要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、血液細胞の源である造血幹細胞が、免疫応答の司令塔として働くT細胞系列へ分化する運命の決定に遺伝子「Bcl11b」が必須であることを見いだしました。これは、理研免疫・アレルギー科学総合研究センター(谷口克センター長)免疫発生研究チームの河本宏チームリーダー、伊川友活研究員らと、新潟大学との共同研究による成果です。
多能性をもつ造血幹細胞からT細胞が作られる過程では、分化能が少しずつ限定され、最終的にT細胞だけにしかなれないT前駆細胞になるという過程を経ます。この最終過程は、T細胞になるという運命を決定づける重要なステップです。研究チームはこれまで、T前駆細胞になる前の段階の前駆細胞が、マクロファージ(大食細胞)※1に代表されるミエロイド系細胞への分化能を保持していることを明らかにしています。本研究では、T細胞系列への最終的な分化過程を明らかにするため、ミエロイド-T前駆細胞が、ミエロイド系細胞への分化能を失うステップに焦点を当てて研究を進めました。
研究チームは、増殖や分化を支持するフィーダー細胞※2を用いない条件下でマウスの造血幹細胞を培養すると、ミエロイド-T前駆細胞の段階で分化が停止し、自己複製※3により増え続けることを見いだしました。さらに、Bcl11bという転写因子※4を欠損したマウスの造血幹細胞でも、同じ段階で分化が停止し、細胞が自己複製することを発見しました。すなわち、Bcl11b遺伝子はT細胞系列への運命決定をつかさどっているマスター遺伝子であることが明らかとなりました。
研究チームは以前から「T前駆細胞はミエロイド-T前駆細胞から作られる」という「ミエロイド基本型モデル」※5を提唱しており、今回の成果は、分子メカニズムの面からこのモデルを支持する結果となりました。T細胞性急性リンパ性白血病※6の中には、Bcl11b遺伝子が不活性化されているタイプが報告されています。その発症機序は不明でしたが、今回の結果から、転写因子Bcl11bを欠損すると、ミエロイド-T前駆細胞が自己複製サイクルに入ることが示されたため、これがこのタイプの白血病を発症する第一段階であると考えられました。この機序をさらに研究することで、治療法の開発に結びつけられると期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Science』(7月2日号)に掲載されます。
背景
T細胞は、ほかの免疫細胞と同様に、多能性造血幹細胞から作られます。古典的な分化モデル※7では、造血幹細胞からの最初の分岐で、ミエロイド系細胞と赤血球を作る前駆細胞と、T細胞とB細胞だけを作る前駆細胞の2通りに分かれるとされてきました(図1A)。このモデルでは、T細胞系列へ分化決定が起こるのは、B細胞への分化能を失う時ということになります。一方、研究チームはこれまでに、古典的な分化モデルとは異なる「ミエロイド基本型モデル」を提唱してきました(図1B)(Y. Katsura, H. Kawamoto, Intern. Rev. Immunol. 20:1, 2001、H. Kawamoto, Y. Katsura, Trends Immunol. 30:193, 2009)。この新モデルでは、造血幹細胞からT細胞への分化の過程で、まず赤血球系への分化能が、次いでB細胞への分化能が失われ(H. Wada et al., Nature 452: 768, 2008)、最終的にはミエロイド系への分化能が消失してT細胞系列に完全に運命決定すると考えています(2008年4月10日プレスリリース)。
このように、T細胞系列への最終的な分化決定過程は、ミエロイド-T前駆細胞がミエロイド系細胞への分化能を失う時ということができ、極めて重要な出来事と言えます。そこで、研究チームは、このミエロイド細胞への分化能を失うステップに焦点を当てて研究を進めてきました。
