背景
前頭連合野は大脳皮質の一番前の部分を占める領域で、サルやヒトなどの霊長類で特に発達した脳の構造です(図1)。感覚入力と運動出力をつかさどる脳の領域から遠く、行動の高次制御や思考などの最も統合的な機能を発揮する脳の領域と考えられています。感覚入力と運動出力のどちらからも遠いため、思考などに関する抽象的な情報をつかまえる研究が困難で、前頭連合野が行動の高次制御や思考をどのように支えているのかは、ほとんど分かっていませんでした。
研究チームは、脳損傷患者の医学臨床現場でよく用いられる「ウィスコンシンカード分類テスト」と呼ばれる臨床心理テストを単純化した課題を開発し、この課題でサルを訓練しました。そして、前頭連合野の5つの領域を選択的に破壊し、課題遂行の影響を調べて、前頭連合野の中の領域間の機能の違いを分析しました。
ウィスコンシンカード分類テストは、1~4個の丸や四角などの図形が書かれたカードを図形の色、形または数の一致を判断させて分類する課題です(図2)。分類させる規則は、しばらくの間(例えば10試行)は一定ですが、被験者が正答を繰り返すと突然変わります。分類の規則やその変化を示す手掛かりは与えられず、被験者が行った1回ごとの分類結果が正しいか、間違いであるかだけを被験者に伝えます。被験者は試行錯誤により有効な分類規則を探し出し、これを作業記憶に保持して、後の行為決定に備えます。この課題には(1)正答/誤答のフィードバックから有効な規則を探し出す過程、(2)探し出した規則を作業記憶に保持する過程、(3)作業記憶の内容を参照して行為を決める過程など、複数の高次精神過程を含み、前頭連合野の損傷による機能低下を最も高感度で検出する心理テストとして臨床現場で用いられています。
病気や事故で部分的に脳に損傷を受けた患者をいろいろな心理テストで調べる方法は、歴史的に重要な役割を果たしてきました。しかし、病気や事故による脳損傷は、複数の領域にまたがり、患者ごとの損傷範囲や左右の脳での損傷の範囲が異なるなど、正確な結論を導き出すことは困難です。また、ヒトでの非侵襲計測法や実験動物での微小電極法など、神経活動と行動の対応を調べる方法は相関法と呼ばれ、新しい脳の機能を探す有効な方法ですが、神経活動と行動の間の因果関係を証明するものではありません。
これに対し、実験動物を用いて脳部位の破壊などを行い、行動への影響を調べる実験手法は、脳部位の機能を調べるために最も信頼性のある方法です。この実験手法は、仮説に合わせ正確な範囲の破壊を複数の動物で行うことができるため、確実性や信頼性などの点で有利です。
研究手法
サルは数の概念が弱いため、ウィスコンシンカード分類テストをサル用に変更しました。規則は図形の色または形の一致だけとし、回答はカードの移動ではなく、サンプルに一致する図形を触れるように変更しました。
サルをテストケージに入れ、ケージの前にあるタッチスクリーン上の図形に触れることができるようにします。スクリーンの真ん中にサンプル図形を登場させ、サルがスクリーン上の図形に触れると、3個のテスト図形がサンプル図形の左・右・下にそれぞれ現れます(図3)。色規則が有効なときは、サンプル図形と同じ色のテスト図形に触れさせ、形規則が有効なときはサンプル図形と同じ形のテスト図形に触れる反応を要求します。正しい反応の後には、報酬としてビスケットをスクリーン下の皿に与えます。正しい図形以外のテスト図形を選択すると(以下間違い反応あるいは誤答と呼ぶ)、報酬は与えません。1つの試行終了から次の試行を始めるまでの時間は、6秒としました。
サンプル図形とテスト図形には、それぞれ6種類の色と形を組み合わせた36個の図形を用いました。サンプル図形とテスト図形は36個の図形から毎回ランダムに選びました。1日あたり300回の試行を実施し、ヒトのウィスコンシンカード分類テストと同じように、正しい規則やその変化を示す手掛かりを一切なくしました。このため、サルは直近の反応に適用した規則を覚えておいて、報酬が与えられた場合には、この規則を維持して次の試行でも適用します。報酬が与えられなかった場合は、もう一方の規則に切り替えて、次の試行を行う必要があります。実験では直近の20試行の正答率が85%を越えると、規則が自動的に切り替わるようにしました。
