要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、仁科加速器研究センターRIビームファクトリー※1にある理研リングサイクロトロンが発生する重イオンビーム※2「炭素イオン」を山形13系敬翁桜※3に照射し、野外栽培では、春(4月~7月)と秋(9月~11月)の二季、温室栽培では、いつでも花が咲く四季咲きサクラ※4の新品種「仁科乙女※5」の作出に成功しました。仁科加速器研究センター(延興秀人センター長)生物照射チームの阿部知子チームリーダーとサクラ育種家のJFC石井農場(山形県山形市釈迦堂)の石井重久氏との共同開発による成果です。
重イオンビームを用いた突然変異誘発法※6は、ほかの有用形質に影響を与えず変異を誘発し、育種年限の大幅な短縮を可能とする日本独自の開発技術で、ガンマ線やX線などの放射線照射や化学変異剤処理などの従来の手法に比べ、高生存率を示す極低線量照射※7でも、変異率が高いという特徴があります。極低線量照射では、飛来する粒子数が少なく、目的とする遺伝子以外を壊さないため、変異株そのものが新品種となり、育種に要する期間を短縮することができます。生物照射チームは、この重イオンビームを使った園芸植物の品種改良技術を開発し、すでにダリア、ペチュニア、バーベナ、トレニア、デロスペルマ、ナデシコ、サイネリアなどで実用化し、これまでに15種類の園芸植物で市販新品種の育成に成功しました。2004年にはサクラへも重イオンビームを照射し、黄色いサクラ「仁科蔵王※8」を育成、2007年に理研初の品種登録を行いました。
2006年に山形13系敬翁桜の穂木※9に炭素イオンを10Gy照射し、「敬翁桜」に接ぎ木しました。2007年に生育の良い枝より挿し木苗を増殖したところ、秋に高率に花が咲く系統を得ました。この貴重な変異系統を温室で栽培したところ、2008年春から連続して開花し、四季咲き性を示しました。また、この系統を野外で冬の寒さにさらすと4月に一斉に開花し、花数が元品種の3倍程度に増加しました。
理研と石井氏は共同で、農林水産省に四季咲き桜の「仁科乙女」として品種登録出願を2009年12月14日に行い、15日受理されました。なお、花苗増産は「生産販売組合さくら」組合員である山形県内外の生産農家で行い、販売は、仁科蔵王と同様に株式会社クリエイティブ阪急から、2010年3月に開始する予定です。
背景
バラ穂木に重イオンビームを照射すると花の色、花弁の枚数や大きさなどの花の形は変わりやすく、その変異率は10~40%程度と大変高いことが判明しています。サクラはバラ科に属するため、高い変異率が期待され、サクラの品種改良を目的に、サクラ育種家のJFC石井農場(山形県山形市釈迦堂)の石井重久氏との共同研究の下、2004年3月から重イオンビーム照射実験を開始しました。その第1号として緑色のサクラ品種として親しまれている「御衣黄(ぎょいこう)※10」に炭素イオンを照射、その照射穂木を御衣黄と相性がよく、病気に強い「青葉桜」の台木に接木、栽培した結果、咲き始めは淡黄緑色で、終わり頃に淡黄ピンクが広がる黄色い桜「仁科蔵王」を作出しました(2007年10月31日プレス発表)。仁科蔵王の花色は、最も黄色いサクラといわれる「鬱金桜(うこんざくら)※11」に近く、変異形質は安定しました。2007年10月16日に品種登録出願を行い、2009年1月に登録が受理、公表されています。そこで、生物照射チームと石井氏は、炭素イオンを「啓翁桜※12」、「山形おばこ※13」などのサクラ品種に照射、商品価値のある変異個体の選抜を展開してきました。
研究手法と成果
(1)変異処理および栽培
山形県は、福岡県久留米市より、花の見栄えが良く、栽培が容易な「敬翁桜」を1962年に導入し、その後切り花などとして販売を開始しました。1995年までに石井氏は、これらの改良してきた山形敬翁桜を15系統に分類しました。そのうち、木肌が赤く美しい山形13系敬翁桜の穂木に、生物照射チームが2006年2月、仁科加速器研究センターRIビームファクトリーの理研リングサイクロトロン(RRC)で加速した炭素イオン(核子あたり135MeV、LET 22.5 keV/μm)を10Gy(グレイ)照射しました。その照射穂木10本を、石井氏が敬翁桜の台木に接木し、栽培しました。
