要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と慶應義塾大学先端生命科学研究所(山形県鶴岡市、冨田勝所長)は、生体のリズムを刻む体内時計※1が示す「体内時刻」を、採取した血液から正確に測定する方法の開発に初めて成功しました。この成果は、理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)システムバイオロジー研究チームの南陽一研究員、粕川雄也研究員、上田泰己チームリーダー、慶應義塾大学の曽我朋義教授、嘉数勇二研究員らの共同研究によるものです。
夜になれば眠くなるように、私たちの体の中では体内時計に基づいて24時間周期でさまざまな現象が生じます。しかし、これまで体内時刻を測定するためには長期間の拘束が欠かせないことや、連続した組織採取が必要であるなど、簡単ではありませんでした。研究グループは、植物学者カール・フォン・リンネが考案した、色々な花が固有の時間に咲いたり閉じたりする性質を利用して1日の時間を推定する「花時計」に倣って、血液中の物質量から体内時刻を測定する方法の開発に挑みました。
マウスの血液を1日のさまざまな時刻で採取し、1日の内に変化する多数の代謝産物量を、最新の高速液体クロマトグラフィー-質量分析計(LC-MS)やキャピラリー電気泳動-質量分析計(CE-MS)を用いたメタボローム※2測定法により包括的に分析しました。その後、24時間周期的で量が変化する概日振動物質を数百個同定し、それらを時刻順に並べ替えた「代謝産物時刻表」を作成しました。次に、任意の時刻にマウスの血液を採取して代謝産物量を測定し、この時刻表に照らし合わせて体内時刻を測定したところ、実際の採血したときの体内時刻を正確に測定できていることが確認できました。
また、この方法の有用性を確認するため、時差ぼけの状態にしたマウスの体内時刻を測定し、時差ぼけの原因となる外界の時刻と体内時刻の乖離(かいり)を定量的に示すことができました。この成果を人間に応用することができると、概日リズム障害※3の診断や、その人の体内時刻を勘案し、適切な時刻に適切な治療を行う「時間治療」の実現が可能となると期待できます。
本研究成果は、米国の科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』オンライン版に5月25日の週に掲載されます。
背景
人間をはじめとするほ乳類には、体内時計と呼ばれる24時間周期を作るメカニズムが内在し、さまざまな現象が約1日(概日)周期のリズムで表れます。例えば、このリズムに従って睡眠・目覚めなどの行動や、心・血管障害といった病気の症状が表れたりします。体内時計に異常があると、社会的に望ましい時間帯に活動することが困難となったり、質のよい睡眠を十分に得られなくなります。
特定の病気が発症しやすい時間帯があるということは、体内時刻を考慮して治療を施すと、最適な効果が得られる可能性を示唆しています。このような体内時刻の要素を加味した治療を「時間治療」と呼びます。時間治療の実践のためには、その人の体内時刻を知ることが重要です。しかし、従来から用いられてきたメラトニンや深部体温を基にした測定法の実施は、正確に体内時刻を測定するために長期間の拘束と連続した組織採取が必要であるなど、容易ではありませんでした。このことは、時間治療が一般的に広まらない要因の1つでした。
17世紀、スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネは花時計を考案しました。これは、色々な花が固有の時間に咲いたり閉じたりすることを利用したもので、ある瞬間に花壇を見て、どの花が咲いていてどの花が閉じているのかを観察すると、その時の時刻が分かるというものです。この花時計を基本コンセプトとして、上田泰己チームリーダーらは、マウスを使った体内時刻の診断法「分子時刻表法」を開発・報告しました(Ueda et al., Proc Natl Acad Sci U S A, 2004, 101(31):11227-11232)。分子時刻表法では、体内の概日振動する遺伝子の発現量の「多い・少ない」を花の開閉に見立て、ある時刻に採取したサンプル中の遺伝子の発現量を調べることで、体内時刻を測定しました。
この方法は非常に効果的でしたが、臨床に応用するためには2つの問題点を抱えていました。1つはサンプルに肝臓を用いたため、人間に応用するには被験者の肝臓の一部を採取する必要が生じることです。もう1つは遺伝子発現量の測定結果を指標にしたため、臨床現場では日常的に行われていないRNA精製という作業が必要なことです。
研究手法と成果