規則の変化を伴わない単純なマッチング課題の訓練から始め、徐々に複雑な要素を含めていく系統的な訓練を行いました。訓練は14頭のサルで成功し、数ヵ月後には、1日300試行の間に平均して10回の規則変更を達成することができるようになりました。これは規則変更の後、速やかに正答率が回復したことを意味します。サルの間違い反応のほとんどは、有効ではない規則に基づく反応であり、サンプル図形に色でも形でも一致しないテスト図形を選ぶ間違いはまれでした。つまり、正しい規則を選び損なったときは、別の規則に従ったテスト図形の選択をしていました。この間違い反応の傾向は、サルが長い訓練によって色規則と形規則を学習し、その2つの規則のどちらかを選ぶことで課題を遂行し、規則変更後に規則をゼロから学習するわけではないことを示唆します。
実験は前頭連合野の①外側部の主溝領域を破壊した群、②外側部下部を破壊した群、③外側部上部※4を破壊した群、④眼窩皮質領域を破壊した群、⑤内側部の前帯状溝領域を破壊した群、⑥破壊を施さない正常群の間で、破壊前後の課題遂行成績とその変化を比較しました。破壊はいずれも左右の脳の対応する領域に行いました(図4)。
研究成果
破壊前のテストでは、1日300試行の間に平均して10回の規則変更を達成することができましたが、主溝領域破壊群、眼窩皮質領域破壊群、前帯状溝領域破壊群では、1日4~6回の規則変更しか行うことができませんでした(図5)。
そこで、課題遂行成績が下がった原因をそれぞれの破壊群で調べました。課題の遂行には、現在有効な規則を作業記憶に保持する必要があります。そこで、規則の作業記憶の能力を測定するために、試行間隔を広げたときの影響を調べました。85%の正答率を達成した後、(1)規則を変更せずにそのままブロック※5を延長する場合と、(2)通常より長い試行間隔(11秒)を1回挿入した後、規則を変更せずにブロックを延長する場合のサルの成績を調べました。(1)の場合、直後の試行での正答率の平均は90%以上でしたが、(2)の場合は直後の試行での正答率の平均は73%に下がりました(図6)。長い試行間隔の間にサルはケージの中を歩き回ったり、毛繕いをするなど課題遂行と関係のない動作を行います。これらの余計な動作のために、保持すべき規則の作業記憶が薄れ、直後の正答率が下がったと考えられます。
①主溝領域破壊群では、規則の作業記憶の保持力が低下
主溝領域破壊群は、試行間隔延長直後の正答率はさらに悪く55%でした(図6)。この結果は、主溝領域の破壊で規則の作業記憶が壊れやすくなっていたこと、すなわち主溝領域が規則の作業記憶の保持に重要な役割を果たしていることを示しています。主溝領域破壊による規則変更課題の遂行能力の劣化は、現在有効な規則の作業記憶による保持が弱くなったためと考えられます。また、研究チームは別な実験で、ウィスコンシンカード分類テストの動物版を訓練した、2頭の正常なサルの主溝領域から神経細胞活動を記録し、有効な規則の作業記憶に対応する神経細胞活動を発見しました。
②外側部下部破壊群では、2つの図形のマッチングに障害
外側部下部を破壊したサルには、1日の中では規則変更を行わず、1日ごとに色規則または形規則だけで課題を行う訓練をしました。これまでの研究から、外側部下部を破壊したサルは、2つの物体の一致/不一致を答えるマッチング課題において、顕著な障害を示すことが報告されていました。この結果から予測された通り、外側部下部破壊群では課題の成績が著しく悪化しました。
③外側部上部破壊群は変化なし
背外側部上部破壊群は、破壊前と変わらない成績を示しました(図5)。
④眼窩皮質領域破壊群では、報酬経験により規則の主観的価値を高める機能の感度が低下
ウィスコンシンカード分類テストやその動物版では、1回ごとの報酬経験を次の選択に使う能力を調べることができます。間違い反応直後の試行での平均正答率は、正常群を含め、どの群でもほぼ50%でした。この結果は、間違い(報酬なし)の経験は、規則の作業記憶をキャンセルして白紙に戻すには十分ですが、それ以上の学習ができないことを示しています。研究チームが用いた課題は、規則が色と形の2つしかないので、1つの規則が間違いであることが分かれば、もう1つの規則が必ず正しいはずです。2つの「行為」の選択では、サルは、長い学習の後に「一方が間違いならもう一方が正しい」という論理を使うことができるようになります。しかし、2つの「規則」の選択の場合には、このような論理に従って行為を行う能力がサルには備わっていないと思われます。一方、どの部分破壊群でも平均正答率が正常群での50%よりさらに悪くなることがなかったということは、いずれの領域の破壊も、規則の作業記憶をキャンセルし白紙に戻す機能には影響しなかったことを示します。
