背景
ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞は、すべての種類の体細胞に分化する能力(多能性)を有しており、試験管内で医学的に有用な細胞を産生する供給源として注目を集めています。例えば、ある種類の細胞が生体内で変性するために起こる病気に対し、ヒトES細胞・iPS細胞などから分化させた細胞を移植して治療しようとする再生医療は、難病克服の切り札として期待が寄せられています。
研究グループは、これまでに、ES細胞などから神経細胞や網膜細胞を効率良く分化させる方法として、無血清凝集浮遊培養法(SFEBq法)※11という簡便な方法を開発しました(2005年2月7日プレス発表)。この手法は、ES細胞やiPS細胞を分化誘導する際に、通常の細胞培養で添加する牛血清や増殖因子※12を除いた培養液で培養する方法で、3,000個程度の細胞を凝集させ浮遊状態で培養します。すでに、この方法でマウスやヒトのES細胞・iPS細胞から、中脳ドーパミン神経細胞、大脳神経細胞、網膜細胞、小脳細胞、間脳(視床下部)細胞などを試験管内で分化誘導することに成功しています。また、研究グループはSFEBq法を使い、ES細胞から大脳皮質や網膜の立体的な組織を試験管内で構築することにも成功しました。(2011年4月7日プレス発表)。それらの立体組織の形成には、ES細胞由来の大脳皮質または網膜の前駆細胞たちの間で自発的な相互作用が生まれ、組織全体で高度な形態形成が引き起こされる「自己組織化※6」という現象が観察できました。こうした立体的な組織を自己組織化させ移植することは、個々の細胞の移植に比べて、再生医療の効果や安全性が飛躍的に増すことが期待できます。
下垂体の主要な部分である腺性下垂体はさまざまなホルモンを産生する内分泌の恒常性維持を司る中枢器官で(図1)ホルモンの管制塔といえる重要な働きをしており、その機能不全は多くの全身性の障害を生み出します。
今回、研究グループは、SFEBq法による立体培養での自己組織化技術をさらに発展させ、ES細胞から内分泌器官である下垂体の自己組織化を試み、形成した人工下垂体のホルモン分泌機能を実証することを目指しました。
研究手法と成果
(1)マウスES細胞の立体培養でラトケ嚢(下垂体原基)の発生環境を再現
哺乳類胚の発生過程において、下垂体本体(腺性下垂体)は胎児の口腔内の口腔外胚葉から発生します(図2)。その発生の際には、隣接する間脳組織(特に視床下部)から分化を促す誘導シグナルを受けることが知られています。つまり、口腔外胚葉と視床下部との相互作用が下垂体発生に必要な環境を生み出します。
過去に行った研究でSFEBq法の培養液から全ての増殖因子を除いて培養すると視床下部組織に分化することを見だしていたので、須賀研究員らは、マウスES細胞をSFEBq法で培養する際に、培養条件を少し変更させることで、視床下部細胞と口腔外胚葉も分化させる方法を確立し、1つのES細胞凝集塊の中で、2種類の細胞を共存させることに成功しました。ES細胞凝集塊の形成時には通常1塊あたり3,000個のES細胞を用いますが、今回は口腔外胚葉への分化も同時に起こさせるため、約3倍の10,000個のES細胞から培養を開始しました。その結果、本来、視床下部組織に分化するはずだった細胞の一部が、口腔外胚葉へと分化しました。この現象は、大きな凝集体を形成することでBMPという分泌タンパク質を介した細胞間のシグナル伝達が強化されるためであることも判明しました。
この立体培養では、口腔外胚葉細胞と視床下部細胞の2種類の細胞は混ざり合うことはなく、別々の層を作り、培養開始6日後には、お互いに隣接する配置(口腔外胚葉が表面の層を視床下部組織が内部の層を形成)を自然と構築しました(図3)。これは、胚の中でラトケ嚢が発生する環境と良く似た状態を試験管内で再現したことになります。
(2)ES細胞由来の下垂体前駆細胞からラトケ嚢が自己組織化
ES細胞塊の立体培養で、口腔外胚葉細胞の層と視床下部細胞の層を共存させると、実際にその間で相互作用が起こり、口腔外胚葉細胞層の一部が下垂体前駆細胞に分化することが分かりました。これらの前駆細胞は、まず細胞塊の表面で数個のパッチ状の領域を作り、培養開始7日後には、下垂体前駆細胞に特有なマーカータンパク質※13であるLim3が発現しました。
Lim3陽性の領域は分厚い細胞シート構造を作り、細胞塊の表面から内部へ陥入し、次いで袋状の構造を形成しました。この過程は、ラトケ嚢が発生する過程とそっくりでした。ES細胞から自発的に形成した袋状の構造をラトケ嚢のマーカータンパク質で詳細に解析したところ、予想通りラトケ嚢特有の性質(Lim3陽性など)を示すことが判明しました。
