要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、マウス大脳皮質視覚野の抑制性神経細胞※1が、生後の脳発達期にある「臨界期※2」を通り越してしまい、光反応性変化が起きないと思われていた成熟期に到達しても、片目遮蔽実験で変化を起こすことを発見しました。また、抑制性細胞は、両目に与えた光刺激に対し、ともに良く反応するという両眼反応性を強く示しますが、興奮性神経細胞※1は片目反応性の方が顕著で、従来報告されていたとおり「臨界期」終了後は可塑性をほとんど示さないことが分かりました。これは理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)大脳皮質回路可塑性研究チーム(津本忠治チームリーダー)らによる研究成果です。
ヒトを含む多くのほ乳類の大脳皮質視覚野神経細胞は、幼若期に片目を一時的に遮蔽すると、その目に対する反応性を失い、開いていた目だけに反応するよう変化します。この変化は、幼若期体験が脳機能を変える例として、これまで多くの研究が行われてきましたが、このような変化は「臨界期」と呼ぶ生後発達の一時期にしか起きないと報告され、脳機能発達の「臨界期」を示す例として注目されてきました。
研究チームは、生きたままの動物の大脳皮質視覚野で、多数の神経細胞の活動を同時に観察することのできる二光子励起カルシウムイメージング法※3を活用し、抑制性細胞が緑色蛍光を発する遺伝子改変マウスで、興奮性細胞と抑制性細胞を区別して片目遮蔽効果を観察しました。その結果、「臨界期」終了後に片目遮蔽をした場合も、抑制性細胞は、遮蔽眼に対する反応が悪くなり、可塑性を保持していることを発見しました。
この抑制性細胞が、「臨界期」終了後も可塑性を保持していることを発見した本研究の結果は、従来の「臨界期」の概念に修正を迫る成果で、乳幼児の早期教育の意義を考える場合に、重要な示唆を与えると注目されます。
本研究は、米国科学雑誌『Journal of Neuroscience』(1月27日号)に掲載されます。
背景
サル、ネコ、ラットやマウスなどの実験動物で、生後初期に片目を一時的に遮蔽すると、大脳皮質視覚野の神経細胞がその目に反応しなくなり、弱視※4になることが1960年代に発見され、その後、生後の体験によって脳機能が変化を起こす脳の可塑性の代表的な例として、多数の研究が行われてきました。さらに、片目遮蔽によって大脳皮質にこのような変化を起こすのは生後の特定の期間だけであったことから、鳥類で見つかった刷り込み(※2参照)と同じように、この期間は「臨界期」と呼ばれるようになりました。
この「臨界期」の存在は、その後ヒトでも報告されたことや、視覚野だけでなく脳のほかの領域にも認められたことから、「臨界期」における生後環境あるいは刺激や訓練の重要性を示す例として、神経科学のみならず発達心理学や教育学など、ほかの多くの分野にも影響を与えてきました。その中で、例えば、脳機能発達には「臨界期」が存在することを早期教育の重要性の科学的根拠とする主張も出現してきました。
最近になって、成熟脳でも可塑性のある脳領域が存在することや、「臨界期」を過ぎた大脳皮質でも可塑性が存在することを示唆する研究が報告されました(Sawtell et al., Neuron 2003)。しかし、大脳皮質視覚野の「臨界期」後に可塑性が保持されるのかどうか、保持されるとすればどの程度なのかは不明のままでした。
研究チームは、大脳皮質神経回路を構成する興奮性と抑制性の2群の神経細胞を区別して、それらの左右の目への光刺激に対する反応を記録することで、「臨界期」終了後の可塑性の解明に挑みました。
研究手法
研究チームは、二光子励起(れいき)カルシウムイメージング法を使って、大脳皮質視覚野における多数の神経細胞の光刺激に対する反応を同時に観察しました。二光子励起法は、分子が光子を2個同時に吸収して励起する現象で、その励起波長は、一光子励起に用いられる波長の2倍となります。光は、波長が長いほど生体組織の深部に到達するので、この方法で脳の蛍光観察を行うと空間解像度の高い深部断層像を得ることができます。一方、カルシウムイメージング法は、神経細胞の活動によって蛍光強度が変化するカルシウム蛍光指示薬※5を利用し、多数の神経細胞の活動を観察する方法です。この二光子励起カルシウムイメージング法は、多くても数十個の細胞しか同時に観察できない従来の電極を使った方法の限界を超えて、一挙に数百個の細胞の活動をほぼ同時に観察できる画期的な方法です。
