要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、鉄系高温超伝導体の超伝導発現機構解明のために、決定的な手掛かりとなるクーパー対※1の構造を実験的に初めて決定しました。解明したクーパー対の構造は、従来の超伝導体や銅酸化物高温超伝導体のものとは異なるs±波※2と呼ばれる構造でした。クーパー対がこの構造を持つことは、超伝導発現に磁性が関与していることを強く示唆します。理研基幹研究所(玉尾皓平所長)髙木磁性研究室の花栗哲郎専任研究員、新髙誠司基幹研究所研究員、髙木英典グループディレクター、電気通信大学の黒木和彦教授による研究成果です。
日本で2008年に発見された鉄系超伝導体は、絶対温度※3で55 Kに達する高い超伝導転移温度※4を有することから世界の注目を集め、この超伝導現象の発現機構の解明を目指した研究が盛んに行われていますが、いまだに謎に包まれている状況が続いています。超伝導を実現するためには、電子が2個ずつ対になるクーパー対を形成する必要がありますが、この対形成にかかわる電子間引力の起源が分かれば、超伝導発現機構が解明できることになります。電子間引力の特徴は、クーパー対の構造に反映されるため、超伝導発現機構を解明するためにはクーパー対の構造を決定することが必要不可欠です。しかし、鉄系高温超伝導体には性質の異なる2種類の電子集団が存在し、これらが超伝導に関与して複雑な電子状態をとるため、これまでの手法ではクーパー対の構造を決定することができませんでした。
一般に、超伝導体の中に不純物などの欠陥が存在すると、電子は波の性質を持つため散乱され、互いに干渉して「電子のさざなみ※5」を生じます。この時、必ず対となる相手の電子の影響を受けるので、「電子のさざなみ」はクーパー対の構造に関する情報を含んでいます。今回、理研で開発した、強磁場下でも極めて高精度な観察が可能な走査型トンネル顕微鏡/分光(STM/STS)※6を用いて、鉄系超伝導体FeSe0.4Te0.6の「電子のさざなみ」が、磁場によってどのように変化するかを調べ、クーパー対が2種類の電子集団を持つ物質に特徴的なs±波と呼ばれる構造を持つことを明らかにしました。今後、新しい超伝導体の設計へとつながることが期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Science』(4月23日号)に掲載されます。
背景
ある種の金属の電気抵抗が完全に消失する超伝導現象は、MRI(核磁気共鳴画像)などに利用されているほか、エネルギー損失の無い送電などへの応用も期待されています。しかし、超伝導現象が発現するためには、絶対零度に近い極低温まで材料を冷却する必要があるため、普及の妨げになっています。超伝導現象は、1957年に米国のJ. バーディーン、L. N. クーパー、J. R. シュリーファー(頭文字をとってBCSと呼ばれている)の3人の理論物理学者によって解明され、電子が2個ずつ対として結びついたクーパー対が超伝導発現に本質的に重要であることが分かっています。クーパー対を形成するためには、負電荷を持つ電子を対にする「のり」として働く電子間引力が必要で、BCSはこの引力の起源を固体の結晶格子の振動にあると考えました。実際、ほとんどの超伝導体では、格子振動を媒介として超伝導現象が発現しています。しかし残念ながら、この機構では理論的に高い超伝導転移温度が期待できず、40 K程度が上限であろうと考えられ、この温度がBCSの壁と呼ばれています(図1黒)。
1986年にスイスのJ. G. ベドノルツとK. A. ミューラーが発見した銅酸化物高温超伝導体※7は、この壁を打ち破り世界に衝撃を与えました。現在、銅酸化物系の超伝導体の転移温度は、135 Kに達しています(図1青)。こうした高い転移温度を実現する「のり」の起源を格子振動で説明することは困難で、従来とは異なる機構、中でも磁性がクーパー対形成に関与する機構が存在すると考えられています。さらに、2008年に東京工業大学細野秀雄教授の研究グループが、鉄系超伝導体と呼ばれる画期的な物質群を発見しました(図1赤)。鉄系超伝導体は、最高55 Kの転移温度を有し、現在のところ、銅酸化物以外でBCSの壁を越える唯一の高温超伝導物質群です。この鉄系超伝導体は、現在、基礎と応用の両面から世界中で盛んに研究されていますが、「のり」の起源、つまりクーパー対形成機構についてはいまだに解明されていません。
クーパー対形成機構の特徴は、クーパー対の構造に反映されます。クーパー対の構造は、「のり」の強さが電子の持つ運動量の大きさと方向によってどのように変わるかで決まります。また、クーパー対は位相※8と呼ばれる量子力学的な属性を持っており、位相も運動量に依存します。結果的に、クーパー対の構造は、電子の運動量の関数として、「のり」の強さと位相が織り成す抽象的な一種の「形」によって表現されます(図2)。位相は角度で表され、0°から360°までの値をとることができますが、格子振動が媒介する従来の超伝導体のクーパー対の位相は一定で、運動量の大きさにも方向にも依存しません(s波、図2左)。一方、磁性が媒介する非従来型の超伝導体では、電子の運動量に依存してクーパー対の位相が反転する複雑な構造を持ちます(図2中、右)。 このため、超伝導発現機構を解明する上で、電子の運動量とクーパー対の位相を決定することが極めて重要ということになります。