研究グループは、分子時刻表法の問題点を解決するために、血液のメタボローム解析技術に着目しました。メタボロームとは「代謝産物の総体」を意味します。血液中に数百種類以上存在する代謝産物の変動を正確に測定するためには、クロマトグラフィー法※4やキャピラリー電気泳動法※5によって個々の代謝産物を分離する必要があります。研究グループは、慶應義塾大学先端生命科学研究所が世界に先駆けて開発した、キャピラリー電気泳動-質量分析計(CE-MS法)を用いてイオン性の代謝物を、また、液体クロマトグラフィー-質量分析計(LC-MS法)を用いて中性代謝物を、網羅的に測定しました。具体的には、遺伝的に均等な近交系マウスの1つであるCBA/Nマウスを用い、臨床現場で日常的に採取される血液から細胞成分を除いた血漿(けっしょう)を利用しました。得た測定結果を基に、統計科学・情報科学的手法を利用して、24時間周期で振動する概日振動物質を数百個同定し、体内時刻を測定しました。
(1)「代謝産物時刻表」の作成と検証
まず、CBA/Nマウスの血液を4時間ごとに12点、2日間にわたって採取し、代謝産物をLC-MS法で包括的に測定しました(図1A)。測定データから、概日振動物質を統計学的手法によって同定し(図1B、C)、これらを時刻順に並べて「代謝産物時刻表」を作成しました。
次に、1日のうち任意の時間に採取したマウスの血液中の代謝産物量を調べ、代謝産物時刻表と照らし合わせて、採血した時の体内時刻が「何時」だったのかを測定し、その結果が実際の外界の時刻とほぼ同じであったことを確認しました。代謝産物時刻表を用いたこの新手法は、別の遺伝的背景をもつ系統のマウス(C57Bl/6)にも適用可能なこと、性差や週齢差を超えて適用可能なこと、食餌の時間に影響されないこと、も分かりました。こうして、体内時刻を客観的な基準で、定量的に診断することができました。
(2)時差ぼけの評価
次に、一番身近な概日リズム障害の1つである「時差ぼけ」の評価を行いました。時差ぼけは、短期間に時間帯の違う場所に移動することで、体内時刻と現地時刻(外界の時刻)に差が生じた結果引き起こされます。研究グループは、マウスを飼っている飼育棚の電灯をそれまでよりも8時間早く点灯して、朝が早くやって来るような状態(8時間時差のあるところに旅行することを模した状態)にしました。新しい明暗周期に移した初日にマウスの血液を採取して体内時刻を測定すると、体内時刻は元の環境の時刻(新しい明暗周期に移る前の時刻)にあり、新しい時刻とは8時間の差があることが分かりました。その後の行動リズムから、マウスは新しい外界の時刻に次第に順応していく様子を観察しました。実際に、5日目にマウスの体内時刻の測定を行うと、体内時刻と外界の時刻との差が約4時間に短縮していることが確認できました。新しい環境に移した14日目には、行動リズム、体内時刻ともに新しい明暗周期に順応していました(図2)。さらに研究グループは、LC-MS法に加えてCE-MS法でも体内時刻の測定に成功しており、多くの概日振動物質を特定しました。今回の方法は、いわゆるオミックス型研究※6から得られた大きな成果です。
今後の期待
研究グループが開発した手法を人間に応用すると、人の血液から体内時刻を容易に測定できるようになることが期待されます。これまで体内時計の異常に起因する概日リズム障害は、簡易な診断が難しいという問題がありました。体内時刻の測定が容易になることで、客観的で定量的な概日リズム障害の診断が可能になり、適切な医療的処置を施すことができると期待されます。加えて、今回の方法が適切な評価方法として認知されると、治療方法の開発や新薬の評価に利用することができると考えます。
21世紀の医療といわれる「個人にあわせた医療(テーラーメード医療)」の1つの形として、個人の時間を考慮した治療(時間治療)が挙げられます。時間治療の実施には各人の体内時刻を知ることが重要ですが、この方法を用いると、血液で比較的簡単に体内時刻の測定ができ、臨床応用に道を開くことが期待されます。
また、基礎科学的に重要な点は、血液中に数百個の概日振動物質が存在することを発見したことです。その正体を探り、生体内における役割を調べると、体内の時間的な制御機構が明らかになると考えています。
発表者
独立行政法人理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター
システムバイオロジー研究チーム
チームリーダー 上田 泰己(うえだ ひろき)
Tel: 078-306-3191 / Fax: 078-306-3194
お問い合わせ先
神戸研究所 広報国際化室 南波 直樹(なんば なおき)
Tel: 078-306-3092 / Fax: 078-306-3090
報道担当
独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
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