要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)を中心とする研究グループは、米国ブルックヘブン国立研究所(BNL、サム・アロンソン所長)と共同で建設した偏極陽子衝突型加速器「RHIC※1」によって、スピンの向きをそろえた陽子※2(偏極陽子)同士を250GeV(1GeVは10億電子ボルト)という高エネルギーで衝突させ、素粒子間の「弱い相互作用」の媒介粒子であるW粒子※3を生成・測定することに世界で初めて成功しました。RHICの2大国際共同実験グループであるPHENIX※4とSTAR※5が、偏極陽子の衝突によるW粒子の生成を同時に確認し、このうちPHENIXによるW粒子の測定は、理研BNL研究センター(秋葉康之 実験研究グループリーダー)の岡田謙介センター研究員が中心となって行いました。これは理研仁科加速器研究センター(延與 秀人センター長)が中心となってBNLと進めてきた国際協力研究「スピン物理研究」の節目となる大きな成果です。
原子核を構成する陽子は、万物をつくる基本的な粒子です。陽子はさらにクォークと反クォーク※6、そして「強い相互作用」を媒介するグルーオン※7という素粒子から構成されています。クォークにはアップ(u)、ダウン(d)、ストレンジ(s)、チャーム(c)、ボトム(b)、トップ(t)、の6種類が存在しますが、陽子は2個のuクォークと1個のdクォーク、およびそれらの反クォークと、これら粒子を結びつけるグルーオンで構成されていることが分かっています。
一般に全ての粒子は、質量・電荷・スピンといった固有の性質を持っていますが、陽子のスピンをその内部にあるクォークや反クォーク、グルーオンのスピンで説明することは困難で、「陽子スピンの謎」と呼ばれてきました。
研究グループは、RHICで250GeVまで加速した偏極陽子同士を衝突させ、W粒子を生成することに世界で初めて成功するとともに、その生成量が陽子スピンの向きに依存することを見いだしました。W粒子は、陽子の中のクォークと反クォークのスピンが同じ向きにそろって衝突しないと生成しません。従って、陽子スピンの向きとW粒子生成量の関係から、陽子内のクォークや反クォークのスピンの向きを、クォークの種類ごとに直接的に測定することが可能となります。
今後は、陽子の衝突頻度・偏極度(スピンのそろい具合)を向上させるとともに、生成するW粒子の検出範囲を拡大するなど測定の質を向上し、さらに現在より数十倍のW粒子データを集積することで「陽子スピンの謎」の解明を目指していきます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(2月11日付け:日本時間2月12日)に掲載されました。
背景
原子核を構成する陽子は、地球をはじめとする私たちの世界を作っている基本的な粒子で、クォーク、反クォーク、グルーオンという素粒子で構成されています。陽子やクォークなど全ての粒子は、電荷や質量と同様に、「スピン」という地球の自転のような固有の性質を持っています。このスピンの状態は、陽子1個では右か左回転に相当する2つしかありません。スピンは、素粒子間の反応や素粒子の崩壊を支配しているだけでなく、実用面でも、陽子のスピンを利用した核磁気共鳴画像装置(MRI)など、物質の性質を分析することにも使われています。このように、スピンは大変重要な性質として知られているにも関わらず、陽子のスピンが、その内部にあるクォークや反クォーク、グルーオンのスピンをどのように反映して足し合わされているかはいまだによく分かっていません。例えば、1980年代に欧州原子核研究所(CERN)などが行った実験によって、クォークのスピンが陽子のスピンへ寄与する割合は、全体のわずか4分の1程度にすぎないことが判明するなど、「陽子スピンの謎」の解明が物理学の重要な課題とされています。
米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)の偏極陽子衝突型加速器「RHIC」(図1)では、この「陽子スピンの謎」を解くために、2001年から、スピンの向きをそろえた陽子(偏極陽子)を100 GeV 以上という非常に高いエネルギーで衝突させる実験を行っています。この高エネルギーでの陽子衝突反応は、その内部に存在するクォーク・反クォーク・グルーオン同士が衝突することになり、その衝突の頻度は、クォーク・反クォーク・グルーオンのスピンの向きに依存します。そのため、衝突で生成する粒子の量から、陽子内部の粒子のスピンの向きが分かります。すでに研究グループは、グルーオンのスピンの向きを測定することに成功しており、続いて反クォークのスピンの向きを測定するための準備を進めてきました。