研究手法
研究グループは、電子の持つ波としての性質に着目しました。量子力学によると、電子は波として振る舞い、その運動量は波長の逆数に比例します。従って、電子の波を観測することができると、その波長から電子の運動量を求めることができます。固体の中で電子の波は動いているので、直接観測することは困難ですが、結晶格子に何らかの欠陥を導入して電子を散乱させると、進行波と散乱波が干渉して時間的に動かない定在波を生じます。この「電子のさざなみ」と呼ぶべき定在波は、走査型トンネル顕微鏡/分光(STM/STS)を用いて観察することが可能です。
超伝導状態では、電子が対を組んでいるので、電子の散乱が起きるときにクーパー対の構造の影響を受けます。従って、超伝導状態の「電子のさざなみ」は、クーパー対の構造に関する情報を含んでいることになります。同時に「電子のさざなみ」は、電子を散乱する固体内の欠陥の個性にも影響を受けます。この欠陥の性質が分かれば、クーパー対の構造の情報だけを取り出すことができますが、現実の固体にはさまざまな欠陥が存在するため、個々の欠陥の性質をあらかじめ知ることは極めて困難です。
研究グループはこれまでに、超伝導体に強い磁場を印加すると、素性の良く分かった欠陥を導入することができることを見いだすとともに、0.4 Kの極低温下で、11 T(テスラ)という強磁場中でも、原子レベルで完全に同一視野を保つSTM/STSを理研のナノサイエンス研究施設に建設し、実際に、銅酸化物高温超伝導体を用いて、電子の運動量の方向に依存してクーパー対の位相が反転する(d波、図2中)様子を観測することに成功しました(2009年1月23日プレスリリース)。
銅酸化物系の超伝導体では、超伝導に関与する電子集団は1種類だけであるため、位相の運動量の方向依存性の情報から、電子対の構造を一意に決定できました。しかし、鉄系超伝導体には、運動量の異なる2種類の電子集団が存在するため、運動量の方向だけでなく、その大きさごとに位相を決定することが必要です。
現在有力な理論モデルによると、鉄系超伝導体が持つ2種類の電子集団の関係は、強い「のり」の起源となる磁性を生み出すために有利な条件を満たしており、その結果、高い転移温度が実現すると予想されています。このモデルによると、異なる電子集団の間でクーパー対の位相が反転することが期待されます(s±波、図2右)。この、s±波構造を実験的に検証することができると、「のり」の起源は、格子振動ではなく磁性によるものである可能性が極めて高いことになります。
この、複数の電子集団の位相を決定することができる唯一の手段が、研究グループの開発したSTM/STSによる「電子のさざなみ」の強磁場中での観察です。
研究成果
STM/STSは、試料表面を観察する手法であるため、清浄かつ平坦な表面であることが欠かせず、しかも表面固有の電子状態を生じないという特別な材料を用意する必要がありました。研究グループは、これらの条件をすべて満たす物質「鉄セレンテルル:FeSe0.4Te0.6」(超伝導転移温度 14.5 K)に着目しました。この物質は、過剰な鉄が結晶中に取り込まれやすいことが課題でしたが、単結晶の育成条件をさまざまに変えて最適化を行い、過剰鉄の極めて少ない高品質な試料作製に成功し、「電子のさざなみ」の観測を可能にしました。
1.5 Kという極低温で観測した「電子のさざなみ」のパターンは、フーリエ変換※9という数学的処理を行うことで各波長成分に分解し、2つの異なる運動量を持つ電子集団を区別することに成功しました(図3)。さらに、10 T(テスラ)の強磁場を印加してこのパターンの変化を調べたところ、異なる電子集団の間でクーパー対の位相が反転していることを観測し、s±波と呼ばれる構造を持つことを見いだしました(図4)。つまり、鉄系超伝導体のクーパー対は、従来型の超伝導のように格子振動が媒介するのではなく、何らかの型破りな機構、おそらくは2種類の電子集団に関連した磁性によって形成されていることを明らかにすることができました。
今後の期待
今回、このクーパー対の構造を「s±波」と決定することができたため、鉄系超伝導体に対する理論モデルに非常に強い制約をつけることができました。磁性が鉄系超伝導の発現に重要な役割を果たしている可能性が極めて高いことを突き止めたといえます。この超伝導モデルによれば、同じ鉄系超伝導体でも、結晶構造の微妙な違いによって磁性の特徴が変化し、その結果クーパー対の構造が変わる可能性があります。今後、FeSe0.4Te0.6以外の鉄系超伝導体でクーパー対の構造を決定し、このような理論的予言を検証することができると、超伝導発現機構の詳細に迫ることが可能になり、新しい超伝導体の設計へとつながることになります。