従来のカルシウム蛍光指示薬では、グリア細胞※6と神経細胞を区別して染色することは可能でしたが、神経細胞を興奮性細胞と抑制性細胞に染め分けることはできませんでした。本研究では、抑制性細胞が緑色蛍光を発する遺伝子改変マウスを使用することで、この問題点を克服しました(図1左下)。
これまでに、視覚野発達の「臨界期」は、マウスで生後19日から32日の間であり、この期間に2日間片目遮蔽すると、皮質神経細胞の両眼反応性が変わると報告されていました(Mrsic-Flogel et al., Neuron 2007)。そこで研究チームは、マウスを2群に分けて、「臨界期」中の生後27日目から29日目まで2日間片目遮蔽したマウスと、「臨界期」終了後の生後50日と55日目からそれぞれ7日間片目遮蔽したマウスとで、皮質神経細胞の両眼反応性を記録しました。また、正常の状態と比較するため、それぞれ同じ日齢群で片目遮蔽しないで普通に飼育したマウスからも記録をとりました(図2)。
研究成果
「臨界期」を過ぎた生後50日目と55日目のマウスの右目を7日間遮蔽した後、視覚野の興奮性細胞と抑制性細胞がどちらの目に強く反応するかを記録しました。具体的には、3匹の片目遮蔽マウスから得た1,266個の興奮性細胞と128個の抑制性細胞、および片目遮蔽せずに飼育したほかの3匹のマウスから得た1,529個の興奮性細胞と182個の抑制性細胞の眼優位指数※7を比較することで確認しました。その結果、興奮性細胞の多くは、遮蔽したにもかかわらず遮蔽側眼(対側眼、右目)だけに良く反応し、開いていた同側目(左目)に良く反応するようには変わりませんでした。一方、抑制性細胞は、開いていた同側目(左目)にも良く反応するように変わっていました。これは、「臨界期」を過ぎると興奮性細胞は可塑性をほぼ喪失するのに対し、抑制性細胞は可塑性を保持していることを示しています(図1の右下、図3)。
一方、臨界期中の生後27日目から29日目まで2日間マウスの右目を遮蔽した場合は、興奮性、抑制性細胞の両群とも開いていた左目に強く反応するように変わっていました。この結果は、3匹の片目遮蔽マウスから得た445個の興奮性細胞と114個の抑制性細胞、および片目遮蔽しないで飼育したほかの3匹のマウスから得た903個の興奮性細胞と115個の抑制性細胞の眼優位指数を比較することによって確認しました。
さらに、右目、左目ともによく反応するという両眼反応性は、片目遮蔽せずに飼育したマウスで、抑制性細胞の方が興奮性細胞よりも強いことを発見しました。この結果は、抑制性細胞の方がいわゆる両眼性シナプス競合※8に直接的に関与していることを示唆しています。
以上の結果から、従来いわれてきた「臨界期」は、抑制性細胞の場合は存在せず、大脳皮質回路機能における抑制性細胞の重要性から、大脳皮質回路は「臨界期」後も一定程度可塑性を保持していることが明らかとなりました。
今後の期待
今回、遺伝子改変動物の脳に二光子励起カルシウムイメージング法を適用して、抑制性細胞と興奮性細胞を同時に観察し、抑制性細胞が臨界期終了後も可塑性を保持していることを発見しました。この結果は、従来の「臨界期」の概念の修正を迫る成果であり、乳幼児の早期教育の意義を考える場合に重要な示唆を与えることが期待できます。また、なぜ興奮性細胞が可塑性を喪失しているのに、抑制性細胞が可塑性を保持しているのか、この両細胞の違いを追及することによって可塑性保持のメカニズム解明が進むことが期待できます。さらに、従来可塑性を喪失していると思われていた成人の大脳視覚野でも、細胞によっては可塑性を保持していることが判明したことから、ほかの脳領域の「臨界期」後の可塑性を解明し、成人における学習を促進する手がかりを得ることが可能になります。