陽子が250 GeVという高いエネルギーで衝突すると、素粒子間の基本相互作用※8の1つ「弱い相互作用」を媒介するW粒子を作り出すことができます。この反応は、衝突する陽子内のクォークと反クォークのスピンが同じ向きにそろっている必要があるため、偏極陽子の衝突が作り出すW粒子の生成量は、陽子の中のクォーク、反クォークのスピンの向きを反映することになります。これまで、陽子と反陽子を高エネルギーで衝突させてW粒子の生成量を測定した実験はありましたが、陽子と反陽子のスピンがバラバラだったため、陽子内の粒子のスピンを測定することができませんでした。そこで研究グループは、RHICを用いて陽子のスピンをそろえ、この偏極陽子のビームを衝突させてW粒子を生成し、その生成量を解析することを目指しました。
研究手法と成果
陽子を単に加速すると、陽子が加速器中を何周も飛び回っている間にスピンの向きがバラバラになります。理研とBNLの国際共同研究グループは、偏極陽子のビームを実現するために、スピンの向きを保持する「シベリアの蛇」と呼ぶ特別な磁石(図2)を開発しました。この「シベリアの蛇」の働きで、2001年に陽子ビームのスピンをそろえて加速して衝突させることに世界で初めて成功しました(2001年12月17日)。その結果、RHICは偏極陽子を加速することができる世界唯一の衝突型加速器になりました。
偏極陽子の加速はエネルギーが高くなるほど困難です。加速器の改良を進めた結果、2009年には遂に、W粒子の生成に十分な250GeVというエネルギーにまで偏極陽子を加速することに成功しました。
偏極陽子同士の衝突で作ったW粒子は、PHENIXとSTARという2つの国際共同研究グループが測定しました。W粒子には、正の電荷を持ったW+粒子と負の電荷を持ったW-粒子がありますが、どちらのグループも、W-粒子が崩壊して生成してきた電子、またはW+粒子が崩壊して生成してきた陽電子を捕らえることができました。測定したこれらの電子は、W粒子の質量エネルギーの半分のところにエネルギー分布が集中するなど、確かにW粒子からの崩壊であるという特徴を示していました。PHENIXが、このW粒子崩壊による電子の量からW粒子の生成量を計算したところ、素粒子の標準理論から期待される理論値とよく一致していることを見いだし(図3)、素粒子の標準理論に新たな証拠を得ることができました。偏極した陽子同士の衝突でW粒子の生成量を測定したのは、今回が初めて※9となります。
次に、衝突する陽子のスピンの向きとW粒子の生成量の関係を測定しました。W+粒子はuクォークと反dクォークの衝突、W-粒子はdクォークと反uクォークの衝突からだけで作られる上に、これらクォークと反クォークのスピンがそろっている必要があります。従って、W粒子の生成量が陽子スピンの向きの影響を受けていれば、クォークと反クォークのスピンが陽子のスピンに寄与していることを明らかにできます。研究グループはPHENIXの実験装置(図4)を用いて、陽子スピンをビーム方向にそろえた場合と、ビーム逆方向にそろえた場合のW粒子の生成量を測定しました(図5)。その結果、W+粒子の生成量は陽子スピンの向きの違いによって大きく異なっていることが分かりました(図5左)。つまり、陽子スピンの向きとW粒子生成量の関係から、陽子内のクォークと反クォークの向きを、直接的に観測することが可能となりました。
これまでの実験手法では、クォークのスピンと反クォークのスピンの和は比較的よく測定されていましたが、反クォークのスピンは間接的な測定だけに限られていました。今回の実験手法では、W粒子の生成が反クォークのスピンの向きに特に感度が高い、という性質を利用しているだけでなく、W粒子生成の際に衝突する2つのクォークと反クォークのスピンの向きがそろう必要がある、という条件のため、反クォークのスピンの向きを直接的に測ることができるという特徴があります。また、 W+粒子とW-粒子の生成量から、u、dクォークと反u、dクォークそれぞれ4つの粒子のスピンが担っている成分を、種類ごとに直接的に測定することも可能になります。
こうして、これまで間接的実験手法で測定していた陽子内のクォーク・反クォークのスピンを、W粒子を使って直接的に測定する新しい実験手法を確立しました。
今後の期待
ブルックヘブン国立研究所では、今後数年にわたってW粒子の測定を続ける計画です。まず、衝突頻度を向上し、今回の数十倍のデータを蓄積します。さらに、偏極度(スピンのそろい具合)を向上することで、スピン測定の感度を上げます。また、今回の実験では、ビーム方向に対して真横方向に出た電子(陽電子)だけしか測定していませんでしたが、PHENIXでは現在、W粒子崩壊をより前方や後方で検出するための準備を進めており、まもなく測定を開始します。W粒子の崩壊をさまざまな方向で検出することで、クォークや反クォークのスピンの向きをより精密に測定していきます。こうしたデータ量の増加・感度の向上によって、u、dクォークと反u、dクォークが、それぞれどれだけ陽子のスピンの割合を担っているかという謎の全容解明が期待できます。