この結果、ES細胞の立体培養を用いて、10,000個の細胞からなる塊を適切な培養液で培養することで、下垂体発生に必要な口腔外胚葉細胞の層と視床下部細胞の層が自然と形成され、それらの相互作用によりラトケ嚢が自己組織化されることが明らかになりました(図3)。
(3)ES細胞由来のラトケ嚢は下垂体の内分泌細胞を生み出す
次に須賀研究員らは、ES細胞由来のラトケ嚢がさらに発生を続けて、成熟した下垂体を形成するかどうかを検討しました。副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)産生細胞は、下垂体の主要な内分泌細胞ですが、過去に行われた研究の知見からNotchというタンパク質がその分化を阻害していることが知られていました。今回、このNotchの作用を阻害する薬剤で処理したところ、ES細胞由来のラトケ嚢からACTH産生細胞が高頻度に分化しました(非神経性細胞の中で約35~40%、全体の細胞の約4~5%)。
同様に成長ホルモン産生細胞は、Wntシグナル、糖質コルチコイドとインスリンが存在すると分化しやすいことが知られていましたが、実際にこれらの促進物質の存在下では、ES細胞由来のラトケ嚢から成長ホルモン産生細胞の分化も誘導できました(非神経性細胞の中で約6%、全体の細胞の約1%)。他の下垂体ホルモン(乳汁分泌ホルモン、性腺刺激ホルモン、甲状腺刺激ホルモン)も少ないながら分化が確認できました(図4)。この実験から、ES細胞由来のラトケ嚢は下垂体の内分泌細胞を生み出す能力を持つことが分かり、人工下垂体として機能することを立証できました。
(4)ES細胞由来の人工下垂体は、副腎皮質刺激ホルモンを放出する
次に、この人工下垂体が生体内と同様の制御を受けて、下垂体ホルモンを分泌するかどうかを試験管内の実験で検討しました。下垂体は、視床下部から放出ホルモン※14という局所でのみ働くホルモンの作用を受けて、放出ホルモンの種類に合わせて異なる下垂体ホルモンを分泌します。例えば、視床下部から下垂体へ分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)は、下垂体からのACTHの分泌を促します。人工下垂体の場合も、生体と同様に、CRHを作用させるとACTHを大量に分泌することが分かりました(図5)。
ホルモンは微量で大きな作用を体にもたらすため、「作りすぎないように」する必要があり、生体でのホルモンの量はフィードバック機構によって巧妙に調節されています。例えば生体内ではACTHは副腎皮質に働き、副腎皮質ホルモンを産生させますが、副腎皮質ホルモンが多く作られると、それが下垂体に働き、ACTHの分泌量を減少させます。人工下垂体の場合も、生体と同様に、副腎皮質ホルモンで処理すると、CRHに反応して分泌するACTH量が大きく減りました。
つまり、ES細胞由来の人工下垂体は、生体の下垂体と同様に視床下部の刺激や下流標的組織からのフィードバック制御に反応して、下垂体ホルモンの分泌を制御する能力があることを示しています。
(5)ES細胞由来の人工下垂体による下垂体機能不全モデルマウスの移植治療
須賀研究員らは、人工下垂体が生体内で機能するかを確かめるために、下垂体を手術的に除去したマウス(下垂体機能不全モデルマウス)に人工下垂体を移植しました。今回の実験では、除去手術でダメージを受けているため、人工下垂体を血流の豊富な腎臓の被膜下へ移植しました。
移植1週間後には、移植したマウスは、移植しないマウス(対照群)に比べ有為に血中のACTHや副腎皮質ホルモンの濃度が上昇していました。さらに、CRHを注射すると対照群では変化はありませんでしたが、移植したマウスでは、血中のACTHの濃度が大きく上昇し、下垂体除去をしていないマウスの正常値近くまで回復しました。それに伴い、血中の副腎皮質ホルモンの濃度も上昇しました。
下垂体機能不全モデルマウスは、自発的な活動性(自発運動量)※15が低下し、数週間以内に全て死亡します。一方、移植したマウスでは、活動性(運動量)の回復が認められるほか、移植後8週間でも85%のマウスは生存していました(図6)。このことから、人工下垂体は生体内でも内分泌器官として機能し、その移植により下垂体機能不全モデルマウスの再生治療が可能であることが実証できました。
今回の研究成果の意義と今後の展望
(1)基礎研究面での意義
下垂体の発生機序は不明な点が多く、ES細胞などを用いた下垂体形成の試験管内での再現も全く手つかずの状態でした。今回の研究成果から、ES細胞由来の口腔外胚葉と視床下部組織を隣接して形成さえすれば、自己組織化によりその相互作用でラトケ嚢(下垂体原基)が自発的に口腔外胚葉から形作られることが実証できました。これは、下垂体の発生機序研究や先天性異常の研究に大きく役立つ学術基盤といえます。
また、ラトケ嚢を形作る下垂体前駆細胞は、その後の培養条件によって多様な下垂体ホルモン産生細胞を生み出し、「人工下垂体」を形成できることが分かりました。特に、ACTHの分泌については、生体と同様の機能性を持つことも証明し、再生医療などへの応用の技術基盤を確立しました。
