要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、体内時計のリズムを生み出す転写ネットワーク※1の基本的な作動メカニズムを明らかにしました。これまで重要と考えられてきた夕方の遺伝子発現の仕組みを解明し、体内時計の転写ネットワークの動作原理が“遅れを持った負のフィードバック※2”であることを明らかにしました。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)システムバイオロジー研究プロジェクトの上田泰己 プロジェクトリーダー、鵜飼‐蓼沼磨貴 テクニカルスタッフおよび山田陸裕 基礎科学特別研究員と、米国・メンフィス大のアンドリュー・リウ(Andrew C. Liu)教授ら、スイス・フリブール大のユルゲン・リッペルガー(Jürgen A. Ripperger)教授による共同研究の成果です。
哺乳類の体内時計の転写ネットワークでは、朝・昼・夜に遺伝子を発現させる3つの制御DNA配列※3と約20個の転写制御因子※4が互いに制御し合う複雑な「設計図」が描かれてきました。研究グループはこれまでに、この設計図によって実際に昼と夜の遺伝子発現を説明できることを明らかにしましたが、朝については十分に解明できていませんでした。一方、朝の遺伝子発現を強く抑制するCry1遺伝子が夕方に発現することで形成される“遅れを持った負のフィードバック”が体内時計の転写ネットワークの動作原理であると考えられており、Cry1遺伝子を夕方に発現させるメカニズムの解明が待たれていました。今回の研究では、Cry1遺伝子を詳細に解析し、昼と夜の制御DNA配列の組み合わせがCry1遺伝子を夕方に発現させることを突き止めました。これにより、朝の遺伝子発現が夕方に発現を抑制されることで実現している可能性が示唆されました。さらに、Cry1遺伝子の発現時刻を人工的に昼から夜の間で変化させたところ、体内時計の振動の振幅や周期に大きく影響することが分かりました。この発見は、体内時計の転写ネットワークの動作原理が“遅れを持った負のフィードバック”であることを初めて証明したものです。これは、哺乳類体内時計システムの理解を大きく前進させる成果となります。
本研究は、文部科学省科学研究費補助金「ゲノム特定領域研究(生命システム情報)」の一環として行われ、一部は、上原記念生命科学財団、三菱財団の助成により進められました。本研究成果は米国の科学雑誌『Cell』(1月21日号)への掲載に先立ち、オンライン版(1月13日付け:日本時間1月14日)に掲載されます。
背景
体内時計は、バクテリア、ショウジョウバエ、マウス、ヒトなど多くの生物種に存在し、ヒトでも睡眠・目覚めをはじめとするさまざまな生理機能に影響を与える重要なシステムです。この体内時計システムは、約24時間周期で数多くの遺伝子がリズミカルに機能する複雑な遺伝子ネットワークから成り立っていると考えられています。これまでに、哺乳類の体内時計の転写ネットワークについては、それぞれ朝・昼・夜の基本時刻に遺伝子を発現させるためのゲノム上の3つの制御DNA配列と約20個の転写制御因子が組み合わさり、互いに制御し合う複雑な「設計図」が描かれてきました。
研究グループは、この「設計図」が実際に基本時刻のうち昼・夜の遺伝子発現を説明できることを明らかにしてきましたが(2008年9月22日プレスリリース)、朝については十分に解明できていませんでした。一方、朝の遺伝子発現を強く抑制するCry1遺伝子が、夕方に発現することで形成される“遅れを持った負のフィードバック”が体内時計の転写ネットワークの動作原理であると考えられてきました。しかし、遅れの重要性について実験的な検証はされておらず、負のフィードバックに重要なCry1遺伝子を基本時刻から外れた夕方に発現させる制御メカニズムも未解明のままでした。
研究グループは今回、Cry1遺伝子を夕方に発現させる制御メカニズムを解明するとともに、Cry1遺伝子の発現制御を人工的に改変することで、Cry1遺伝子が関与する“遅れを持った負のフィードバック”の遅れの大きさに変化を与え、その重要性を検証しました。
研究手法
(1)Cry1遺伝子を夕方に発現させる制御メカニズムの解析
研究グループはこれまでに、培養細胞系を用いた体内時計システムの観察手法を構築しています。今回の研究では、体内時計を持ったマウスNIH3T3細胞を利用して、Cry1遺伝子を夕方に発現させる制御メカニズムを解析しました。具体的には、プラスミドDNA※5上に、Cry1遺伝子のプロモーター※6などの発現制御配列※7と、レポーター遺伝子(Luc;ルシフェラーゼ※8)を配置し、NIH3T3細胞へ導入しました。発現制御配列が誘導する発現時刻に応じてLuc遺伝子が発現するため、その発光を測定することで、プラスミドDNA上の発現制御配列がいつLuc遺伝子の発現を誘導したかを検出できます。この発光の変動を数日間観測して、発現のピーク時刻や発現振動の周期などを測定し、Cry1遺伝子を夕方に発現させる制御メカニズムを解析しました。
(2)Cry1遺伝子の発現時刻の改変が体内時計へ与える影響の解析
