神経科学の分野では、脳が刺激に対してどのように“注意”を向け意識を集中するかについて盛んに研究が行われています。例えば、居酒屋などの騒がしいところでラジオを聞きたいと思うとき、大脳皮質の感覚野では、耳や目から入ってくる雑多な感覚情報の中から欲しい情報だけに“注意”することで雑音(ノイズ)を減らし、ラジオの音声だけに反応性を上げることができます。これまでの認知学的行動実験から、この “注意”のメカニズムを説明する仮説には、“注意”した刺激に対する感覚野の神経細胞群の反応性を上げて知覚反応性を上げる感覚増強説(ラジオの音量を上げる)、刺激を受けたときに起こる脳全体の神経活動(ノイズ)を減らして“注意”した刺激の知覚反応性を上げるノイズ減少説(ラジオのチューニングをあわせる)、“注意”した刺激だけの感覚野の神経細胞群の反応性を上げ、それ以外の反応は遮ることで知覚反応性を上げる効率的選択説(ラジオにヘッドフォンをつなぐ)がありましたが、どの説が有力であるか実証されていませんでした。
研究ユニットは、視野の中の1カ所だけに“注意”している場合と、複数の場所に“注意”を分散している場合について心理物理学的手法に基づく行動実験を行い、同時に機能的磁気共鳴イメージング法(fMRI法)※2で脳神経活動状態を測定しました。さらにこれらの結果を組み合わせ、3つの仮説の理論モデルを独自に作ってそれぞれ検証した結果、“注意”を深め集中を高めるためには「効率的選択」が主な仕組みとして働いていることを突き止めました。
今回の成果により、今まで脳神経科学分野において謎だった“注意”のメカニズムの一端が明らかになりました。これは複雑な脳の高次機能を解く手がかりとなり、 “注意”を利用して伝えたい情報を効率よく伝達する方法を編み出すことができる可能性があります。また注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような発達・行動障害の原因解明にも貢献すると期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(12月8日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(12月7日付け:日本時間12月8日)に掲載されます。
背景
脳神経科学の分野では、脳が刺激に対してどのように“注意”を向け、集中するかについて盛んに研究が行われています。認知学的な行動実験でも、被験者が“注意”すると課題に対する正答率が向上することが分かっています。具体的には、被験者は“注意”をすることで視覚の閾値(しきいち)※3を意識的に下げて、今まで見えなかったものをよく見えるようにしたり、また“注意”することで刺激に対して敏感になり反応時間が短くなって、より早く応答できるようになります。これまで、どういう条件でどれくらいの“注意”によって人間の行動結果が向上するのかさまざまな方法で検証されてきました。その結果、刺激に“注意”を向けているときは、行動結果が向上するとともに神経細胞の活動が増大することが分かりました。しかし、このときの脳神経活動の定量化や、注意と神経活動の変化を意味づけた理論計算の研究はほとんどありませんでした。
これまで、“注意”のメカニズムを説明する仮説には、感覚増強説、ノイズ減少説、効率的選択説がありました。いずれも目や耳から入ってくる雑多な情報を脳の感覚野で受け取った後、知覚野で意味のある情報だけを認知するメカニズムの仮説です。感覚増強説とは、感覚野で捉えた全ての情報を知覚野へ受け渡すとき、注意を向けた刺激に対する感覚野の神経細胞群の反応性を上げることで、意味のある情報を選別しやすくするというものです。ノイズ減少説とは、刺激を受けたときに起こる脳全体の神経活動(ノイズ)を感覚野で減らした後、全ての情報を知覚野へ受け渡し、意味のある情報を選別しやすくするというものです。効率的選択説とは、刺激に対する感覚野の神経細胞群の反応性を上げ、それ以外の刺激に対する反応を遮って知覚野へ受け渡すというものです。例えるなら、騒がしい居酒屋でラジオを聞こうとしたときに、ラジオのボリュームを上げて聞こえやすくする感覚増強説、ラジオのチューニングを調節して聞こえやすくするノイズ減少説、ヘッドフォンでラジオ以外の音を遮ることで聞こえやすくする効率的選択説、といえます。しかし、どの説が有力であるかは今まで実証されていませんでした。
そこで研究ユニットは、脳の“注意”のメカニズムを解明するために、行動実験中の脳神経活動を測定、定量化し、さらに行動実験と脳神経活動の結果を組み合わせた新しい理論計算によって、“注意”に関する3つの仮説の検証に挑みました。
研究手法と成果
研究ユニットは、心理物理学的手法を用いてヒトが注意を集中しているときと分散させているときの行動実験を行い、同時に大脳皮質感覚野の脳神経活動をfMRIで測定しました。
まず行動実験では、被験者の「視覚コントラストの差」を見分ける能力を、コントラスト識別課題で測定しました(図1)。具体的には、スクリーン四隅の円の中にさまざまなコントラストの白黒格子模様(刺激)を0.6秒間提示し、0.2秒間の休憩をはさんだ後、コントラストを変えた刺激を0.6秒間提示します。被験者は、提示された2回の刺激のなかの緑色の矢印でマークされたターゲット図形のコントラストの強弱を判断し、コントラストの高い刺激を選択します。被験者がかろうじてコントラストの違いに気づくレベルまで調整することで、視覚刺激の閾値を正確に測定することができました。また、黒い矢印が指した図形に注意を向けるように被験者に指示をして、矢印が1つの場合(注意を集中しているとき)と矢印が4つの場合(注意が分散しているとき)に分けて識別課題を行いました。その結果、被験者は、わずかなコントラストの差でも認識できるようになりますが、矢印が1つの場合、つまり注意を集中しているときのほうが、より微妙な差でも認識できることが分かりました。
この行動実験の間、fMRIを用いて脳神経活動を後頭葉皮質※4の第1次視覚野から第4次視覚野の部分を測定しました(図2a)。格子模様のコントラストが高いほど判別が容易になりますが、fMRIで測定した視覚野の神経活動の大きさもそれに比例して増えることが分かりました(図2b●)。行動実験の結果とfMRIによる脳神経活動測定の結果から、コントラストの視覚刺激とそれに応じた脳神経活動の関係性を示す「コントラスト応答関数」を作りました(図2b実線)。その結果、注意を集中しているときは、脳神経活動が活発になり、注意を分散させると脳神経活動は半分程度に減少することが分かりました。
さらに、今まで提唱されてきた3つの注意メカニズム仮説の理論モデルを独自に作り、「コントラスト応答関数」に当てはめて検証を行ったところ、効率的選択説の理論モデルが実験データに最も当てはまりました。つまり、注意を向けた意味のある刺激に対して感覚野の特定部分の脳神経活動が増大し、そのシグナルだけを選択的に知覚野へ伝え、それ以外の部位からの神経活動は遮る「効率的選択」が主に働いていることが分かりました(図3)。
今後の期待
行動実験と脳神経活動の結果を組み合わせたコントラスト応答関数と理論モデルから、“注意”を深め集中を高めるためには「効率的選択」が主な仕組みとして働いていることを突き止めました。これは、人間がどういった仕組みで注意をコントロールしているかを探る上でのヒントとなります。今回の結果は、脳神経科学分野において謎だった“注意”のメカニズムの一端を明らかにし、複雑な脳の高次機能を解く手がかりとなります。さらなる研究の進展により、“注意”を利用して伝えたい情報を効率よく伝達する方法を編み出すことができるかもしれません。また注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような発達・行動障害の原因解明にも貢献することも期待できます。