T細胞は、細胞表面にCD4やCD8などの機能分子を発現しており、これらの分子をマーカーとして調べることで、T細胞の分化過程を知ることができます(図2)。胸腺※8の中で起こるT細胞の分化では、CD4もCD8も発現していない細胞(double negative:DN細胞)が最も未分化な状態です(初期T前駆細胞)。T細胞は、この未分化なDN細胞から、CD4とCD8を共に発現する細胞(double positive:DP細胞)に分化し、その後CD4だけを発現するヘルパーT細胞とCD8だけを発現するキラーT細胞へと分化していきます。今回の研究で焦点を当てたステップは、DN段階で起こります。DN段階中の分化は、造血系の未分化な前駆細胞に広く発現がみられるc-kitとCD25という分子の発現でたどることができ、DN1、DN2、DN3、DN4という順序で進みます。
細胞分化は、ある定常状態から次の定常状態へと、段階的に進みます。その間のステップでは、外からの特定のシグナルとそれに連動して起こる細胞内の特定の遺伝子の発現が必要です。このような分化の「節目」となるステップを、分化の“チェックポイント”(checkpoint:関門や検問所という意味)と呼んでいます。あるステップが重要なチェックポイントであることは、例えば、ある培養条件、あるいはある遺伝子改変条件の下で、特定の分化ステップに進む直前の段階で分化が停止し、さらに細胞が自己複製を行うことで判別できます。
研究チームのこれまでの研究により、ミエロイド系細胞への分化能はDN2段階の途中で消失することが分かっていました(K. Masuda et al., J. Immunol. 179: 3699, 2007)。しかし、この段階で何らかの条件を加えると、分化が停止し、細胞が自己複製するかどうかは明らかになっていませんでした。
研究手法と成果
(1)増殖や分化を支持するフィーダー細胞を使わないT細胞培養系では、初期T前駆細胞はDN2段階で分化停止し、自己複製を開始する
DLL4※9分子は、T前駆細胞に発現するノッチ(Notch)という受容体にシグナルを入れることができます。このDLL4を発現させたフィーダー細胞を用いた培養系では、初期T前駆細胞はDP段階まで分化します。研究チームは、フィーダー細胞が無い条件で、初期T前駆細胞を培養してみました(図3)。まず、プラスチックディッシュの底に、DLL4分子を固相化しました。これに、SCF、Fl3L、IL-7というサイトカイン※10を添加しました。この培養系で、マウス胎仔肝臓※11から採取した造血幹細胞を培養すると、1週間でDN2細胞様の細胞が生成しました。このまま培養を続けると、細胞は同じDN2段階のまま、計算上では1ヵ月で1億倍にもなるほど増え続けました。この結果は、DN2段階で分化が停止して、細胞が自己複製していることを示しています。しかも、この自己複製DN2細胞は、T細胞とミエロイド系細胞への分化能を保持していました。この結果から、DN2段階から先に進むステップ、すなわちミエロイド-T前駆細胞がミエロイド系への分化能を失ってT前駆細胞に進むステップが、T細胞系列への分化の重要なチェックであることが分かりました。
(2)IL-7の濃度を減らすと、T細胞は分化を再開する
(1)の培養条件では、DN2段階で分化は足踏みして先へ進めません。T細胞分化の分子メカニズムの研究を進めるために、分化を誘導する条件を検討しました。その結果、培養の途中でIL-7の濃度を10分の1に減らすだけで、DP段階まで分化が進むことが分かりました(図4)。培養系は単純であればあるほど、細胞分化の研究に有用です。この分化誘導系は、培養に用いる要素を極限にまで絞り込んでおり、フィーダー細胞を用いないT細胞分化の誘導を可能にします。このため、今回開発したフィーダー細胞を用いないT前駆細胞増幅培養系やT細胞の分化誘導培養系は、臨床応用へ向けての大きな一歩となります。例えば、骨髄移植後の免疫不全状態や、エイズなどの後天性の免疫不全状態の患者のT細胞を試験管内で作製して、生体に戻すという方法を用いることで、免疫能を上げることが期待できます。