これまで研究グループでは、眼杯や大脳皮質の多層化などで幹細胞からの自己組織化の機構を研究してきましたが、今回、下垂体に応用したことで、3次元培養による自己組織化が、脳や感覚器官以外にも、「より幅広い器官の立体形成」の原理となることを実証しました。特に、眼杯形成などと異なり、下垂体形成では複数の組織の相互作用(今回の場合は口腔外胚葉と視床下部組織)が必須であるため、複雑な器官形成にも3次元培養による自己組織化が応用できたことは画期的であり、生体に近い組織や器官の移植による高度な機能再生を目指す「次々世代再生医療」の前進に大きく貢献する成果です。
(2)再生医学などへの応用面での意義
下垂体機能低下症の患者数は比較的多く、疫学調査によると日本における成人下垂体機能低下症患者の1年間の受療患者数は約7,000人(1996年4月~2002年3月厚生労働省特定疾患間脳下垂体機能障害調査研究班調査による)とされており、実際には医療機関を受診するに至らない症例も相当数あると考えられています。
下垂体(神経性下垂体を除く)の主要な内分泌細胞の全てが機能不全になる汎下垂体機能低下症※16には、現在のところ根治療法は存在しません。汎下垂体機能低下症では、副腎皮質ホルモン、甲状腺ホルモン、成長ホルモン、性腺ホルモンなど、多くのホルモン分泌低下をきたします。放置すれば脱水、電解質異常、血圧低下、意識障害などを引き起こし、生命にも重大な影響を与えかねません。現在の治療法は、不足しているホルモンを投与する補充療法ですが、適正に補充することは困難です。例えば、副腎皮質刺激ホルモン欠乏症例に対しては、生涯にわたって副腎皮質ホルモンを補充しますが、その必要量は日内変動するばかりか、ストレスの度合いにより日によって10倍程度変動します。補充量が不足すれば副腎不全で生命に危険を及ぼし、補充が過多となれば数年経過後に肥満、高血圧、糖尿病、骨粗鬆症、易感染性、精神神経疾患など重大な合併症を招くため、慎重な管理が要求されます。
また、成長ホルモンの欠乏※17は、成長期の子どもでは低身長を、成人では強い疲労感や持続力低下を引き起こします。しかし、成人でのホルモン補充療法は経済的にも負担が大きく、持続が難しいことが問題です。
一方、幹細胞を用いた内分泌疾患の再生医療は、内分泌組織の産生が不可能であったため、ES/iPS細胞由来の膵β細胞移植の可能性がある糖尿病への応用以外は期待されていませんでした。しかし、今回の研究成果から、ES細胞からホルモン分泌能を持つ人工下垂体ができたことは、非糖尿病性の内分泌疾患の再生医療を切り開く大きな一歩といえます。特にACTHや成長ホルモンなどの分泌不全に対する再生医療は、高い必要性があり、今後の研究開発が強く望まれています。
(3)医学応用面での技術課題
今回の研究では、マウスES細胞からの立体培養により、ラトケ嚢(下垂体原基)や機能性の高いACTH産生細胞などの試験管内分化に世界で初めて成功しました。今後の医学応用のためには、いくつかの技術的な課題があり、今後も名古屋大学を中心とする研究グループで、それらを解決するための研究開発を引き続き進めていく計画です。
第1に、今回の研究成果では、マウスES細胞から比較的高い効率でACTH産生細胞を分化させることに成功しています(全体の細胞の約4~5%)。しかし、その他の下垂体ホルモン(成長ホルモンや性腺刺激ホルモンなど)も分化できることは確認されましたが、その分化効率はACTH産生細胞の分化の4分の1あるいはそれ以下にとどまっています。ホルモン分泌細胞は少しの移植でも大きな作用を示すものの、実用化には数%程度の分化効率が望ましく、特に高い需要がある成長ホルモン産生細胞の分化効率の向上について、注力していく計画です。
第2に、今回の研究はマウスES細胞を用いたものですが、同じ原理をヒトES細胞やiPS細胞にも応用し、立体下垂体を人工的に形成できると考えています。ACTH産生細胞と成長ホルモン産生細胞を含む機能性の高い人工下垂体をヒト由来のES細胞やiPS細胞から産生するために、集中的な研究開発を計画しています。
第3に、ES細胞・iPS細胞から産生した人工下垂体の移植技術の改良です。今回は、マウスで移植しやすい腎臓の被膜下に注入しましたが、より安全性の高い皮下移植などをも検討する予定です。最終的には本来下垂体が存在するトルコ鞍※18と呼ばれる頭蓋骨の底部の小さなくぼみに移植する技術も開発できれば、より本来の環境に近づけて高い機能性を期待できると考えています。マウスなどのトルコ鞍ではあまりに小さいため、移植実験は難しいですが、ブタなどの中型動物を用いた研究でヒトへの応用に準じた開発も可能であると思われます。それらの開発を通して、安全で効果的な人工下垂体の移植法を開発していきます。