間違い反応直後の試行の平均正答率が50%だったので、2回目の試行で正答した場合、3回目の試行の成績が、2回目の試行の正答-報酬経験の影響をほぼ純粋に表すことになります。正常群での3回目の試行では平均正答率が約75%でしたが、眼窩皮質領域破壊群では52%でした(図7)。眼窩皮質領域破壊群では1回の正答-報酬経験によって次の正答率を改善できなかったことになります。眼窩皮質領域破壊群では、正答を繰り返すことで初めて平均正答率は徐々に回復し、5回正答を繰り返した後の平均正答率は正常群とほぼ同じになりました。従って、眼窩皮質領域破壊群は正答-報酬経験を行動に生かせないわけではなく、2つの規則の主観的価値の差を変更する機能の感度が下がっていたと考えられます。
⑤前帯状溝破壊群では、反応時間が短縮
前帯状溝破壊群では、反応時間(テスト図形が提示されてからサルが1つの図形に触れて反応するまでの時間)に大きな変化が現れました。誤答の試行における反応時間が短くなり、短縮時間は約700ミリ秒と顕著でした(図8)。正答の反応時間は短縮せず、規則変更を伴わない課題では反応時間の短縮はなかったため、これは一般的な傾向ではなく、規則の選択に関係した現象です。前帯状溝破壊群では、規則の作業記憶が脆弱(ぜいじゃく)になることはなく、正答-報酬経験に対する感度も下がりませんでした。しかし、しばしば間違い反応をする傾向がありました。前帯状溝破壊群のサルは、作業記憶に蓄えた現在有効な規則を能動的に参照することなしに、不用意に短時間で行為を行ってしまうと考えられます。時間をかけて規則の作業記憶を参照し行為を決めたときは正答し、衝動的に行為を行った時にはたまたま正答か誤答になったことになります。
これらの結果から、外側部主溝領域は現在有効な規則を作業記憶に保持、外側部下部は図形のマッチングを行う、眼窩皮質領域は報酬経験により規則の主観的価値を素早く高める、前帯状溝皮質は現在有効な規則の作業記憶を行為決定のために能動的に参照するなど、それぞれの領域が異なる機能で、ウィスコンシンカード分類テスト遂行に貢献していることが示唆することができました(図9)。
結果の意義と今後の期待
大脳皮質の領域間における機能の違いは、視覚関連領域や運動関連領域ではよく分かってきましたが、前頭連合野ではほとんど分かっていませんでした。今回の研究の成功は、実験動物を用いて脳の部分破壊と行動への影響を調べる正攻法の実験手法と、動物版ウィスコンシンカード分類テストという、前頭連合野の損傷に感度が高い行動課題を結びつけることにより得た成果です。今回、前頭連合野の主溝領域、眼窩皮質領域、前帯状溝領域の機能について、それぞれ興味深い結果が得られました。さらに、前頭連合野の領域間の機能の違いにより、行動の高次制御を複数の機能要素に分解できた点でも意義深い結果です。これにより、霊長類に見られる賢く柔軟な行動とは何かを見いだしました。規則の作業記憶はある程度発見が予想された機能要素ですが、正答-報酬経験により規則の主観的価値を素早く変化させる機能、行為決定の前に規則の作業記憶を参照する機能などは、これまでほとんど議論されてこなかった機能要素です。
これらの実験動物での研究を、ヒトの神経心理学的研究、非侵襲計測法による脳活動計測法の研究と組み合わせてさらに展開していくと、主に前頭連合野の機能障害により起こると考えられている、精神疾患の疾病メカニズム解明につながることが期待されます。また、ウィスコンシンカード分類テストを達成できた規則変更数だけでなく、同テストにおけるほかの行動要素の測定、およびほかのテストと組み合わせることで、前頭連合野機能のどの要素が障害されているか、前頭連合野のどの領域の機能が主に障害されているかを調べることができるようになる可能性を示しました。