(3)転写因子Bcl11bはT細胞系列への決定のマスター遺伝子である
DN2段階からの分化決定過程がチェックポイントであることが分かり、このステップを駆動している転写因子があるはずだと考えました。このステップでは、多くのミエロイド系遺伝子や幹細胞を特徴付ける遺伝子の発現が抑制されるとともに、T細胞系列に特異的な遺伝子が発現されます。今回完成した分化決定の停止/再開を制御することができる培養系を用いて、誘導の前後に発現が変わる遺伝子を、Q-PCR※12やマイクロアレイ法※13で調べました。研究チームは、このステップで発現が上昇するT細胞系列に特異的な遺伝子の中で、Bcl11bという転写因子の発現に注目しました。転写因子Bcl11bをコードするBcl11b遺伝子は、がん抑制遺伝子として新潟大学の木南らによって単離された遺伝子で、その欠損マウスではT細胞が激減することがすでに報告されていました(Y. Wakabayashi et al., Nat. Immunol. 4: 533, 2003)。しかし、どの時点で分化が停止するかは不明のままでした。今回、Bcl11b欠損マウスを新潟大学から入手し、研究チームが詳細に調べたところ、このマウスの胸腺では、DN2段階で分化が停止し、T細胞がほとんど作られないことが分かりました(図5)。また、細胞を取り出してきてT細胞分化を誘導できるフィーダー細胞と共培養しても、DN2段階で分化を停止したまま自己複製し続けました。
研究チームは、さらに、フィーダー細胞を用いない培養系で、DN2段階のまま分化が停止している細胞にBcl11b遺伝子を強制発現させてみました。すると、分化の停止が解除されて、次のDN3段階まで分化が進みました。
これらの知見は、Bcl11b遺伝子が、T細胞系列への分化決定をつかさどるマスター遺伝子であることを示しています(図6)。
今後の期待
今回の発見は、以下のような大きな意義があります。
(1)T細胞系列への分化決定過程のさらなるメカニズムの解明が進む
Bcl11bは、抑制性の転写因子として知られています。転写因子Bcl11bがどのような遺伝子を抑制することでT細胞系列への分化決定を引き起こしているかを調べると、分化決定のメカニズムの解明が大きく進むと期待できます。
(2)「ミエロイド基本型モデル」を分子メカニズムの面から支持
フィーダー細胞を用いない培養系で生成した初期T前駆細胞や、転写因子Bcl11b欠損マウスの初期T前駆細胞は、ミエロイド-T前駆細胞段階で分化が停止し、その分化能を維持したままでした。これは、ミエロイド系細胞への分化能を消失することが、T細胞になるための重要なチェックポイントとして働いていることを示しています。このような分子メカニズムは「B細胞への分化能の消失点がT細胞への決定点」とする古典的モデルでは解釈できません。すなわち、分子メカニズム面から「ミエロイド基本型モデル」を強く支持する結果です。言い換えれば、今回の成果は、ミエロイド基本型モデルを土台とすることで得られた成果で、今後のさらなる研究の発展が期待できます。
(3)白血病の発症機序の解明
Bcl11b遺伝子は、もともとはがん抑制遺伝子として見つかりました。放射線照射で胸腺リンパ腫を誘発したマウスでは、Bcl11b遺伝子が不活性化されていることが多いと報告されています(Y. Wakabayashi et al. , Biochem. Biophys. Res. Commun. 301: 598, 2003)。またヒトでは、Bcl11b遺伝子が不活性化されているタイプのT細胞性急性リンパ性白血病が報告されています(G. K. Przybylski et al., Leukemia 19: 201, 2005)。しかし、Bcl11b遺伝子と白血病との関連は不明でした。今回の発見により、転写因子Bcl11bを欠損すると、ミエロイド-初期T前駆細胞が自己複製サイクルに入ることが分かり、これがこのタイプの白血病化の第一段階であると考えられました。この機序をさらに研究することで、治療法の開発に結びつけられると期待できます。