次に、Cry遺伝子群を欠損することで体内時計を失った細胞(Cry1-/-:Cry2-/-細胞※9)を用いて、プラスミドDNAでCry1遺伝子などを導入する実験を行いました。この細胞を用いると、プラスミドDNA上のCry1遺伝子の発現制御メカニズムが十分に生体内のメカニズムを反映していれば、Cry1遺伝子の発現により細胞の体内時計は復活し、振動が回復します。つまり、(1)の実験で解析した発現制御メカニズムの正確さを検証することができます。また、人工的に発現制御を改変してCry1遺伝子をさまざまな時間に発現させることで、Cry1遺伝子の発現時刻の遅れの大きさが体内時計にどのような影響を与えるか観察することができます。
研究成果
(1)Cry1遺伝子を夕方に発現させる制御メカニズムの解明
体内時計を持ったNIH3T3細胞を用いて、Cry1遺伝子のプロモーター領域が誘導する発現時刻をレポーター遺伝子の活性を指標にして検出したところ、昼に発現のピークを迎えることが分かりました。生体内でCry1遺伝子は夕方に発現することが知られており、生体内では何らかの要素がCry1遺伝子の発現を遅らせていると考えられました。そこで、ゲノム配列の詳細な解析を行ったところ、Cry1遺伝子のイントロン領域に夜配列(夜の制御DNA配列)を見つけました。このCry1遺伝子のイントロン(夜)とプロモーター(昼)とを組み合わせてレポーター遺伝子の発現時刻を観察すると、レポーター遺伝子は夕方に発現のピークを示しました。これにより、Cry1遺伝子は、昼配列と夜配列の組み合わせで夕方に発現していることが明らかになりました(図1)。
次に体内時計を失ったCry1-/-:Cry2-/-細胞を用いて、Cry1遺伝子のイントロン(夜)とプロモーター(昼)とを組み合わせてCry1遺伝子を夕方に発現させたところ、Cry1-/-:Cry2-/-細胞が失っていた体内時計が回復しました。体内時計が回復したことから、昼と夜の制御DNA配列の組み合わせが、生体内でCry1遺伝子を夕方に発現させるメカニズムであることを突き止めました。すでにCry1遺伝子が朝の制御DNA配列を強く抑制することが知られており、今回の結果により、朝の遺伝子発現がその反対側の夕方に遺伝子発現を抑制されることで実現している可能性が示唆されました。これは、哺乳類の体内時計システム解明に向けた大きな前進につながる成果となります。
(2)Cry1遺伝子の発現時刻の改変による体内時計への影響の解析
研究グループは、Cry1-/-:Cry2-/-細胞中でCry1遺伝子を発現させる時、発現制御を人工的にさまざまに改変し、Cry1遺伝子の発現する時刻を昼から夜の間で変えてみました。すると、Cry1遺伝子の発現が夕方より昼に寄るほど(“遅れ”が小さくなるほど)Cry1-/-:Cry2-/-細胞に回復した体内時計の振動の振幅は弱くなりました。一方、Cry1遺伝子の発現が夜に寄るほど(“遅れ”が大きくなるほど)回復した体内時計の振動の周期が延び、遅くなることが分かりました(図2)。これは、Cry1遺伝子の発現の遅れを生み出すメカニズムを初めて解き明かすとともに、体内時計の転写ネットワークの動作原理が”遅れを持った負のフィードバック”であることを初めて証明したものです。米国のテキサス農工大(Texas A&M University)のポール・ハーディン教授(Dr. Paul E. Hardin)らにより遅れを持った負のフィードバックの重要性が提唱されてから(Nature, 343, 536-40, 1990)、21年目にしてそのメカニズムを解明したことになります。
(3)時計遺伝子の時刻制御メカニズムのモデルを提案
さらに、包括的で定量的な実験とデータ解析により、上記の時刻制御の設計原理が非常にシンプルなベクトルモデルで近似的に説明できることを示しました(図3)。このモデルは、今回の研究成果だけでなく、これまで研究グループが解明してきた、昼と夜をはじめとするさまざまな時刻の遺伝子発現の設計原理をも説明可能です。今後、より多くの時刻生成の設計原理の解析に役立つことが期待されます。
今後の期待
今回の結果と、以前発表した昼と夜の設計原理を考え合わせ、研究グループは、体内時計の3つの基本時刻を作る最小単位の転写ネットワークモデルを提案しました(図4)。このネットワークは、2つのより単純な、しかしそれぞれ独立に発振可能と考えられている歯車が組み合わさった構造から成り立っています。1つ目の歯車は“Repressilator(リプレッシレーター)※10”、2つ目は“遅れをもった負のフィードバック”です。果たしてこの構造を人工的に模倣することで、概日時計の転写ネットワークを再現できるのでしょうか?あるいは、まだ解明されていない制御が潜んでおり、ネットワークは再現できないのでしょうか?体内時計システムを完全に理解するには、引き続きメカニズムの研究を重ねる必要があります。しかし、今回の研究成果は、哺乳類の体内時計の転写ネットワークの動作原理が“遅れを持った負のフィードバック”のメカニズムであることを証明したものであり、複雑な哺乳類の体内時計システムの理解に一歩近づいたといえます。このように体内時計システムの理解が進んだことで、リズム障害をはじめとする体内時計の異常によって引き起こされる疾患の、より効果的な診断や治療法の開発へつながることが期待できます。