(2)選抜および固定
1年後に生存していた枝は7本あり、そのうち、生長の良い3本について挿し木苗を増殖しました。2007年秋に、そのうち2系統(C10K13-1、C10K13-2)、すなわち、C10K13-1では増殖した17苗のうち16個体が、C10K13-2では18苗のうち16個体に2007年秋に花が咲きました。C10K13-1系統の個体は開花後枯死してしまいましたが、C10K13-2系統は温室で栽培を続けたところ、春にも再び花をつけました。温室でさらに栽培を続けると、花の分化がそろわず、連続して花が咲く四季咲き性を示しました。冬に野外栽培し、寒さにさらすと4月に一斉に開花することも確認でき、理研は、この新品種をピンク色の一重の可憐な花を咲かせることから「仁科乙女」と名づけました。
(3)仁科乙女の特長
一般的に日本のサクラは、夏に形成された花芽が晩秋に休眠し、冬の寒さにさらされて休眠打破することによって、早春に花芽が生長し、開花に至ります。すなわち、日本のサクラの開花は、この一定期間低温にさらされる休眠打破を必要とし、敬翁桜でも、8度以下が1,000時間必要です。一方、今回開発した仁科乙女は、低温にさらさなくても、いつでも花を咲かせることができます。また、低温にさらして4月に一斉開花させると、敬翁桜の約3倍量の花が咲きます。さらに、秋花が不稔性※14となった仁科乙女の個体は花持ちが良く、一花が美しく咲いている期間は敬翁桜が2週間であるのに対し、仁科乙女は4週間に延びました。
仁科乙女は野外栽培を行うと、開花時期は4月~5月、10月~11月の二季咲きとなります。温室で栽培すると個体ごとにさまざまな時期に花芽が分化するため、連続して花芽を分化させることが可能となります。敬翁桜は栽培が容易で、挿し木も75%の確率で成功しますが、仁科乙女はさらにこの効率が上昇し、90%の成功率を達成しています。
12月14日、理研と石井氏は、農林水産省に仁科乙女を品種登録出願しました。これは、重イオンビーム照射で生まれたサクラとしては、仁科蔵王に続き第2号の品種登録出願となります。
今後の展開
照射後4年で仁科乙女を品種登録出願できた理由は、重イオンビームを活用した品種改良技術が、目的以外の遺伝子に影響を及ぼすことが少なく、容易に変異形質を安定化でき、変異系統そのものを新品種とすることができたためです。従来の突然変異誘発方法による品種改良では、多数の遺伝子を破壊した影響を補完するために交配育種などが必要となり、一般的に新品種育成に10年を要するとされています。今回、サクラ穂木に照射し、生存7本のうち生長の良好な3本の枝より増殖した1系統で、四季咲きの変異株選抜に成功したことは、重イオンビームによる品種改良技術が非常に効率的であることを示しています。
山形でも1990年代ごろより冬の気温が上昇し、休眠打破に必要な低温にさらされる時間が足らなくなり、野外での栽培では敬翁桜の休眠打破が不十分となり、花が咲かなかったり、開花する花数が減少したりするケースが頻繁に観察されるようになってきました。また、九州地方でも同様に、ソメイヨシノの開花する花数が減少してきたともいわれています。このような気候の変動に対応するには、休眠打破に低温要求性の低い品種の育成が望まれます。仁科乙女は、温室で育成を続けても開花するため、休眠打破に低温要求性を示していないことになります。従って、いつでも花を咲かせることが可能です。ただし、約1カ月の開花期の後、葉が茂る栄養生長期を経て花芽分化という生殖生長期に移行し、再び開花するには5カ月を要します。つまり1株で1年にサクラの花を楽しめるのは、2回ということです。
重イオンビーム照射技術は、切り花として楽しめるサクラ、1年中咲き続けるサクラ、秋に咲くサクラ、熱帯地域でも咲くサクラなどの育種を可能にする技術としても注目されます。